第二十二話 ハルカ 勃発
「えっとね、悪い話じゃないと思うんだけど?」
親子だけで取り決めていた密談が、ついに仲間にも伝わることとなる。
ハルヒコは部屋に入るなり、商談を始めた。
物腰はこれ以上なく穏やか、彼が揺れる度に清潔な香りがした。
得た報酬を身だしなみに使ったのか、どことなく余裕に満ちていた。
彼がした話は、洞窟でハルカにした話とは少しだけ違っていた。
「ギルドに所属するんだ。異邦に法治国家は数少なく、その法が絡めとる網目も大きくていくらでも抜け道は用意できる。
僕もなんとか金を積んだり衛兵と良いやり取りを重ねて、なんとか抜け道を探り当てたことがある。
何度も思ったよ、大きな勢力に所属していればこんなことにはって」
淡々とハルヒコは語る。
袖や首筋に見える大きな傷跡は、潜り抜けてきた修羅場の数なのかもしれない。
今までずっと抜けた姿を見せていたが、過去を語る彼の悲痛が見えた気がして、聞き入ってしまった。
耳が、感性がこれに従えと、信じろと言っているようだった。
「後ろ盾は要る。君らにとって学生って立場がそうだったように、大人にとって会社や球団が責任を負ってくれるのと同じで、踏みしめる為の土がどれだけ大事かをこの十年で知った。
システムで雁字搦めにされた空間は思うより快適で、ここは日本人に沿った世界ではないんだ」
長々と話していて喉が乾くだろうが、あいにく差し出せるような水はない。
以前の宿ほど粗悪な部屋ではないのだが、なくなればいつでも注いでくれるような水差しはない。
「あの、それってウチらだけなんですか? マクノさんたちは……」
「いま僕はただのハルヒコだ。彼らは良い友達だが、命を預ける度に不安を感じていた。……彼らとはもう歩めない」
アミが素朴な疑問を投げ掛けるが、途中で阻まれ話を続けられる。
ハルヒコの様子は、口にすることは申し訳ないがそれでも言わずにはいられなかった、そんな風に見えた。
テーブルの下で拳を握っている姿は、堪えようのない思いがあふれ出ているようだった。
少なくともハルカにはそう見えた。
「印持ちは狙われる。それは君たちが一番知っているはずだ。
何故君たちだけが狙われるか、その理由は明確だ。君らを狙っても報復されないからだ。
これは例え話だが、金銭を奪うために犯罪者が子供を誘拐するなら、代々続く名家の跡取りか成金の息子、どっちだ?」
ハルヒコがコウメに視線を向けた。
彼女は「ナリキーン」と即答する。
「正解。この場合の成金は君たちだ。素養を……そのまま銀貨に置き換えたらいい。
金庫に預けている訳でもないその金を狙ってコソ泥は君たちをつけ回し、悪党は舌なめずり、そして徒党を組んだ極悪人は銀貨以上の物を君たちから搾り取る。
そうならない為に『奴らに手を出せばそれ以上の暴力が返って来る』と思わせなくてはいけない。
それが可能で、かつ自由も得られるのはギルドだ。もちろんその前の投資額は多いが、そこで僕だ。
ハルカ。本当は君だけを招く予定だった。だが先の戦士喰いで君たちの価値は証明された。
君たちは自信を持ってギルドに紹介できるレベルの戦士と魔術使いの集いだった。
君たちの為なら僕は心血を注ごう」
彼は服の内から丸めた羊皮紙を取り出した。
留め金を外して開いてみせた内容には、流れるように書かれた綺麗な文字を素早く目に通す。
古紙では到底出せない滑らかさと均一の薄さは、物の価値を知らないハルカでも良質だと分かった。
内容はこうだ。
ハルヒコ含めた七人を傭兵団「冬熊」に引き入れる事を約束するものだ。
かの名前はピンとこなかったが、シンイチやアミが寄宿学校の頃に耳にしていたらしい。
とても大きなリアクションをしていた。
「本当はタマキちゃんもいる時に話したかったが、まぁ君たちの総意になら彼女なら従うだろう。さぁ、ハルカ」
テーブルの上に置かれた駕ペンとインク瓶。
仲間からの視線が刺さり、どうするんだと一身に受ける。
その期待が、ずしりと重たい。
沈黙が生まれたが畳み掛けるように彼は続ける。
「どうして僕が急いでいるか、分かるか?」
夜が更けてきたのが分かる。
空は暮れの薄暗い青闇に染まっていき、衛兵がレミフィアを灯火で照らし始めている。
頭に過った鉄仮面たちのメッセージに体が強張る。
「早く署名しろ。話は向こう側につけているから、すぐに冬熊のアジトに届ければいい。
彼らと揃いの腰布を巻いてさえいれば奴らだってそう簡単に襲ってこない。
もう夜はすぐそこだ、ハルカ、早く!」
彼の言葉に熱が込められていく。
唾が飛んできそうな勢いに呑まれそうになり、手が動き出そうとしていた。
夜風が窓に叩きつけられ激しい音を鳴らす。世界が怒りに満ちている様で……
「決めるのはお前だ! あの子はきっとお前が決めた事なら」
突き動かされて手に取った駕ペンがひょいと仲間に……シンイチに取り上げられる。
「なぁ親父さん。さっきまでの、こう心に染み入る言葉で説き伏せる感じの喋り方を続けてくれません?
