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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十二話 葬送
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4

 何かに抗うように刀を振り続けた。

 闇夜を切り裂く。その向こうに憎い顔を思い出しながら。

 奴を殺さねばならない。今まで逃げていた自分を責めている。早く、この決断をしておけば。

 悔いても悔いても、どの過去も変わらなくて。

 あいつの笑顔が脳裡に過ぎって、堪らなくなって地面に膝を付いた。

 まだ、泣けてしまう。涙が枯れない。

 早く感情を捨てたかった。悪魔に戻るのだ。

 そうでなければ戦いに行けない。己の甘さを捨てねば生き残れない。

 勝たねばならない戦いだ。

「いい加減にしたらー?」

 縁側に寝巻の波瑠沙が出て来て眠そうに言った。

 真夜中だ。彼女に悟られないようにしていたが、隣で寝ている以上所詮無理な話で。

 ここまで放っておいてくれたのは優しさだろう。

 頷いて、彼女の元に戻ろうとしたが。

 立ち上がった途端に脳天が揺れた。再び膝を付いて、吐けるものの無い胃液を吐く。

「なんも食ってないんだからそりゃ無理だよ。馬っ鹿だなぁ、もう」

 息を吐きながら、庭に降りてきた彼女に支え起こされた。

 涙の止まらない目は、縁側の先を見つめている。

 あいつが死んだ場所。まだ、そこに居るのだろうか。

 首から紐で提げた袋を握る。

「…まずは早く体を治せ。話はそれからだ」

 今は素直に頷いた。

 動けるようにならねば、何処にも行けない。

 抱き上げられて、元通り褥の上に運ばれた。

 寝かされて。まだ混乱して掻き回される頭を優しく撫でられる。

「水を飲ませてやろう」

 言って、いつも持っている竹筒に手を伸ばした。

 胃液で気持ち悪かった口内を流し、水分すら摂っていなかった体がそれを吸い込んで。

「涙になって全部出てるから、水も塩も足りんだろ?」

「…そんなに泣いてないよ」

「説得力無いなあ。自覚無いのか?今もぼろぼろ泣いてるぜ?朔ちゃん」

 自覚はあるけど。

 認めたくないだけで。

 波瑠沙は自分の荷物から干し肉を取って、齧って噛み柔らかくして、朔夜の口の中に移した。

 塩分が効いて本来塩辛いくらいの肉が、無上に甘かった。

 口を離して、次を齧る前にふっと彼女は笑った。

「早く自分で食えるようになってくれ」

 食えるよ、と反論しようと思ったけど。

 餌を待つ雛のように、彼女の口を期待して待った。


 あれ以来始めて、華耶が厨に立って粥を作ってくれた。

「我儘な愛しの朔ちゃんの為ならって事だろ?有難く頂けよ?」

 持って来た波瑠沙に揶揄われて、頬を膨らませつつも『いただきます』と匙をつける。

