世界の終わり
その日に世界が終わるって聞いたのは9時18分。最寄駅2番ホームで、やけに人がいないし電車も来ねえななんて思ってた頃だ。
「おい!今日で終わりだぞ!」
なんて脂ぎった小太りのオヤジさんに間近で怒鳴られた時は、てっきり戦争でも終わったのかと思ってた。しかしホーム上にまばらに散った奴らが口々に「今日で世界が終わる」みたいに言うから、それでおれもようやっと事態を飲み込んだ。どうやら世界は終わるらしい。
「終わるっつわれてもねえ」
おれはあくび混じりにそうぼやいた。腕時計を見やると時刻は9時25分、本来なら上り電車は2〜3分おきに来るはずだが影も形もない。
電光掲示板の表示も消えてるしアナウンスもなかったが、こうしてホームに来てるから改札は生きてる訳だ。そういや駅員も見なかった、世界の終わりってのはなんだか中途半端だなオイ。
定期なので幸い改札の出入りは自由で、電車も来ないのに延々待ってても始まらないから駅を出た。始まらないっつっても、そもそも今日で終わるらしいけど。
駅の対応が中途半端なように、最寄駅近くにある各施設の対応もまちまちだ。セブンはやってない、ファミマもやってない、ヤマザキはやってる、マックはやってない、モスはまだ開いてないけど中に人がいる、松屋はやってる。……やってるじゃねえか、腹減ったな。おれは松屋に入った。
中は何も変わってないように見えた、長年ここで働いている外国人が、別段いつもと変わりなくあたまの大盛りと豚汁差し出した。
おれは世界の終わりについて話したい気分に駆られたが、店員は一人なのか忙しそうに立ち働いていてそれどころじゃなさそうだ。今日終わるらしいんだけどね、いいのかい? なんて心の中で唱えながら静かに丼を貪った。
店内には新商品が来週発売されるアナウンスが流れていたが、食えねえじゃねえかちくしょう。松屋好きのおれはここで初めて世界の終わりを呪った。
店を出るとやることもないから、ブラブラとそのあたりを散歩した。やってる店もあるんだが、大抵店員は知り合いと喋ったりしていて、およそ店として機能していないようだった。
まあ今日で世界が終わるって言われたらねえ。なんてそれらしく結論づけたけど、世界なんて終わったことがないから本当のところは分からない。
駅から少し離れたところにあるパン屋は開いていたので、中に入る。松屋と同様に、店員が一人黙々と作業をしていた。
この人や松屋の店員は仕事だけど、そういや今日おれが見かけた奴らはだいたい一人だったな。世界が終わる日を知らないおれみたいなやつは大抵一人なのかもな、ガッハッハ。
そんなことを思いながらクロワッサンとメロンパンとツナマヨパンを取ってレジの前に立った。
「今日で世界が終わるみたいっすね」
松屋では物怖じして話せなかったから、ここでは勇気を出して声をかけてみた。
「そうみたいですね」
そう返されて、話は終わる。
「今日も働くんですね」
言ってから、ちょっと煽りっぽく聞こえてしまうかと気を揉んだ。幸いあまり気にした様子はなく
「パン、仕込んじゃったんで」
と目を細めている。
「あぁ、仕込んじゃったらねえ、それはねえ」
「ええ」
自分で話しかけておきながら、この会話の正解がまるで分からなくなっていた。パンを受け取ると
「では」
と普段言わないようなことを独りごちて、両開きの自動ドアをくぐった。
「ありがとうございました」
店員の声は、いつもと変わりがないように聞こえた。
たまたま開いているのを見かけたから買ったものの、松屋で食べたばかりだから腹は減っていなかった。
再び時計を見ると時刻は11時18分。まだまだ今日は有り余っていたから、江戸川でも眺めに河川敷まで散歩することにした。
道中に車はほとんどなかったが、自転車はちょこちょこ見かけた。閑散とした舗装路を走る好機とでも思われているんだろうか、今日で終わりだってのに逞しいもんだ。なんてパン3つ持って暑い中河川敷まで散歩してるおれは思うのだった。
雲のない快晴の空を憎々しげに見上げる。6月もあと少しだが、日差しはとっくに夏のそれだった。梅雨明けはしていないのに雨はろくすっぽ降らず、野菜は高止まりするし、ダムの貯水率は危険域だと繰り返し報じられていた。
そういや、今日で世界が終わるとして、どういう風に終わるんだろう。隕石の衝突や海面の急上昇みたいに一気呵成に訪れるのか、世界的な病の流行みたいに徐々に広まっていくのか。でも“今日で”という言葉からしてそんなに長々やる印象ではないけどな。“今日で世界が終わる”って言う情報のソースはどこなのだろうか。
ネット検索をかけたりSNSを見たりしたいのだが、スマホを家に忘れてしまってできない。現代人失格であるが、一人で職場と家の往復をするだけの生活だと、案外なくても何とかなるものだ。
