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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十二話 葬送
9/53

7

 二日経っても調子の戻らない床の中で、馬車の音を聞いた。

 誰だろうと頭を向ける。波瑠沙が立ち上がって雨戸を開けた。

 柔らかな秋雨の振る中、一台の馬車から二人が出て来た。

 否、正確には三人。二人と、小さな一人。

「まーま!」

 春音が嬉しげに叫ぶ。

「そうよ春音、まーまが迎えに来たわよ!」

 於兎。そして桧釐。その腕の中に花音。

 日数的に、報せを受けてすぐ飛んできたのだろう。

「華耶ちゃん!もう無理しないで良いのよ!あとは私に頼りなさい!」

 華耶は笑っているだろうか。泣いているだろうか。

 寝込んでいる間、会いにきてくれた気配はあったが、まだ顔を見れないで居た。

 朔夜は起き上がった。まだふらつく頭に目を瞑る。

「無理すんなよ」

 波瑠沙の言葉に頷いて、立ち上がり、壁を伝って表へと向かった。

 華耶は泣いていた。上り框に座り込んで、顔を覆って。背中を於兎に撫でられている。

 遠目にそれを見て、足を止めた。

 ああして華耶を安心して泣かせてやれなかった。自分のせいで。

「女同士だから分かる事もある。気にすんな」

 隣に並んだ波瑠沙がそう言ってくれた。

「朔夜」

 桧釐が気付いて近寄ってきた。

「身罷ったとだけ聞いて飛んで来たが…病死なのか?お前まで窶れて見えるが」

「朔は嘆き過ぎて体壊してるだけだよ。死因は知らされてないのか」

 波瑠沙が答える。桧釐は頷いた。

「何も。都で情報が止まってるのかも知れないが」

「…殺されたんだよ」

 朔夜はそれだけ言って、辛い身をずるりとその場に沈めた。

 時折、風に煽られた雨粒が落ちる濡れ縁に座り込んで。

「殺された。珠音って餓鬼に。藩庸の手先だった餓鬼だ…」

「やめとけ」

 波瑠沙が上から忠告した。あの時を言葉にするのは傷をまた抉る事になる。

 構わず、朔夜は続けた。

「迂闊だったよ。俺が里に出たその間に…奴は俺がここを離れる隙を狙っていたようだ。抵抗した形跡は無かった。あいつは自分を殺したい相手にされるがまま殺させてやったんだ。藩庸を甚振(いたぶ)り殺したその報復を、受け入れて殺されたんだろう…」

 膝を抱える腕に手の爪が食い込んでいた。じわりと、衣に赤が広がる。

「珠音は俺が殺した。その前に訊いた。お前の裏に誰が居るのかって。…何故かは分からないが、繍に居る男の名前が出て来た。俺を悪魔に仕立て上げた、桓梠って男だ…。もう何年も殺そうと決めている憎い男に、俺はみすみす友を殺された…」

