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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
最終話 決着
50/53

8

 頭から毛布を引っ被った下で泣き声が続いている。

 目が覚めるとずっとこうだ。燕雷は頭を掻き毟った。

 波瑠沙が行くと同時に暗枝阿も消えた。お陰でこいつと二人きりで山の中。

 暇で暇で仕方ない。

 朔夜は泣くだけ泣いて疲れたら寝てしまう。その繰り返し。

 どうせまだ動けないしそれが狙いでもあったので良いのだが。

 それにしてもなあ、と思いつつ。

 無理矢理毛布を捲る。

「飯は食え。治るもんも治らないから」

 赤く腫れ上がった目が向く。

 渋々と言った様子で上体を起こす。それが出来るくらいには回復した。

 粥を押し付けると、力無く受け取られて重い溜息を吐きつつ口に運ぶ。

「お前さあ」

 心底呆れて口を開くと、首を緩く横に振られた。

「何も言うなよ。自分で情けないのは分かってるから」

 抑揚の無い声。周囲が静かだからやっと聞き取れる。

「こんな時に何やってんだろ、俺」

 匙は無意味に椀の中身を掻き回している。

「華耶を助けに行かなきゃいけないのに。龍晶との約束があるのに。命懸けの復讐の最中だってのに。どうしてそんな大事な事が全然考えられないかな」

 やっと一口、粥を口に入れて。

 飲み込むと、またぶつぶつと続ける。

「確かに俺は裏切れって言ったよ。言ったけど、我儘言うなって怒ったじゃん。生きるも死ぬも一緒だって言ったじゃん。嘘だったのかよ。いや嘘でも良いよ。あいつが生きるなら。俺はそれで良いのに」

 掻き回す動きがだんだん大きくなる。

「そういう奴だって分かってたよ。飽きっぽくてさ。移り気でさ。にこにこ笑いながらぶん殴ってくるような奴だよ。すぐ足蹴にするし。でかいし。馬鹿力だし。威圧感凄いし。口悪いし。馬鹿にしてくるし、子犬扱いだし」

 堪らず燕雷は顔を背ける。顔を手で覆って見えないように。

「すぐ人前で脱ぐ癖とかどうにかならないのかな。ほんっと嫌なんだけど。あとあのやらしい事言う癖もさ。それしか考えてないだろ絶対。男かっての。親父臭い。あいつが助平親父だろ絶対」

 ふるふると燕雷の肩が震える。堪える腹筋が痛い。

「大体、俺を好きになる時点でどうかしてるよ。本当に好きだったのかどうか知らないけど!でも強い男が好きって言ってたから、こんな姿見て見限ったんだろどーせ。そりゃそうだよ。当たり前だよ。でもこっちだって好きで黒焦げになったり足捥げたりしてんじゃねえっての!」

 がつがつと匙が椀の底に叩き付けられる。これ以上ふやけた雑穀を柔らかくしてどうするのか。

「どうせ俺が好き勝手に始めた戦だよ!反対しなかったのはお前だけだったのに!自分が戦いたいからだとしても俺はそれで良かったよ!こんなに心強い味方は居ないもん!お前となら生きていけるって本気で思ったよ!そう思えたんだよ、やっと、最近になって!その瞬間にこんな掌返しってある!?最後も庇ってくれてたのに。でもそれで俺が弱いって分かったんだよな。それで愛想尽きたんなら仕方ないよな…」

