新米領主のおつとめ1
今朝もお母さまと二人、朝のご挨拶とともに執務室へ入ると、すでにローレンが待機していて挨拶を返してくれます。
ゆったりと軽い雑談を交えながらお母さまは領主の執務椅子、私はソファに座って、初めにローレンから本日の執務スケジュールの確認を受けます。いつもなら彼からお母さまへ決裁の必要な書類が渡され、内容の説明が始まるタイミング。そこで一言、私が声をかけます。今日は、私が作ったやりたい事リストの説明を聞いていただこうかと思います。
そういう事で、朝の通常業務の後に時間を取ってもらい、午後から初めてのプレゼンを始めます。私は作成したメモをお二人に手渡しました。
「まずは私の説明を聞いてください。質問や意見はあとでお伺いします。初めに、なぜこれらをしたいかというと……」
やりたい事リストの主目的は、領民の生活向上と領地の繫栄。
次に目標の設定と課題の想定。そのための具体的な取り組みと効果の見込み。タイムスケジュール。現状把握および問題点の列挙。それから予算。
プレゼン後、ふむ、とローレンはそれっきりメモを見つめて考え込んでしまいました。お母さまも黙って読み込んでいます。その間に、私はすっかり冷めてしまったお茶で喉を潤します。ずっと一人でおしゃべりしていましたからね。
しばらく経って、ようやくローレンがこちらに顔を向けてくれました。
「主目的については、そもそも領主としての大命題ですので、私も賛同いたします」
「はい」
「目標も、住民の生活水準を近隣の地方都市並みに引き上げることでよろしいと思います。具体的な生活水準の目標設定は、後ほど詰めていきましょう」
「はい」
「一つ目の課題も、今冬における全住民の食糧確保、それから収入の安定という設定もよろしいと思います」
「はい」
「私もルテティア領の領民であり、モルテロに居住していますから、住民がどのような生活を送っているかは、よく知っております。それでも、計画の立案にあたって現状を書類に記載することは良いことだと思います」
「ありがとうございます」
「モルテロに来て間がなく、実務経験がないので仕方のないことですが、文章だけでなく具体的な数値が書き込んであれば、より理解が深まると思います。そして、予算について言及しているところは素晴らしいと思います」
「はい」
「それから、僭越ながら一点だけ申し上げる事があるとすれば」
「はい……」
「法整備について記載されておりません」
「あっ」
「とはいえ、アイリーンさまは御年9歳。我が国の法令をまだ学習なさっていないと推測しております。……ですので、そちらは我々が法案を作成し、ご提示させていただくことになるかと思いますが、よろしいでしょうか?」
「はい、よろしくお願いします」
元領地管理官で現領主補佐のローレンが、がっつりお仕事モードでこちらを見据えています。彼から気安い雰囲気が一切なくなっていて、めっちゃ緊張します。そしてローレンの言うとおり、私はまだ法律なんて習っていません。急いで頭の中を探しても、関連しそうな知識は大雑把なものしかなさそうです。……仕方がありません。私のお勉強を待っていては関連する法律の整備が間に合わないので、この分野は彼にお願いする方が良さそうです。
「具体的に住民の暮らし向きの向上を衣食住の改善と捉え、栄養状態の改善、防寒を念頭に置いた衣服の充実、寒さを凌げる住居環境の改善と列挙されているところも、領主さまの初仕事としてお手頃だと思います」
「はい」
「家畜の導入、とりわけヒツジの飼育によって衣料と食糧が見込めることも理解しました。残る課題は主食である小麦の確保と住居ですね」
「はい。小麦は越冬に不足する分だけ支給すれば、それほど必要ないでしょうし、住居も今冬だけなら隙間を木板で塞ぐ程度でいいかと思っています」
「……小麦を領主さまが直接支給するおつもりなのですか?」
「はい。私はそう考えています」
ここでローレンがうーん、と唸って上を仰ぎ、そして動かなくなってしまいました。眉間に寄ったシワがすごいことになっています。無茶を言っていないはずですが、余計に緊張してしまいます。
「ご存じのとおり現在、モルテロの住民の数は子どもを入れて55人です。例えば人口が2000人を超え、その全員が現在のモルテロの生活水準だった場合、領主さまはどうなさいますか」
「それほどの規模では、多分、手を差し伸べるのが難しいと思います」
「私もそう思います。では、越冬のために小麦を支給するとのことですが、来年以降も毎年要求され続けた場合は、どうなさるおつもりでしょうか。住居の修理も同じです。強くお願いすれば、家の修理を領主さまが行ってくれると思われてしまったら、どうなさいますか?」
「小麦も家の修理も、今回限りのつもりです。資金に限りがありますから続けられるものではありませんし、今以上の規模になってもできません」
