#8「公開会見#5——王家財務“寄付の定義”審査、白風の前に風を並べる」
朝、湖の面が白い粉砂糖をふったみたいにざわついていた。遠くの水際で草が一斉に伏せる。白風が来る。空は晴れているのに、光の輪郭が硬い。広場の掲示板には、昨夜貼った「寄付は返礼ゼロ。投資は競へ。」の紙がぴしりと鳴った。
水晶投影の枠を王都に向け、端に二択投票の欄。
二択
A:控除設計(返礼ゼロ寄付の税)
B:外郭団体の解体(“友の会”などの名義連鎖)
私は扇の骨を膝で一度鳴らす。拍。ソルトヘイヴンの空気が、いつもより速く整う。風が速いとき、人も速くなる。
「証言は最後、数字は先に。——今日は王家財務の“寄付の定義”審査。白風が来る前に、風を並べますわ」
ルカが白墨で「風=参照」と大きく書き、その下に小さく「恐れは数字にすると小さい」と添えた。恐れは塩と似ている。湿ると膨らみ、乾くと結晶になる。結晶は数えられる。
刻印札の抽選を済ませ、当選者が前列へ。外れた者は二択へ。王都の枠が開くと、財務局の紋章と一緒に、短い通達が滑り出てきた。
《王家財務局:審査会の時間割(午前中)
1)定義の確認/2)控除設計/3)外郭団体の扱い/4)王家会計の参照線》
短い。短いのは良い兆候。長い説明は、だいたい砂糖衣だ。
「最初に定義の確認から参ります。昨日の式を再掲」
《定義》
寄付=返礼ゼロの支出
投資=見返りありの支出(金銭/特権/順番/免除)
王都財務局の枠に、銀縁眼鏡の若い官吏が出た。真面目そうな、寝不足の顔。『定義は承認候補。ただし“返礼”をどう検知するかが問題だ』
「検知は四指標で。時間、順番、例外処理、顔」
《返礼兆候検知(四指標)》
1)時間短縮:寄付後30日以内に関連部署の処理時間が基準偏差の2σ以上短縮
2)順番繰上:抽選や入札を介さず順番が前へ
3)例外処理:匿名の例外が連打(冷却期間無視)
4)顔:関係者の接触ログが増加(“はね、とめ、払い”の対人筆致)
『筆致……人間関係に筆致?』官吏が目を瞬く。
「会話の“呼吸”ですわ。誰と誰がどの間隔で話し、どの場で会ったか。呼吸の同期は返礼の予感」
広場の端でジャレットが鼻で笑う。「呼吸で税が動くのか。俺は今日から息を止める」
「止めても青くなるだけです。青は綺麗ですが、免税ではありませんわ」
笑いが小さく走り、板へ戻る。二択の第一次集計が上がる。
A(控除)57%/B(外郭団体)43%。
「先に控除設計から。——返礼ゼロが滋養になる設計です」
《控除設計(案)》
・地方法人税の翌年度控除:寄付額の1割上限(地域総所得の0.5%まで)
・条件:返礼兆候ゼロ、台帳公開、刻印照合一致
・超過寄付は安定化プールへ自動流入(控除対象外)
・連結:外郭団体経由は連結視で判定(歯型の一致)
「“連結視”ってなんだ」とオズ。
「袋と袋の歯型の家族関係。海燕刻と葉脈刻、どこで混ざったか。混ざれば親戚」
王都の枠で、財務局の老官が咳払い。『税の穴を開けるな、という声が上がるだろう』
「穴は蓋を。——返礼ゼロ誓約違反が出たら、三年控除停止。没収は安定化へ」
白風の前触れが、湖面で一度だけ撫でるように走った。光が細く揺れる。私は扇の骨を二度鳴らす。拍。拍で心拍を揃える。
「次に王家会計の参照線。王家の寄付は返礼ゼロか?」
パネルが開く。
《王家会計 “慈善会”支出(過去一年)》
・孤児院/病院/学術助成:合計12,800金貨
・“王都祝祭”寄進:4,600金貨(王家紋章の掲出)
・“顧問”への寄進:2,200金貨(名誉称号付与)
「紋章掲出は返礼? 名誉称号は?」
王都の枠がざわつく。名誉は甘い砂糖衣。砂糖衣は軽いが、口に残る。私は淡々と切分ける。
《返礼の切分け》
・名誉称号=返礼→投資側へ(課税対象)
・紋章掲出=広告→投資側へ(入札で掲出権/課税)
・名前掲示=返礼度低→寄付側でも許容(文字サイズ規格・入札なし)
『王家の名を広告と言うのか』財務の老官が眉をひそめる。
「王家は文字。文字は規格で扱えます。規格は争いを減らし、数字は喧嘩の冷却水」
やり取りを切り上げ、外郭団体へ移る。二択の第二回。
A(控除)49%/B(外郭団体)51%。
「僅差で外郭団体の解体。“友の会”、“文化振興会”……名義の布団で返礼を包む仕組み」
《外郭団体の棚卸し(王都登録分)》
総数:118
歯型一致で王造局刻の再流通痕:37
“返礼兆候”検出:22