 再び高熱に浮かされだした荒い息と、嗚咽を混じらせながら。

 いつの間にかそこに於兎もやって来て、話を聞いていた。

 その後ろで華耶が顔を覆っている。

「もう良いだろ、朔。中に入れ。また寝込む事になるぞ」

 波瑠沙に抱え上げられ、元居た部屋に戻された。

 そこに桧釐も付いて来た。

 寝かされた枕元に座る。

「桓梠…俺も会った事がある。お前が記憶を失っていた時だ」

 虚ろな中に、憎しみだけが浮かぶ目を向ける。

「とにかく嫌な男だった。お前が憎み怒るのも分かる。だが、そこで確かに龍晶様との接点は出来たが、殺されるような覚えは無い」

「俺のせいだ」

「…何?」

「龍晶を殺せば俺は必ず報復に繍へ行く。奴はそれを狙っていると、珠音は言った…」

「それこそ、何故?」

「分からない…。行って確かめるしかない」

 胸にある遺骨を包んだ袋を握る。

 その手を顔の上に置いて。口の上にある親指を噛んだ。

 己を保たねば、憎しみに任せて暴走してしまう。

「もう良いだろう桧釐。休ませてやってくれ」

 波瑠沙に頷いて、腰を浮かせる。

 立ち上がって見下ろしながら、(あるじ)と決めた人の友へ言った。

「お前が動きたいように動けるよう協力はしてやる。金ならいくらでも出してやろう。兵も動かしたい所だが、それはちょっと頭を使わなきゃならんな」

「…俺がお前に頼みたい事は一つだよ」

 また虚ろに天井を見ながら。

「華耶と春音を守ってくれ。俺は後顧の憂い無く行きたい」

 桧釐は微笑んで応えた。

「分かった。北州に来ればそれは安心させてやれる。必ず守り切って、お前の帰りを待つよ」

「桧釐、お前は悲しくないのか?悔しくないのか…?」

 焚き付ける為の問いではない。ただ純粋に疑問だった。

 この人にとっても、彼の存在が大きい事は知っているから。

 いつものように飄々としていられる事が不思議で。

「まだ実感が無いんだよ。遺体を見た訳でもないし。信じられないだけかも知れないけど」

 それは分かる。自分だって多分、その場に居合わせてなければ永遠に信じない。

「それにさ、前に会った時の態度で薄々予感はしていた。これが最期になるだろうって。俺達の為すべき事はもう、終わったんだなって。だから…悔いは無い」

 改めて見下ろして、片頬上げて笑う。

「お前は違うぞ朔夜。お前のやるべき事はまだまだある。こんな所で躓いてるなよ。休む事は大事だがな」

 何も返せなかった。ただ、悲しくて悔しい目を向けて。

 桧釐が出て行く。この後、華耶に遺骨を見せるよう頼むだろう。それで実感が湧くだろうか。多分無理だ。

 己の持つ遺骨を持ち上げ、視界に入れる。握る手に歯形が付いて血が滲んでいた。

 長く己を支えてくれた従兄がやって来たのだから、あいつは喜んでいるだろうか。否、きっと面倒臭そうな顔をして悪態を吐いている。

 その奥に少しだけ、照れた笑みを混じらせながら。

「波瑠沙…頼んで良い?」

「ああ。何だ?」

「祥朗から薬を買ってきてくれる?いい加減、動けるようになりたい」

「分かった。行って来よう」

「お代は桧釐にツケといて」

 波瑠沙は軽く笑い声を上げて出て行った。


 最早それは白く乾いた、小石混じりの砂だった。

 桧釐は黙って蓋を閉じ、華耶に返した。

 彼女は大事にその壺を胸に押し抱いて、設えた簡素な祭壇に戻した。

 矢張りまだ不在が信じられない。あの綺麗な顔が、あの生意気な態度が、砂塵と化したなど。

「…彼は北州で眠りたいと言っていました。前の晩、何か悟っていたように」

 祭壇に向き合ったまま、華耶は言った。

「連れ帰ってやりましょう。俺も迎えに来ると約束しましたから」

 彼女は頷いて、弱々しく微笑んだ。

「喜ぶと思います。本当は心底、帰りたかった筈だから」

 座り直し、俯く。

 生きて故国の土を踏ませたかった。

「華耶ちゃんはこれからどうするの?」

 横から於兎が問うた。

 その横に春音がぴたりとくっついている。矢張り実の母が一番なのだろう。

「北州に行かせて下さい。最後のお見送りをして…その後は、考えていません」

「そのまま私達と住めば良いのよ」

「良いですか?」

「勿論。屋敷は広くて部屋が余ってるくらいだし。ねえあなた?それが良いでしょう?」

「ああ。俺もそのつもりで考えてた」

「春音も兄妹で遊べるし。あ、もう一人増えるわよ?」

「えっ、於兎さん…本当!?」

「まだ目立たないけどね。三人目ともなれば楽なもんだわ」

「わあ、おめでとうございます。実はこっちも、祥朗と夲椀の子が産まれて」

「うんうん。さっきから泣き声が聞こえるからそうかなと思ってた」

「つい三日前なんです。みんなで立ち合って。嬉しかったな。男の子で、名前は祥大。彼が考えていました」

「龍晶様が?」

「はい。祥朗と約束してたみたい。あの日の前の数日は凄く調子が良くて、筆を持っていろいろ書きながら考えてて。祥朗の名前は母上が付けたものだから、やっぱりその字を受け継いで貰いたいって」

