「下」
四限終わりに詳細を伝えると、まだバレているのかも判らないのに高野は悩む事無く共に行く気を見せるが、行くと言うより未知なる敵に挑む気概だった。
けれどその気概も建物を前にすると霞んで見える。
これまで入る方法は考えて来たが、そもそも中がどうなっているのか想像するしか出来なかった訳だから、入ってどうするかまでを考えるに至らずも無理はない。
まさかの事態に怯えながらも言ってみるものだなと、地下への入口を感慨にふけり見ていたのは、まだ明るい空との対比に闇が迫る午後の七時前。
「どうした、入らないのか?」
唐突に背後を襲うヌメりを含んだ尾見の声に、一瞬身体が硬直したのをビクついたと見られる悔しさに感じつつも、尾見が高野について何も聞かない時点でバレていたと考えるのが妥当だろう。
だが扉の向こうに居ると思っていた尾見が後ろから来た事に妙な違和感を覚えると、不安感で忘れていた猜疑心を持ち直す事が出来た。
何も分からずビクついたままただ入って殺されたのでは後悔云々以前の問題、知らぬ海域への航海のように見知らぬ地へ思いを馳せて、挑む気持ちで地下への一歩を踏みしめた。
――KATYANN――
尾見が鍵を使って扉を開けるのを見ていて違和感の答えに気が付いた。
あの日も昨夜も建物の中から開けるのしか見た事が無く、外から入るのに鍵を使うという事が何を意味するのかに。
「一人で管理してるんですか?」
聞いたと同時に解錠した扉に足を突っ込み振り返り、ニタッとした顔で手の平を向ける尾見。
「はい、出して」
口にせずともスマホの事だとは理解出来る。高野も悔しさを滲ませる事なく素直に渡すが……
「あの、提出課題の一部がコレに入れたままなんで、返して下さいね」
高野の台詞に尾見が鼻で笑う。
当然だろう、スマホが返るか否か以前に、俺等が地上に帰れるのかすら約束されていないのだから。
こちらの問いに応える義理は無いとばかりに無視して扉の中へと進む尾見の後ろで、互いの覚悟を確認し合うように顔を見合わせ肯き前へ、建物の中へと向かう。
「心配か? スマホはココに置いて行くから問題無いだろ?」
アルミ製のポスト受けにスマホを入れると、蓋を閉じた尾見は慣れた動作で脇のスイッチで中の明かりを点け扉を閉め鍵を掛ける。
――KATYANN――
明かりに照らされ目前に在ったのは、あの日に予想した通りの貨物用に近いエレベーターだった。
「ほおん、その様子じゃあ随分と前から調べていたか」
ついつい嬉しくなっていた表情を読み取られた事に、ヤバいと感じて頬に力を入れるが、あとの祭り。
「ふん、まあいい。君等が見たいのはこの下なのだろ?」
こちらの手の内を明かしてばかりで、和希の事までバレやしないかに気を揉み、高野の口まで気が気でない。
入って二メートルの左手にエレベーターだが、隠す為の仕掛けなのか壁と同じクリーム色の仕切り戸が一部出ていて、入って五メートルの右手から地下への右巻き階段だ。
「酔わないように気を付けろ」
言ってる意味に思い当たる事が分からず困惑するコチラの顔に、尾見は頭の悪い学生扱いに鼻で笑って先を行く。
螺旋階段ではないが何となくの気持ちの悪さがスグに襲い始めた。
凡そ半階分ずつに折り返す下に右巻きの階段だが、平衡感覚を奪う外側へのバンクに足元がおぼつかず、まるで内側に斜めってるように見える地層のような縞模様の壁が要因だった。
未知なる地下への階段に仕掛けられた妙な不快さは、これ以上入る事を拒むようでもあるが、閉鎖空間という視覚特性からも不安感へと繋がり、ミーミーと頭に鳴り響く低周波音からして電磁場による聴覚への影響も何かしら受けているのだろう。
それ等全てが、この地下施設の異常さを物語るようだった。
「これ、何処まで降りるんだよ?」
高野の問いを無視したのは、階段の段数は高さが違えば意味が無いとは思いつつも一応に折り返しを数えていたからだが、既に折り返し六回で三階分、深ければ深い分だけ地下施設の広さを物語る。
「心の準備は出来てるか?」
七回折り返し凡そ地下三階半の所にエレベーターの扉が見えると、先に着いた尾見が気怠そうな顔で待っていた。
高野と顔を見合わせ肯くと、尾見は既に解錠していた金属扉をグッと押し開けた。
特に音も無く静かに開いた扉の向こうはまだ暗闇、中へと進む尾見に続けと急ぎ踏み入る。
パッと広がる光景に愕然とした。
実物を見る事はあまり無いが、目前のそれがサーバールームである事に疑いの余地もなく、稼働するHDDを冷やす為か足下から這うような冷気が地下の淀みすらも凍えさせて昇って来ると、期待と興奮をも冷ますように悪寒が走った。
