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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十二話 葬送
7/53

5

 丸一日、昏々と眠った。

 夢も見ずに。常日頃魘される悪夢すら見なかった。

 気付いたら夕暮れ時で。

 それが寝始めたその日ではないと聞かされて、呆然とした。

「体は正直なんだよ。お前がどう誤魔化そうとしたって、限界だったんだ」

「そんな事ない…」

「まだ認めねえのか。まあ良いけどな。次は飯だ。この波瑠沙様が作ってやるから食えよ」

「まだ食欲が…」

 言い訳は許して貰えず、むずと首根っこを掴まれた。

「土間で見てろ」

「ここで大人しく待ってるって!なあ、聞けよ!?」

 自由が与えられず、引きこもっていた部屋から引き摺り出される。

 まだ夕刻の事だ。皆の視線を浴びる。

「あら朔夜。おはよう」

 華耶が当然のように目覚めの挨拶を口にする。

「眠り姫が漸くお目覚めになったか」

 燕雷に揶揄われる。

「さく!」

 春音が纏わりついてくる。

 そのどれにも応える気になれず、土間に繋がる上り框に座って背中を丸めた。

 その背中を春音は勝手に登って遊ぶ。

 波瑠沙はそんな彼を放っておいて夕飯の支度を始めた。

 彼女がこうした理由は解る。一人にさせられないからだ。

 ある時期の龍晶と同じだ。何をするか分からない。

 実際に、現実の傷を増やしたい気はあった。ただ息をしているだけでひりひりと痛む心より、表面上の痛みの方が何倍もマシで、紛らわしたかった。

 眠っている間に傷跡は消えている。

 その手首を握って膝を抱え、その中に頭を落とし込むようにして。

 なるべく何も見ずに待つ。

 見てしまうと、この建物にはあいつとの記憶がそこここに埋まっていて。

 それが不在感をますます掻き立てられる。辛かった。

「春音、朔兄ちゃんの背中をとんとんしてあげて」

 華耶の声が隣に。

 小さな手が、母に言われた通りに動く。

「さくー。げんき、だして」

 小さく息を吐いて、腕の中で言う。

「俺は元気だよ。大丈夫」

「強がらないの」

 窘める幼馴染の声。珍しい事で、少し顔を上げて彼女の表情を確かめた。

 怒っている訳ではない。微笑んでいる。

 失ったものは同じ筈なのに。

「焦らなくて良いから。納得するまで悲しめば良い。朔夜がまた自然に前を向けるの、私達は待ってる」

 彼女の顔を見ながら、膝の上に重苦しい頭を置いて。

 目を閉じる。まだ何も見たくない。見れない。だけど。

 闇の中でも温もりは感じられる。

「おら、出来たぞ。食え」

 波瑠沙が出してきたのは北方の料理なのだと思われる、菜と肉が煮込まれたものだ。そこに米も混ぜてあるのは彼女の工夫だろう。

 同じものをよそって華耶や春音、燕雷らにも分ける。

 自然と皆が朔夜の周りに集まり、思い思いの場所に座って、いただきますと食べ始めた。

 朔夜ものろのろと匙を動かした。

「どうだ?美味いだろ」

 隣から自信満々に訊いてくる。

 朔夜は頷いた。

「うん…美味い」

「お前な、美味いんだったらもうちょっとそういう顔して食えや!」

 理不尽に怒られて目をまん丸にする。

「華耶には笑ったのに」

 むくれられて、焦りつつどうにか笑おうにも上手くいかない。

「波瑠沙さんには愛想笑いしなくて良い関係なんだよ」

 反対側から華耶が救いの手を差し伸べた。

「朔夜が波瑠沙さんに向ける笑顔は、本物ばっかりだから」