 飢え乾いた体に染み渡る旨さ。これでまた泣いてしまうと一生揶揄われるので、そこは我慢した。

「どう?朔夜。食べられた?」

 華耶も顔を覗かせた。疲れは見えるけど、いつもの表情に戻っていた。

「うん。滅茶苦茶旨いよ。ありがとう」

 なんとか笑って見せる。ついぞ動かしてなかった頬の筋肉が強張っている。

「あ、私より先に華耶に笑いやがって。この野郎」

「えっ?ええ?そうだっけ?」

「自覚無えのか馬鹿野郎。お前の笑う顔が見たいって言ったのは私だぞ!?」

「朔夜、ほら、波瑠沙さんに笑って!」

「は!?いや、それは無理」

「何が無理だこんにゃろー!」

 両手で頬を引っ張られる。とても妙ちくりんな顔になっている。

 代わりに華耶が笑っていた。

 それが嬉しくて。

 ここにあいつが居たら良いのに、と。

 そう思い出したらもう無理だった。

「あー、泣かせた」

「笑ってって言ったのに」

「お前が虐めるからじゃないか?」

 言いながら顔を出したのは燕雷。

「私は虐めた訳じゃないよ。夫婦のふれあいだよ」

 大真面目に波瑠沙が反論する。

「笑って更に揶揄ってやりたい所だが、まだそういう気になれねえな」

 燕雷の目は華耶に向いていた。

 伴侶を理不尽に亡くしたのは彼も同じだ。分かる部分はあるのだろう。

「別に揶揄わなくて結構。朔もまだ本調子じゃないし。元気のある時のこいつを揶揄うのが面白いんだよ」

「妙な言い分だな」

 燕雷は少し笑って、朔夜に向き合って座った。

「話は聞いた。どうして繍が出て来る」

 俯いて、強い意志とそれについて来ない心身の辛さを隠すように。

「それは俺が訊きたい…」

「訊ける相手も居ないしな」

 更に俯く。正式な尋問もせず殺してしまった責任はある。

「ただ…藩庸の尋問は宗温がしている筈だ。あの子供はそこに絡んでるんだろ?」

 はっと上げた顔で頷く。

 宗温に聞けば、何か分かる可能性がある。

「とにかく戔に帰ってみなきゃならんな。…しかし、この国も妙な所はある」

 ちらりと華耶を見る。

「聞かせて下さい」

 彼女は強く言った。

 燕雷は頷き、続けた。

「まず、韋星の部下だ。見張りに立っていた筈なのにあんなに怪しい奴を見過ごしている。お前が居なくなる隙を窺って何度もこの辺をうろついていた筈なのに」

「…それは俺も見過ごしていた」

「それは別に良いんだよ。お前は龍晶を見る事しか考えてなかったんだから。寧ろ、そういう勘が鈍ってるお前に俺は安心した」

 悄然とした顔になる。気付いていれば。

 波瑠沙が横から言った。

「虐めてんのはお前だろ。ちょっと加減してやれ」

「そうなるか。分かった分かった。気をつけるからもう一つ聞いてくれ」

 朔夜は頷いて先を促した。

「日取りがな、鵬岷が訪れてから間もないのも気になる。あの行列で居場所が割れたというのも考えられるが…。あの時、灌王が話を聞いていたんだろ?あいつが言う事に何か問題があったとしたら、始末を急がせたかも知れない」