 そして仄かな笑みを残して。

「…母上とも会えたみたいです。春音がそれを見て教えてくれました。嬉しそうだったって」

「とーと、わらってた」

 春音が言い添える。大人達は微笑んだ。

「良かったな。本人的には何の悔いも無いんだろう」

 桧釐は言って立ち上がり、祭壇に向き合った。

「龍晶様、あんたは幸せですよ。これだけ周りを振り回しておいて、それでも皆あんたの為に笑ってくれるんだ。俺もその一人ですけどね」

 骨壷に手を伸ばし、つるりとした感触を撫でて。

 あの肌も、白い陶器のようだった。

「俺達が奔走して与えた幸せを、あなたは精一杯享受してくれた。捨てられるかとも思ってたが。…それだけで俺は満足です。よく生きました。あとは共に戔へと帰りましょう」

 華耶が静かに涙を落とした。

 於兎が肩を抱く。膝を春音が撫でる。

「かーたん、げんきだして」

 華耶は頷き、微笑んで、春音を抱いた。

「そうだね。泣く事無いよね。お父様はいつもここに居るのに」

「そーだよぅ。とーと、いるよ。みえないだけ」

「そう。見えないだけ」

 雨粒混じりの優しい風が吹き抜ける。

 あなたの最期の望みを共に叶えましょう、と。

 そっと、風に告げた。


 翌日、薬のお陰で楽になった体を、縁側の陽の光の下に晒した。

 今日はまたよく晴れている。来る冬を予感させず、太陽の光が暖かい。

 春音が大喜びで柿の木の棒を持ってやって来た。

「あそぼ!さく!」

 待たせた分、拒む気にはなれず。

「波瑠沙、木刀取って」

 自分で動くのもまだ怠くて、中に声を掛ける。

「しょーがねえな、ったく」

 応じて悪態を吐く口は笑っている。

 差し出された棒を片手で受け取った。

「ありがとう。春音も言っとけ、ありがとうって」

「あんがと、はーさ」

「良いって事。無理だけはすんなよ」

「うん」

 三歳児相手に無理も何も無かろう。朔夜は両手で木刀の端と端を持ち、構えた。

「ここだ。打ち込め」

 乾いた音が規則的に鳴る。時々手を出して構えを修正してやるが、筋が良いのでそこまで手を出す必要が無い。

 俺はいつからだったかなと考える。この前の華耶の問いの答えではないが。

 記憶に無い。物心ついた時にはもう燈陰に打ちのめされていた。嫌では無かったが。

 その時しか向き合う時間が無かった。あとは避けられていて。

 だから楽しい時間だった。体は痛かったけど、心地よい痛みだった。

 四歳か、五歳か。他人より成長が遅かったと聞いているから、多分春音よりずっと後だ。

 思いがけず英才教育を施している自分に苦笑する。そんなつもりは無いのだが。

 腕が怠くなってきた。矢張り筋力が落ちている。

「止まれ。休め。俺も休む」

 春音はえーっと言いながらも手を止めた。

 華耶の姿が見えたからだ。

 茶と、菓子が彼女の持つ盆に乗っていた。

 痺れる腕を摩りながら、彼女を見上げる。

「芋餅を作ったよ」

 故郷の味。そして、いつか三人で食べた味。

 華耶はそこに盆を置き、自らも縁側に座った。

 二人の間に春音が入り込む。

「波瑠沙さんも食べよ。芋餅」

 華耶に呼ばれて波瑠沙は朔夜の横に座った。

「へー。珍しい」

「初めて?」

「うん。芋で作るのか?どれどれ」

 掴んで口に運ぶ。華耶は一つ小さく千切って春音に与える。

「よく噛んでね。喉につかえるから」

「そう言えばこれで咽せたわ、俺」

「そうそう。私が好きな人居ないの?って訊いたから」

 それに今度吹き出したのは波瑠沙だ。

「それは駄目だろ。朔なんか窒息死ものだ」

「生き残ったけど。お陰様で」

「ああ分かった分かった。その時の会話だったんだな?好きな人が出来たら連れて来いってやつ」