 はあ、と体中の空気を溜息にして吐き出して。

 椀はからんと地面に置かれて、両手で目元を押さえる。

「お前はどうであれ、俺は好きだった。本気で好きだったのに。なんだこれ。滅茶苦茶惨めじゃん…」

 燕雷は留めを刺されて我慢の限界、声高らかに笑い出した。

 その存在を忘れかけていた朔夜ははたと顔を上げた。あんぐり口を開けて、横で笑い転げる保護者を見る。

「ちょっともう、勘弁してくれ!可笑しすぎて腹が痛いぃ!」

 呆然と見ながら自分の言った事を思い返して。

「べ、別に、お前に言ってた訳じゃないからな!?独り言だからな!?」

「分かってる…ああしんどぉ!」

 笑い過ぎて酸欠状態。

 ひーひー言いながら息をして。

「お前が彼女を好き過ぎる事も分かってたよ。分かってたけど予想以上のヘコみっぷりだよな。あいつに見せてやりてえ」

「また馬鹿にされるだけだし!」

「だから見せてやりてえって言ってんだよ。いやでも、嬉しいと思うぞ?何発殴られるかは保証しないけど」

「やだ。絶対やだ。ぼっこぼこにされる」

「そりゃあれだけ悪口言ったらな。お前の言う事は尤もだと思うけど。うん、あの癖は酷い」

「そうだよな!?燕雷が言うなら間違い無いや。俺が変なのかと思ってた!」

「どう考えても変なのはあのお嬢さんだから安心しろ。でもそこが良かったんだろ」

「そこがじゃない。それは断じて違う」

「どうかなあ?自分に無いものって魅力的に映るからな。しかもお前、結構影響されてるし」

「されてないぃっ!!」

 ぶんぶんと両腕を振る。全く子供染みた仕草。

「ま、良かった。元気になって」

「これのどこが元気なんだよ!?」

「そういう所」

「お前が居るからだ!楽天主義の権化め!」

「それそれ。彼女が感心してたぞ。言い得て妙だって」

「もうあいつの事は聞かせんな!!」

 泣きなのか笑いなのか大混乱。

 よっぽど本当の事を言おうか迷ったが、もう少し黙っておく事にした。

 まだ完治ではない。立ち上がれもしない。

 尤もそんな事が理由ではなく、見ていて面白いからだが。


 それから三日後に立てるようにはなった。

 ふらつく足元で刀の素振りをする。跳び上がって足を付くとまだ痛むのか、脱力して何度も倒れているが。

「あー…もう、足だけはやめて欲しかった」

 燕雷に腕を引かれて起き上がる。

「前も苦労したからなあ?」

「お陰でずっとあいつの世話になって、おんぶまでされて…いやなんでもない」

 ぷぷっと燕雷は吹き出す。

 話を出すなと言う割には自分から喋る。

「どうやってこれで華耶を助けりゃ良いんだろ」

 頬杖を突いて悩む顔に、一つだけ教えた。

「華耶の代わりを今頃波瑠沙がやってるから、そんなにお前は焦らなくて良いんだよ」

「…どういうこと?」

「詳しく聞きたい?聞いたらお前、また泣いちゃうよ?」

「……もういい!遠慮しとく!」

 不貞腐れた。

 未練たらたらと言うか、未練しかない。

 それで当たり前だし、それで良いんだけど、と思いつつも燕雷はそれ以上は黙っておく。

 朔夜はどうにか自力で立ち上がって再び素振りを始めた。

 踏ん張りはどうにか効いている。跳ばないよう単調な腕のみの素振りにしたようだ。

 空気を切る音はまだ弱々しい。それが自分でも分かっているのか顔は険しい。

 手を止めて、溜息。

「…戻らない」

「だから、焦るなって」

 一日で体は元に戻らない。寧ろ、あれだけの大怪我をしてたったこの数日の期間で立ち上がれるようになっている事が奇跡だ。

「焦っても良い事にならないぞ。ゆっくり構えろ。こういう時こそ」

 朔夜はゆるゆると顔を上げた。

 その目がひたと据えられている。

