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世界は僕に優しくない。魔王を倒した対価がこれですか?  作者: ころん


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第9話 聖女の休日


 目が覚めた瞬間、最初に飛び込んでくるのは、いつも「白」です。

 純白の天蓋、シルクのシーツ、そして磨き上げられた大理石の床。

 窓の外には、どこまでも続く雲海が広がっていて、朝の光を反射して部屋中をキラキラと照らしています。


 ここは「空中聖都アヴァロン」。

 地上3000メートルに浮かぶ、選ばれた人間だけが住むことを許された天空の楽園。

 そして、私が「第48代聖女」として召喚された場所。


「……夢じゃ、ないんだ」


 毎朝、起きて最初にこぼれるのはその言葉です。

 頬をつねってみても、ちゃんと痛い。

 一週間前まで、私は日本の普通の女子高生でした。テストの点数に悩んだり、放課後に友達とカラオケに行ったり、そんなありふれた日常を生きていました。

 それが突然、白い光に包まれて、気づけばこの世界にいました。


 『聖女』。

 それが、私に与えられた新しい名前であり、役割です。

 世界を救う勇者パーティーの一員。傷ついた人々を癒やす、慈愛の象徴。

 神官様たちはそう言って私を崇めますが、正直に言うと、私は怖くてたまりません。

 だって、私には戦う力なんてないんです。

 晴人くんみたいに無数の剣を出せるわけでも、アリスちゃんみたいに精霊とおしゃべりできるわけでもない。

 ただ、「治す」だけ。

 それも、魔法を使うたびに自分の体温が下がって、寿命が少し削られているような、そんな不思議で怖い感覚がする力です。


「……よし、起きよう」


 私は自分の頬をパンと叩いて、気合を入れました。

 今日は、召喚されてから初めての「完全休暇」です。

 地獄のような訓練――毎日誰かが骨折したり、魔法で火傷したりするようなスパルタ訓練がお休みの日。

 せっかくのお休みなんですから、楽しまなくちゃ損ですよね。

 それに、私が暗い顔をしていたら、みんなまで不安になっちゃいます。

 私にできること。それは、みんなが少しでもリラックスできるように、笑顔で支えることだけですから。


 共有スペースのキッチンに立つと、少しだけ心が落ち着きます。

 包丁を握る感覚、お湯が沸く音、食材が焼ける匂い。

 料理をしている時だけは、ここが異世界であることを忘れられる気がするんです。


 今日の朝食のメインは、オムライスに決めました。

 食材庫を開けると、そこには見たこともないような巨大な卵が鎮座しています。

 『コカトリスの卵』。

 図鑑で見ました。目があったら石になっちゃう、あのでかい鳥の卵です。

 最初は悲鳴を上げて逃げ出しちゃいましたけど、神官様が「加熱すれば極上の滋養強壮食材になります」って教えてくれました。

 殻は石みたいに硬くて、金槌で割らなきゃいけないんですけど……中身は黄金色に輝いていて、とっても綺麗なんです。


「美味しくなあれ、美味しくなあれ……」


 おまじないをかけながら、フライパンの上で卵液を広げます。

 バターの香りがふわっと立ち上って、幸せな気分になります。

 日本のスーパーで売ってる卵とは違って、もっと濃厚で、少し野性味のある力強い香り。

 これなら、みんなの疲れも吹き飛ぶはずです。


 ここ一週間、みんな本当に大変そうでした。

 晴人くんはリーダーとして気負っているし、咲さんは自分を追い込みすぎているし、蓮くんは寝る間も惜しんで勉強しているし。

 アリスちゃんは明るく振る舞っているけど、夜中にこっそり泣いているのを知っています。

 そして、龍也くんは……。


 龍也くんのことを考えると、胸が少しチクリとします。

 彼は、誰よりも警戒心が強くて、誰よりも孤独です。

 訓練でも、あえて攻撃を受け止めるような無茶なことばかりして、いつも生傷が絶えません。

 私が治そうとしても、「これくらい平気だ」って逃げちゃうし。

 でも、本当は誰よりも優しいってこと、私はなんとなく分かっているつもりです。


「よし、完成!」


 最後の一皿にケチャップでハートマークを描いて(これはアリスちゃん用です)、私はテーブルに料理を並べました。

 オムライス、根菜のポトフ、フレッシュサラダ、それにデザートのフルーツタルト。

 完璧です!