「まさかその通りになるとは思わなかった」

「本当」

 華耶は笑って相槌を打っているが、その笑顔は確信犯だ。

「あの後、あいつさ」

 教えても良いものかどうか、迷いつつ。

 まあもう、怒鳴られる事は無いからなと思いながら。

「だいぶ変だったよ。思い詰めててさ。きっと、俺を他所(よそ)にやって自分がどうやったら華耶を独り占めできるか考えてたんだ」

「えー?そんな事言ってた?」

「言ってないけど、今なら分かる。こいつ俺に華耶を取られるのが嫌なんだなって」

 自分が先に死んだ時の事を考えていた。そしてそうなった今は。

「そんな事になる筈無いのにな。確かにまだあの時は波瑠沙が居なかったし、俺も華耶が好きだったから、気持ちは分かるけど」

 さらりとそれだけの事を言えるようになってしまった。

 でもこれは、過去の感情だから。

「あの時朔夜が口籠ってたのは、私が好きだって言えなかったからだ?」

「言える訳ないじゃん。旦那を目の前にさ」

「知ってたよ、彼」

「それは俺もよく分かってたけど」

 だから滅茶苦茶笑っていた。あいつ。

「意味の無い義理立てだったけど、それがあの時の俺の限界」

「そうだねぇ。まだ子供だったね、私達」

「餓鬼なのはお前だけだって、あいつは言うんだろうけど」

 一口齧り、言われた通りよくよく噛んで。

 また咽せるのは御免だ。

「でも彼は、私が朔夜に抱かれる事をちょっと望んでる節はあったよ」

 咽せた。

 波瑠沙がげらげら笑いながら茶を差し出す。

「だから華耶、こいつ窒息するって!」

「ごめんごめん、わざとじゃないの!」

「いやいや、ぜってー狙ってる」

 春音は上手に飲み込んで笑っている。俺は三歳児以下かと思いながら。

 ぜーぜーと繋がった息を吐く。

「ちょ…華耶…そういうことは、春音と波瑠沙の前で言うもんじゃないって…」

「そうだね、そうだよね!?ごめん!つい!」

「ま、それだけ有り得ねえって事だろ」

 波瑠沙はまだ笑いながらそう解釈してくれた。

「そうそう。私も有り得ないって言っておいた。そしたら、困ったな、って」

「なにが困ったなだ!?もー!他人の事を好きに弄るなよ龍晶!!」

 虚空に向けて本気で怒っている。

 華耶は涙を浮かべる程笑いながら続けた。

「でもそれで安心した顔はしてたよ。やっぱり嫌だったんだよね」

「当たり前だろ!?ってか、てめえこの馬鹿やろー!!華耶を大事にしろってあれだけ言ってやってたのに全然分かってねーじゃねえか馬鹿ーっ!!」

 叫びは屋根を反射して丘の向こうまで響いた。

 きっと、空の上にも届いていた筈。

 木霊して馬鹿だけ自分に返ってきた。

 馬鹿、分かってるよ。でも華耶の幸せを考えたらそれしかねえんだよ馬鹿。

 そう言われた気がして。

 結局、馬鹿と餓鬼しか言い合えない。

 桧釐が何事かと顔を覗かせた。その顔も可笑しげに笑っている。

「良いなぁ。俺もそれだけ本人に直接叫んでみたかった」

「今でもまだ間に合うよ。聞いてっから、あいつ」

 しかも、反論までして来やがった。

 桧釐は両手を口に当てて、空に向かって。

「俺の目の前で美人の奥方を放って泣かせて、朔夜にばっかり入れ込んでんじゃねえよ馬鹿野郎!!」

「はっ!?」

 一番びっくりなのは名前を出された当人だ。

「ちょっともう、桧釐さん!」

 華耶は笑いを噛み締めて。

「あなた」

 もっともっと怖い存在が背後に現れた。

「え」

 於兎の鉄槌。そして胸倉を掴まれて中に引き摺り戻される。

「花音は預かるよー?」

 波瑠沙が普通に言った。


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