構造:上位3団体が資金の**68%**を迂回
「解体は二段階。第一次は記録、第二次は名。第三次は手」
《解体フロー》
1)公開台帳へ移送(第一次):収支の写しを写字生組合が保管(二鍵一致)
2)名の連結(第二次):役員・寄付者・受益者の呼吸ログ
3)手(第三次):没収(偽装匿名・返礼冷蔵袋)→安定化へ
4)残置:純粋な文化団体は残す(返礼ゼロ誓約を再締結)
王都の枠で、監査室長バレンが淡く頷き、次長リュシエンヌの瞳がわずかに狭まる。『君は橋を壊さないが、欄干で狭める』
「落ちないためですわ。白風の前に、子どもが落ちないように」
そのとき、湖の上空で風が二段階、音を変えた。白風だ。塩の微粒子が見えない砂嵐になり、掲示板の紙がばたばたと鳴る。エドがすでに動き、兵と町人が板の角を抑える。ナナが青硝子の覆いを掲げ、オズが砂袋を立てる。私は水晶の明るさを落とし、扇で拍を一度。
「白風運用へ移行。会見は継続。数字は風で倒れません」
《白風運用(短縮版)》
・広場の灯りは青固定(視認性)
・読書会は屋内へ“相互写し”のみ継続
・門番交代は二刻→一刻(視界不良)
・寄付PF端末は閉(誓約未署名入金は自動拒否)
王都の枠の音が砂に包まれたように曇るが、まだ繋がっている。公会線は風に弱くない。弱いのは、人の心だ。だから拍を置く。
「——王家会計の参照線、続けます。王家の“寄付”に、王家自身の返礼はないか」
パネルが切り替わる。
《王家“顧問料”の流路》
・顧問A:学園後援会の理事(扇の影)
・顧問B:監査院外郭の“研究会”
・顧問C:王都祝祭委員(順番権限持ち)
→ 顧問料支払い後30日以内に、それぞれの所属にて処理時間短縮の山
「顧問は投資へ。入札と契約で。王家の“寄付”は返礼ゼロに寄せ、広告は入札へ分離」
王都の財務官が短く頷く。『王家布令の改文が要る』
「文は短く。十六字で」
《王家布令(改)案》
寄付は返礼ゼロ。広告は競へ。顧問は入札。台帳は公開。
風が一段階強くなり、広場の灯りが青く息をする。子どもたちが屋内へ走り、老人が椅子を抱えて笑う。「椅子は資本だ」と言ったのは誰だったか。資本は重い。重いから、風に強い。
そのとき、水晶の端が赤く点滅した。異常アラート。
《王家財務局への不審書き換え検出:控除案の“1割→0.1割”に縮小/署名は代理》
私は即座に筆致比較の枠を開く。署名の**“m”の三画目が短い。——バレンではない。
リュシエンヌが目を細める。『誰だ』
「名は第二次**。第一次は記録——今、ここで戻す」
私は刻印札砂時計を横倒しにし、参照の風(湖・灯り・堤)を三点合成して、王都枠の誤差許容を狭める。数字は刃。柄は参照。参照を狭めると、刃は勝手に正しい方向へ滑る。
数息。控除案の数字が1割へ戻った。王都枠の端で誰かの扇が止まり、再び動かない。止まった扇は、諦めか合意だ。どちらでも、参照には同じ。
「外郭団体のリストへ戻ります。——“月桂友の会”」
パネルに、偽装匿名の歯型の重ね図。溶媒の痕跡。袋口の糸。扇の影。
「第一次:記録、完了。第二次:名、開始」
王都の枠で、一人の男が前に出た。中背、痩身、扇を閉じている。『……“月桂友の会”会計責任者、ラウル・グレイス』
エリナ・グレイスの姓。広場の空気が僅かに揺れた。
『偽装匿名を運び、返礼冷蔵袋を回した。寄付は返礼になっていた。——詫びる。解体に同意する』
私は頷き、板に貼る。
《第二次:名の提示 受理。第三次:手——偽装匿名袋没収→安定化へ/役員は会計再訓練+公開監査補助へ配置転換》
リュシエンヌが低く言う。『甘いと言う者がいるだろう』
「欄干は落とさないためのもの。橋から突き落としても、川は甘くない」
白風が本格的に来た。砂混じりの塩が頬を刺す。エドが短く号令し、兵と町人が堤へ走る。私は会見を短く収束へ。
「——本日の結論(速報)」
板を貼る。
1)王家布令(改)案:十六字を提示。審議へ。
2)控除設計:1割上限(地域0.5%上限)/返礼監視/超過は安定化。
3)外郭団体:月桂友の会、第二次(名)まで完了。第三次(手)へ。
4)王家会計:顧問・広告は投資へ分離(入札・課税)。
5)白風運用:門番交代短縮、読書会屋内移動、寄付PFは閉。
6)異常:控除案の改竄検出→復元。代理署名の名は後日(第二次)。
王都の枠で、財務局の若い官吏が深々と頭を下げる。『審査、前進。——白風に備えよ』
「備えます。数字で」
