植物の声
「うーん、やっぱり造花でいいんじゃない」
そう言って公平は、リビングの隅っこ、テレビ台の右横の空間に目をやった。壁との間にややスペースがあるが、タンスなどを置くほどの広さはなく、少し寂しい。そこに観葉植物を飾ろうということになり、それを造花にするか本物にするかで、公平と妻の彩香は相談をしていた。
「えー、本物にしようよ。お世話は私がするって。それとも何? 聞かれたらまずいことでもあるの?」
「まさか、そんなことないよ。ただやっぱり、本物の植物があると落ち着かない気がして」
「それはそうかもだけど、やっぱり作り物だと寂しいじゃん」
口を尖らせながら彩香が呟く。彩香がこの表情をしている時は、慎重に事を運んだ方がいい。そのことを知っていた公平は、安易な返答をすることを避け、代わりにそれらしくうんうんと頷いた。植物に音が記録されていることが判明してから、恐らく同じような問答がそこかしこで繰り返されたんだろうな、と公平はぼんやり考えた。
植物の細胞は誕生してから死ぬまでの間、受容した音の波形をその身に刻んでおり、同個体内では細胞分裂でそれが受け継がれる。そしてその音声は復元可能である。数年前に国立研究所が明らかにしたその事実に、世間は良くも悪くも大きな影響を受けた。
その発見により社会が最も恩恵を受けたのは、犯罪捜査に関してだった。植物から復元された音声が法的な根拠を持つ証拠物として扱われるようになってから、しばらくの間は、それをきっかけに捜査が大きく前進したという話がよく聞かれた。犯行現場周辺の植物を採取する”ムシリ”なんていう言葉も、今では刑事ドラマでよく聞かれる言葉になっている。
反対に、一般市民にとって大きな問題となったのが、プライバシーについてだった。言ってしまえば公園の芝生や草花、街中の街路樹が録音機器になったようなものなのだから、気持ちのいいものではない。一時はワイドショーでも毎日のように取りざたされ、SNSでも様々な意見が交わされた。結局、飲食店や商業施設に本物の植物が置かれることはめったになくなったが、公園や道端の樹木はそのままになっているところがほとんどだ。
「ねえ、これとかよくない?」
反応が鈍い公平に痺れを切らしたのか、そう言いながら彩香は公平の顔の前にスマホの画面を差し出した。そこには、笹の葉形の何枚かの大きな葉っぱが、鉢から直接生えているような植物の画像が並んでいた。色合いは深く落ち着きがあり、部屋の雰囲気にも合いそうだった。
「おー、いい感じだね。なんて名前?」
「うーんとね。サンスベリアってやつ。ねえ、いいじゃん。せっかくおしゃれにしてる部屋なんだし、作り物だと雰囲気出ないよ」
「それは、そうだよねぇ」
確かにリビングの家具やインテリアは二人がこだわっている部分で、照明や壁にかかっている絵画、棚に置いてある小物など、全て二人で相談しながら揃えていった自慢の部屋だった。ここに合うのは造花ではなく、本物の植物だろうとは公平も思っていた。ただそれでも抵抗があった。
観葉植物、ひいては植物の録音について自分でも調べてみようと、公平はポケットからスマホを取り出した。その画面には数件の通知がたまっており、その内一つは友人の幹太からのものだった。そこで公平は、次の週末に幹太と会う約束をしていたのを思い出した。
「そうだ、今度幹太と会うから、その時にちょっと聞いてみるよ」
公平と幹太は高校からの親友で、なんてことはない、出席番号が近いから仲良くなっただけだったが、不思議と気が合い、社会人になった今でも年に数回ほどは会う間柄だった。幹太は学生の時からの植物好きが高じて、今は植物学者として働いている。
「ああ、植物の研究をしてる人だっけ」
「そうそう。参考になるかわからないけど、最先端の知見か何かがあるかもしれないし」
幹太は植物に音が記録されていたことを明らかにした研究にも携わっていて、ここのところは会うたびにその研究の最新の成果を教えてくれる。その話を聞くのを公平は毎回楽しみにしていた。
「確かに。学者ならではの知見とかあるかもね」
彩香はその提案に納得したようで、公平はとりあえず彩香のペースで今回の一件がそのまま決着してしまうのを避けることに成功した。
そうしてやって来た週末、二人はとある喫茶店で落ち合っていた。幹太が希望したその店は、昔ながらの趣きを残したレトロな雰囲気で、今時珍しく飾られている植物も本物だった。ただ張り紙で、飾られている植物は本物であるが録音目的で設置しているわけではなく、音声を復元することは一切しない旨がはっきりと掲示されていた。
「それにしても、会うのは下手したら一年ぶりくらいか。だいぶ久しぶりだな」
注文を終えた公平は改めて幹太にそう言った。
「そんなになるか。まあ今年は研究も新しいステップに入って、少しバタバタしていたかもしれない」
