第十三話 ユースケ 初戦② 燃やせ、心臓
心配を振り切る為に大きく声を張り、後ろ髪を引かれる面々を無理やり引っ張って進む。
砦の端から端まで聞こえそうな彼の剣戟に釣られ、ほとんどの魔物がそちらに向かう。
最高の囮のおかげで、そこからは苦労することなく三階にまで進むことが出来た。
大きな箱のような構造の部屋に突入する。
かつては砦の主が居座る為の部屋だったのだろう。
古びた執務机に、各フロアに伝令を送るためのパイプ管があったがどれも錆びついていた。
燭台やシャンデリアらしきものは老朽化で足元に落ち、無残なまでに原型がなかった。
壁に面して石の階段が天井に向かい、そこから頂上に向かうのだが、腹に響くような音を鳴らして降りてくる存在がいた。
女性どころかユースケのウエストぐらい分厚い足元。
腰布を巻き付けただけの恰好は、城塞を思わせる引き締まった肉体だった。
絵本で見たことのある赤い皮膚の上には尖った牙と、豚によく似た頭が乗っかっていた。
肩に担いだ人間サイズはある棍棒なんて、一体どこから調達したのか。
怪鬼。
同じ土俵に降りてきて尚も見上げなくてはならない巨躯に、息を呑んだのはユースケだけではなかった。
「弧天!」
呪文を唱えたタマキが一番に動いた。
円盤を投げる軌道で、手に宿らせた風の塊を投げつけた。
矢とさほど変わらない速さのそれを、巨体に見合わない軽快な動きで怪鬼は躱したのだ。
動き一つで理解してしまう。
先ほどの魔物とは、桁が違うと。
棍棒の一振りを躱すが、その一撃で既に崩れていた暖炉が木っ端同然に砕け散った。
続く踏みつけで足元が大きく揺れ、横薙ぎの棍棒は壁を突き破った。
なんとか当たらないように、そんな消極的姿勢が一行を及び腰にさせていた。
(オレが、やらなきゃ)
何かを変えなければ。そうしないと一転もしない状況で、しかしユースケの足は前に体を運ぼうとしない。
丸盾を前で構えるだけで、生存本能における反射でなんとか命を繋ぐことしかできなった。
「反穿!」
室内に拭く一陣の突風が、怪鬼を押し上げた。
束ねられた風。鉄を貫くタマキの術も鋼の肉体を突き破ることはできなかった。
舌打ちし、しびれを切らした彼女が短剣を抜き出して飛び出すのを叫んで止めるシンイチだが、彼女は止まらない。
振り抜かれた棍棒をスライディングしながら躱し、足元のトンネルをくぐりながら短剣で素早く切り払った。
「よぉし! 斬撃なら、なんとかやれるかも!」
吠えるタマキに感化され、わずかに足が軽くなった。
確かに大ぶりな攻撃が多い。
ひょっとしたら躱せるかもしれない。
大きく一歩を踏み込んだアミが見えた。
その目がこちらを見ていることに気づき、再び『後ろから!』という言霊の電流が走る。
彼女の攻撃は防がれたが、ユースケの刃は怪鬼の背を大きく裂くことに成功した。
痛みでわずかに唸る怪鬼の足元に、見覚えのある種がばらまかれた。
『伸花』
ミツルの呪文に合わせみるみるうちに育った茨が、怪鬼の足元を床石に縛り付ける。
今だと叫んだ彼に合わせて飛びつく二頭がその剛腕にかじりついた。
懸命にしがみつくユキマルとリュウゾウが作った少しの隙を射抜くシンイチの矢が、分厚い胴体に突き立った。
流れるような連携だったと思う。
だが、圧倒的な力の差と言うのは確かに存在する。
飛び出した矢を折られる。
大きく一歩踏み出す。
腕をぶんと回す。
片手間のような気安い動きは埃を舞い上げた。
茨も二頭も、その一個の挙動で振り払われたのだった。
ぎろりと見降ろす双眸に、足が縫い付けられたような錯覚が訪れる。
「止まるなぁ! まだ、何もやってないよ!」
タマキが吠える。
風を纏わせた正確無比の刃の投擲がいくつも突き刺さる。掌の風をそのまま叩きつけた事で初めて片膝を突かされる怪鬼を見て痛感させられる。
ユースケ達では仕留めきれない。彼女の「選定印」でなければ。
「ミツル、もう一度拘束できる何かを!