「あ、おはようございます晴人くん!」


 一番乗りでダイニングに来たのは、晴人くんでした。

 彼は整った顔立ちに爽やかな笑顔を浮かべて、私に挨拶してくれます。

 まさに「勇者様」って感じですよね。彼がいるだけで、その場の空気がパッと明るくなる気がします。


「すごいな結衣……。これ、全部君が?」

「はい! コカトリスの卵を使ってみました! 毒抜きは完璧……のはずです!」

「はは、君の手料理なら毒でも食べるよ。……冗談だ。すごくいい匂いだね」


 晴人くんが席に着くと、続々とみんなが起きてきました。

 アリスちゃんはスウェット姿で、寝癖がついたままの大あくび。

 咲さんはジャージ姿で、既に一汗かいてきたみたい。

 蓮くんはタブレットを見ながらブツブツ言っています。


 そして最後に、龍也くん。

 彼は今日も不機嫌そうな顔をして、一番端っこの席にドカッと座りました。

 目の下にクマができています。また夜遅くまで自主練をしていたんでしょうか。


「……なんだこの匂い」

「おはよー龍也! 見て見て、結衣ちゃん特製オムライスだよ! 超映えない!?」


 アリスちゃんがスマホを取り出して(圏外ですけどカメラは使えるんです)、色んな角度からオムライスをパシャパシャ撮り始めました。

 なんだか照れくさいですね、と私がフライパンを置こうとした時です。


「あ、待って結衣ちゃん! ストップ!」

「えっ? なに?」

「料理だけじゃ足りないし! やっぱり作った本人も写んないと! ほら、こっち来て!」


 アリスちゃんに腕を引っぱられて、私はオムライスが並んだテーブルの横に立たされました。


「ええっ? わ、私はいいよぅ。エプロン姿だし、髪もボサボサだし……」

「それがいいんじゃん! 『異世界で愛されごはん作ってみた☆』的な? ほら、フライパン持ったままの方がそれっぽい! 笑って笑ってー!」


 アリスちゃんが私の隣に並んで、スマホを高く掲げます。カメラに映る自分を見て、私は緊張で顔が引きつっちゃいました。

 アリスちゃんからは、ふわっと甘い香水の匂いがします。


「はい、チーズ! ……おっけー! 見てこれ、ヤバくない?」


 撮れたてほやほやの写真を見せてもらいました。

 満面のピースをするアリスちゃんの隣で、エプロン姿の私が、フライパンを両手で持ってぎこちなく微笑んでいます。


「結衣ちゃんマジ女神! ていうか聖母? これ絶対バズるわー。電波ないけど」

「も、もう、恥ずかしいよぉ……」


 顔が熱くなりました。でも、アリスちゃんのフォルダの中に、私との思い出が増えたことが、なんだかすごく嬉しかったです。


「いただきます!」


 みんなが手を合わせて、一口目を運びます。

 この瞬間が、一番緊張します。

 お口に合うかな。味付け、濃すぎなかったかな。


「んんーっ! マジうま! 何これ、卵ふわっふわじゃん!」

「美味しい……。魔力を含んだ食材は調理が難しいと聞いていたが、完璧な火加減だ」

「ああ。故郷の味だな。……染みる」


 みんなの顔がほころぶのを見て、私はホッと胸を撫で下ろしました。

 よかった。

 私、戦うのは苦手だけど、こうしてみんなの役に立てるなら、ここにいてもいいのかなって思えます。


 ふと見ると、龍也くんがすごい勢いで食べていました。

 噛んでますか? って聞きたくなるくらいのスピードです。

 