なんかこう……どっかで聞いたことあるような喋り方で、妙に懐かしくなんねん」
間延びした訛りが急かされていた気持ちを落ち着かせてくれた。
心臓の早鐘が耳にまで聞こえるくらい、ハルカの心音は速くなっていたのだと思い知らされる。
「シンイチ君。今はそんなことを言っている場合じゃないぞ。
夜が深まれば奴らは来る、影のある所に息を潜ませるのが彼らのやり方なんだ!」
焦りでキツイ言い方になったハルヒコの言いぶりもなんのその。
どこ吹く風で彼は壁に背中を預けながらペンを掌で弄ぶ。
「それやったらどこにおっても死んでまう。ブラックテイカーはホンマに影に潜んどって、いつでも誰の命でも狙えるって?
そんなんおったら、異邦はもっと闇に包まれとるなぁ」
彼はペンを机に叩きつける。
そして立てかけていた弓を手に取り、ハルヒコに向かって番えた。
きりきりと弦が音を立て、いつでも射出寸前の構えを取った。
「シンイチさん、何してる!?」
止めようと立ち上がるが、彼は視線すらこちらにやらない。
その目はどこまでも普段通りで、夕飯の献立を尋ねる時のような自然さに、こっちが混乱する。
「まぁ聞け。えぇかハルカ、そもそもユースケが死んだ原因を考えたか?」
急にわなにを?
ハルカだけでなく仲間達もぽかんとシンイチの事を見つめる。
「おれらはムートの新しい執政に言いつけられた任務をこなした。そこで急に鉄仮面どもは現れたワケで……なんか、おかしいよな?
おれらは、コソコソ兵士に隠されて、町を出た、やのに、来た。
しかも場所は怪鬼のおった砦の最重要拠点。初めから知ってないと奴らも現れようがないやろ。
まるで、あの新しい女執政の指令が筒抜けやったんとちゃうかなって。
……まぁ今のは証拠も何もない憶測やから、気にせんとってや。それよりも前の話に戻ろか。
なぁコウメ。
おまえが単独で鉄仮面に襲われた時のタイミング、もっかい教えろ」
話を振られたコウメがびくりとする。
思い出したくないことなのだろう。しかし、仲間の言葉は決して無視しない。
「ハ、ハルちゃんがトイレ行くからって、訓練場を出てったすぐに」
満足そうにシンイチは頷いて、弓に矢を番えたまま続ける。
「その何日か前やったな、奇跡的な親子の再会があったのは。
おれは見てへんけど、ユースケだけやなくアミにタマキもおったはずや。
……印を持った奴が沢山がいるぞ。こんなに多かったら大変だ、一人ずつやっちゃおう!……って、誰かさんが言ったとしたら可能と違うかなぁ?」
「お前! 僕を疑っているのか?」
明らかな嘲りに、ハルヒコが机を思い切り叩く。が、シンイチはどこ吹く風。
「タマキの時なんか、いつでも狙えたよな?
だってずっと一緒に行動してたもんな。影のある所に奴ら在りってんなら、戦士喰いは影差す夜の舘ってことになる。
いつでも、どこでも狙えたんとちゃうんかって?」
「シンイチさん、あんた、何を……」
ひょっとして、何かに取り憑かれたのか?
シンイチは抑揚をつけて喋るくせに表情一つ変えず、どこまでも冷淡にこの空間を支配していた。
「ハルカ、目ぇ逸らすなよ」
次の瞬間だった。
この場にいるただ一人を除いて、全ての虚を突く動きがあった。
シンイチが、矢を射たのだ。
空気を切り裂いた矢は一直線にハルヒコの右手、いや手袋を裂いた。
彼は弾けるように椅子から立ちあがって距離を取って、血の滲む右手をもう片方の手で隠した。
「なにふざけてやがるこのクソガキ!」
「そんな傷すぐに治しますって、うちの薬師にかかれば」
アイコンタクトを交わし、ずっと黙っていたミツルが水薬を見せた。
軽くそれを放って、ハルヒコの足元へ転がす。
「んなことより隠した手、見せてくださいよ」
「やかましい! 妄言に妄言を重ねて在りもしない罪を吹っ掛けるのか!?