そもそもラインとかの連絡もそんな来ねえしな、世界が終わる前からとっくにおれは終わっていたのかも知れない。こんちくしょう。急にやさぐれた気分になった。
考え事をしながら歩いていたからか、歩道を爆走する自転車がおれ追い抜いていく時、直前まで気配に気づかず危うくぶつかりかけてしまった。
すんでのところで身をかわすと、自転車の運転手はこちらに非難めいた眼差しをぶつけながら遠ざかっていった。
何だよ、そもそも車道を走るべきだし、歩道を走るにしても徐行してくれよ。と業腹だったがおれ以外にも終わってる奴がいたと僅かに慰められる思いもした。
河川敷には野球に励むガキンチョ達や、ジョギングやウォーキングの一行でわりかし人が多い。おれはブロック敷きの一つに腰掛けて、買っていたパンを頬張った。途中コンビニで牛乳も買ったから、ちょっとしたピクニックみたいな風情があった。
そういえば今日仕事行かなかったけど、いいよな?なんて小心者らしくメソメソ考えていたが、パンを3つも食べると満腹でどうでも良くなってきた。牛乳も、どうせ世界終わるんだからとちょっと高いやつにした。ステーキも寿司も食えなかったけど、パンと牛乳が最後の晩餐なのも悪くはないだろう。
横になって黄昏ながら、おれは特に意味のない考えをこねくり回す。さっきの自転車にぶつかって、運悪く死んでしまったら世界が終わる日に死んでしまった人になるのか。でも、もともと余命がある人とか、そう言う人は案外いるのか。
今日産まれる赤ちゃんもいるはずだよな。0時ぴったりに終わるとして、0時2分に産まれるはずの子供はどうなるんだろう。子供よりも、妊婦側がやるせないだろうな。
あまりにくだらないことを考えてたから、気づけば眠ってしまっていた。起きるとすっかり陽が落ちていた。硬いところで寝たもんだから身体中が痛い、腕時計の針は6時半過ぎを指し示していた。
まあ、帰るか。昼寝しちゃったけど、まだ結構時間あるな、どうしよう。なんて帰りの電車で暇つぶしの仕方に頭を悩ませていた。朝は動いてなさそうだったけど、今ではほとんど平常通りの運行だった。乗客もいつもほどじゃないけど、座席が埋まって立ちがまばらに出る程度にはいた。
みんな意外とやることないよな、家にいてもなんか悲しくなるだけだしな。仕事しちゃった方がいっそ気楽なのかも知れない。
家に帰ると、一応スマホを確認した。彼女から鬼のような数の電話が来ていたが、15時くらいから途絶えていた。パン買って家帰ってたら出れたんだけどな、まあでもパン河川敷で食うの美味かったからな。しょうがない。“すまん、河川敷でパン食ってた!”と返信しておいたが、見てくれるかは分からない。
暇なので、気まぐれに色々な相手に連絡を送った。学生時代懇意だったけど疎遠になっていた人、連絡を交換したきり交流のなかった相手、ケンカしちゃった奴や親を含めた親族など。別に込み入った内容ではない。“元気ー?”とか“世界終わるなー”とかそんな中身のない連絡だ。
みんなも暇なのか、すぐに返信がくる。電話も割と来た。連絡してみるもんだな、と思った。
彼女からも程なくして電話が来る。世界はこんな風にブチギレた人の怒りの鉄槌か何かで終わるんだろうってくらい、強烈な勢いでキレられた。明日があったら河川敷でパンデートしてくれよ、明日があったらな。
みんなとやり取りしていたら、21時過ぎになっていた。正直もうやることはなかった、寝ようかな。風呂入ろうかな、流石にいいか?
寝落ちしかけているとドアチャイムがなった。彼女がブチギレに来たのかと思い怯えながら玄関を開けると、隣人だった。
別に普段は話すことはないし、今もそんなに話すことはない。ただ世界が終わるともなれば、気も変わるんだろう。
「終わりますね」
「ねえ」
「これで終わらなかったらどうします?」
「仕事休んじゃいましたよ、上司に怒られちゃう」
「上司の方が早く逃げてるかも知れないすよ」
「ありそう、ナハハハ」
話したそばから消えてなくなりそうな、意味のないやり取りだがそんなに悪い気分ではない。何となくお互い落ち着いていて
「んじゃ」
「また……明日はないか」
なんて言い合って別れた。
それでも時間があったから、おれはこの文章を書いてみた。地球ごと終わっちまったら意味ないけど、まあ文章なんてだいたい自己満足なんだから良いだろう。
そういえば小説家を目指して長年文章を認めていた日々もあったが、近頃は真っさらな原稿用紙の前でほとんど書けず、時間だけが過ぎ去るなんてことがほとんどだった。
今日は覚えていないくらい久々に文章が書けたし、これから床に就けば寝る時間もいつもよりうんと早い。
今日で世界は終わるらしいけど、そんな今日、おれはおれなりの最も良い1日を過ごすことができて満足だった。これをもっと前から出来たら何かが変わったのかな、なんて思いもあるが。まあたらればだな。
んじゃ、そろそろ世界が終わるらしいから。あばよ。