樹液王女1
国王陛下がお倒れになったことに起因する、私の伯爵位への叙位と領主就任を知らされたのは3月上旬。慌ただしくルテティア領の領都モルテロへ転居したのが4月上旬。そして目まぐるしい環境の変化がようやく少しだけ落ち着いてきたと感じ始めた、ここ最近の私です。
今日は午後からとっても楽しみなことがあるのですよ。午前中はお母さまと一緒に、領主のお仕事をチャチャッとお片付け。頑張る目標があると、とっても捗ります。
午後になり、私はブリオーから村人と同じようなチュニックに着替えて村に出かけます。
屋敷の中で私が着ているブリオーは、ごく一般的な貴族の普段着です。柔らかい木綿生地をふんだんに使用し、ゆったりと襞をたくさんとった、地面に届く丈のドレスのような感じです。それを刺繡入りの幅広ベルトで締めて服にたるみを持たせ、留めています。袖は肩から手首に向かってラッパのように大きく広がり、動きに合わせて優雅に翻るのです。余談ですが、王宮時代のブリオーは宝石が縫い付けられた腰帯と、精緻で複雑な刺繍たっぷりの絹地で仕立てておりました。ほほほ。
まあ、要するにブリオーはアクティブな動きをするには向いていないのですよ。加えて、領民の中ではものすごく浮きます。ですから、ここでの私の外出着はもっぱらチュニック一択です。
いつものように護衛の騎士がついてくるので、嵩張るいくつかの荷物を私と一緒に持つようお願いします。最近の彼らは配置が固定されたらしく、何人かで順番についてくれます。先日、護衛騎士の方々からご挨拶と自己紹介を受けました。今日はクラウスが当番のようですね。彼は明るいブラウンの髪に同色の瞳をし、スラッとした印象を受ける男の人です。彼と二人で連れ立って、待ち合わせ場所になっている村の入り口へ向かいます。今ではすっかり仲良くなって、私をアイリーンさまと呼んでくれる、同い年くらいの女の子数人と、彼女たちが面倒を見ている幼い子ども達の十人ほどで近くの白樺林まで歩いて行きます。
「ねえ、ねえ。何をするの?」
私と同い年のマナが興味津々で尋ねてきました。新しいことにワクワクしているみたいです。他の子たちも知りたいのか、キラキラした目がこちらと騎士の持つ荷物を往復しています。
「ちょっとした試みというか、挑戦というか、チャレンジしてみたい事があるの。成功するかどうか、分からないんだけど、できたら嬉しいもの……かな」
「うれしいもの?何だろうな」
後ろに続く女の子たちからもたのしみーとか、ちゃれんじ~など、ワイワイ賑やかな声が聞こえます。林までの道すがら、彼女たちから芽吹いたばかりのベリーの茂みや森の奥にあるスノードロップの群生地、夏のイラクサ摘みのことを教えてもらいます。私もやってみたいなあ。
そうして一時間ほど歩いてたどり着いた森には、そこここに白樺が生えています。頭上を覆う樹々の若葉が黄緑色の光を透過し、風に揺れてキラキラしています。私は一団で一番小さな女の子に、手招きしながら声を掛けました。
「ミナ、こうやって白樺の木を抱っこして。それでミナの腕がグルッと届く木をお姉ちゃんのマナに教えてほしいの。ちゃんと、指と指が先っぽで届くやつね。太くても細くてもだめ。丁度いい白樺が見つかったら根元にこの水袋を置いてほしいの。目印よ。できる?」
「うんっ。わかった!」
「マナは妹のミナが木を探している間、水袋を持ってあげてね」
「じゃあ、探してみようか?」
元気よく飛び出したミナの後を追って、私たちは歩き出します。マナはクラウスから水袋を受け取りました。
ミナは木から木へ、抱き着いては離れることを繰り返します。私はそれは細いだの、ちょっとくらい手が届かなくても大丈夫だの、その都度声をかけながらマナと一緒に追いかけます。なぜミナにお願いしたかというと、彼女の背丈と腕の長さが白樺を選ぶための丁度良い物差しがわりにピッタリだったから。
「これはどう?」
「葉っぱもよく茂っている。うん、いい感じ」
ありがとう、と私はミナにお礼を言いながら、クラウスからベルトとロープを受け取ります。それを一旦地面に置いて、ポーチから取り出した鏃のようなキリでグリグリと白樺に深さ5センチくらいの穴を開けます。白樺に開けた穴からはジワリと樹液が滴ってきます。