ハルカ信じるな、このクソガキはちっともお前の為にならない!」
恫喝のような剣幕に、シンイチはもちろんミツルも狼狽えることはなかった。
「裂傷でしたらすぐに治してみせますよ。あと一個なんですけど、僕らの射手の妄言? に免じてサービスしますよ」
気前の良いことを言いつつ、ミツルも確信めいた何かを持っていた。
うろたえるハルヒコだけがこの場では異質。
目まぐるしい状況に何も言えないでいると、再びシンイチが場を仕切りだす。
「おいアミ。ハルカが使っとるユースケの剣を手に取ってくれ」
へ? と戸惑うアミ。
どういうこと? と聞き返すアミに彼は構わず続ける。
「惨い記憶が蘇るかもしれん。けど、頼むわ」
しかしシンイチの有無を言わさない迫力に従い、彼女は立てかけてあった剣を手に取った。
目を閉じ集中していた。
子印に意識を傾けているのだろう。
僅かに生まれた静寂を切り裂いたのは、他でもないアミ。
かたかたと震え、口を手で押さえるアミは見たことがないほど真っ青になっていた。
何を見たのかは彼女にしか分からない。
震えながら片方の手で口許を抑え、涙をいっぱいに浮かべてくずおれる。誰も何も出来ずにそれを見つめていたが、彼女は袖で涙を拭う。
そして手をおもむろに持ち上げて、指を差す。
「ユーさんを殺したのは、その人です」
これは仲間しか知らないこと。
彼女の子印「手紙」は、人との円滑過ぎる交信の力とは別に、物に宿っている思念を読み取る。
ユースケが最期に持っていた剣、それに込められていた後悔は、彼を慕っていたアミならば読み取れたのだ。
「鉄仮面を率いて、この人はユーさんをめった刺しに」
泣きじゃくるアミに本当なら言葉を掛けてあげたい。
だが、煮えたぎる衝動に突き動かされハルカは対面していた男に掴みかかっていた。
「どういうことだ。答えろ」
「どうって、知らない。僕は何も!」
逃れようとする手をひねりあげ、床に組み伏せた。
その際に、血が少し滲んだ右手が見えてしまった。
「竜骨」の湾曲した印が刻まれた右手が。
「これはあいつの、ユースケの物だ! それをどうしてあんたが」
拳を振りかぶるのをなんとか我慢したのは、無条件に彼が親で、救いがあるのではと、どこかで願っていたからかもしれない。
話せば、ひょっとしたら違うのかもしれない、と。
『エントゥラ、エントゥラ、ベルルシファ』
故に、対応が甘くなったことは否めない。
全身の産毛と、心に宿る牡羊が警鐘を鳴らす。
部屋の隅の埃はあんなに黒かったか?
霧がかって湯気のように立ち上っていたか?
「逃げるぞぉ!」
まだ把握もくそもない。
だが、戦いの火蓋は切られた。
床に座り込んでいたアミを担ぎながら窓を割って飛び降り、着地する。
遅れてシンイチとミツル、青灰犬に跨ったコウメも同じように窓を蹴破って出てきた。
割れた窓から漏れ出すように黒い霧があふれ出ているのが見えて、確信する。
「なんとか袋のねずみは避けられたけど、やばいな」
かがり火の闇を照らす明りは、同時に濃い影を生む。
揺れる影の中から這い出る鉄仮面達を数えながら、たった今まで泣いていたアミを揺さぶる。
「絶対、絶対に許さない」
杞憂であった。
涙を拭いながら双眸に怒りを宿す彼女を見て思う。
この中で腸が煮えくり返る思いをしているのは彼女かもしれない。
だからといって負けるつもりもない。
彼女の握っていた剣を受け取る。
盾は置きっぱなしにしてしまったが、仕方がない。
「来るぞ」
皮膚が粟立った。
口にした直後、ハルカ達を分断する刃の投擲が迫った。
武器でどうこうするような本数ではなく地面を蹴り走り出して躱すが、ハルカのみが別方向だった。
段々と仲間から遠ざけられていく。
「ハルカさん!」
刃に混じってミツルの声がした。
放物線を描く水薬をなんとか受け取って、再び駆けだす。
刃の弾幕を強引に突破することも出来ず、徐々に騒ぎが大きくなる通りを駆けながら、噴水のある広間に辿り着く。
その間も鉄仮面共は剣を片手に襲って来るが、今のハルカは眉一つ動かさずに対応していた。
一月の修練に戦士喰いで研ぎ澄まされた神経は、まだ途切れることなく残っているのだ。
体力の続く限り負けはしない。
「六四、いや六五本。貴様に投げつけた刃の数だ」
「どうして、それが一つも当たらないのだ?」
噴水の側まで詰められる。
十人を越す鉄仮面共はようやく姿を現し、じりじりとにじり寄る。
今の会話の中でも三本投げられたが、これも難なく切り払った。
やたら滅多に向かって来るなら困ったが、彼らの虚を突く投擲は洗練されていて、いっそ規則的。
積み上げられた訓練によるものなら、自分から隙を晒せば良いだけの話。
「格の違いだろうな」
とはいえ馬鹿正直に返す謂れはない。
空いている左手でかかってこいと挑発する。
「俺達がこの世界に来た日と寄宿学校の夜。どちらも数えるのが面倒なほど斬ったがいい加減分からないか?