会見を閉じ、私は扇で拍を二度。拍は短いが、走るための靴紐みたいなものだ。解けば転ぶ。結べば走れる。
外は白い。風は砂ではなく、塩を運ぶ。塩は傷を焼くが、嘘も焼く。私は広場から堤へ駆ける。アメリアは屋内の子どもをまとめ、ルカは“実働ログ”の板を抱え、ナナは青硝子のランタンを両手に。エドは前を向いて、短く言う。
「第三次は手だ。堤だ。行くぞ」
堤は、昨日までの砂子と布で継ぎはぎだ。白風は容赦がない。風の刃が、布の繊維を一本ずつほどこうとする。私は参照の印を地面に描き、小さな板に短い数字を刻む。
《堤KPI(白風時・短縮版)》
・薄い区間への人員:最低3
・砂子投入間隔:十数(数える)
・灯り:青、二間ごと
・合図:二拍で危険、三拍で退避
号令は短いほうがいい。長いと、風が食べてしまう。
白い音の中、ジャレットが砂袋を担いで走ってくる。顔は塩で白い。『顔は貸すぞ。顔色は——後で直す!』
「後で灯りの下で。いまは手」
少年たちが砂袋の口を抑え、老人が節で布を押さえる。ナナが縫い目を増やし、オズが砂の配合を叫ぶ。エドが短く、しかし確かな拍で合図を打つ。二拍、危険。三拍、退避。私は拍を数え、薄い区間へ数字を貼る。数字は短い。短いから、風が奪えない。
ひと山越えたとき、堤の“薄い”の中でもいちばん薄いところで、布がひと息破れた。水が牙を覗かせる。私は扇の骨で膝を打ち、叫ぶ。
「第三次! 手!」
ナナが布を投げ、エドが肩で押さえ、ジャレットが砂を叩き込み、少年が体重で座り、私は注記を書く。
《違規だが妥当(白風時):砂子の“規格外”投入を許容。後日、補填/謝意:麦券》
数字は短い。注記も短い。短い言葉は、風より速い。
やがて風が一段、弱くなる。白い音が遠ざかる。布の継ぎ目が湿った銀に見え、青い灯りがそれを縁取る。息を吐くと、塩の味がする。苦くて、すこし甘い。生きている味だ。
堤が持ったことを確認すると、私はルカに合図して、今日の板を広場へ運ばせた。風にさらわれないよう、角を四本の釘で止める。
《白風・実働ログ(抜粋)》
・エド隊:危険二拍 7回/退避三拍 2回
・ナナ工房:縫い目追加 48
・ジャレット:砂袋投入 92
・少年隊:袋口固定 131
・違規だが妥当:規格外砂子 13(後日補填)
見に来た子どもが指で数字をなぞり、老人が頷く。数字は、拍の形見だ。拍は過ぎ去るが、数字は残る。
夕刻、王都から短い紙が届いた。王家布令(改)案の一次承認。角に、例の幼い字の付箋。
《こわかった。ごめんなさい。でも、きょうは拍がきこえた。》
私は紙を掲示板に貼り、端に書く。
《注記:拍は橋。白風のときほど要る。》
領主館に戻る。机の波を紙で均し、決算を書く。
《本日の決算(詳細)》
・現場還元:堤布砂子 420袋/縫い目糸 18巻
・公共:青硝子ランタン 6基/寄付PF端末保護覆い
・積立:白風基金 +48.4(偽装匿名没収の残部)
・運営:公会線端末の防塩膜更新
・注記:恐れは走り出す前がいちばん大きい。走りだすと、だいたい息切れする。
エドが窓辺で、短い笑いを一度だけ漏らす。「王都の顔色が、少し良くなった」
「灯りの下に出てきたからですわ。顔は貸す。顔色は、灯りが直す」
ナナが青硝子の切れ端で小さな鱗のような飾りを作り、ルカが“控除設計”の清書を台帳に入れる。アメリアが湯にほんの少しの塩を落として笑う。「甘い」
「塩は正直ですの。返礼みたいな余計な味はしない」
扉を叩く音。入ってきたのは、灰色外套の老商人。杖の鈴が鳴る。『王都の門番立会い、あしたもやる。字は下手だが、はねととめくらいはわかる』
「二鍵一致。あなたと、明日の“今日の責任者”。刻印札は、青い灯りの下へ」
夜。白風の名残が窓を揺らす。広場では、屋内に移った読書会が低い声で続き、王都の子とソルトヘイヴンの子が水晶越しに互いの癖を真似している。返礼ゼロの字を、何度も、何度も。癖は、続けるほど美しい。
私は扇でひと拍。拍は短い。短いが、明日の靴紐になる。
《次回予告》
公開会見#6:王都“顧問・広告”の入札化**/門番記録の第二次(名)
・二択:「顧問の値付け」or「照明塔の保守入札」
・合言葉:“刃には柄。数字には参照。”
窓の外で青い灯りが揺れ、湖がひとつ息をした。白風は去る。数字は残る。数字は短い。けれど、短い数字で欄干が立ち、欄干の向こうで顔が変わる。変わる顔を見届けるのは、——少し楽しい。