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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十二話 葬送
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3

 明かりの無い納屋の中で、一人の少年がぐったりと項垂れていた。

 朔夜は彼に己の姿を見た。

 同じだった。罪を犯しながら死ねない。誰も殺してくれない。しかしまた恨みの為に立ち上がる。壊れそうな心の声に蓋をしながら。

 少年の前に膝を付いた。

「…覚えているか、俺を」

 彼は頷いた。

「殺したい奴の顔を忘れる訳が無い」

 あの日、この少年の仲間を殺しまくった。龍晶と華耶を守る為だった。

 一人残された彼も処刑すべきだと主張したが、あいつは許さなかった。

「お前の名を聞いておいて良いか?俺は朔夜という」

「珠音」

 己に重なりそうだった憎しみに名が付いた。

 しかしこの名前。あいつは知っていたのだろうか。

 希望である我が子と、絶望を齎した奴が、ほぼ同じ響きを持つ名前だとは。

「…あの時の続きだったのか?討ち漏らした的を仕留める為に。それとも仲間への弔いか」

 動機を訊く。珠音は首を振った。

「それもあるが一番の目的は違う。藩庸(ハンヨウ)様を目の前で殺された、その復讐だ」

 朔夜は双眸を鋭くして少年を見返した。

 彼は真っ直ぐに睨み返している。

「あんな殺され方…許される筈が無い。王だからって、あんな暴虐が許されるような…そんな世界に生きる気は無い。憎いんだろ、俺が。殺せよ」

 龍晶は言っていた。藩庸を切り刻めば気が済むかと思った、と。

 だが結果、更に気を病み苦しむ事になった、と。

 同じ思いをお前にして欲しくは無かった。そう言ってくれた。

 俺はまた、その想いを裏切る。

「…殺してやるよ。そうやって生きる事の辛さは知ってるから、楽にしてやる。だから…答えろ」

 朔夜は刀を抜いた。

「誰がここに居ると教えた?お前一人じゃ辿り着けない筈だ。お前に指図した人間が居るだろう」

 珠音は白目がちな目を上に向けて朔夜を睨み、口元は不敵に笑った。

桓梠(カンリョ)様だ」

「…は…?」

 頭が真っ白になった。

 何故、何故今ここで、その名前が出て来る。

 体が震える。恐怖か、怒りか、憎しみか。

「桓梠様は、月夜の悪魔を(シュウ)でお待ちになっている。だから俺が遣わされた」

 問う声も出なかった。混乱していた。

 何が、どうなっている。

「俺があの愚王を殺せば、悪魔は必ず繍に来るだろうと仰って――」

 叫んだ。叫びながら刀を振り上げた。

 理性が入り込み、即死となる傷にはならなかった。だが身から血が噴き出る。

 否。こいつは、龍晶を殺した男だ。

 朔夜は再び刀を振り下ろした。箍が外れた。何度も滅茶苦茶に刺した。息絶えたと分かっていても、何度も。

 だって。

 こいつが居なければ。

 今ごろまだ、あいつは笑って。

「もうやめとけ」

 背後から冷静な声が響いた。

 手を止められぬまま、返した。

「向こう行っとけよ。お前まで殺してしまう」

 波瑠沙は朔夜の後ろに胡座をかいて座った。

「やれるもんならやってみろ」

 漸く、手は止まった。

 ゆっくりと、振り返る。

 血の涙が、頬に赤く筋を作っていた。

「ただし、タダでは殺されてやらねえけどな」

 波瑠沙は言いながら、手を伸ばし、涙を拭ってやった。

 刀を落とす。

 胸の中に頭を沈めて。

 言い知れぬ苦しさを味わいながら。

「はーさ」

 幼い声が現実に頭を引き戻した。

「お前は見るなっ!」

 すぐさま波瑠沙は立ち上がり、春音の身を庇うように抱き上げた。

 しかし幼い目がしっかりとこの光景を見ている事を、朔夜は確かめてしまった。

 とても――とても、あの小さな心で受け止められる光景ではない。

 二人の影が遠去かる。

 朔夜は己の罪を知った。

 体が震える。先程より、余程酷く。

 謝るな、とは何度も言われたが。

 もう謝って済む罪ではない。

「…どうすれば良い…!?」

 許してくれる?否、許される罪ではない。

 この瞬間は、未来永劫、お前に恨まれても仕方ない。

「教えてくれ…龍晶…どうすれば…!?」

 俺のようにならせるな、と。

 そう言われたばかりだ。

 なのに。

 俺が、あいつを壊した。

 また。

――また。


 普段あんなにお喋りなのに、何も言わなくなった。

 震えている小さな体を抱き締めて、長屋へと駆け込む。

