「小」
学びは誰にも平等に開かれているとの考えが根底には有ったのだろう、俺が小学生の頃は誰でも入れるのが当たり前だった大学構内。
昨今の傷害事件や爆破予告やの対策に、一般開放を止めて門戸を閉じる所が増えて来た。
今居るこの大学も俺が小学生の頃は通学に使うのは不法行為だったが、中学生の頃は正規の通学路となっていた。
と言うのも、家から学校へ行くのに小学校は北に在り、家との間にこの大学が在った、本来の通学路は大学の敷地を西側に迂回して南西角の交番前を通るルートだった。
大学構内を抜けれぱ五分、迂回して十五分、無駄を無くせと叫ぶ大人の理屈で歩かされる無駄な十分。
更には、学校が何故かご機嫌を取る地域の謎のおエラいさんの助言により、子供の通学路の安全を担保してくれるのだからと、角の交番の巡査へ毎朝感謝の挨拶をするようにと義務付けられる始末。
子供にとっては監視されてるようで、それでなくとも面倒臭い回り道なのに感謝しろと言って大人の理屈を押し付けられた。
あまりにも馬鹿馬鹿しくなる子供の足での十分は殊更長い道程にも思え、遅刻しそうな時にはコソコソと隠れながらの抜け道に構内を駆け抜けた。
すると決まって構内を抜けた事を誰かにチクられ先生に怒られていたのだが、チクっていたのが町会の暇をもて余す老人だと、ある事で知る事になった。
その人こそが学校がご機嫌を取る地域の謎のおエラいさんで、大学北門前の家に住むその地区の町内会長。
妙な紋様を施した政党の政治結社を悪用し、非課税世帯として補助金で暮らす税金生活者であり、暇潰しに一日中家から門を覗いて学生を監視していたと知り、子供心にムカつきを覚えさせられた。
どう取得したのか、学生の顔と名前までを押さえていて少しでも校則違反者が居れば学校へ通報し、遂には学校関係者しか知り得ない学生の成績表までも取得し、政治結社で情報管理し就職情報にまで繋げて家庭の収入額までを握ってと……
当然、小学生当時の俺にそんな難しい話は解る筈もないが、兎角地位ある大人でも手に負えない輩というのは居るもので、様々な関係各所でも有名なのだからと子供に都合を押し付け諦めさせられたのだった。
けれど転機は訪れる。
俺が小学校を卒業してスグの事、交番前の交差点で通勤に急ぎ速度超過で事故を起こした車が歩道に突っ込み、通学中の大学生を踏み潰した。
小学生は居なかったが、四人の大学生の潰された二人は重体のまま二日後に、はね飛ばされた二人の内一人は頭を打って即死、もう一人は半身不随。
この事故を機に小中学生も大学構内を通学路として認める決定が下された。
無論、俺は中学校が大学の北東に位置していた為、大学の南門から東門へと構内を通る事を許可されたが、子供の安全の為と散々吐かしたおエライさんは、この決定にさぞかし苦虫を噛み潰した事だろう。
そもそも時折老夫婦が構内の木々の散策に入る事はあるのに、それが良くて俺等が通るのが駄目な理由が分からず解せない気持ちでいた。
勿論今は理解している。
むしろ当時の大学生は良く受け入れられたものだなとも今は思う。
けれど大人の理屈に振り回される中学生だった俺には……
大学構内を抜けるようになって半年が過ぎた頃、妙な噂を耳にする。
医学部はおろか薬学部も無いこの大学に、人体実験に人を解剖していた部屋があると云うものだ。
噂によればその部屋は、人目に付く事の無いよう地下に在り、実験体を持ち込む際に怪しまれないようにと運搬車が入れる構内の通路近くに入り口が在ると云う。
それでなくとも好奇心旺盛な中学生がそんな噂を耳にすれば探索するのは必然。
学校帰りにそれとなく探索して巡るが、構内を小中学生が歩きまわる事には大学関係者も、大学の生徒と良くない関係性にならないかと気を揉み、下校時刻に大学の教員とは思えない地域の知らない誰かが見回りしていて主要通路以外に中々行けず、靄々が募るばかりだった。
ただ、部活帰りの遅い時間に通る時を除いて……
続く!