「龍也くん、どうかな……?」


 私が聞くと、龍也くんの手がピタリと止まりました。

 彼は私を一瞥して、ちょっとバツが悪そうに視線を逸らします。


「……悪くねぇ。食堂の泥みたいなスープより、一億倍マシだ」


 ぶっきらぼうな言い方。

 でも、私には分かります。それが彼なりの「美味しい」って言葉だってこと。

 だって、お皿がピカピカなんですもん。


「ふふ、最高の褒め言葉として受け取っておきますね! おかわり、ありますよ?」

「……おう。大盛りで頼む」


 素直にお皿を差し出す龍也くんが可愛くて、私は思わず笑ってしまいました。

 アリスちゃんが「ツンデレかよ!」って茶化して、龍也くんが「うるせぇ」って言い返して。

 そんな何気ない会話が、すごく愛おしいです。

 ここが異世界じゃなくて、日本のファミレスだったらよかったのに。

 そうしたら、放課後にみんなで集まって、他愛のない話をして、夕方になったら「また明日ね」って手を振って帰れるのに。


 ……帰り道、か。

 私、帰れるのかな。お父さんとお母さん、心配してるだろうな。弟のケンタ、ちゃんとお弁当箱出してるかな。

 ふと不安がよぎって、胸が苦しくなりました。

 でも、今はダメです。せっかくの休日に、湿っぽい顔は見せられません。


「……私、みんなみたいに強くないし、戦うのは怖いですけど。こうしてみんなの役に立てるなら、召喚された意味もあったのかなって」


 洗い物をしながら、独り言のように呟いてみました。

 晴人くんが、優しく微笑んでくれます。

 「君は僕たちの誇りだよ」って。

 その言葉が、私の心の支えです。

 私は必要とされている。足手まといじゃない。

 そう思えば、明日からも頑張れる気がしました。



 朝食の後、みんなで街に出かけることになりました。

 私も、用意された服に着替えます。

 クローゼットには、お姫様みたいなドレスや、上質なワンピースがたくさん並んでいます。

 どれも素敵なんですけど、ちょっとサイズが大きいというか……。

 最近、少し太った気がするんですよね。

 神官様たちに「聖女様はマナの器を広げるために、栄養価の高いものを食べてください」って言われて、毎食すごい量の食事を出されるんです。

 しかも、運動禁止令が出ているので、食べて寝るだけの生活。

 アリスちゃんには「胸大きくなった? 羨ましいー!」って言われたけど、お腹周りが心配です。

 まあ、これも修行の一環だと思って頑張って食べてるんですけど……なんか、家畜を太らせてるみたいで、たまに怖くなる時があります。

 考えすぎですよね。


 私が選んだのは、薄い水色のワンピース。

 動きやすくて、涼しげなデザインがお気に入りです。


 みんなでゴンドラに乗って、市街地へ降ります。

 アヴァロンの街並みは、本当に綺麗です。

 白亜の建物が立ち並び、空中に浮かぶ水路から水が滴り落ちて、虹を作っています。

 街行く人たちは、みんな笑顔です。

 地上には化け物がいて、大変なことになっているって聞きましたけど、ここではそんなこと微塵も感じさせません。

 まるで、世界中の幸せをここに集めたみたい。


 でも、龍也くんだけは浮かない顔をしていました。

 彼は人混みを避けるように歩き、建物の影や路地裏にばかり視線を送っています。


「龍也くん、どうかしたの?」

「……いや。この街、なんか気持ち悪りぃなと思って」

「えっ? こんなに綺麗なのに?」

「綺麗すぎるんだよ。ゴミひとつ落ちてねぇし、壁の落書きもねぇ。……人間が住んでる場所ってより、精巧なドールハウスの中にいる気分だ」


 ドールハウス。

 言われてみれば、そうかもしれません。

 ここには「生活感」というものがないんです。みんな綺麗すぎて、幸せそうで、どこか演技をしているみたいにも見えます。

 龍也くんの勘は鋭いから、何かを感じ取っているのかな。


「ねえ、あのお花見て! 綺麗!」


 私は雰囲気を変えたくて、近くの花壇を指差しました。

 そこには、ガラス細工みたいに透き通った青い花が咲き乱れていました。

 『天空花セレスティア』。

 地上では決して咲かない、マナを食べて育つ花。


「ああ。……でも、匂いがしねぇな」

「そうかな? ほら、微かに甘い香りがするよ」


 私は花壇に近づいて、花びらに触れました。

 ひんやりとしていて、生きている感じがしません。

 でも、綺麗だからいいんです。お花は、そこに咲いているだけで人の心を癒やしてくれるから。


「私ね、元の世界に帰ったら、お花屋さんになりたいの」


 子供っぽいて笑われるかもしれないから誰にも言ったことのない夢を、つい口にしていました。

 龍也くんなら、笑わないで聞いてくれる気がして。


「花屋?」

「うん。小さくてもいいから、みんなが笑顔になれるようなお店。……私、勉強も運動も苦手だけど、お世話するのは好きだから。毎日お水をあげて、話しかけて、綺麗に咲いたら誰かにプレゼントして。そうやって、お花に囲まれてニコニコして暮らせたら、それが一番幸せかなって」