「おい、春音…何か言え!」

 無茶だ。もう限界だった。それは火葬からの一連の出来事だ。

 幼い心では見たものを処理出来ない。

「とーと、たすけて…」

 小さな声にはっとする。

 喘ぐ息。体が熱い。心の限界が体に表れている。

「とーと…」

 最愛の父を探す目。

 見えた方が良い。そんなの断然そうに決まっている。見えて、触れられて、抱き締めて貰える、その父を探して。

 なのに、龍晶はもう居ない。

 誰か早く来てくれ。波瑠沙は内心で悲鳴を上げた。

 この子を抱いたまま再び人を呼びに丘へ上がる勇気は無い。あれは、父を燃やした場所だ。

 まだこの子の中で父親は生きていた。死が理解出来ないのだから当然だ。それが炎に包まれて。

 早く気付けば良かった。何も見せずにここに残しておけば良かったのだ。

 だけど、朔夜のあの所業は。

 否、自分が居たら止められていた。

 だが、全て終わった事。過去は変えられない。それが一寸前の事だとしても。

「たすけて」

 幼子の呟きは、そのまま波瑠沙の内心の叫びだった。

 助けてくれ、龍晶。この子を救ってくれ。

 それがお前の本望だろ。頼むから、この子の為に。

「とーと」

 その呟きは、これまでの見えない相手を呼び寄せる声ではなくなった。

 もっと近くに居る、そこに居る大好きな父を呼ぶ、いつもの声。

 え、と小さく波瑠沙は声に出した。

 春音の目は、確かに何かを見ている。

「とーと、とーとのまーまだね。うれしいね」

 幼い笑顔。

「とーとあえてうれしいね。よかったね」

 人が風を切って近寄る気配が、頬に触れた。

 それを裏付けるように波瑠沙の懐の中で仰向けになっている春音の目が真上へと向く。

 居るのか。ここに。

 風が、声になって、微かに聞こえた。

 俺がお前を守ってやるよ。

「あんがと、とーと」

 こくりと、幼子は眠りに落ちた。

 波瑠沙は視線を巡らせた。

 何の変哲も無い、いつもの長屋。

 誰も居ない。

 居ないけど。

「…なあ、そこに居るなら、さ」

 虚空に向けて、呟く。

「朔にも会ってやってよ。じゃないと、あいつ…」

 痛い程の沈黙。

 春音の、愛すべき寝息だけ。


「これが下手人か」

 韋星が苦い声で言った。

 燕雷は肩を竦めるだけ。

「誰がやった」

「罪に問うか?」

「…いや」

 そんな事をした所で意味は無い。

「ついでに燃やそう。いつまでもこう血生臭くてはかなわんだろう」

 長屋では華耶が拾った骨を入れた壺を抱き、寝かせた我が子を見つめていた。

 波瑠沙は何があったか全て言って聞かせた。

 隠しようが無かった。納屋で朔夜は倒れていたのだから。

 己の手首を切っていた。首じゃないだけまだ良いかと波瑠沙は思っている。

 これで死んで逃げるようだったら許さない。蘇った頬をぶん殴ってやる。

「…仲春(チュウシュン)はまだここに居るんだね」

 隠しては救いが無さ過ぎるのでそれも言った。

 幻覚とか、気の迷いとか、そういう類のものでは無いと思う。確かにあいつはここに居た。

 華耶はそれをそのまま信じた。そうしてくれると思ったから喋ったのだが。

 春音は落ち着いてすやすやと寝ている。その顔を母は撫でる。

「お義母(かあ)さまと会えたんだね。春音はそれを見たんだ。…良かった」

 波瑠沙は小さく頷いた。

 華耶は微笑みながら、止まらない涙を流している。

 その顔を上に向けて、見えない愛しい人に向けて言った。

「良かったね、仲春。ありがとう…この子を守ってくれて」

 風が、笑った気がした。

 優しく、ちょっとだけ照れながらそれを隠すように。

「波瑠沙さん」

「ん」

「朔夜に会える?」

「…見て来る」

 立ち上がる。ありがとう、と下から言われた。

 土間では十和が夕食の支度を始めている。

 時は進む。どんなに止めたいと願っても。

 あいつにそれが、解るだろうか。

 戸を開く。血の臭いが部屋中に立ちこめている。

 まだ仇の血を全身に纏わせたまま。切った手首にだけ包帯が巻かれているが、そこにも血が滲んでいる。

 朔夜は微かに目を開けた。

 見つけた時は意識が無かったが、この間に目覚めたのだろう。

「馬鹿」

 とりあえず言いたい事を言う。

 色の無い唇が小さく引き上げられ、戻った。

「春音は何とか落ち着いたよ。あいつの父親のお陰でな。子供は純粋だから、見えないものもちゃんと見えるみたいだ」

 不思議そうに目が向けられる。

「龍晶があの子を救ったんだ。私もそう感じた。残念ながら見えないけど」

 虚ろな目に、涙が滲んだ。