「灌王が?」

「俺は絡んでいる気がしている。何も証拠は無いが」

 否、その証拠が王府の手緩い見張りなのだとしたら。

 寧ろ、手引きしたのではないか。珠音自身はこの場所をあの時まで訪れず、朔夜らが出て行った事実を教えていたとしたら。

 話は繋がる。朔夜が気付かなかったのはそういう事だ。

 だがそうなると、ますます分からなくなる。

 何故、繍が出て来るか。

「…確かに龍晶は鵬岷にまず、体が動けば今の世を引き倒しに動くと言っていた。それで危機感を持たれたとしてもおかしくない…」

「そこまで言ったか。そりゃ、灌としては見過ごせんな」

「灌と繍の繋がりって有り得るのか…?」

「それは分からんな。だがかつての戔の例もある。桓梠が何をするかは予測が付かない」

「あの野郎…」

 名前が出ただけで怒りの沸く所だが、それどころでは無くなった。

 眩暈がする。猛烈に眠気が襲う。

「ちょ…これ、なんか入れた…?」

 半分は平らげた粥。

「バレちまったか。祥朗から睡眠薬を貰った。あんまりお前がまともに寝ないから」

 波瑠沙の答えを聞いたが何も返せず、もう倒れるように布団へ横になる。

「ごめんね朔夜。お願いだから、休んで」

 それが二人の優しさだとは分かっているけど。

「勘弁して…。次は自分で飲む…から…」

 意識が途切れる。波瑠沙が毛布を掛けてやる。

「やるなぁ、姐さん達」

 何も知らなかった燕雷が苦笑いで言う。

「こうでもしてやらねえと、こいつ今自分を壊す事しかしてないから」

 波瑠沙は言いながら毛布から左手を出して確認した。

「…増えてる」

 手首の傷。

「仲春と同じ事してる」

 華耶が失望を隠せず言った。

「それが慰みなのか」

 燕雷が問うと、華耶は悲しげに笑って首を横に振った。

「朔夜は元々の癖だね。子供の頃の。そうやって、悲しさとか寂しさを紛らわせてたんだ。お父さんに振り向いて欲しくて」

 今、誰に振り向いて欲しいのかは明白だろう。

 心の奥底で呼んでいる。もう居ない相手を。

「…どうしたら救ってあげられるんだろ」

 波瑠沙は溜息で華耶の言葉に返し、左手を毛布に戻した。

 その手で銀髪を撫でる。頬に触れてもぴくりともしない程に眠りは深い。

 心身の限界は見ていて明らかだった。

「他人の事は良いけど、お前は大丈夫なのか」

 華耶に問う。彼女は弱く微笑んだ。

「私は春音に救って貰ってる。あの子が居ないと駄目だった。…それに、朔夜を見てると自分がしっかりしなきゃって思っちゃう」

「無理すんなよ。そりゃ後で反動が来るぞ」

「その時は波瑠沙さんに甘えるね」

「おう。どんと来いや」

 華耶は笑ってありがとうと返した。

「朔夜も思い切り甘えたら良いのに」

「こいつにしたら結構頑張って甘えてるんだけどさ、間に合わないんだろうな」

「そっか…。今は何しても埋まらないんだろうね」

「寧ろ復讐心で埋まっちまった。変な話、繍が出て来ないとこいつ、生きる気を失ってたと思う。今もだいぶ怪しいけど」

 燕雷を見て。

「そう思わねえ?そうじゃないと納屋の中で餓鬼殺して自分も死んでた気がするわ」

「…否定出来ないな。目先の目的が明らかになったから動けてるんだ。歪んでるけど」

「無理矢理自分を誤魔化して動いてんだ。昨日の夜もずっと刀振ってた。体が疲れて眠れりゃ良いと思って放っといたけど」

 結局、それでも碌に眠れずに居たようだからこんな強行手段を取ったのだが。

「波瑠沙さんこそ倒れないでね。朔夜に付き合い過ぎたら体に毒だよ」

 華耶の心配に笑みを見せて。

「ああ。分かってる。適当に放ってるから大丈夫。こっちも疲れたらこうやって強制的に寝させるし?」

「本当に、良い人にお嫁さんになって貰ったね、朔夜は」

 姉のような笑みで言って、華耶は食べかけの粥を持って立ち上がった。

「そろそろ春音がお昼寝から覚めるかな」

「坊ちゃんの具合はどうだ?」

「大丈夫。元気だよ。遊び相手が居なくてつまらなそうだけどね」

「燕雷、行ってやれよ」

「俺?しょーがねーな。九十の爺さん直伝の竹馬でも教えてやるか」

「もうそんな事出来るのかな」

「やってみりゃ出来るよ。あいつ親父に似ずに体を動かす勘は良さそうだ」

「そこは実のお父さんに似たんだね」