「恐らく今回の施しは、隣領へ出稼ぎに行く者達の口を通じて、モルテロに住めば領主さまが養ってくれると噂が広まります。人の口に戸は立てられませんので。その結果、確実にモルテロの人口は増えるでしょう。しかし、アイリーンさまは今年一度きりだと仰る。話を聞いて、わざわざ引っ越してきた住民が、小麦の支給はないと言われたらどう思うのでしょうか。資金がないからやりませんという理由では、住民は納得しないでしょう。あらかじめ一度限りと説明してもです。かえって『資金が無くなれば、領主は自分たちを見捨てる』というメッセージとなって不安を煽る可能性がでてきます。このような事態は領主側からすれば、後々暴動などの致命的な失態になりかねないのです。王国の不安定化がささやかれる昨今では、特に気を配る必要があります」
「でも、家畜を支給したのですから、小麦くらいは構わないと思うのだけど……」
「あれは初対面の住民への手土産という、明確な理由がありました。二度目はないと誰にでも分かります」
領主が行った施策の結果として、住民を不安にすることは好ましいことではありませんという彼の説明で、ようやく自分の甘さというか、浅さに気づきました。頑張って考えたつもりですが、領政って難しい。
「さて、そろそろ意地悪を言うのはこのくらいに致しましょうか。アイリーンさまがとても優秀なので、こちらもやりすぎてしまいました。申し訳ございません」
「ほぇ……」
むむぅ……と口を尖らせていた私に、ローレンがフッと笑みを浮かべました。急に柔らいだ彼の雰囲気に戸惑ってしまいます。
「まあ、あくまでも、こんなことも想定できますよ、という例えなので深く考えすぎないでください。住民にとっては日常の施しよりも、非常時に対応できる体制の有無のほうがよほど重要なのです。そういう意味で、越冬のための小麦支給と住居修理は優先度が低くなります。なぜなら住民は何年もずっとここで暮らしているのですから。貧しくはあっても、越冬は自分たちで何とかできる範疇なんです」
「なるほど。私も普段食べ物やお金をくれる人より、何かあったときに頼れる人がいるほうが嬉しいです。あ、でもいただけるものがあるなら、しっかりいただきますけれど」
どうやら目先のことを気にしすぎていたようですね。お母さまをうかがうと、くすくす笑って頷いています。これは私と同じように思っているときのお顔です。私はホッとしました。
執務室にあった妙な緊張が少しだけ解れたところで、お母さまがゆったりと口を開きます。
「ローレン、謝罪には及びません。私たち、あなたに感謝しているのです。なにしろ領地管理など学ぶ機会さえなかった上に未経験ですから、負担をかけてばかりいるでしょう?ほんとうにありがとう。まだまだ頼りない領主と領主代理ですけれど、先達であるあなたをたいへん頼りにしています。これからも、執務の先生としてのご指導に期待していますね」
あらら。ちょっとお母さま、今、それを言っちゃいますか。
後宮でも侍女や女性騎士を相手に時々やらかしていました。鈴を転がすような声でほわほわ美女が微笑付きでこれをやると、初見の相手は嬉しそうにテレテレしちゃうんですよ。ローレンは……無表情で再び停止しています。あ、耳がほんのり赤いわ。男の人にも有効なんですね。
……いけません。お仕事に集中しなければ。横に逸れそうなお話を元に戻します。
「あの、そういう理由であれば、小麦支給と住居修理はなかったことにします」
「いいえ。課題として挙げた以上は実施するべきでしょう」
我に返ったローレンがお仕事モードに戻ったようです。気持ちの立て直しが早いですね。
「要するに、住民に自分たちでやったと思わせることが大事なのです。……モルテロでは毎年冬になると、男性と若者は出稼ぎに行くとお伝えしましたが、たいてい彼らはこちらへ戻る前に、次の年の仕事先を決めています。つまり、出稼ぎ先での継続雇用を約束して帰ってくるのです。ですから、今年の冬も人口の約五分の一は不在になります。次に家畜の恩恵によって、各家庭の食糧備蓄や衣料など冬支度の費用がかなり軽減されます。金銭的にも余裕ができますので、それを小麦の購入に充てていただくことができます。そして住居の修理ですが、領主さまは冬までに羊毛から毛織物を作るための作業小屋を建てるご予定がおありですね。その時に出た端材はゴミですから、捨てられたゴミを拾って再利用したとして、誰も文句は言わないでしょう?」
「あっ、そういうこと」
「はい。前もって顔役には説明しておきますので、恐らくこれで問題ないと思われます。それに建設の人夫として彼らを雇用すれば、収入が得られます」
ニヤッと笑った渋オジがかっこよく見えます。お母さまも、このアイデアににこにこと笑っていますね。これで一つ課題が解決できそうです。




