わたくし悪い令嬢ではありますけど、醜悪ではありませんのよ
レナール王国王都には、貴族令嬢が通う学校がある。
生徒である令嬢たちは明日の貴族夫人になることを目指し、日々己を磨き上げている。
今日は大教室にて、令嬢同士による一対一のディベート大会が行われていた。
一流の淑女は頭も舌もよく回らねばならない。
瑠璃色のドレスに身を包む令嬢の名は、イライザ・ジシュタール。
伯爵家の令嬢で、鮮やかな金髪を左右でロールにし、真紅の瞳、つんとした鼻、引き締まった唇と、挑発的な美貌を持つ。
弁論の相手は子爵家の令嬢マリア・テンス。肩にかかるほどの栗色の髪を持ち、地味ではあるが素朴な可愛らしさを秘めた少女だった。
二人に与えられたテーマは、『薔薇と向日葵はどちらが美しいか?』。
明確な答えが存在しない問いではあるが、だからこそ議論になる。二人はテーマに沿ってディベートを行う。
イライザが高笑いする。
「向日葵など、薔薇の華やかさには到底及びませんわ!」
マリアは弱気が見え隠れする声で反論する。
「向日葵だって華やかですよ」
「どのあたりがですの?」
「向日葵は太陽に向かって咲くと言います。花そのものも太陽に似ていますし、とても華やかではありませんか」
「オーッホッホ、私からすれば決して太陽になれないのに太陽に憧れる惨めなお花にしか見えませんわねえ!」
イライザは再び高笑いする。
だが、マリアも諦めてはいない。話題を切り替える。
「それに向日葵からは立派な種が取れます」
「種ェ?」
「この種からは油が取れますし、食べることもできますし……」
「向日葵の種を食べるですって? あなたはハムスターかなにかぁ? オーッホッホッホ! ハムスターの分際でこの学校に通ってらっしゃるのぉ? 森へ帰ったらいかがぁ?」
「う……」
マリアは言葉に詰まってしまう。
そこへ――
「もうやめて!」
一人の令嬢が止めに入った。
リオーナ・ルワーノ。伯爵家の令嬢で、ミルキーブロンドの長い髪をポニーテールのように後ろで結わいている。クラスでも級長を務める模範生徒である。
「イライザさん、あなたのやっていることは議論ではなくただの中傷よ! こんなのディベートじゃないわ!」
リオーナはイライザを堂々と糾弾する。
「先生もそう思いますでしょう?」
話を振られた中年の男教師も、慌ててうなずく。
「うむ、そうだね。イライザ、君の意見は明らかに議論から逸脱していた。このディベートはあくまでどちらの花が美しいか、というものだからね」
しかし、イライザは態度を改めない。
「ふん、ディベートなんてものは相手を叩き潰すためにやるもの。そうではなくて?」
こう言われたリオーナは顔をしかめる。
「なんて人なの……。マリア、もういいわ。こんなディベートは終わりにしましょう」
「は、はい……」
マリアはリオーナに連れられ、ディベート席から立ち去る。
これを見たイライザは「相手が逃げたのだから私の勝ちね」と言わんばかりに高笑いを続けた。
他の生徒たちもイライザを腫れ物を見るかのような目で見つめる。
イライザもそんな視線を嬉しそうに受け入れる。
イライザは自他ともに認める“悪の令嬢”なのである。
***
学校の行事で、令嬢たちはとあるホールで剣術の試合を観戦することになった。
もちろん、これは授業の一環でもある。
貴族夫人となるからには、時として夫の試合を観戦することもある。そんな時、夫に気の利いた言葉の一つもかけられねばならない。
「剣のことはよく分かりません」では貴族の妻は務まらないのだ。
今日行われるのはエキシビションマッチ。
レナール王国第二王子クリス・レギウスと公爵家令息ギルバート・ハンデッドが試合を行う。
王族と上級貴族の子息同士の試合に、令嬢たちも胸をときめかせる。
「クリス様もギルバート様もかっこいいわね……」
「こんな二人を間近で見られるなんて……」
「お二人とも、ファイト!」
