未体験の連続4
早速、お母さまの言いつけどおり、しばらくの間、侍女二人とお部屋の整理をしました。
ところで、私たちが住むことになった領主邸ですが、さきにも言ったとおり木造の二階建てです。
屋根も外壁も内装も、木造なのです。カントリー調ログハウスに住めて素敵だと思ったアナタ、そうではありません。もうちょっと説明すると、板葺きの屋根に外壁は木材、内装もすべてが木材です。風に飛ばされないようにでしょうか、屋根に大きな石がたくさん載せてあります。年月か気候による劣化か不明ですが、板の木目はくすんで見えません。廊下を歩くとギシギシ音がします。幸いなことに広さも十分で手入れが行き届いて清潔、見るかぎり木材は腐っていません。領主邸がそのような状態なのです。ましてや住民が住む家は言わずもがなです。ちなみに王都にある貴族の一般的な家は、木材を使う場合もあるようですが石造りが基本です。
ぜいたくを言うつもりはありませんが、上を向けば天井に雨漏りのシミが見えますし、冬の隙間風は寒そうだなぁとは思います。お母さま用の虫対策とあわせて、どうにかしたいところです。
それはさておき、整理が早く片付いたので午後は何をして過ごしましょうか。すでに私の教育係は決まっていますが、急な引っ越しで相手がこちらに到着するまで3週間ほどかかると聞いています。なので勉強に充てられている時間がしばらく空くのです。
少し考えて、今日のところは散策に出かけることにしました。
「ねえ、この街道を通って国境を越える人はどれくらいいるの?」
「ほとんどおりません。北の王領で山道がしっかり整備されていますし、南部にも地方都市を巡る大街道があります。ここはその中間ですし道幅も狭く、隣国の集落に入る途中が険しい道のりになっていて馬車が通れません」
「じゃあどんな人が通るの」
「傭兵連中と、たまに駆け出しの若手商人くらいです。われわれ兵士が街道を巡回する回数のほうが、はるかに多いでしょう」
「そうなのね。私がここに来るまでの道中、誰ともすれ違わなかったから少し気になったの」
砦に併設されている検問所に顔を出した後、村の中心部へ向かう道すがら私の護衛兼案内役をしている騎士に頷きます。
ところで、先ほどから私は住民たちの視線をチラチラと感じています。そりゃあ、新参者は珍しいでしょう。人の出入りが少ないから、なおさらに。こればかりはお互いが存在に慣れるまで仕方がありません。ただ、子供たちは正直で、私を視認するや、少し距離を開けてず~っと後ろをついてきますよ。彼らはこっそりと尾行ごっこをしているつもりのようで、小声で囁きあったりクスクス笑ってとっても楽しそう。騎士も気づいていますが、害意がないので放置しています。
「連れてきた家畜は元気かしら?」
「はい。雑草がたくさん生えている南側の斜面を利用して放牧しているようです。ご覧になりますか?」
「牧場にいくの?あっちだよ」
私たちの会話が聞こえたのか、ついてきた子どもたちが声をかけてくれました。どうやら案内してくれるようです。ゆったりと歩く私たちを、彼らが走って追い抜いて先導してくれます。家と小さな畑の脇を抜けて風通しの良い斜面を見下ろすと、木柵に囲われた中で10匹のヒツジがのんびりと草を食んでいました。その真ん中には新しい家畜小屋と鶏舎が建てられ、その脇で子どもたちが嬉しそうに手招きしてくれています。
「あのね、けさは、たまごがみっつとれたの!」
「りょうしゅさまのおかげで、たまごが食べられるようになったよ」
「ひつじのおちちも飲むのー」
「まいにち、わたしたちがおせわしてるんだー」
幼い女の子たちが次々と話しかけてくれて、私の周りは一気に賑やかになります。少し離れて、男の子たちは何か物言いたそうにしているけど、まだこちらの様子を伺っているみたい。見たところ、かねがねお土産を喜んでくれているようで、本当に良かった。
