第七話 ユースケ 王立寄宿学校③ 邂逅
それぞれの得意分野ではぶいぶい言わせ、それ以外は皆の力を借りてなんとか乗り切った日々も、二週間が過ぎればさすがに慣れていく。
詰め詰めのスケジュールを終えた夜。
唯一の自由時間であるがここはあくまで寄宿学校。
外出許可は出るはずもない。
それでも国一番の学校で、貴族の子息が寝泊まりするための施設なのだ。
ベッドは多少硬いが照明代わりに灯すランプには独特の風情があったりと、特別不便なことは無かった。
特例で広い部屋を使えることになったユースケ達は、寝る前の時間を使って本日の、というか異邦に渡っての不満を爆発させていた。ある一人を除いて。
ちなみに年頃の男女が一緒に寝て大丈夫かと声が上がりそうだが、そこは問題ない。
意外にも、誰もそうならないのだ。
……まぁ、一蓮托生の七人が、痴情のもつれで瓦解とか、少し考えただけでぞっとする。
「きっとお金がないんだよ!」
「ダメダメダメ。誰が聞いてるか分からないんだから」
口走ったコウメをやんわりと注意するアミ。
食事が大雑把な味付けで大皿にどんと盛られていたことへの不満、だったか?
子どもらしい不満にこっちは笑ってしまうが。
しかしコウメぐらい小さい子は流石に珍しいが、生徒が全員同じ年ということはなかった。
高校もほぼ義務教育みたいなものだろと思っている身からすれば、彼らは学びたいと思ったから寄宿学校の門を叩いた訳だ。
学びへの意欲に自分達は欠けているなと思ったりする訳だが、どうでも良いことだと割り切った。
「やっと出たな子印。「竜骨」だったか?」
シンイチに頷く。
いつまでも自分だけが痣のままだったから、内心で焦っていたのだ。
「リュウコツって?」と予想通りのコウメの質問。
「ドラゴンの骨?」と同じことを考えたアミが首を捻る。
「竜骨っていうのは、船の頭からお尻までを通る大事なパーツのことだよ。
木造船ならではのパーツで、今はキールって呼ぶんだったかな?」
「へぇ、タマキちゃん物知り!」
饒舌に、それでいて上機嫌に説明しだすタマキに感嘆の声が上がる。
そういえば番組や動画に移っていた彼女は、もっとお淑やかなキャラクターではなかったか?
むふふと鼻を鳴らしてご満悦な表情を見ると、いっそコウメよりも子どもっぽく見えた。
「竜骨は意味が分かり易いね。『支え、台座、誰からも慕われ、愛される者』だって」
貸し出してある本を開きながら、タマキは指で文字をなぞりながら説明してくれた。
「ええやん。まぁなんとなく分かるけどな」
シンイチの珍しく良い評価に少し驚いた。
コウメやアミも、少し離れていたがミツルも僅かに頷いていてなんだか気恥ずかしかった。
しかし……そろそろ消灯時間か。
恥ずかしさから逃れるのもそうだが、手遅れにならないよう上着を羽織り、支給された手持ちランプに火を点けた。
「あ、ウチも行っていいですか?」
「女子は外出禁止でーす」
どこに向かおうとしているのか既に当てをつけているアミに苦笑する。
ここは寄宿学校。
貴族の子息が集う場所とはいえ年頃に違いないのだ。
余計な気揉みをしたくはないので、てきとうな理由をつけて断った。
宿舎を出て少し歩けばユースケを覆う屋根はなくなり、満点の星空が顔を出した。
青白く、妖しくもある月光に目だけでなく心も奪われそうになったが、足は止めない。
声が聞こえてきたからだ。
ひそひそと、何を言っているかは分からないがあまり良い印象は持てない。
一挙手一投足が注目されるのはとてもじゃないが合わない。
早く平穏を手にしたいところだ。
そういえば……東京にいる頃、土の上を歩いたことはあったか?