イライザにも話が振られる。
「イライザさん、あなたはどちらが好み?」
「別に。強いて言うなら、勝った方が好み、ですわね」
“悪の令嬢”らしい回答。
イライザの笑みに、相手の令嬢はたじろいでしまう。
試合が始まった。
金髪碧眼で絵に描いたような王子であるクリスと、黒髪で冷たい眼差しを持つギルバート。対照的な二人が相まみえる。
防具をつけ、試合用の模造剣を持ち、試合場で向き合う。
審判の合図とともに、同時に動く。
素早い踏み込みから、互いの剣技をぶつけ合う両雄。
二人とも一流といえる腕前だが、その戦いぶりはまるで正反対であった。
クリスが正々堂々と、力強く剣を振るうのに対し、ギルバートはその逆。クリスの足元を積極的に狙い、フェイントを繰り返し、時には急に大声を出して、相手を驚かせようとする。
命懸けの戦場であればともかく、こうした試合で“勝つためになりふり構わない姿勢”というのはやはり推奨されない。マナー違反とされる。それが王族・貴族同士の試合であればなおさらだ。
観客である令嬢たちの心は完全にクリスに傾いていた。
やがて、試合時間である5分が経過する。
勝負は引き分けとなった。
「いい試合ができたよ」
「勝てなくて残念だ」
朗らかに笑うクリスに対し、ギルバートは悔しそうに顔を背ける。試合後の姿も対照的であった。
令嬢たちの評価も――
「クリス様、素敵だったわぁ~」
「さすが王子なだけあるわよね」
「それに比べて、ギルバート様は……」
クリスの王道といえる試合ぶりを賛美する声がほとんどだった。
ある令嬢がイライザに話を振る。
「ねえイライザさん、今の試合、どう思いました? クリス様、かっこよかったわよね」
しかし、イライザは観客席からいなくなっていた。
***
ホールの通路を歩くギルバート。
引き分けになったことが心底悔しいという表情をしている。
「……ん?」
彼を待ち伏せるように、一人の令嬢が立っていた。
イライザであった。
「先ほどの試合を観戦していた者ですわ。ものすごい戦いぶりでしたわね」
「というと?」
「相手の足を狙う、フェイントを使う、奇策を用いる。私も剣術の試合は何度も見ていますけど、ここまでなりふり構わない戦い方は初めて見ました」
ギルバートがニヤリと笑う。
「卑怯だとでも言うつもりかな?」
「まさか」
イライザの答えに、ギルバートはきょとんとする。
「あの徹底した勝ちにこだわる姿、むしろ私の胸に響きましたわ。だから一度、こうしてお会いしたかったの」
ギルバートはフッと息を漏らす。
「上品なお嬢さん方には私の戦いぶりはさぞ卑劣なものに見えただろうと思っていたが、君のような人もいるんだな」
「まあ、“勝利”という結果は出せませんでしたけどね」
「それを言われると耳が痛いよ」
二人は笑い合う。
「名残惜しいですけど、ここまでですわね。令嬢が一人、公爵家の方に会いに行ったなどと知られては、色々騒がれてしまいますから」
立ち去ろうとするイライザに、ギルバートは声をかける。
「君は……君の名前は?」
「イライザ・ジシュタールですわ」
「イライザか……覚えておくよ」
「忘れて下さってもかまいませんわ」
颯爽と遠ざかるイライザの背中を、ギルバートはいつまでも見つめていた。
***
しばらくして、イライザの通う学校に一大イベントがやってくる。
イベントを告知する教師の目も真剣そのものである。
「大勢の令息に自分をアピールするチャンスだ。各自、当日までダンスを磨き上げて欲しい」
国立のダンスホールで王侯貴族の令息たちに向けて、ダンスの披露会が行われる。
大勢が見守る中、令嬢たちが広いホールでダンスをするという形式になる。
このイベントをきっかけに、上級貴族の令息から声をかけられ、婚姻にまで至ったケースも多い。
令嬢たちにとっては最重要といっても過言ではないイベントなのである。
「今日は校内のダンス場で予行演習を行う。本番のつもりで真剣に踊るように!」