その後、子どもたちに誘われて、広場にある住民共用の台所のそばに設置されたテーブルで休憩することになりました。ここは屋根はあるものの壁がなく、吹きさらしになっていて、常時、竃に火が入り、毎食の煮炊きに使われているそうです。驚いたことに、みんなのお家に暖炉があっても竃はないらしく、ここで各自順番にお料理をしたあと、各々家に持ち帰って食べるのだそうです。厨房付きの家は、領主邸だけなのね。まあ、使用人もいるからまかなう食事の量も多いし、お客さまへの備えとしても必要なのでしょうね。
ただしパンだけは専用のパン焼き窯があって、お母さん方を中心に女性が当番制で住民全員のパンを毎日焼いているらしいです。知らなかった。
「ねえ、冬にここでお料理するのは寒くないの?」
「寒いに決まってるじゃない。だから冬は風よけにフェルトで周りを覆うんだよ」
「雨の日もするよ。今日は晴れてるから、上に仕舞ってあるの」
ほらね、といわれて天井を仰ぐと、四方を囲む梁に分厚そうな茶色い布が括り付けられているのが見えました。なるほど、布を張り巡らせたあとでも、煙は梁と屋根の間から抜けて中に籠らない仕組みになっているようです。
物珍しさから、テーブルに座って白湯をいただきつつ、竃の周りをじぃーっと眺めます。ふと端に積み上げられている黒い塊が気になりました。
「あれは炭かしら?」
「あれは、ピートだよ。まきみたいに、もえるの」
「ぴーと……」
「この辺りの燃料はもっぱらピートを使います。泥炭とも言われていますが、湿原から切り出した泥を乾燥させて、こちらまで運び込んで保管しています」
背後に立っている騎士が、女の子の説明をそっと補足してくれました。
どうやらローレンとウィラーが言っていた燃える泥が、この塊のようです。触ってもいいかしらと騎士を伺えば、頷いてもらえました。私は竃脇にある泥炭のそばまで行って、恐る恐る指先で触れました。
「思ったよりも、ぱさぱさしているのね」
「ええ、良く燃えるように十分乾燥させていますから。それに軽いですし。……持ち上げてみますか?」
騎士に促されたので、持ち上げてみますよ。どっせーい……あら?泥というから、覚悟を決めて踏ん張って持ち上げたのに想像以上に軽いです。軽すぎて、スカッと持ち上げた体が仰け反りそうになってしまいました。
「ピートは水苔や雑草が泥になったものなので、乾かすと水分が抜けて軽くなります」
「ホントね。よく見ると枯れた苔のようなものが混ざってる。匂いは……仄かに薬草っぽいのね」
「煙もあまり出ませんし、案外火持ちもいいですから、森林資源の少ないルテティアでは重宝します。保管場所もご覧になりますか?」
周りにいる皆にお礼を伝えて、竃の裏手に回り込みます。軒下にたくさんの泥炭が積み上げてありました。
私にとっては珍しいものを見ることができて、大満足の散策になりました。
その後、屋敷に戻った私は、集落と住民の様子を思い返していました。
家々は領主邸と同様に木造だったけれど、厩よりも狭くて、ぶっちゃけ隙間の多い物置のような印象でした。彼らの服装は、亜麻の肌着の上にチュニックを重ね着して腰の位置でしばり、男性はこれに亜麻のズボン、女性はズボンを履かないかわりにチュニックが長く、マキシ丈のワンピースのようになっています。その服も着替えがないのか継ぎはぎだらけで、ところどころが擦り切れて破れている人までいました。そして足元は重ねた獣皮で包み込み、それを紐で固定して、ふくらはぎや膝下まで編み上げています。体つきを見ても飢えるほどではなさそうですが瘦せていて、満足するほど食べられているようには感じませんでした。
これで、最初に私が領主として取り組まなければいけない事が決まりました。
みんなには季節に合わせた着心地の良い服を着て、美味しいご飯をたくさん食べて、居心地が良い家に住んで暖かいベッドで眠ってもらいたい。
私は、これを実現できるように頑張りたいと思います。