編み込みサンダルから伝わる地面の吸収性、アスファルトでは絶対に感じられない匂いが、星明りも手伝って気分を落ち着かせる。
ランプがなければ暗闇の中だというのに、ユースケは異邦の地で珍しくリラックスした時間を過ごしていた。
何かを打ちつける荒々しい音が近くなってきた。
閉まっている時間帯なのに、開かれた金網を通り抜け訓練場の門をくぐると、月光に晒された戦士が無心で打ち込み台に向かって木剣を振るう姿があった。
女子を連れてこなくてよかった。
面はもちろん悪くはないのだが、ハルカがこうして何かに撃ち込んでいる姿はとても、いや本当に絵になるのだ。
皺を寄せた表情が集中によって剥き出しになり、無垢な素直さや闘志が露わになるのだ。
スポーツに打ち込む男子が好きな女子は、これだけでノックアウト確定だ。
しかし、いや凄い汗だ。
ハルカの足元に水溜りが出来ているのだが、いつからユースケ達と別れて修業していた?
夕食後にはもう見えなくなっていたから、ざっと三時間以上は経っている。
足音を立てないようにゆっくりと近づく。
もしやと思い持ってきたタオルを丸め、投げつけてみる。
それを見向きもせずにキャッチされてしまうのだから、つい笑ってしまった。
「研ぎ澄まされてんねぇ」
「自覚はある」
稽古台に木剣を立てかけ、ふぅと息を漏らして掴んだタオルを頭から被るハルカ。
伸びかけの坊主頭だが、昨日より確実に長くなっている気がする。
気になって尋ねると、毛先を摘まんでそうか? と尋ね返された。
「ハルさ、いつもこうなの?」
夜遅くまで練習。
朝は誰よりも早くに起きて校内を何周も走る。
気がつけばストレッチしていたし、よく言えば求道的。
……人との交流を廃する彼の生き方は、ユースケにとって、遊びがない気がしたのだ。
「訳わかんない世界に来た。人が目の前で死んだし、王様の前で殺されそうになったし、今朝だってオレらと歳の変わらない奴らにたくさん殴られた。
……結局全部オマエが助けてくれてるけど、オマエはさ、しんどくないの?
誰かに縋りたくはなんないのか?」
口をついて出た言葉はみっともない感情の吐露だ。
しかし、みんなやっていること。
初日のことだ。
コウメが夜に泣き出したのをきっかけにアミも釣られ、シンイチも急に部屋を出ていった。
帰ってきた時には目の辺りが赤くなっていた。
ミツルはもっと口数が減った。眩しい朝日に晒されてもしかめっ面で、笑おうにもそれが出来ないといった風に見えた。
タマキも気丈に振舞っているのか、何かに集中している時以外はいつだってぺちゃくちゃ話すようになった。
「ユースケも、吐き出してるようには見えんが」
「オレは今。ただでさえハルとタマキが予想のつかんことをするから、自制してんの」
そ、そうか。と申し訳なさそうに目を逸らすハルカ。
言われたことを頭でもう一度反芻しながら、木剣をまた拾った。
「ユースケは、俺が以前までの俺だと思うか?
スカイツリーで初めて会った時と、何も変わらないと思うか?」
それはどんな意味だ、それも含めての質問だろうか?
特に考えず直感で首を振った。
目を伏せて笑ったハルカは、少し離れて木剣を見たことのあるフォームで構え始めた。
去年の夏、学校関係者しか座れない内野席から見たフォームと変わらない、僅かにオープンスタンス気味の右打ち。
「剣を握ればバットの握りを少しずつ忘れていく。印は俺の中に溜め込んだあの日々を、血と戦いの興奮に差し替えるんだ」
「じゃあバッティングの素振りしろよ」
「怖いのは俺が、それをもう許容してしまってる事なんだよ。
変化球を見切る為に身に着けた選球眼が、相手の殺意をねじ伏せるための度胸と神経になっている」
正確無比だったバッティングフォームがブレる。
野球に詳しくないユースケでも肩に力が入っているのが分かる。
あの日見たサヨナラホームランの打席で見た横顔の方が、よっぽどリラックスしていた。
「人を倒すのが快感って信じられるか?
これが印のせいかそれとも俺のせいなのか誰が見分けてくれる?