イライザは自信に満ちた顔つきだ。
「ようするに目立てばいいのよね? 得意分野ですわ!」
皆がダンス練習用の白いドレスに着替え、演習が始まった。
音楽隊によって演奏が始まり、かけられる曲に合わせて、令嬢たちが各々のダンスを披露する。
イライザはここぞとばかりに、手を広げ、足を開き、スペースをふんだんに使うようなダンスを繰り広げる。他の令嬢にプレッシャーをかけることも辞さない。まさに自分さえ目立てばそれでいい、“手段を選ばないダンス”である。
ところが、そんなイライザが目を見開く。
「……!?」
大勢の中で、一人だけ明らかにレベルの違うダンスを披露する令嬢がいた。
マリアである。
彼女のダンスはキレがあり、優雅で、繊細で、ダンスに関するあらゆる項目で満点近い得点を出せそうなほど、完成度の高いものだった。
彼女の素朴な顔立ちも、ダンスを引き立てるのに一役買っている。
もし本番でもこのレベルのダンスを披露できたら、たちまち令息たちの心を掴んでしまうだろう、と確信できる。
イライザの心に焦りが生じる。
(なんて子なの……。まさか、彼女にあそこまでダンスの才能があったなんて!)
しかし、こういう時こそ燃えるのが“悪の令嬢”である。
「負けられませんわ!」
イライザはマリアに近づき、張り合うように踊る。
距離を詰め、露骨にプレッシャーをかけ続ける。
しかし、マリアの動きについていけない。
「くうっ、やりますわね!」
曲が終わるまでイライザはマリアにくっついていたが、実力差は歴然だった。
無理な動きをしたためにスタミナの消耗も激しく、最後にはよろけてしまう。
マリアに手を差し伸べられる。
「イライザ様……大丈夫ですか?」
「うぐぐ……心配無用ですわ」
イライザは完全にマリアの“かませ犬”となってしまった格好だ。
マリアはこの時点で、他の令嬢たちに大きく差をつけた。ダークホースの登場である。
***
その日の放課後、イライザは一人、廊下を歩いていた。
頭の中はマリアのことで一杯である。なんとか彼女に勝たなければとあれこれ策を練る。
(本番ではもっと彼女にプレッシャーをかけて……。私もより目立つダンスを踊らなければ……)
すると――
「イライザ様……」
「マリアさん」
マリアから声をかけられた。
イライザはすかさず不敵な笑みを浮かべる。
「あら、なぁに?」
「イライザ様、先ほどのダンス、凄かったです。まさに目立つためには手段を選ばないという感じで……」
「褒め言葉と受け取っておきますわ」
イライザは余裕を崩さない。
「なぜです?」
「え?」
「なぜ、あなたはそこまで勝つことに徹底できるんです? この間のディベートでもそうでした。あなたは私に勝つために、どんな理屈も使ってきた。たとえ周囲に煙たがられたとしても……どうしてそこまで徹底できるんですか?」
イライザはなんとなくマリアの心を察した。
彼女は素朴な容姿の中に、おそらく自分に匹敵する闘争心を秘めている。しかし、周囲のことを気にして、イライザほどには勝ちに徹することができないのだろう。
そして、ゆっくりと答えを返す。
「あまり考えたことはなかったですけど、そちらの方が“かっこいい”と思うから、ですわね」
「かっこいい……」
「わたくし、生まれながらに他の人に媚びるのが好きじゃありませんし、負けるのも好きじゃないの。だから、勝つために全力を尽くす。それだけのことですわ」
「たとえ、他の人に嫌われ、悪人だと言われても、ですか?」
「当然ですわ」
イライザは堂々と言ってのけた。唇に手を当て笑ってまでみせる。そこにはなんの迷いもなかった。他人に嫌われることより、負けることの方がよっぽど嫌いなのだ。
そんな彼女に、マリアは――
「イライザ様、もう一つお願いが……」
「今度はなに?」
「あの時のディベート、なのですけど……」
上目遣いのマリアに対し、イライザはすぐに事情を察した。