暗がりから油断を突くしか能のない奴らに無様を晒すほど、この紋章は安くない」
これでハルカに戦力が集中すれば仲間は攻撃されないことを狙ったのだが、さすがに甘くはないか。
彼らはいつぞや見せた時のようにけらけらと笑う。
鉄仮面でくぐもった声も不気味だったが、分からない事があった。
何故そんなに余裕がある?
沸いた疑問はすぐに解消された。
奴らは一斉に顔を隠す鉄仮面を脱ぎ捨てた。
不規則に石床を反響する金属音が気にならないほど、その光景に愕然とする。
「やめて、殺さないでぇ」
「どうしてこんな非道いことを」
少年少女、女性もいた。
皺の目立つ老人も、こんなにも仮面の下は統一性のない物ばかりだったのか、いや違う。
どうして泣いている? 今さっきまで笑っていた者どもはどこに?
べそをかき鼻水を垂らし、ぼろ服の袖を千切れそうなほど引っ張って涙を拭く子ども達に言葉を失ってしまう。
黒服は忽然と消え、町娘や農作業に勤しんでいるような男にすり替わったのだ。
何度も瞬きし何度も見直すが、彼らはハルカを囲んでいるだけで泣き叫んでいる。
小さな女の子、コウメに似ていたかもしれない。
涙を我慢しながら一人の少女がとことこ駆け寄ってきて、不意にこぼしたのだ。
「おにいちゃん、ゆるして」
必死に泣くのを押さえ込んでいるように見えて、ここにはいない妹やコウメの影が過る。
いけない、斬っては駄目だ。
俺の力はこんな子を守る為にあるべきもので、いや、こいつらはさっきまで鉄仮面を着けて、殺そう、と?
自分の精神は、泉に近いものだと思っている。
最近は特に静謐なものだと思っていた。
月明かりをそっくりそのまま映し返すような、揺らぎ一つ起きない神秘さを秘めている。
拍手も応援も野次も痛みも、殺しへのプレッシャーにも押し潰されないよう、揺らぎを起こさないように保ってきた静謐が、いま破られた。
袖の下に隠された短剣を躱しきれず、腕を刺された。
寸前で少女の頬を殴り飛ばして、引き飛ぶ小さな体を目の当たりにしてハルカはまた揺れる。
我慢の限界が来て涙をこぼす少女に駆け寄ろうとして、そうじゃないと牡羊が声を上げる。
『斬るんだ! 君の目に映るのは幻影、よく目を凝らすんだ。屈しては駄目』
分かっている! 口元が歪んだのも見逃さなかったさ!
ただ、斬っていいのか?
だって泣いてるぞ、俺よりもずっと小さな子が震えているんだぞ?
そんなの、どうやって。
「殺さないでぇ!」
「やめて、許してくれ!」
「僕が何をしたっていうんだ!?」
投げかけられる懇願に心が揺さぶられ、それまで機械のように繰り出してきた剣が震えた。
かたかたと、初めて人を斬った時ですらぶれることのなかった刃筋がずれる。
「ハル」
なんでだ。なんでお前もいる?
「もうやめてくれよ。そんなモン捨ててさ、ほら、帰ろうぜ?」
ユースケ。なんでお前がここにいて、そんな笑ってるんだ?
振りかぶられる棍棒をぼうっと眺めて、痛みも感じないままぐらりと視界が揺れた。
体から静謐が消えていった。
意識は、もうない。




