第二十三話 ハルカ 暗闇で、弾ける
顔にかかる冷たさで目が覚めた。
何が起こったのか分からず、ただ息を吸おうとして口の中に水分が入ってきた。
しばらくえずいて、ようやく水をかけられたのだと理解する。
「あっけなかったねぇ。ハルカ君」
「あんな分かり易い泣き脅しに引っ掛かるなんて、青いねぇ」
はっきりしないのは視界だけで、その声が誰かは分かっている。
瓶腹マクノとその仲間達。
あの男はいないようだが、しかし空気の通りが悪い。室内ということしか分からないが、どこに連れていかれたのかは全く予想がつかなかった。
「どんなに剣術に秀でていても君は高校生。これっぽっちも世間を知らないガキだ」
「なまじ選ばれたばっかりに、強くなったと勘違いし、有頂天だ。なんだっけ? 格の違いがどうのこうの言ってたよね? もう一回言ってくれないかな? ほぉら早く」
靴底がハルカの無防備な顔を蹴り、再び意識を失いそうになる。
歯を食いしばり、地面を踏ん張ろうとするも手足は枷にかけられている。
何かないかと目を凝らそうとして、ちょうどハルカの向かいで枷に掛けられた仲間が見えた。
彼女は泣きそうな顔で止めてと懇願している。
「わたしはどうなってもいいから! ハル君には、どうか、お願いします!」
泣きじゃくるタマキ。見たところ、怪我はない。
黒服を着崩したラフレが嗜虐心を募らせながら彼女の頬に触れ、下卑た笑いを浮かべた。
「さっきまでだんまり決め込んでたクセに、急に泣き叫んでまぁ。よっぽど好かれてんのね。神の気まぐれに踊らされたガキ同士、惹かれるものがあるのかしら」
短剣を手で弄び、彼女の目の前で転がして見せるラフレはこれ以上なく楽しそうだ。
タマキを見降ろすラフレの背中から、何か薄暗い感情が透けて見えた。
気に食わない。
饒舌ではないはずの口が、勝手に動き出す。
「自分の安全が保障されてないと粋がれないよな、あんたら。
十年余りの異邦での生活があんたらの性根を腐らせた。哀れでならないよ」
手足が動かせないのなら、口で黙らせてやる。
急に喋り始めたハルカを解せないといった顔で四人が見降ろした。
「どうなんだ? 未成年を攫うために一月用意して、面倒臭い芝居までして得た成果は俺達の無様な姿だって? 救いようが……」
痛みが破裂する勢いだった。
顔という顔を何度も殴られ、腹も肩も棒で何度も叩かれ、体じゅうの色んな液が溢れかえりそうにある。
憤慨する彼らをそれでもあざ笑いながら、しこたま殴られた。
何度も意識が飛び掛けたが、彼らは襟を正してハルカ達に背中を見せた。
「そっちこそ粋がっていられるのも今の内だぞ」
「その印を今から引っぺがす。せいぜい星霊に別れを惜しむことだな」
扉を叩きつけて出ていった四人の背を見ながら、途切れかける意識をなんとか繋ぎとめる。
口の中いっぱいに広がる鉄の味を吐き捨てながらタマキの方を見た。
同じように手足を枷で封じられ向かい側で泣きじゃくっているのだが、さっきから目に毒だ。
「泣くなよ。せっかく再会できたのに」
「だって、だってぇ」
手で拭うこともできないので、彼女の涙は細い顎を伝って床に落ちる。
手足を拘束され壁に張り付けられたこの現状で、彼女から目すら背けられない。
「怪我ないか? 酷いこと、されたりしたか?」
「なんで、わたしより、ハル君のが酷いよぉ」
あぁじれったい。
どうして距離が開いているのか、そうでなければ彼女を慰めることも、涙も拭いてあげることも出来たのに。
尋常ならざる状況なのに思考が彼女のことばかりな事に気づき、自分は意外にも冷静なのだと知る。
「タマキ、風は操れないのか?」
「何回もしたよぉ。けど、この手枷が魔力を封じるっていうか」
ようやく泣き止みかける彼女と情報の交換をするが、知る毎に絶体絶命なのだと知る。
仲間の助けが来ることには期待しないほうがいいかもしれない。
地下の密室、彼女の空気読みをもってしてもここがどこかは分からないらしい。
「水瓶はなにか言っていないか? こっちは武器がないと力を発揮できん」
「え、えっと。その、いやぁその」
なんで言い淀む?
出来ないなら否定してくれていいのだが。
彼女はごまかすように視線を逸らしているが、どういう訳か頬に朱が射している。
「ひ、一つだけ、あるよ」
「なんだ? なんでもするぞ」
ここを抜け出す為なら泥でもすすってやる。
そんな気持ちなのだが、彼女はこんな状況にそぐわない緊張した様子で、落ち着かなそうにハルカの顔をちらちらと見る。
まごまごしながらようやく口を開いたかと思えば、彼女は言ったのだ。
「わたしのこと、どう思ってる?」
んん?
無事でよかったとかそういう意味?
それはさっき口に出したはずだし、意味合い的におかしいな。
というと、……うん、なんだ?