 ちらりと波瑠沙の目が向けられる。そして悪戯っぽく細められた。

「そういうのを甘えって言うんだよ、知ってたか?お前」

「えっ…えっと、ごめん…」

「謝るなっての」

 きょとんとしてしまう。

 にやりと波瑠沙は笑って華耶に言った。

「あんまりこいつに優しくし過ぎるのも考えものだぞ?本当なら、こいつがお前を慰めなきゃならなかったのに」

「そっかあ。貴重な機会を逃しちゃったんだね、私」

「ぇええ、ごめん!華耶!ほんとごめん!」

「なんか私より必死なんだけど」

「良いの。謝らないの、朔夜」

 申し合わせたように二人、同じ事を言う。

 勿論それは、あいつの言葉。

 朔夜は泣き笑いになった。

 抉られる心の痛みとは別の、締め付けられる感覚。

 二人が愛おしい。

 これからの自分が守っていくべき彼女ら。

 それと。

「さく、げんきになった。あそぼ」

「まだよ春音。まずちゃんと食べてから」

「あーい」

 聞き分け良く食事を続ける。

「お前は食ったら風呂に入れよ。何日入ってないんだよ。鼻の良い私への嫌がらせか」

「っ…ごめん!!」

 あの日からそんな所まで気が回らなかった。

「お前自身の匂いならいくらでも嗅いでやるけどさ、血生臭いまんまなんだよな」

 珠音の血も浴びてそのままなのだ。

 朔夜は改めて反省した。

「ごめんなさい。ちゃんと人間らしい生活します」

「分かりゃ良いんだよ。時間かかり過ぎだけど」

 言って、いち早く食べ終わった椀を置いた。

「沸かして来る。ちょいと待ってろ」

 彼女が去った後、くすくす笑う華耶に真顔で訊く。

「臭い?」

「ううん。私は全然」

「良かった…」

 やっぱり野生並みの波瑠沙の鼻だからだ。

「顔色良くなってきたね。波瑠沙さんのお陰だわ」

「うん…」

「良かったね。素敵な人を見つけられて」

「…うん」

 それは素直に頷いた。

 いつしか長屋の光景はいつもの光景になっている。

 血に汚れ悲しみに暮れて見えていたのは、自分だけなのか。

 もしかしたら今にもそこの戸が開いて、あいつは顔を出すかも知れない。

 いつまで騙されてんだよお前、間抜けだな。そう悪い笑みで言いながら。

「華耶」

「なに?」

「ありがとう。…いろいろ」

「それは波瑠沙さんに先に言うべきだよ」

「そっか。じゃあ、内緒で」

 春音が食べ終わり、鞠を手に戻ってきた。

「あそぼ」

 受け取った鞠を、軽く投げて渡す。

 一年前は一回一回転がっていたが、もう上手く受け取れるようになっている。

 時間は進んでいる。それぞれに、変化を齎しながら。

「朔夜」

 同じ動きを繰り返しながら彼女の言葉を待った。

「明日にでも王宮に行こうと思う。義父上(ちちうえ)にお(いとま)の挨拶をしなきゃ。戔に帰る為に」

 朔夜は春音に鞠を投げ返し、華耶にも言葉を返した。

「俺も行く」

 彼女は微笑む。

「そうしてくれると嬉しい。でも無理しないでね」

「ああ。もう大丈夫だと思う」

 彼女を守ると決めた強い目が戻ってきている。

「俺も行くからな?お前だけに任せとくのは些か不安だ」

 燕雷に言われて、春音ごしに不満の目を向けた。

「何が不安なんだよ」

 投げられた鞠が体の横を擦り抜けて、土間に落ち転がる。

「あー、さく。とって」

 言われるまでもなく取りに動いていたが。

 拾った鞠を、春音の向こうに投げた。

 燕雷が片手で受け止める。

「下手に動くなよ。俺が波瑠沙に恨まれる」

 彼は言いながら春音に鞠を返した。

「動かねえよ。まだ」