 世界を救う聖女の夢としては、ちょっと地味すぎますよね。

 でも、私にとっては、世界を守ることよりもお店の軒先でお客さんと「今日はいい天気ですね」って話すことの方が、ずっと輝いて見えるんです。


 龍也くんは、ポケットに手を突っ込んだまま、呆れたように、でも優しい声で言ってくれました。


「……似合ってるんじゃねぇか。お前なら、枯れかけた花でも復活させそうだしな」

「もう、変なこと言わないでよ! でも、ありがとう。龍也くんが最初のお客さんになってくれる?」

「あー……半額にしてくれるならな」

「えー、ケチだなぁ。じゃあ、お友達価格で二割引まで!」

「交渉成立だな」


 ふふっ、と二人で笑い合いました。

 嬉しい。

 約束しちゃいました。

 この戦いが終わって、無事に日本に帰れたら、龍也くんにお花を買ってもらう約束。

 どんなお花がいいかな。

 彼には、ちょっとトゲのある薔薇とか似合うかも。でも、本当はひまわりみたいに明るい花もいいな。

 想像するだけで、未来が楽しみになってきます。


 その時でした。

 広場の向こうから、悲鳴が聞こえたのは。


「キャアアアアッ!」

「荷崩れだ! 子供が!」


 心臓が跳ねました。

 見ると、広場の一角で、建設中の巨大な女神像の資材が崩れて、荷車が横転していました。

 その下敷きになって、小さな女の子が倒れています。

 巨大な大理石のブロックが、女の子の足の上にのしかかっている。

 血が。赤い血が、白い石畳に広がっていく。


「どいて!」


 身体が勝手に動いていました。

 晴人くんが「待て!」って叫んだのが聞こえましたが、止まれませんでした。

 だって、あの子、泣いてないんです。

 痛すぎて、声も出ないんだ。

 放っておいたら死んじゃう。


 私はドレスが血で汚れるのも構わず、血溜まりの中に膝をつきました。

 女の子の顔色は土気色で、唇は紫色になっています。

 足は……見ちゃダメだ。見たら気絶しちゃう。

 私は震える手を、女の子にかざしました。


「お願い……助かって! 聖なる癒やしよ、その慈悲を! 『女神の抱擁アブソリュート・ヒール』!」


 私の中にある「何か」が、ごっそりと持っていかれる感覚。

 血液をバケツ一杯分抜かれたみたいな、強烈な脱力感と寒気。

 『女神の抱擁』は、ただの魔法じゃありません。術者の生命力を直接分け与える、諸刃の剣だと、神官様は言っていました。

 でも、そんなの関係ない。


 カッ!!