「分かりましたわ。あなた、あの時の決着をつけたいというのね?」
「は、はいっ!」
「私もなんとなく分かっていましたわ。あの時はリオーナさんに止められてしまったけど、本当はまだディベートをしたかったのね?」
「はい。リオーナ様は私を思って止めて下さったのですが、私としては不完全燃焼だったのです」
イライザは嬉しそうに口の端を吊り上げる。
「いいわ、やりましょう。叩き潰してあげますわ!」
「望むところです!」
二人はあの時のディベートを再開する。
「あなた、ハムスターなのぉ? ハムスターさんは森へ帰ったらいかがぁ?」
「ハムスターで結構です! それにハムスターだって学校に通ったっていいじゃありませんか!」
「いいわけないでしょう。ていうかあなた、自分がハムスターだって認めるの!?」
「認めますとも! 私、向日葵大好きですから!」
「面白いですわね! このハムスター令嬢!」
「だったらあなたはそのハムスターを狙う猫ですね! それも目つきの鋭い!」
「あぁら、言いますわね! だったら爪で切り裂いてあげようかしら!」
「追い詰められたハムスターは、猫にだって噛みつきますよ!」
両者とも闘争心をむき出しにし、思う存分ディベートを交わした。
いや、ディベートと呼べるような代物ではなかったかもしれない。
しかし、マリアにとってはとても楽しいひと時となった。イライザにとっても……。
この日以降も何度かダンスの演習は行われたが、マリアのダンスはやはり出色の出来であった。
それどころかイライザとのディベートで何かが吹っ切れたのか、ダンスのキレが増している。
ダンス披露会での主役は間違いなくマリアになる。誰もがそう思い、もはや主役の座は諦めた。狙うなら、二番手、三番手しかない。
(ふん……倒しがいのある敵ほど燃えますわ!)
もちろん、イライザは微塵も諦めてはいなかったが。そして、もう一人……。
***
ダンス披露会前日――
イライザは鼻息荒く校内を歩いていた。
(いよいよ明日……。私が一番目立ってやるわ! マリアさんには負けない!)
心の中で闘志を燃やすイライザの前に、一人の令嬢が姿を現した。
「イライザさん、ちょっとお話があるの」
「あなたは……リオーナさん」
伯爵家の令嬢リオーナ。マリアの親友で、イライザと対極に位置する模範的令嬢の彼女がわざわざ話しかけてきた。
イライザはすぐに用件を察する。
「明日のダンスのことでしょう? 言っておくけど、私はとことん目立つつもりでいますわよ。他の人の邪魔にならないように踊れと言われても無駄ですわ」
先回りしたつもりだったが、リオーナは首を横に振る。
「え、私に文句があるんじゃなくて?」
「文句ではなく、頼みがあるのよ」
「頼み?」
「私と一緒にマリアを潰して欲しいの」
イライザの頭の中が混乱する。
「何を言ってるの? 彼女はあなたの親友でしょう?」
すると、リオーナは目を細め「ハンッ」と声を出す。
「あの子が親友? 冗談じゃないわ。私にとっていい引き立て役になるから、色々と目をかけてやってただけよ」
本音の吐露とともに、普段の模範的な態度とはかけ離れた顔つきになった。
「だけどまさか、あの子があんなダンスの才能を秘めているとは思わなかった。このままじゃ、明日のダンス披露会はあの子の独壇場よ。あなたもそれは嫌でしょう?」
イライザは黙って聞いている。
「だから、ここは共同戦線を張ってあの子を潰そうというのよ」
「ちなみに、どうやって?」
リオーナはニヤリと笑うと、小瓶を取り出した。
「これよ。二人で芝居して、この薬を事前にあの子に飲ませるの。そうすれば、腹痛が起きて明日はダンスどころじゃなくなるわ。そうすれば、私たちが令息たちに見初められる確率がグッと上がるわ!」
薬を用いてマリアにダンスそのものを棄権させる。これがリオーナの狙い。