「証拠を探らなきゃな」

「ああ。…出て来るとも思えないけど」

 軽く首を横に振って、今度こそきちんと鞠を受け止めて。

「いや、まだ灌はどうでも良い。華耶さえ守れれば。俺にとってはまず繍だ」

「遠い方から片付けるのか」

「一瞬でも長くあの野郎が生きてるのが許せねえんだよ」

「あまり物騒な事を子供の前で言うなよ」

 朔夜は肩を竦めて華耶に謝った。

「ごめん」

 彼女は春音に目をやって何も返さなかった。

「風呂沸いたぞ。入れ!」

 波瑠沙が戻ってきて語気荒く命令。

 朔夜は従うしかなく立ち上がる。

 一人風呂場へ入る。波瑠沙は火の調整をすべく壁一つ隔てた向こうに居る。

 風呂釜に手を付けて、心地よい熱さを確認する。

「良い湯加減だよ波瑠沙。ありがとう。こっち来ない?」

「珍しくお誘いか?」

「だって、臭いが流れてるかどうか、お前の鼻で確認して貰わなきゃ」

「確かに。背中も流してやらなきゃならないし?」

 窓越しに彼女の顔が覗いて、にやっと笑ってその場を離れた。

 回り込んで来るのだろう。その間に頭から湯を被る。

 伸びた銀髪が体に張り付く。そろそろ切っても良いかなと考えつつ。

 するりと、後ろから体に腕が回された。

 背中に密着する彼女の肌を感じながら。

「…波瑠沙」

 胸の前で交差する腕をそっと掴む。

「ありがとう。…お前が居るから、もう寂しくない」

「嘘つけ。寂しい癖に」

「あいつの事を考えるとそれはまだそうなんだけど。でも独りじゃないから救われてる。お前が居なきゃ死んでた。それか悪魔になって暴走してた」

「それは知ってたよ」

 見上げた顔に、覆い被さってきた唇を受けて。

 このまま、生きていたいと。

 やっと、そう思えた。

 自分の幸せを棒に振るなと、あいつに怒られた。だからそれが正しいのだと思う。

「その前に、だ。背中流すぞ」

「あ、うん。頼む」

 血生臭いまま抱かせる訳にもいかない。

 あらかた体を洗い終えた所へ。

「波瑠沙さん!ごめん!!手伝って!!」

 華耶の焦る叫び声。緊急事態だ。

「どうした!?」

「夲椀が産気づいたの!産まれる!!」

「何!?」

 そこにあった盥を引っ掴んで湯船からざぶりと掬って。

 そのまま走り出しそうになり、ああ、と思い出したかのように衣を纏う。

「俺も何か手伝う!」

「馬鹿!何も出来ねえよ!風呂入っとけ!」

「あ…はい」

 頭を冷やされて、ばたばたと去っていく彼女を見送った。

 言われた通り大人しく風呂へ浸かった。

 一人になって、ちょっと笑ってしまう。

 何も出来ない自分が却って清々しい。

 強がっても、虚勢を張っても、所詮。

 久しぶりに水中へと頭から潜って、水面を見上げた。

 銀髪がゆらゆらと絡み合う。その向こうの世界はぼやけ滲んで少し遠い。

 この中なら、泣いていても分からない。

 でももう、涙は出尽くしたようだ。

 前を向こう。それを待っていてくれる人達の為に。

 走り出せ。もう一度。その向こうに居るあいつの為に。

 きっといつか辿り着ける。

 「またな」の、その先へ。


 夲椀が苦心の果てに産んだ子は、男の子だった。

 里から呼んだ産婆が取り上げ、母が抱き、手伝った女達が覗き込む。

「可愛いね」

 華耶が自然と微笑んで言った。

 夲椀が息を吐きながら、口元に笑みを浮かべ頷く。

 波瑠沙は目を丸くして、こういうものなのかと言わんばかりに。

 十和が父親を招き寄せた。

「祥朗、あなたもお父さんですよ」

 彼もまた、あの日から乾く事のない目を瞬かせて。