シンイチ足だ、足だけを狙え!
コウメは狼でかく乱、アミはオレと突っ込め!
タマキの為に、時間を稼げ!」
奥の手なんてない。
身一つと、小さな光を灯すしょぼい魔術しか扱えないユースケに出来るのは、ただ突っ込むことだけ。
アミも斧槍を握りしめるだけ、シンイチも無心で矢を番えていた。
ひたすら魔力を注ぎ込むことに専念する二人の方が、まだマシだったかもしれない。
決死の五人が生み出せた時間、わずか五秒。
丸盾は砕かれアミの籠手はヒビが入り、
シンイチもついに剣で立ち向かうも吹き飛ばされ、
コウメとミツルは魔力切れを起こし膝を突く。
『我が意、風の中に在り。我が手、風と共に在り』
彼女だけの呪文。
声に乗せられた魔力がタマキを突き動かす。
ふわりと、彼女の足元から音がした気がした。
まっすぐに怪鬼を見つめる彼女の瞳に、明確な殺意が宿っていた。生物の本能が怪鬼を大きく後ろに下がらせようと、小さく屈んだ。
瞬きすら許されない僅かな瞬間。
対応という事の先、反応を置き去りにする疾さで、タマキは怪鬼との位置を逆転させた。
次に見た時には、怪鬼の首が重力に従って落ちていた。
これで終わったのだと、安堵でユースケ達の立つ力も失ってしまいそうになった。
「はぁぁ、こりゃきっついわ」
僅かに距離を開けて戦っていたシンイチですら疲弊と心労で壁にもたれかかった。
こちらも疲弊で崩れそうになったのを、なんとか持ちこたえながら声を掛ける。
「勝ち鬨だ」
「早く、ハル君の所に行かないと」
手筈通り怪鬼の首を、うっわ重そう、気持ち悪っ。
バスケットボールよりも確実に大きいソレを担いだタマキが、入ってきた扉から一目散に出ていった。
「ミツルも行ってやって。あいつの傷の手当てを頼むわ」
肩で息をしながらも頷いて、彼女の後を追うミツル。
「コウメも行っていい?」
「あぁ。倒したぞって自慢してきな」
足取りの重いミツルを後ろから押してコウメも出ていく。矢の残数を数えているシンイチには、このまま最上階に昇ってもらい念のための索敵をお願いした。
アミもそれに同行させ、戦闘の終わった空間に残るユースケ。
「やりきったー。これから先、これ続けられんのかぁ?」
階段を登っていく二人を見送りながら一人ごちた。急速に安堵感が訪れ、瞼が落ちそうになる。
「ボス部屋には、宝が相場だよな…?」
ふらつく体に鞭を打って辺りを見回し始める。
ハルカの心配をしていない辺り、信用し過ぎな気もするなぁ。なんてことを思いながら傷ついた部屋を見て回っていると、
「なんだ、黒い、幕?」
硝子はないが、外に突き出る形でこの部屋にはいくつか窓がある。
そこから見えていた外の景色が、どういう訳か真っ黒になっていた。
口にも出したように、暗幕が張られているのかと思った。疲れからかあまり警戒せずにうっかりその黒い幕に触れてしまい、沈みこむような不思議な感触に首を傾げる。
既視感が、あった。
これに近いものを最近見なかったか?