あなたもこういう手に抵抗はないでしょと言わんばかりのリオーナに、イライザは息を吐いた。
「お話にならないわね」
「え?」
「私もあの子を潰すつもりよ。ただし、それはダンスで真正面からの話よ」
リオーナの顔が引きつる。
「バカなことを……。まともにダンス勝負をして、マリアに敵うわけないでしょ!」
「そんなのやってみなきゃ分からないでしょ? とにかく、あなたの話には乗れないわ」
協力を得られず、リオーナの顔が怒りに染まる。
「なによ。普段は悪の令嬢とかなんとかイキがってるけど、こういう時は怖気づくのね。所詮あんたも“イイ子ちゃん”ってわけね!」
イライザは不敵に目を細める。
「わたくし悪い令嬢ではありますけど、醜悪ではありませんのよ」
「ぐ……!」
リオーナの表情が歪む。
「戦うのなら、手段を選ばず、公衆の面前で真正面から堂々と……。これが私の流儀。裏でドブネズミのようにコソコソ立ち回るあなたとは相容れませんわね」
「ぐ、ぐぐ……!」
何も言い返せず、リオーナは歯を食いしばる。
「それに私なら、誰かに腹痛を起こさせたいのなら、もっと上手くやりますわ」
「どういう意味よ!?」
「そういう意味ですわ。それじゃあ」
イライザは背を向ける。
残されたリオーナはその背中を恨めし気に見つめていた。
***
翌日、国立のダンスホールの控え室には大勢の令嬢が詰めかけていた。
その中にはイライザとマリア、そしてリオーナもいた。彼女の顔は普段の模範ぶりからは考えられないほど険しい顔つきになっていた。ただし、他の令嬢たちも緊張しているので、さほど目立つことはなかった。
あと小一時間ほどで披露会となる。リオーナはマリアに近づく。
「マリア、今日は頑張りましょうね」
「ええ、リオーナ様」
「ところで、喉渇いてない?」
「ええ、ちょっと……」
「だったら、これをお飲みなさい」
リオーナは水の入ったガラスのボトルを差し出した。
「でも、リオーナ様も喉が渇いてるんじゃ……」
「私はいいの。それよりあなたがベストのダンスを披露できる方が大事よ」
「ではお言葉に甘えます!」
マリアがボトルを受け取った瞬間、リオーナの唇が嬉しそうに醜く歪んだ。
その瞬間――
「どいて下さいまし!」
イライザがマリアの肩にぶつかった。その拍子にマリアはボトルを落としてしまう。
ボトルは割れ、中の水も床に流れてしまった。
「あら、失礼。ごめんなさいね、マリアさん」
「いえ……」
リオーナはイライザを睨みつける。
「ちょっと! なんでこんなことを!」
「こんなことって?」
「なぜ私の邪魔をするのよ!」
「私、あなたのやることを邪魔しないであげる、なんて一言も言ってないけど?」
「ぐ、ぐうう……!」
ボトルの中の水にはリオーナの“悪意”が込められていた。
しかし、その作戦は失敗に終わった。
「あの、何があったんでしょうか?」とマリア。
「なんでもなくてよ」
イライザはリオーナの企みについては明かさなかった。
それを明かしてしまうと、マリアは動揺し、普段通りに踊れなくなる可能性が高い。
マリアと勝負したいイライザからすれば、それは望むものではなかった。
***
会場となるダンスホール。客席には貴族令息がずらりと並んでいる。
むろん遊びに来たのではなく、自分の伴侶に相応しい令嬢を見出すためだ。
最上段の席には第二王子のクリス、そして公爵令息のギルバートが隣り合って座っていた。剣術の試合では本気で戦った二人だが、普段は良好な関係を維持している。
「クリス、君は誰か目星をつけてる令嬢はいるか?」
話を振られたクリスは顎に手を当てる。
「うーん、僕はあまり考えてなかったな。君は?」
「私は……一人いる」
「え?」
「彼女がどんなダンスをするか楽しみだ」
ギルバートは実に楽しそうに笑った。
楽団により、盛大な音楽がかけられる。
この曲に合わせダンスを披露し、令嬢たちは自分をアピールすることになる。