「そうも言ってられないみたいだ」

 人の気配。

 それも、一人ではない。

 多い。そしてこれは。

「軍だ。逃げるぞ」

 さっと馬の元へ向かう。

「え…え!」

 燕雷はやっと把握して自分の馬の元へ走った。

 山の下から、囲うように人が並んで迫ってくる。山狩りだ。

 目的は言わずと知れている。

 朔夜は悔しげな目をしながら馬腹を蹴った。だが蹴る力が足りず腕を伸ばして馬に合図する。

 可能ならば敵を蹴散らしたい。そう目が言っている。だが今は無理だ。

 その判断が出来るだけ燕雷は安心したが。

 少し馬を走らせた所で朔夜は手綱を引いた。

 こちらからも軍勢が迫っている。

「あれは…苴?」

 鎧を見て朔夜は言った。

「戔兵も居る。ここで繍軍と一戦交えるつもりか…?」

「そうじゃない。逃げろ、朔!」

 こちらの姿を発見した兵が弓を構えた。

「なんで!?」

 苴はともかく、戔は味方だ。

「いいから!」

 矢が飛んだ。

 馬を返して道を引き返す。

 だが、繍軍がすぐに視界に入った。

「囲まれた!」

「どうしてだよ!?戔は…」

「戔も何も無えよ!皓照の軍だ!」

「えっ…」

 飛んできた矢が体を掠めた。

 馬の方が危機感を覚えて立ち上がり避ける。均衡を崩しかけ、慌てて朔夜は馬から転がるように降り、背丈ほどある草の中に身を潜めた。

 馬が駆け逃げていく。

 同じように下馬した燕雷が隣に並んだ。

「戔軍も皓照が握った。目的はお前だ。灌は華耶を差し出す事で皓照に協力している。そのうち兵も出すだろう。つまりお前は四ヵ国に狙われている…!」

 目を見開き、首を振って。

「なんでそんな事に」

「全部皓照の計算だったんだよ」

 兵が迫る。前からも、後ろからも。

 頭上は矢が飛び交っている。

「お前が今手負いである事は繍を通じて全軍が知っているんだろう。だからこのザマだ」

「燕雷…」

 歯を食い縛り、激情に耐え、そして吐き出すように。

「お前は向こうに行けよ。死ぬぞ」

「今更だよ!」

 見返す目は切羽詰まって濡れている。

 ぐっと、その頭を掌で抱えた。

「どうあっても俺はお前から離れる気は無いからな。言ったろ、我が子のようなもんだって」

 掌の中で頷く。

「だったら…」

 泥の中に付く手で、刀を握る。

「死なないように隠れていてくれ」

 立ち上がり、横に走り出した。

 矢がその姿を追う。が、その速さに追い付かない。

 姿は草の中に潜って消えた。

 掻き分けて進む音、倒れていく草がその居場所を知らせる。

「斬れ!斬りかかれ!」

 繍の方から号令が掛かった。兵達が動く。

 負けじと苴戔の兵も動いた。

 包囲が一気に狭まる。

 数千という兵が、草の中の一つの窪みに殺到した。

 白刃が燦く。振り下ろされる、その時。

 細かく千切れた草が旋風の中に舞った。

 最前に居た兵達が倒れる。その姿は叢の中に消えた。

 間を置かず、血飛沫がそこかしこで上がった。時折、きらっと鉄が日を跳ね返し光る。

 男の悲鳴が上がる。その悲惨さは夏の緑の中に隠されてゆく。後続は何が起きているのか把握出来ないだろう。

 だが、確実に、何かが起きている。

 誰もが理解し難い何かが。

 次々と兵が倒れる。その体に立ち草は倒されてそこだけがぽっかりと開けてゆく。

 その範囲が徐々に、しかし凄い速度で広くなってゆく。

 燕雷は眩暈のするような思いでその様を見ていた。

 そもそも立ち上がるのもやっとだったのだ。走る事から常軌を逸している。

 関係無いのか。

 その体がどういう状況であろうと。

 あれは、悪魔の身だという事なのか。

「退却!退け!」

 悲鳴じみた命令が響き渡った。