「……そう、だなぁ。うーん? あ、急に腕とか背中とか触って来るのは止めた方がいいと思うぞ。勘違いした男に言い寄られたくないだろ?」
何の気なしにやっている彼女の行動は本当に気掛かりだった。こっちの気も知らずに急に来るから本当に心臓が悪いのだ。
しかし、彼女はそうじゃないと顔を赤くして憤慨する。
「わたしのこと、女の子としてどう思うって聞いてるの!」
え、あ、あぁ。間違いじゃなかったのか。
日本にいた頃、あまり話した事のない女子に何回か尋ねられた事で、それがどういう意味かチームメイトに殴られながら教えられたっけ。
「テレビで澄ました顔して映っていたから、初めはいけ好かない奴なんだって思ってた。
たまに見せる笑顔も嘘くさくて好きになれなかったな」
赤くなったり青くなったり、忙しい奴だな。
さっきとは別の意味で泣きそうになっている彼女には構わず続ける。
「だから、初めて喋った時に驚いた。
繕った笑顔じゃなくて、星空に感動してる時のお前は……輝いて見えた。
俺の右肩に触ったのを謝った時とか、ころころ変わる表情に目が離せなかった。
……テレビ用の顔なんか捨てて、素のタマキの方がよっぽど可愛いと思ったよ」
ハッと、その大きな瞳の中に流星が煌めくような気がした。
顔は真っ赤な茹で蛸そっくりに赤くなっていて、今の彼女が小奇麗に着飾っていない事が悔やまれる。
そういえば、話していて当時気になっていたことが呼び起こされる。
「……確か、野球観戦が趣味って言ってたよな?
妹がタマキのファンでやたら言い聞かせられたけど、お前のプロフィールには野球のやの字もなかったぞ」
あ、俯いた。
いい加減この質問の意味を教えて欲しいのだが……
彼女はぶつぶつと何かを一人で、いや水瓶と話していたのかもしれないが、急に顔を上げた。
「わたし、ハル君のストーカーだったの!」
……ん。なにが、ほぅ、つまり。
「……えぇ? 訳が、分からない、ぞ」
どんな攻撃よりも重たい衝撃がガンとハルカの頭を殴った気がした。
何を言っているのかさっぱりだが、ストーカーって、んん?
アイドルのストーカー被害の話か? いや、それをいま俺に言ってどうする。
「八月二十日、ハル君が全日本に選ばれた時の東京遠征で、わたし、貴方に会ったの!
不良に絡まれてるところを助けてもらって、その」
う、うぅん。覚えて、ないなぁ。
都会に初めて来たことで舞い上がってお節介を焼いたということなのだろうが。
しかし彼女は今にもこっちに向かってきそうな勢いで……いや、待て。
なんであの頑丈そうな手枷が、ぎしぎし音を立てている?
「あの日から、ハル君の事が気になって調べ尽くしました!
野球好きは嘘で、調べていく内に詳しくなっただけなんです! 全部、貴方に会った時に会話が弾むように下調べしただけで、甲子園もハル君の出てた場面以外は流し見で」
ハルカに魔術の素養はない。
それでも彼女の手に少しずつ張りを増していく力の渦が感じられた。
手枷の土台となっている木組みに打ち付けられた釘が、緩んでいるではないか。
「ずっと会いたかった!
ずっとお礼が言いたくて、あれからわたしの世界は光り輝いたんです!
ただぼうっと生きてるだけだったわたしを、貴方が変えてくれたんです!
この気持ちをいつか伝えるために、プロ入りした貴方と合法的に芸能界で会える為に、必死にアイドル活動続けてきました!」
ばきりと、完全に手枷が土台から外れた。
足枷も台風が生まれたのかと思う程の魔力のうねりで砕け散り、彼女は解き放たれる。
衝動を風の魔力が後押しして、恐るべき速さで彼女はハルカに抱きついてきたのだ。
「異邦で同じ境遇だって知って胸がときめきました!
おんなじ選定印、世界に十二個しかない印を持つ者同士って知って確信したの。
運命としか思えない。空の神が、この子がひっきりなしに言うのをなんとか我慢してたけど、やっぱり駄目です。抑えられない!
貴方が好きです。
学校のいいなって言われてる先輩より、お仕事で会う俳優さんよりもずっと貴方の方が素敵です。
どうか貴方に、わたしを捧げさせてください」
密室を揺るがす風が巻き起こり、嵐が彼女の手の中で凝縮し、炸裂する。
耳を塞ぎたくなる高音が一瞬響いたかと思えば、手足の拘束が両断されていることに気がついた。
自由になったことで倒れそうになるのを、タマキが全身で受け止めた。
あぁ……あぁ! 分からない!
恐怖と困惑、痛みがごちゃ混ぜになってマトモな判断が出来なくなる。
というか、なんでタマキは今こんな事を口走っている?
『鈍いわね、アーリの宿主。全部、この子の性なのよ。
水瓶たるあたしの本質は捧げること、彼女もそう。心の赴くままに情熱を振りまき、思い込みと誰かへの思慕を生きがいにする』
心の中で声が二つもする……
牡羊からの呼びかけですら驚くのに、それ以外の心の声に心臓がどうにかなりそうだった。
というか牡羊も怯えていて一向に出てこないのはなんでだ?
もうだめだ、怖すぎて頭が回らん。
だというのに抗えぬ男の性が、密着する彼女の感触に反応して、その背に手を回していた。
音にすれば実に簡単だ。ぎゅっと、だろう。
ついでやってしまったので力が強かったかもしれない。
しかしタマキは悶えるように甘い声を出す。
きっとだが、今の行為はつり橋を落とす行為だったのかもしれない。もう後戻りはできない。そんな予感があった。
「……ここから出よう」
絶対に捨て鉢に聞こえないよう言った。
彼女はうんとかオッケー!とか、そういう返事ではなく、
「はい」
異様に甲斐甲斐しい、慎ましやかな返事をした。
……ようやく、分かってしまった。
『凄いね人間って!』
言うに事を欠いてそれか。心の牡羊を力なく蹴飛ばすのだった。
妹……お前の推しは、なんか凄かったよ。