「マナ、水袋を貸して」
「うん」
受け取った水袋の飲み口は、あらかじめくの字に曲がったものに取り換えてあります。その口を木の穴に突っ込み、樹液が漏れないよう隙間を蜜蝋で塞ぎ、水袋が落ちないようベルトとロープでしっかりと幹に固定しました。
「こうやって、樹液を集めるの。煮詰めたら、多分、甘くて美味しいシロップになるから」
「ほんと?」
女の子の一人が滴った樹液を指に付けて舐めてます。女の子は甘いものが大好きだから、皆で白樺を囲んでわくわくしていますよ。
「今晩、樹液を集めて、明日のお昼に回収してシロップづくりしたいひと~」
「は~い!」
皆の声が元気よく揃っています。甘味を前にして、女子の心は一つになりました。
「じゃあ、これを水袋の数だけ取り付けようね」
「分かった!」
俄然やる気の出た女子一同は、あっという間に10個の水袋を取り付け、その日は解散となりました。
次の日、村の入り口に再集合した子どもの数は倍に増えていました。なぜか?それは男子も集まっていたからです。
「なんか、旨いものが食えるんだろ?俺たちもほしい」
「えぇ~っ」
女子はブーイングです。なぜかというと、自分たちの分が減るから。女性陣、子どもだろうが貴重な甘味にはシビアなようです。
私の護衛騎士も苦笑いをしています。今日はセレトという名前の、バーントオレンジの髪にそばかすが浮いた童顔が可愛い、ひょろりとした体型の若い騎士さまです。
「私たち昨日、ちゃんと働いたんだから、アンタたち男子も働いてよね」
「わかったよ。その代わり俺たちにも旨いもの、分けてくれよ」
「ちゃんと働くならね」
若干、男子が下手になって交渉成立のようです。早速、みんなで連れ立って昨日の現場へと向かいます。
そして白樺の木立に取り付けられた水袋は、いい感じに膨らんでいます。今回はお試しということもあり、取り付けた水袋の数は少なめ。それでも成果としてはまあまあだったのではないでしょうか。別の水袋に取り換えて、すぐに元来た道を戻ります。荷物は、もちろん男子が持つのですよ。
みんな揃って意気揚々と帰還した後は、広場の一角にある竃をお借りします。だいたい今は14時過ぎで、夕食作りが始まるぎりぎりまで竃を使います。
まずは、あらかじめ領主館から運んでもらっていた5つの大きな鍋を竃にどどんとセット。そこに集めてきた白樺樹液を布で濾しながら移し替えて、火加減を最大に。しばらくしてボコボコ煮立ったら、弱めのグツグツ程度に調整しますよ。
「お鍋の樹液が半分以下になったら、隣の鍋に足し換えて、最終的に一つのお鍋だけにするの」
「こんなにあるのに、ものすごく減っちゃう」
「煮詰めれば煮詰めるほど、甘~くなるからね」
「あま~く……」
「今日は食べられる?」
「どうだろう?時間がかかるなら明日になるかも」
なにしろ初めての試みなのだから、と思っていたら男子の中からブーイングが起きました。女子たちはそれに反発して言い返しています。これは一触即発の雰囲気です。まずいですね。
「えぇ~。うまいもん食えるっていうから、俺たち手伝ったのに!」
「時間がかかるって言ってるだけで、あげないとは言ってないし」
「俺たち協力したし、荷物運んだしぃぃ~。重かったな~。頑張ったな~」
「それしかしてない」
「でも手伝いやったも~ん」
男子一同、とりあえず何かを口に入れるまで引きそうにありませんね。仕方がありません。
「みんな自分のコップを持ってきて。少しだけ味見しようか」
その言葉に、やった!と嬉しそうな男子諸君。そんな彼らに、小さな淑女一同がため息を吐きつつ、コップを持って戻ってきました。
彼らに鍋から樹液をコップ五分の一くらい入れてあげます。アツアツですから気を付けてくださいね。
「言うほどうまくねえ」
「思ったのと違う」
「だな」
なかなかの辛口コメント、ありがとうございます。
「美味しいものは時間がかかるの。それまで楽しみにしてね」
試食したことで渋々納得してくれたのか、男の子たちはどこかへ行ってしまいましたが、彼らを見つめる女の子たちの視線はたいへんキビシイものでした。こういう眼つきのことを白い目とか、ジト目とか、後ろから刺されそうとか言うのだろうな、と思いました。男子、背後注意な!