決して忘れてはいけないような、沼に手を突っ込んでいるような感覚に気付いた。
いや、気付かされた。
『エントゥラ、エントゥラ、ベルルシファ』
首筋を這う気配。
勢いで飛び退き振り払うが、途中ですっ転んでしまう。
足が、足が思うように動かない。どくどくと流れ出る血が石床に水たまりを広げていくのを見て、一瞬で理解する。
あの鉄仮面の集団は、ずっと息を潜めて待っていたのだ。ユースケを殺すタイミングを。
「ハルカ! ハルカァァ!」
喉が焼けてもいい。死ぬ瀬戸際に叩き込まれかけているのだ。
声を張り上げるが、遠くに聞こえるどころか反響さえしない。
何故? あちこちを見回して、あらゆる外に通じる道が真っ黒い沼に覆われていたのだ。
最上に向かう階段は途中で黒く塗りつぶされて、扉は影に飲み込まれていて、
『ココは黒銀』
『我らの領域』
『出るも入るも叶わない』
『使命果たすまで、何人も』
窓の僅かな隙間から次々と現れる黒の鉄仮面。すでに黒短剣を抜きながら、いつでも這えるような猫背でこちらを見降ろしている。
「タマキ! シンイチ、アミ、ミツル、コウメ! 誰か、誰でもいい、誰か!」
わずかに形の残っていた椅子に手をかけるが、重さに耐え切れずに崩れ落ち、石床に叩きつけられる。それでも立ち上がろうと床に手を突いて、ユースケの視界に影が差す。
『これは魔術の中でもなかなか準備をこさえる物なんだ。人数もそうだし、予め場所を決めておかなくちゃいけない。制限や規定、頭を抱えたくなる条件が山盛りでね。だからこそ、何の準備もなしには抜け出せないし突破もできない。特別な結界なんだよねぇ』
一番近い黒い影から、しきたりのような口調でしか話さなかった影から肉声らしきものが聞こえてきた。ごく最近それは聞いた。
衝撃と不快感を覚えた、あの男の面影をちらつかせるようで全く似つかない、あの男の声に……そっくりだった。
「なんで、お前がぁ!」
ばたつきながらも、なんとか一太刀くれてやろうと剣を抜き出したが、軽い身のこなしでひょいと躱された。
虚空を切った剣が空しく震え、接近した黒影に腹を蹴り飛ばされる。
鉄仮面を外す男。
その下の素顔ははっきりと覚えていた。
心根は全然違うのに、キツイ目元や精悍な顔つきは嫌でも真実だと告げてくる。
「うーん意外だ。もっと取り乱すと思った。
どうしてだって泣き叫ぶものだとばかり。ガキ臭いお涙頂戴な命乞いをすると思っていたのに、どうしてだ? その精神すらも子印に侵されているからなのかな?」
観察するような、それでいて圧倒的優位から見下ろす優越感に浸っているような。
どっちとも取れるような顔で、ソイツは黒短剣をゆっくりと引き抜いた。
「えっと、ユースケ君だったっけ? ほら、聞きたいことはないのかな?
どうして僕がこんな格好をしているのか、とか。そうだ、いつからだ? とかそういうのは」
「口が臭ぇんだよ。黙って務めを果たせ腐れ暗殺者が」
当然理解など及ばない。
だが分かってしまったのだ。
因果関係もだが、これから先に起こることだけは。
一番強くて、そういう危機を察知するハルカの声が微塵もこちらに届かないのだ。
だから、ユースケの行く末がどこに辿り着くかだなんて、馬鹿でも分かる。
ここでオレは殺される。何も評価されず、認められることのないまま、大人の都合で死ぬ。
口元をにやつかせて見下ろすこの男は、泣いてしまえばもっと気色の悪い顔をするだろう。
誰だって弱い者をいたぶる時は、その方が楽しいから。
今、何が出来る?
命はもう拾えない。踏みにじられるのは決定している。
それなら何をすれば、この屈辱を晴らせる?
ただ、感情に従った。
「ハルはアンタのことをなんにも言ってくれなかった。だってそうだよなぁ?