 小さな、小さな命を抱いて、また泣いた。

「これで母上様とお兄様に孝行が出来ましたね」

 十和の言葉に頷いて、まだ完全には出せぬ声で妻にありがとうと頭を下げた。

 再び母の手に戻された赤子は、乳を探り、元気よく吸い出した。

「ねえ、祥朗。実は、預かり物があって」

 華耶は微笑んで懐から紙を取り出した。

「ほっとしちゃった。女の子の名前はまだ考えてる途中だったから」

 言いながら差し出された紙を、祥朗は受け取って開く。

 涙で濡れた目が見開いた。

「兄様…」

 呆然と、呟く。

 紙には、『祥大(ショウタイ)』と。

 約束した、子供の名前。

 その横に小さく、『我が弟に捧ぐ』と。

「あれこれ考えて、幸の多い名前にしたいって。だから、その名前」

 紙面を見せられた夲椀も、泣き、笑った。

「ありがとうございます。華耶様、龍晶様…」

「私は横で見てただけ。彼がぶつぶつ言いながら考えてるの見てて、楽しかったから」

 皆で笑う。

 幸せはまだ、ここにある。

「気が早いかもだけど」

 華耶は微笑みながら言った。

「春音と祥大、仲春と祥朗みたいになれば良いよね」

 祥朗が深く頷いた。

 上げた顔に、晴れ晴れとした笑みがあった。

「なりますよ、きっと」

 夲椀が子の頭を慈しみ撫でながら応える。

「同じように三歳差ですね。ただの偶然ではないでしょう」

 十和の気付きに一同が顔を見合わせる。

「運命、なのかな」

 華耶が呟いて、そっと戸を開けた。

 暮れた空に、星が光る。

 空に向けて告げた。

「仲春、あなたの弟の子は男の子だったよ。私達に幸せを届けてくれる、可愛い子が産まれたよ」

 瞬く光は、優しく笑っているようだった。


 夜半、部屋に戻ると、寝息が聞こえた。

「…寝てんのかよ」

 苦笑いで呟いて、まあ良いかと布団を持ち上げ隣に潜り込む。

 薬無しで眠れるようになったのなら、それも進歩だと思って。

「…っ寝てない、よっ!」

 がばりと跳ね起きた。大焦りなのは見え透いている。

「すやすや良い寝息が聞こえたけど」

「寝てない!ちゃんと待ってた!」

「嘘を吐け。丸一日寝た癖にうたた寝かよ」

「だってやる事無いし、眠かったし」

「寝てたんだな」

「…はい。ごめんなさい」

 素直に頭を下げる。

 上げた顔を波瑠沙は笑った。

 朔夜も笑う。愛すべき日常を。

「やっと笑った」

 言いながらその笑顔を指先で持ち上げ、口で蓋をした。

 離しながら教えてやった。

「男の子だったよ。名前は祥大だ。龍晶が考えてた」

「あいつが?」

「約束してたんだって。名前を付ける事」

「…そっか」

 微笑んで。

「良かった。またあいつの家族が増えるんだな」

「ああ。なんせもう、春音と兄弟になる事が運命付けられてるからな」

「そっか。そりゃ良いや」

 笑って。見つめ合って。

「続きと行くか」

「波瑠沙がやりたいなら」

「お前は?」

「言う事聞くよ。これまでの詫びをしなきゃ」

「それじゃ仕方なくって聞こえるけど」

「いや、うーん、そうだな…」

 考えて、懐の中に入り込む。

「ここに居たら、いろいろ治りそうな気がするから」

「癒されたいのか」

「こんなの甘えてる?」

「甘やかしてやるよ。今日は」

 抱き竦められて。いくらか擽ったい気持ちで。

 傷付き、復讐に怒り燃える心をそのままに、さらに大きな柔らかなもので包まれるような。

 そんな、ひと時の幸せだった。


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