 兵は我先にと来た方向へ戻ってゆく。

 追う者は無かった。

 山が再び静けさを取り戻した時には、日は西に傾き赤く染まっていた。

 燕雷は草を掻き分け、草が踏まれ開けた場所を目指す。

 屍の臭いが鼻を突いた。

 やがて夥しいそれが見え、その血の海が地面に吸い込まれてゆく微かな音が聞こえ。

 その中心に。

「…朔…」

 否。

 月だ。

 夕暮れの赤い光の中で、それは白く発光していた。

 ぼうと立って、両手の刀から赤い液体を滴らせたまま。

 目はどこも見ていない。

 ただ、そこに、在る。

 燕雷は足を止めて見ていた。魅入っていた。

 何度もその姿を見ているが、ここまで釘付けになった事は無かった。

 命無き世界の、唯一の絶対的な生命。

 単純に、美しいと思った。

 ふっと、視線がこちらに向いた。

 が、その瞬間瞼が閉じて。

 身が崩れ落ちた。

「朔っ!」

 屍を踏んで駆け寄る。

 両手に抱えた体は、それも屍のように冷たい。

 微かな呼吸。

 細く、しかしどうにか続けられる命。

 今はただ眠らせる時だ。

 またすぐに、嵐は来る。


「また失敗したか」

 特に感情の無い声で桓梠は報告をする影に返した。

 兵が撤退した数刻後。既に夜の帳が下りていた。

 波瑠沙は贅を尽くした夕餉を黙々と口に運んでいる。向き合う桓梠の前にも同じ皿が並んでいる。

「三ヶ国の兵を退かせたか…。足はまだ動かないのでは無かったのか」

「悪魔の力を使ったようです。信じられない速さで動いていたとか」

「今頃反動が来ているだろう。夜を徹して探せと伝えろ」

「は」

 影が退がる。波瑠沙は口を動かしながら視線だけ目前の男に向けた。

「眠っているところを生捕りにする」

 確定事項のように桓梠は言い切った。

「確かに今頃ぐっすりだろうね」

 咀嚼しながら喋る。王妃にあるまじき行儀の悪さだ。わざとだが。

「捕らえたら調教し直してやってくれ」

「私の言う事を聞くかなあ?裏切った女なのに」

「無理なら殺す」

 当然のように。

「殺してその肝を頂く。ああ、不老不死になると子を作れぬと言うから、その前にお前を孕ませないといけないが」

「不老不死になって子供も欲しいって、どういう人生計画なんだか」

 あからさまに呆れた口調で問うと、正面の顔は愉しげに笑った。

「全ては権力を永遠に握る為の布石だ。王というのは案外窮屈でな。子を王位に付けて、私は裏から歴代の王を操る。それが一番良い」

「悪い奴だ」

 呆れに笑いを混じらせて波瑠沙は言う。

「その悪い男に相応しい女だろう、お前は」

 言葉に、にっこりと笑う。

「お褒めに預かり光栄だね」

 桓梠は椅子から立ち上がった。波瑠沙の前まで来て、手を差し出す。

 その手を取って波瑠沙も立ち上がる。

 並んで歩きながら腰に手が回される。

「お前を抱きながら悪魔の到着を待つとしよう」

「あれ?今日は縛らなくて良いの?」

「もう良いだろう。お前の体に嘘は無いと分かった。それに今宵はあの餓鬼に見せつけてやりたいからな。さぞ気落ちするだろう」

「子供に刺激の強いもの見せつけるねえ。ま、自分では大人になったって思ってるみたいだから、その甘さを分からせてやるのも良いけどさ」

「絶望の中で死んで貰おう」

 そうはさせるか、ばーか。

 腹の中で呟きながら、寝台の前で衣を脱ぎ去る。

 すぐに後ろから腕が伸びてきて、身の自由を奪った。

 女の毒気にも気付かずに。

 あいつは死ぬ訳が無い。そう信じているから。

 今宵も甘い毒を飲み、飲ませる。先に効くのはどちらだろう?


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