ホールの中は、さながら令嬢という花が踊り、咲き乱れる花園となった。
イライザはというと――
この日のために用意したド派手な金色のドレスをまとい、背中には孔雀の羽根のような意匠をつけ、手を広げ、足を開き、回転し、踊りまくっていた。
「オーッホッホッホ! 令息の皆様、私をご覧あそばせ!」
とにかく目立てばいい、他の令嬢の進路妨害も辞さない、あまりにも悪徳すぎるダンス。
しかし、その顔に一切の罪悪感はなく、堂々たる面立ちであった。
「なんなんだ、あの子は……」
「とにかく自分が目立てばいいって感じだな」
「あそこまでやられると逆に褒めたくなるよ」
令息たちもイライザに苦笑いしつつ、一定の評価を下す。
「すごい子がいたものだね」とクリス。
隣のギルバートは腹を抱えて笑った。
「ハハハッ! いいぞ、実にいい! さすがと言う他ない!」
しかし、こんなイライザすら脇役に降格させてしまうほどのダンスが展開される。
もちろん、マリアである。
フリルのついた青い衣装を着て、曲に合わせてアドリブの振り付けを創造し、キレのあるダンスを披露する。
その実力は他の令嬢より二段も三段も上をいっていた。
イライザが近づき、マリアが目立たないようにするためダンスをするも、まるで効果がない。
客席の令息たちのほとんどが、マリアに釘付けになっていた。
一方、そんなマリアを潰そうとしていたリオーナ。
策略が潰えた彼女はというと、腹痛に見舞われていた。
(なんで……私が……! 痛くてダンスどころじゃない……!)
この腹痛は、マリアへの敗北感や、自分に協力しなかったイライザへの苛立ち、さらには緊張などが合わさった“ストレス性の腹痛”といってよかったのだが……。
ここでイライザの言葉が芽吹く。
『それに私なら、誰かに腹痛を起こさせたいのなら、もっと上手くやりますわ』
もっと上手くやる――つまり、自分以上に上手くやれるということ。
(まさか、あいつが……!?)
考えれば考えるほどストレスは増し、腹痛も増し、ますますダンスどころではなくなる。
こうなると、リオーナの攻撃的な本性は誰かに矛先を向けなければ気が済まなくなる。
この晴れ舞台で私がこんな無様を晒すはめになったのは全て――
「イライザッ!!!」
イライザに怒りの眼差しを向ける。
「あら、どうしたの? リオーナさん」
イライザもダンスを中断する。
「さっきからお腹が痛いのよ……!」
「それで? 休憩ならホールを出た方がよろしいわよ」
「そうじゃないわ! あんたでしょ! 私に何かしたんでしょ!」
イライザは肩をすくめる。
「なんのことかしらぁ?」
「とぼけないで! 私のお腹を痛くする何かをしたんでしょ!」
「なんで私があなたにそんなことしなくちゃならないの?」
「私がマリアを一緒に薬で潰そうって頼んだ時、あんた断ったでしょ! あの時『私ならもっと上手くやる』って……!」
イライザはため息をつく。
「どうでもよろしいけど、お声が大きくなくて?」
「……あ」
リオーナは自分の失言に気づいた。
自分の口で自分の企みをぶちまけてしまった。
「う、くく……」
「今のあなた、とことん醜悪ですわね」
イライザがクスッと笑う。
「くううっ!」
リオーナはホールから逃げ出した。
実のところ、音楽がかかる広い屋内で、リオーナの失言は周囲にはほとんど聞こえていなかっただろう。そしてなにより、誰もがマリアのダンスに夢中になっていた。
しかし、彼女にそんなことが分かるはずもなかった。
大盛況の中、ダンス披露会は終わりを告げた。
客席のクリスとギルバート。ギルバートが話を振る。
「どうだった、クリス?」
「彼女……マリアと言ったかな。彼女のダンスは本当に素敵だった。一度、彼女と踊ってみたいよ」
一方のギルバートは――
「私は個人的に会いたい令嬢が一人いるよ」
嬉しそうにニヤリと笑った。
***
ダンスを終え、イライザはダンスホールの廊下を一人歩いていた。