「人には言わないようにしてくれよ」
まるでサーバールームの場所だから知られてはイケナイのだとばかりに警告する尾見に、高野は気付いてないのか納得と諦めを浮かべた表情で拍子抜けのため息を漏らし、細かく何度も肯いている。
何処か納得出来ない俺は冷気を逃さぬようにと扉を閉めようとして、ふと気になった。階段の途中で視認した尾見の姿にそのまま左の部屋へと向かって来たが、右奥にはまだ階段が下へと続く可能性に。
振り返り左にはエレベーターの扉、階段が続くならあるだろう辺りの奥の床の隅に、部屋から射し伸びる明かりで血の着いた何かが落ちているのが見える。
遠目にもその柄と形からして学生証である事は容易に判るが、自ら入ったのか連れ込まれのかは判らずも、傷にしろ殺されたにしろ固まるも赤が残る血の色合いからして昨夜から今日に掛けての物だろう。
確認も拾いに行くも今は出来ない、俺がそれに気付いた事も尾見に知られた時点でアウトだろう。
部屋を出る時には俺が先だ。
脳裏に刻み扉を閉めるが、振り返り様に俺はコレが偽装工作である事の証拠となる物を目にした。
恐らくサーバールームとしての役割は実際にあるのだろう、だがそれは別の部屋でだ。
何故ならこの部屋に敷かれている配管に電気は分かるが、NETの配線が無造作に床を這い電源ケーブルもタコ足配線でNETケーブルと共に整列されている。
こんな雑をすればNETケーブルが電源ケーブルからの電磁波の影響を受けて通信異常を起こす可能性、それ以前にタコ足配線が床に丸見えなサーバールームなんて恐ろし過ぎる。
幾らコチラにサーバールームの知見が無いとはいえ、やっつけ仕事にも程がある。
だが、これをしてまで隠そうとしているのだから、俺が隠蔽に気付いたとなれば……
「相楽君は納得出来ない、と言った所かな?」
「あ、いえ……」
見られている中でどう応えるべきかの解を探して部屋の中を見渡すが、この部屋がサーバールームとして作られた物では無い事を判らせる物を更に見付けてしまい、一瞬視線を留めた事を尾見に気付かれていないかと慌ててズラす。
「ああ、相楽君は感が良いなぁ」
バレてるぞ! とでも言いたげに、尾見は俺が視線を留めた場所に目を向け、小刻みに首を振る。
「確かにアレを見ては納得出来ないか、君は早死にするタイプだな」
殺される。
自分が取った行動は間違いだと理解すると同時に、俺より尾見に近い所に居る高野の危険に、思わず高野の腕を引っ張った。
「イテっ! 何だよ!?」
危険を理解出来ていない高野はサーバールームだと認識したからに他ならず、今俺がした行動こそがサーバールームでは無いと認識している事を裏付けたようなもの……
続け様に間違えた自分の行動を呪うように奥歯を噛み締めた。
「冗談だよ、君の予想通りココはサーバールームとして作られた訳じゃ無い、ココは元々が君達の探っていた噂通り、人体実験をしていた隠し部屋だ」
言葉を失う意を今更ながらに理解した。
俺が見たのはサーバーの機械で挟み隠してはいたが、電気で動く精密機器を管理する部屋には凡そ不向きに、水を流す手洗い場だった。
人体を切り刻み血を流し浴びた手や身体を洗い流す事を考えれば当然ここに無ければ逆に不自然な物。
けれど、人体実験という探し求めていた部屋だと言われて嬉しい筈なのに、何故かそれを素直に喜べないのは猜疑心が邪魔をしているに他ならない。
だが、その猜疑心から気になり出した事こそが、人体実験をしていた隠し部屋を見付けた事以上の、他の何かの真実がある事を脳裏に告げていた。
その真実の欠片を拾い集めようと、尾見に疑われずに確認する必要を感じた。
というのも、尾見にコチラを殺す気が見受けられない事にある。殺す気なら、そもそも偽装工作にこんな手の込んだ事はしないだろうし、バレた一部の綻びにもスグに真実を打ち明け諭そうとするのは、穏便に事を済まそうとしているとも受け取れる。
だとすれば……
「何の為に、いえ、人体実験はいつまで行っていたんですか?」
思い切って質問をブツケてみる事にした。教室程はあるだろうこの部屋の隅々までを見て回る為に。
本当の事を聞けるとは思わないが、人体実験の件をあっさりと切り捨てるように話した事からも、ある程度の真実は聞けるのかもしれない。
そんな甘い考えもあって、間違え続けた自分の行動に、更なる間違いを重ねた所で逆に疑われずに済むように思えたからだ。
「講義か何かと勘違いしてないか? コッチは君の名前も家も何から何まで知っての今だ、何でこの部屋の話を教えたか考えれば分かるだろ!」
続く!!!!!!