頭の中の声は闘争を望んでいて、安打じゃなく首を刎ね落とす方を勧めてくるんだぞ、信じられるか?」
これが慟哭で、叫ぶように悔しさや怒りをぶつけてくれたら……言えたこともあったかもしれない。
涙の一つでも流してくれれば、そんな事ねぇよって同じテンションで返してやったのに。
なんで、そんな諦めた顔をしてるんだよ。
「帰ろうぜ、日本に」
だったら、似合わない語りかけをするしかないじゃないか。
「とっとと捨てようぜ、こんな呪い。
皆で帰って記者会見を受けてさ、大丈夫だった?って喋ったことのないヤツに心配されて、そこまで要らねぇってくらい家族や友達に労って貰うんだ。
しばらく話題になった後、皆でスカイツリーにでも集まろう。
……定期的に、連絡を取り合うんだよ。オマエが出る甲子園を応援しに行って、タマキがセンターやってるコンサートを身内特権使ってS席で見るんだ」
そうだ、と思いついた事をユースケはそのまま言葉に起こす。
「東京出身ってオレとタマキだけじゃん?
案内してやるよ、地方民? 青春18きっぷ買って七人で色んなトコ行くんだ。
ハルが将来所属しそうな球団のドームにも案内してやるし、なんだったら浦安のテーマパークにも行ってさ、「オレらもっとリアルな城に行ったんだぜ」って内輪で笑うんだよ」
どうだよこのプランニング?
ぽかんと聞いていたハルカがようやくそこで電池が入ったようにハッとして、吹き出して笑った。
「いいな、それ」
「だろ? そう考えたらオレ達はラッキーなんだよ。
意味のわからん子印も上手く使えば生きる手段になる。
そりゃ戦うのはしんどいけどオマエのやタマキのは特にレアらしいし、元の世界に戻れる手がかりになるかもしれない」
そもそも子印を得るのに多額の金を払って寄宿学校に通う者がいるのだ。
初めからユースケ達は一歩先を行く。
いつかは再び次元を越えることは出来るはずだ。
既にそうやった者が東京に現れ、ユースケ達がやって来たのだから。
「希望が見えてきた」
「オレもだよ。やっぱ、こういう話は要るな」
「そうか?」
「要るんだよ! 話さないと分かんないことはメッチャあるぞ?」
明日は勢いでなく、少し冷静に皆に話さなくては。
ただ寄宿学校に揉まれるだけではモチベーションの維持なんて不可能だ。知るのが大好きなお騒がせアイドル以外は。
そういえば消灯時間がすぐだった。
すぐに木剣やらを片付けてようと慌ただしく動き始める。
そうやって倉庫に近づこうとして……
「おい」
とハルカが低い声で暗闇に呼び掛けた。
「あ」
「げぇ、なんでバレるかなぁ」
ご丁寧にランプの灯を消して隠れていたのは、アミとタマキだった。
ごめんなさいとすぐに頭を下げるアミとは対照的に、タマキはハルカの汗で肉体が顕わになったシャツ姿を凝視する。
「さすがに遅いので心配して、その」
「うっわぁ。だと思ってたけどハル君筋肉やばっ。エッロ、え、触わっていいんだよね?」
「慎み! それは好奇心じゃなくスケベ心だ!」
ばばっと、あの背中を取り合う名前だけは知っているスポーツのように、ハルカとタマキは腰を低くして距離を取り始めた。
突然騒がしくなった訓練場は、吹き抜けになっているので声がよく響いた。
「心配しなくてもすぐ戻ったのに」
「いや、その、何話してるのか気になるって言って、飛び出しちゃったので」
まぁユースケはいいのだ。
皆に聞かせたい話もあったので。
しかしハルカの悩みを聞かれていたとしたら、それは名誉の為に黙ってもらうべきだな。
「ほらほらぁわたしの事も押し倒しちゃいなよ? 快感って言ってたじゃん?」
「倒すだ、押し倒すじゃない! その悪びれない態度、いつか絶対後悔するからな!?」
決してハルカが手を出さないことを前提にした弄りだった。
まぁ、笑う分には問題ないか。