 手の中から、黄金の光が溢れ出しました。

 眩しい。目が開けていられないくらい。

 その光の圧力で、数トンはある石材がフワリと浮き上がり、弾き飛ばされました。


 光が収まると、そこには傷一つない女の子の足がありました。

 折れていた骨も、潰れていた筋肉も、破れていた皮膚も、すべて元通り。

 血色も戻っています。


「……え? 痛く、ない?」


 女の子が目をパチクリさせています。

 よかった。間に合った。

 私は安堵で力が抜け、その場にへたり込みました。

 視界が少しチカチカします。指先が冷たい。

 でも、あの子が生きてるなら、これくらいの代償なんて安いです。


 数秒の静寂の後、広場が爆発しました。


「すごい……! 一瞬で治したぞ!」

「奇跡だ! 神の御業だ!」

「聖女様! 本物の聖女様が現れたぞ!」


 人々が、ワッと押し寄せてきました。

 さっきまで遠巻きに見ていた人たちが、我先にと私に触れようと手を伸ばしてきます。

 怖い。

 彼らの目は、感謝というより、もっと狂信的な熱を帯びていました。


「ありがとうございます! 娘を助けてくださって!」

「聖女様、私の足も治してください!」

「私の子供も病気なんです! どうか奇跡を!」

「触らせてくれ! その聖なる手に触れれば、ご利益があるはずだ!」


 無数の手が伸びてくる。

 私の服を掴み、髪を引っ張り、腕をさする。

 まるで私が「人間」じゃなくて、触れば願いが叶う「石像」か何かであるかのように。

 痛い。苦しい。

 待って、押さないで。


「い、いえ、私は……ごめんなさい、離して……!」


 押しつぶされる。飲み込まれる。

 恐怖で過呼吸になりそうになった時、強い力が私を引っこ抜きました。


「――離れろ、ハイエナ共」


 低い、地を這うようなドスの効いた声。

 龍也くんでした。

 彼が私の前に立ちふさがり、群衆を睨みつけています。

 その殺気に、人々がビクリと動きを止めました。


「彼女は疲れてんだよ。恩人に群がって服を引っ張るのが、この街の礼儀か? あ?」

「ひっ……い、いえ……」


 龍也くんの後ろ姿が、とても大きく見えました。

 晴人くんたちも駆けつけてきて、私をガードしてくれました。


「みんな、下がってくれ! 彼女に無理をさせないでほしい」


 晴人くんの号令で、ようやく人々が距離を取りました。

 私は龍也くんの背中にしがみついたまま、ガタガタと震えていました。

 怖かった。

 人間の「必死な善意」がすごい怖かった。

 彼らは私を崇めているようで、その実、私を「消費」しようとしていた気がします。

 

 ふと視線を感じて顔を上げると、広場の隅に、白いローブを着た神官たちが立っていました。

 彼らは騒ぎを止めるわけでもなく、ただ静かに、私を見ていました。

 その目は、冷たくて、無機質で。

 まるで、市場で売られている肉の質を吟味するような目でした。


 一人の神官が、手元のメモに何かを書き込み、ニヤリと笑ったのを見て、私はゾッとしました。

 見ちゃいけないものを見た気がして、慌てて視線を逸らしました。


 宿舎に戻ったのは、夕方でした。

 あの一件で疲れ切ってしまい、私はすぐにベッドに横になりました。

 みんなは「ゆっくり休んで」と気遣ってくれましたが、部屋に一人になると、昼間の光景がフラッシュバックします。

 群がる人々の手。冷ややかな神官の目。

 そして、私の生命力が削られるあの感覚。


 コンコン。

 控えめなノックの音。


「……はい」

「失礼します、結衣様。大神官様がお見えです」


 ドアが開くと、そこにはあの大神官様が立っていました。

 アヴァロンで一番偉い人。

 彼はロウソクの灯りを手に、ベッドの脇まで歩いてきました。

 その顔には、慈愛に満ちた笑みが張り付いています。


「お加減はいかがですか、聖女様。本日の市街での奇跡、報告を受けておりますよ」

「あ……はい、大丈夫です。勝手なことをして、すみません……」

「謝ることはありません。素晴らしい。実に素晴らしい」


 大神官様は、私の手を両手で包み込みました。

 その手は乾燥していて、冷たくて、なんだか爬虫類の肌みたいでした。


「貴女の癒やしの力は、傷だけでなく、この世界を蝕む『穢れ』そのものを浄化できるほどの純度を持っています。歴代の聖女の中でも、貴女は特別な『器』をお持ちだ」

「器……?」

「ええ。貴女には、戦場で傷つく兵士を癒やすなどという小さな役目ではなく……もっと崇高で、偉大な使命を果たしていただくことになるでしょう」


 崇高な使命。

 その言葉の響きに、私はなぜか言い知れぬ不安を覚えました。

 褒められているはずなのに、背筋が凍るような感覚。


「期待していますよ、結衣様。このアヴァロンの『平和』を守るために、貴女が必要なのです。……大事に育てなくてはなりませんね」


 大神官様は私の頭を撫でて、部屋を出て行きました。

 「育てなくては」という言葉が、耳に残りました。

 まるで、家畜や作物を育てるような言い方。


 私は布団を頭まで被り、震えを抑えようとしました。

 大丈夫。私は勇者パーティーの一員なんだから。

 晴人くんも、龍也くんもいる。

 怖いことなんて何もないはずだ。


 窓の外では、アヴァロンの夜景が美しく輝いています。

 でも、今の私には、その光がまるで、蛾をおびき寄せる捕虫灯のように見えてなりませんでした。


 ベランダから、龍也くんの声が聞こえます。

 アリスちゃんの寝言が聞こえます。

 日常の音が、少しだけ私を安心させてくれました。


 どうか、この穏やかな時間がずっと続きますように。

 お花屋さんになるという夢が、いつか叶いますように。


 そう祈りながら、私は眠りにつきました。


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