淡々とした調子で幹太が答える。会うのは久しぶりなものの、幹太の様子は一切変わっていなかった。物静かであまり感情の起伏も無い。ただその向こうに素直で優しい心があることを公平は知っていた。
「そうなのか。大変だな、研究者は。まあ元気そうで良かったよ」
「公平も変わらず?」
「ああ、変わらずしがない公務員だ。まあそれで暮らしていけてるし、十分かなとは思ってるよ」
「そうか。奥さんも元気?」
「ああ、彩香もいつも通り。元気過ぎるくらいだ。そうだ、それで幹太に相談したいことがあったんだ」
「僕に相談?」
公平から相談事、それも夫婦に関することを持ち寄られるなど予想もしていなかったのか、独り身の幹太は怪訝な顔をした。
「ああ。というのも、リビングに観葉植物を飾ろうっていうことになったんだけど、それを本物にするか造花にするかで揉めていて。彩香は本物がいいって言うんだけど、俺はちょっと抵抗があって。専門家として何かアドバイスがあればと思ってな」
その内容を聞いた幹太は表情を緩め、はいはい、というように何度か頷いた。もしかしたらよくある相談だったのかもしれない。
「なるほどね。内容はわかったけど、それは植物の問題ではなく、夫婦の問題だろう。植物学者の僕に聞かれても、何も特別な答えは返せないよ。奥さんと相談して決めるしかないと思うよ」
学者然とした、なんとも幹太らしい答えに公平はガクッとうなだれた。しかしこの答えだけで満足できるはずもなく、もう少し別の角度から質問をすることにした。
「それは、そうかもしれないけど。ほら、例えばさ、音を記録しない植物の開発、とかないの?」
「あー。それは知り合いがやっているな」
その返答に公平は食いついた。
「お、じゃあモニター募集してたりは?」
「いや、全然そんな段階ではないはずだ。あまり芳しい報告は聞いたことがないな」
幹太は調子を変えることなく答える。
「そうかぁ。彩香と相談して決めるしかないか」
今回の相談が不発に終わったことを悟った公平は、前のめりになっていた体を元に戻しながら、残念そうにそうこぼした。そしてタイミング良く、落ち込んだ公平を慰めるかのように店員がドリンクを持って来たので、二人は一口ずつ口を湿らせた。
「それで、幹太の研究の調子はどうなんだ」
仕切り直し、とでも言うように公平は話題を幹太のことに移した。もともと、楽しみなのはこっちの方でもあった。
「それがね、また解析技術が進んで、樹齢二千年を超えるような植物から音声を復元することに成功したんだよ!」
自分の研究の話になり、幹太の目は一気に輝き、口調も興奮したものになった。
「二千年! そんな昔の音を聞くことができたのか?」
「ああ、日本で言うと弥生時代だ」
「はー、たいしたもんだ」
「まあ、色んな人との共同研究だしね。」
「それで、どんな音声が記録されていたんだ? まさかここでは言えないなんて言わないよな?」
学生時代に歴史を苦にしていた公平であっても、この話には興味津々だった。
「今のところは、風のささやきや動物の鳴き声、雨が葉っぱを叩く音だけだ。まあ予想通りって感じ」
幹太は特にもったいぶることなく答えたが、公平としてはやや期待外れだった。
「それじゃ少し張り合いがないな。昔の人の声とか、そんなんは無いのか」
「なかなかそこまでは難しいね。ただ共同研究してる歴史学者たちは、当時の音が聞けただけで大興奮さ。それに僕にとっても、ありのままの自然の音と言うのか、とても美しく、貴いもののように感じられたよ。あの音を聞けただけで研究を続けた意味があったと思ったくらいだ」
幹太の自然に対する素直な心を感じた公平は思わずうなった。
「そういうものか。そこまで言われるとちょっと聞きたくなるな」
「そのうち音声は公開されると思うよ。そしてこれは色んな年代の植物を比較してわかったんだけど、現代に近づくにつれて、植物に刻まれる音の波形はどんどん激しいものになっているんだ」
「それって、環境破壊とかそういうことか?」
「人類が生まれたことによって、この世にはそれまで無かった音がたくさん生まれ、それがどんどん大きくなっている、ということだと思う。都市化やそれに伴う環境破壊はその最たるものだろうね」
その声からは、諦念と哀れみで悲しみを包んだような、そんな響きがした。
「もちろん人類が生む音の中には美しい音色もあるけど、それも植物たちがどう感じているのか、僕たちにはわからない。植物の声は僕たちには聞こえないからね」
そう言うと、幹太は通路の脇の壁の方に目をやった。公平もつられてそちらの方を向くと、壁に観葉植物がかけられていた。
「何にせよ、木々や草花は、僕たちの音を聞くのに疲れているんだろうなと思うよ」
昼下がりの喫茶店。その空間を彩る植物たち。ジャズ風のBGMに揺れるその葉は、ノっているのか、もがいているのか。
リビングに飾るのは、造花がいいか、本物がいいか。