「タマキさんも少し悩んでたんです。印に侵される意識と自分の本質がどうのって」
「え、アレってシンパシー感じた末の行動なの?」
どう見てもクラスの人気者が、初心な男をからかっているようにしか見えないが……
アイドルなんかやってるタマキが自分の容姿を理解してない訳ないし、かなり危険な行為に見えるのだが。
「あれは絶対にシンイチ君にはしないな」
「え、あいやー、どう、なんでしょうね?」
イメージの偏った中国人みたいな返事をしたアミの乾いた笑いは、それが答えだと言っているようなものだった。
騒ぎを聞きつけて誰かやって来られても面倒だし、いい加減注意する。
「ほらわたし恋愛禁止だから、めったに男子の体とか触わるなって事務所で言われてるもん」
「今も控えろ」
「だって異邦に事務所ない今がチャンスだもん、ね、お願い」
際限なく盛り上がりそうなアイドルの後頭部を、ぺしり。
これは凄い体験だ。帰ったら友達に報告だ。
まぁ、ハルカの悩みも少しは解消しただろう。
さて寝ますかと訓練場を後にしようと、門をくぐって宿舎が見えてきた。
その時だった。
「春賀! 春賀だろう? 松中春賀、僕のことが分かるか!?」
敷地を隔てるための金網に叫びながら飛びつく男がいた。
あまりに予想外で面食らったのは呼ばれた本人だけじゃない。
その必死の形相にアミなんか腰を抜かしてしまったくらいだ。
「だ、だれ!? ハル君の、フルネーム、え、なんで?」
その男はユースケよりもかなり上背があった。
骨太だが妙に細く、こけた頬に伸びっぱなしの髭は都会にもいたホームレスを彷彿とさせた。
「な、なんですかあなた!? 警察呼びますよ!」
「いや異邦に警察はいない」
タマキの脅しにハルカが冷静な指摘をした。
とっさに彼女を背中に隠す辺りはもう手慣れているなと場違いなことを思うが、それはどうでもいい。
呼ぶのは憲兵か、それとも寄宿学校の関係者か?
寄ってたかって殴り倒すのもありだが、近づきたくないという潜在的な恐怖が、事を荒立てたくないという思考に寄ってしまう。
しかし初めはユースケ達と同じように驚くも、すぐに臨戦態勢をとって女子二人の前に立ったハルカが、急にこと切れた人形のように棒立ちになったのだ。
遠くのせいで顔が判別できないからか、ランプの一つを持ってゆっくりとその男に近づいていく。
「だ、だめ! きっとストーカーだよ! ハル君乱暴されちゃうよ!」
「オマエの知識、なんか偏ってね?」
タマキが尋常じゃないくらいに取り乱すのでこちらは冷静になってしまう。
しかし、一番状態がおかしいハルカが、金網を隔てなければいつでも触れられる距離にまで近づいて、わなわなと震えだす。
持っていたランプを落としてしまっても彼はただ呆然と、一言だけなんとか捻りだしたのだ。
「父さん?」
信じられない単語にユースケ達は唖然とした。
騒ぎを聞きつけてやって来た憲兵と教官に何を言えばいいのか、問題はそれだけだった。
「父さん、なのか? 本当、に?」
驚愕に言葉も出ないユースケ達とは別に、ハルカは頭を殴られたみたいにふらりと揺れ、男の方へ向かい、金網越しまで接近した。
その背格好、目の形や鋭さ、向かい合った時の互いに纏う雰囲気がどういう訳か「似ている」と思ってしまった。
何かを叫んでいる男の声はあまり聞こえていないようで、ただ呆然とハルカは呟いた。
「母さんの、言った通り」
え? 耳の良いタマキが反応した。
彼女から後から聞いたハルカの台詞は、およそこの状況で出てくるのはおかしいものだった。
なにがなんだか……眩暈がしてきた。
後にこの邂逅が七人の運命を大きく動かすことになる。
そんなこと、今は当然分かるはずもなかった。
キャラ紹介③
ユースケ 「竜骨」の子印 説得力がアップ 片手剣と盾を使う戦士