マリアには完敗だった。しかし、その表情に悔しさはなく、できることはやりきったという満足感に満たされていた。
そんな彼女の前に一人の貴公子が立ちはだかる。
公爵家の令息ギルバートだった。
黒髪に鋭い眼差しを持ち、黒いスーツを着た美丈夫。試合ではなりふり構わない剣術を見せた彼だが、今日は穏やかな表情を浮かべている。
「あら……ギルバート様」
「今日のダンスの主役はあのマリアという子といってよかったね。一緒に来ていたクリスもすっかり彼女に目を奪われていたよ。近いうち、アプローチをかけるんじゃないかな」
「私も精一杯のことはやりましたけど、彼女のダンスには太刀打ちできませんでしたわね」
「だが、そんな君のダンスに心を奪われた者がいる」
「まあ、その変わり者はどなた?」
「この私、ギルバート・ハンデッドだ」
ギルバートは自分の胸に手を置いて、堂々と告げた。
「自分が勝つために、目立つために、ライバルを蹴落とすために、一点の曇りもなく堂々とした踊りっぷりだった。私はそんな君に惚れた。どうか婚約してくれまいか」
イライザはクスリと笑う。
「よろしいの? 私のような悪女と婚約したら、あなたの評判も落ちるかもしれなくてよ」
「私の評判はあの試合を見れば分かるだろう? 今更落ちることはないさ」
「それもそうですわね」
あっさり肯定するイライザに、ギルバートは苦笑する。
「まさか微塵も擁護してくれないとは。しかし、期待通りの返答だ」
二人の視線が交差する。
挑発し合うようなものから、徐々に、惹かれ合うような眼差しに変化していく。
「私もあの試合を見てから思っていました。私に相応しい男性はあなたしかいないと」
「それは光栄だね」
「だけど、私は悪い女よ。いつあなたを捨てるかも分からない。それでもよろしくて?」
「いいとも。それはお互い様だからね」
ギルバートがイライザに右手を差し伸べ、イライザはそれを左手でそっと握る。
ついてきて欲しい。ついていくわ。の合図。
「悪者同士、共に行こうか」
「ええ、行けるところまで」
イライザとギルバートは婚約し、卒業後の婚姻を約束した。
一方、素晴らしいダンスを披露したマリアも第二王子クリスからのアプローチを受け、婚約に至った。
披露会から途中で抜け出したリオーナはというと、退学届を出し、学校を去った。
マリアに敗北した悔しさからか、失言を大勢に聞かれたと思いいたたまれなくなったのか、理由は定かではない。
***
時は流れた。
数年が経ち、公爵家に嫁いだイライザと王子妃となったマリアの友人関係は今も続いていた。
互いに立場は変わったが、公的な場ではともかく、プライベートでは学校にいた頃の関係性を維持している。
二人ともその方がやりやすいから、とのことである。
今日はイライザとギルバート、マリアとクリス、二組の夫婦が王城の応接間で茶を嗜んでいた。
クリスが微笑む。
「妻同士の仲がいいと、僕らも嬉しいよ」
イライザが自身の高飛車さを隠さずに笑う。
「なにしろ私たちは稀代の悪同士のカップル。いざという時のため、王子と王子妃には恩を売っておかないとね」
「その通り。いつ離婚するとも分からないのでね。人脈を作っておいて損はない」とギルバート。
すると、マリアが笑った。
「でもイライザさんって、私と二人きりの時はギルバート様のことをずっと褒めてますよ。あの人と出会えてよかった、って」
「ギルバートもそうだよ。あんな素敵な女性はいないって。二人とも悪を自称してるけど、やっぱり愛し合ってるんだね」
これを聞いた二人は真っ赤になった。
「やめてえっ! 私の、わたくしのイメージが……!」
「おいクリス、そんなこと話すんじゃない! マナー違反だぞ!」
応接間は笑いで包まれ、夫婦同士のお茶会は終始和やかなムードのまま幕を閉じた。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。