「お前はまたあいつに借りを作ったんだよ。まあ、どっちが借りが多いのか私は知らないけどさ」

 自分達だって知らないけど。でも。

 返せるんだろうか。返せるなら、返してやりたい。

 瞼を閉じる。透明な雫が流れた。

「華耶が会いたいってよ」

 本来の目的を告げる。

 朔夜は緩く首を振った。

 合わす顔が無い。

「ま、呼ぶけど」

 見事に裏切って立ち上がる。

 一人残されて。

 ただただ、意味が分からないくらい苦しかった。何かを考える余裕も無い。

 首を斬れば良かったと思った。だが出来なかった。何故か。

 まだ早いのだ。もう少し、生きるべき目的を知ってしまったから。

 苦しいのは、そのせいだった。

 但し首を斬った所で皆が蘇らせてくれようと動くのは分かっている。その手間が申し訳無い。華耶の負担が増す。

 そして、今死んだら多分、戻る気を無くす。

 あいつに怒鳴られながら、同じ場所に行こうとするだろう。

 そうしたかった。

 戸が再び開く。二人の顔が覗いた。

「朔夜」

 華耶が呼ぶ。いつものように、その名前で。

 俺が俺じゃなくなっても。

「これ、朔夜に持ってて欲しいんだ」

 枕元に座って、親指の先ほどの小さな巾着袋を差し出した。

 切っていない右手を持ち上げて、受け取る。

 なんとか片手で袋の口を開ける。

 中にあったのは、小さな、白い。

「…何かは聞かないでね」

 聞かずとも解るというものだ。袋ごと握り締めて。

 また溢れるものを見せたくなくて、歯を食い縛った。

「朔夜が落ち着いたら、北州に帰ろうと思う。それが彼の願いだから。お義母さんと同じ場所で眠りたいって。…一緒に来てくれる?」

 頷く。耐えられなくて、嗚咽が漏れた。

「泣いてよ。朔夜。お願い。思い切り泣いて?またあの頃みたいに我慢させるしかないの、私が情けないの」

 泣くに泣けず心を無くした繍の奴隷時代。

 まだこれは、あの頃の続きだった。

 気付かなかっただけで。

 気付いていれば。

「華耶…ごめん」

 震える、細い声が出た。

「まだ俺は、あの頃の俺だ…」

 涙を溜めた目は、据わり、冷たく、鋭い。

「ケリ付けに行くから。あいつの復讐も。…許して」

 華耶の目は怯えた。

「どういう事だ」

 波瑠沙が問う。

「俺が訊きたいくらいだが…。あの餓鬼が言った。黒幕は、繍に居る桓梠だと」

「…え…!?」

 その名に驚き慄くのは、華耶も一緒だ。

「知ってる奴なのか」

 朔夜は頷く。

「俺達二人を殺そうとした奴だ」

「そいつが…龍晶を…?」

「それで俺を繍に呼ぶと言った…!」

 荒れ狂う怒りが左手で床を叩かせた。

 また血が滲む。塞がりかけていた傷が開いた。

「朔夜、落ち着いて!お願い!」

 華耶が悲鳴を上げて懇願した。

 尤も、それ以上は朔夜も無理だった。

 体以上に、頭が保てない。

 荒い息を吐きながら、固く瞼を閉ざして、右手で友の骨を握る。

「…罠だろう」

 冷静に波瑠沙が言った。

「ああ。でも、行く」

「付き合うよ」

 間髪入れぬ言葉に目を開く。

「駄目だ。罠なんだろ?お前が危ない」

「そっくりそのままそれをお前に返してやる」

 呆気に取られた朔夜の顔を、波瑠沙はにやりと笑って。

「私は強い。そうだろ?良い味方じゃねえか」

 何も言えず、新たな涙がじわりと浮かんだ。

「…朔夜」

 華耶が、優しく微笑んで言った。

「帰って来てね。必ず」

 何度もこうやって、待たせて。

 諦めかけて。でも、また、こうして。

「私が居るからには大丈夫だ。首根っこ捕まえて華耶の所まで必ず帰す」

 波瑠沙の言葉が心強い。

「だがその前に、戔に帰るぞ。あいつの魂を落ち着かせて、ついでにお前も落ち着け」

 はっきりと頷く。そうせねば立ち向かえる敵ではない。

「朔夜が動けるようになるまで待つから。でも、焦らなくて良いからね」

 華耶の声はどこまでも優しい。

 この二人に、救われている。

 掌の中の友に、詫びるように。

 龍晶、お前はこんな事望まないだろう。それは知っている。多分、全力で怒鳴って殴ってでも引き止めてくれると思う。

 だけど、俺は。

 これは俺自身の戦いだ。それならお前は止めないって分かってるから。狡いけど。

 悪い奴は俺が皆仕留める。それで華耶を守る。

 それが俺の役割だ。

 済まない。だけど、悔いはしない。

 見ててくれ。これを終えれば俺は刀を置ける。人になれる。

 だから、それまで。

 華耶を、春音を、守ってやって――


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