あんな強くて子どもに優しい、夢持って野望に生きていたアイツが、こんな高校生をいたぶる事でしか快感を得られない、頭ん中クソと下水しか詰まってねぇ奴から生まれてきただなんて、恥ずかしくて言えるワケねぇよなぁ!?」
やれることは一つ。
あらん限りの悪態を。
オレの死がこの男にとって屈辱と、思い出すだけで背中が痒くなるような苦いものになりますように。
「きっとオマエ達は地獄を見る。いや既に見ているか? 既に何十人もあいつに切り殺されたもんなぁ。躍起になって策を拵えてきて、それでようやくオレ一人? ははははは!
ハルは怒るぞ、なんでか知らねぇけどアイツはオレを大切に思ってくれてるからな。
オレの死体を見つけた瞬間ぶち切れて、地の果てまで追い回す。そのカッコつけた面ごとぶった切られる事になるのが、今からでも目に浮かぶね!」
あの男が短剣を思い切り振りかぶった。あぁ、痛みがもう分からん。足から噴水みたいに飛び出しているのがよく見える。続けて腹を狙ってきたのを、決死の力でその腕を掴む。
冷たい鉄の感触が、腹のどこかに達した。痛みで体が燃えるようだ、いや固まりそうだ、裂けそうだ。言い表せない死の影に飛び込んだ実感があった。
だが、掴んだこの手はまだ離さない。
「ハルヒコさんだっけ? 滑稽だよなぁアンタ。一回りも二回りも下のガキにこんだけバカにされた挙句、遠くないうちに自分の子どもに殺されるんだからさぁ!」
「抜かせ! こんな痣一つで大喜びしてるクソガキが、知ったように抜かすんじゃねぇ!」
胸倉をそちらから掴んで来た。
これはひょっとして、最高のチャンス?
ずっと溜め込んでいた、ユースケの唯一出来る小さな魔術があった。
掌灯。
カンテラや松明の代替品にしかならない、ちっぽけな魔術だ。油代わりに魔力を消費して手から光を出すだけの、ハルカ達の前でも一回しか披露しなかったしょうもない術だ。
小さな豆電球も目の前で弾ければ、それはもう閃光だ。
目をやられハルヒコは唸りながら眩しさに目を背けた。その隙に、ずっと離すことなかった剣でその手を思い切り刺した。
「ぶははっ! もう、そのザマが既に物語ってる! アンタは息子のような英雄には決してなれない。姑息と嘘に浸っているアンタは遠からず地べたに這いつくばって、オレ以上に惨めな最期を迎え、泣き叫んで死ぬ!」
「黙れぇ!!」
すぐに突き倒される。
手の甲に刺さった短剣を抜きながら、鬼の形相でハルヒコが馬乗りになった。
めったやたらに振り下ろされる黒短剣。痛みできっと頭がおかしくなっていた。でも、最後までオレは命を燃やす。こと切れる瞬間まで、この男に唾を吐き続けるのだ。
消えかける灯を前に、激痛が快感に変わった。
あぁ、オレの人生の意味って、なんてしょうもない。
だったら……だったら、もっとしょうもない大人を笑ってごまかさないとなぁ。
何度も何度も水が弾け、中身をぶちまけていく自身の体。
怨嗟の声を振りまいて赤く染まる目の前の暗殺者は、忍ぶことを忘れてただ欲求に従っていた。
二木悠輔、十七歳。
決して一番になれる才覚は持ちえなかったが、常に必要とされてきた皆の隣人。
当たり前の青春を堪能し、苦悩を抱えつつも健やかに育った。
どんな時でも弁え、それでいて誰よりも高みに手を伸ばした青年の命は、遠い異邦の地で消えてしまう。
彼の最期を語れる者はいない。
黒い輝きを放った最期の瞬間。隔絶された世界で、誰にも知られず男は燃え尽きた。