「そこだけな」

 二人は笑いながら部屋を出て行った。

 残された波瑠沙は大欠伸をかまして、朔夜の横に寝転がった。

 夜中に起こされるから眠くて仕方ない。変な時間だが、そこは付き合って寝る事にした。

 それにしても燕雷は余計な事を言った。

 灌がこの一件に関わっているとしたら、朔夜の復讐相手が増えるだけだ。実際に動くかどうかはまだ分からないが、実行すればまたこいつは己を削るだろう。

 また無邪気に笑う日が遠くなる。その笑顔が見たいのに。

 もしかしたら、繍で過ごした時のように笑顔どころか人の心をも無くしてしまうのではないか。

 それを危ぶんでいる。

 寝入ってそう時間の経たぬ時、大きな物音で目が覚めた。

「…おい!」

 褥を抜け出した朔夜が倒れている。手に己の得物を握って。

 まだ薬が切れるほど時は経っていない筈だ。そのせいか、体が思うように動かないらしく重い動きで床を這っている。荒い呼吸が聞こえた。

「この馬鹿!どういう無理をしてんだ!?」

 体を抱え止める。それでも抵抗された。抑える腕を引き離そうと、藻掻く。

「寝てる暇なんか無えんだよ!頼むから放っておいてくれ!」

 叫び返されて、苛立ちが先立ち舌打ちした。

 腕を押し返すように放す。勝手にしろと。

 自由になった朔夜は一度頭を沈めた。荒い呼吸の合間で泣き声のような言葉を吐く。

「桓梠が…この世で一番憎い野郎が、誰よりも大切な友を殺すなんて…そんな事許されねえんだ…。世界中の人間が許して見過ごしても、俺は絶対に許せない…。奴を殺さなきゃならない。殺さなきゃ、俺は…」

「その為に今やるべき事は何だって言ってんだよ」

 冷たく波瑠沙は言い捨てた。

「そんな体で刀を振る事か?それで目的に近付くとでも?他人どころか己にも打ち克てないお前に何が出来るってんだ」

「…俺が弱ければ悪魔が出て来る。奴なら、あんな国も飲み込めるだろう」

「それじゃ駄目だろ!お前がお前のまま強くなるんだろ!?」

 胸倉を掴んで頬を殴り飛ばした。

 軽く、力の無い体は簡単に戸板へ打ち付けられた。そしてそのまま、ぐったりと。

 目は薄く開いたまま。

 やり過ぎたかと焦って頬に触れた。

「波瑠沙…駄目なんだ、俺は」

 細い、泣き声で。

「弱いから、何も直視できない。認めてやれない。あいつがもう居ない事」

「朔…」

「何も見えない。…怖い」

 闇の中に取り残された、壊れた心を抱いてやる。

 それでも一つ言葉として発する事が出来た。

 藻掻いている。この闇を抜けようと、無意識にでも。

「さくー、はーさ」

 凭れた戸の向こうで声がした。

「みてー!」

 波瑠沙が朔夜の横の戸を開ける。

 得意満面な幼い顔があった。

 手作りの竹馬を操って歩いている。

 波瑠沙は笑って応えた。

「すげえなお前!上手なもんだ」

 昨日の影はもう微塵も無い。

 見えぬ手に抱き止められるように、ふわりと地面に降りる。

「…見ろよ、朔。あいつはここに居るぞ」

 ゆるゆると朔夜は背中越しに振り返る。

 友に守られる笑顔。あいつの願い。

 この子から、笑顔と幸せを奪ってはならない。

 春音は二人の元に走り寄って来、縁側へと手を伸ばした。

 摘んだのは、そこに落ちていた赤蜻蛉。

「しんじゃった」

 言って見せて、燕雷の元へと駆け戻っていく。

「とんぼさん、しんじゃったよ。えんらい、もやしておそらにもどそうよ!」

 呆然と、二人は幼子の行動を見ていた。

 彼は、彼なりに、全てを理解して、受け止めて。

「…お前にも出来るだろ。出来なきゃ嘘だ」

 波瑠沙は朔夜へと呟いた。

 これまで多くの死を受け止めてきた彼は、がくりと頭を落とすように頷いて。

 目元を拭った手で床を這い、褥へと戻った。

 俺が俺じゃなくなっても――否。

 俺は俺のまま。

 このまま、お前に恥じる事なく、強く。

 戦うべき敵に、立ち向かう為に。

 血を流し、痛む心のまま。

「…おやすみ」

 愛する人の手に包まれて。

 まだ独りではない安寧の中で、意識を溶かした。


  挿絵(By みてみん)



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