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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
最終話 決着
49/53

7

 夜道に人影が浮かんだ。

 手燭を翳し、それが確かに人である事を確かめて、口の端を吊り上げる。

「お迎えか?」

 影に向かって問う。

「お前にその気があるのなら」

 闇夜から声が返った。

「主人の妾になる女だ。せいぜい丁重に扱うんだな」

 鼻で笑いながら波瑠沙は言った。


 日が昇り中天に差し掛かる頃、繍の王城の中に波瑠沙の姿はあった。

 王宮に隣接する桓梠の私邸。その立地、建築に登り詰めた権力者の姿が窺える。

 無論、王宮育ちの波瑠沙には所詮臣下の見栄に過ぎないと冷めた目に映る。

 瀉冨摩(シャフマ)の例もある。権力など、崩れれば一瞬。

「お前の身支度だが」

 先導する影が言った。

「どうしても妾となりたいと言うのなら、着飾る時を与えてやっても良いが、どうする」

「私はどっちでも?身一つで惚れさせる自信はあるんでね」

「ほう?大した女だな」

 影はせせら笑った。

「ならばこちらも、お前が怪しい素振りをした瞬間に仕留める自信はあると言っておこう」

「一瞬で殺されてはやれないなあ。私もそっちの自信はあるんでね。例え裸に剥かれてたとしても」

「その顛末は聞いている。月と二人、裸のまま我らの軍を殲滅させたのだろう?」

「あれはお陰様で楽しく遊ばせて貰ったよ」

「だが勘違いするな。あんな雑魚共と私は全く違う。月が影に呑まれた事を忘れたか」

「あれは卑怯だって。お前の実力じゃないもん」

「どんな手を使おうが勝つべきなのが我々の勝負だ」

「普通にお前らの斬り合いが見たかったんだけどな、私は」

「遊びじゃないと言っている」

「だって、どっちも速さで押していく刀だろ?同型でどっちが勝つか興味あったんだよ。純粋に速さの勝負って見てて面白いじゃん」

「聞いているのか」

「速さだけならあいつの方が優ってたよ。そこからあんたがどう巻き返すのか見たかったんだけどさぁ。あんな手を使うとは。がっかりだ」

 こいつは駄目だとばかりに影は背を向ける。

 波瑠沙はけけっと笑って足を進めた。

 影が一つの扉を開けた。随分と屋敷の奥まで進んだ感覚はある。

 薄暗い部屋だった。調度品は意外にも簡素だ。椅子に卓、棚にはいくつか刀が置かれている。

 奥の執務用らしい机には書類の山。

 そこに向き合って男は座っていた。

「桓梠様、例の女を連れて参りました」

 影は跪いて報告した。

 波瑠沙は立ったままその男を観察する。

 目の吊り上がった冷たい印象の男だった。前の男を思い出す。

 別に外見に云々する気は無いが、何となく嫌だなあとは思う。

 尤も、相手に毒を飲ませる為ならいくらでも媚びて見せるのが己の性だが。

 しかし今回は毒を飲ませるのは己の役割りではない。媚びて媚びて媚び抜いて、骨抜きにしてやる。

「来たか」

 男は言って、立ち上がり机の正面まで回り込んで、卓上の書類の上に腰掛けた。

「北方人か。その背の高さではあんな餓鬼など物足りなかったろう」

 既に己の事は知られているようだ。あの金髪野郎が教えたか、と目を細める。

 口元はにやりと笑う。そういう応酬ならお手のものだ。

「全くだよ。小さ過ぎて話にならない。あんたが何も教えて無かったから、私が一から手ほどきしてやった。女を抱くのは好きでも餓鬼を抱く趣味は無いと見て良いか?」

 ふん、と笑われる。

「あれは道具だ。邪魔者を消す為のな」

「話は聞いてる。だけどそれなら安心した。あいつと同じ男に抱かれるってのは流石に嫌でさ」

「気が早いな。そんなに手篭めにされたいか」

「あんたが直接口説いてくれるなら」

 桓梠は立ち上がって近寄った。

 間合いに入る。短刀はまだ懐に入ったままだ。出さされなかったのは、影の自信の表れだろう。

 目前に立つと、流石に目線は桓梠の方がいくらか上だった。

 顎の下に指を当てられ、持ち上げられる。

「やっぱり男は見上げるもんだね」

 嬉しげに言う。

 朔夜と向き合っているとどうにも首が疲れる。

「何を望む?」

 桓梠は問うた。

 誤魔化し無く波瑠沙は答えた。

「華耶を虐めるのは止してやってよ」

 少し意外そうに細い眉が上がった。

「あの女を救いに来たのか」

「だってさ、可哀想だと思わない?本気で惚れてた旦那が死んでまだ一年経って無いんだぜ?その間に次々と違う男に犯されてさ。ま、あいつの事だから我慢してるんだろうけど。でも体は嘘吐けてないだろ?」

 にやりと間近の顔が笑う。

「今は心底から月を想っているようだが。そう言うお前の体は嘘を吐けるのか?」

「あんたが惚れさせてくれたらね」

 薄い唇の笑みが広がる。

「面白い女だ。気の強い女は好みだ」

「そりゃ良かった」

「お前は子を産めるか?」

「多分。産んだ事は無いけど」

「ならば是非私の子を孕んで欲しい。子が出来たら良い思いをさせてやろう。王妃などどうだ?」

 ん?と波瑠沙は首を傾げた。

 そして口の端を上げる。

「そういう事?」

「ここだけの話だが、いつでも取って変われる」

「へえ。それは魅力的だね」

「面白いだろう。お前が正妃となってくれたらこちらにも利点がある。北との繋がりが出来るからな」

「私が哥王の養女って事も知ってるんだ?」

「当然だ」

「だから私に興味を持ったんだな。華耶には出来ない二つの事が出来るから」

「あの女は所詮奴隷だ。お前とは身分が違う。そしてもう一つ、お前にだけ出来る事がある」

「何」

「あの餓鬼に、己の立場を弁えさせる事だよ」

「確かに。それは必要だ」

 笑って。

 蠱惑的な笑みに直って、男の頬に手を当てる。

 片手が腰に回された。

 顔が寄せられて。

 唇が触れた。

 まだ探るだけの動き。深入りせず離される。

「まだ私には執務がある。続きは夜だ」

「楽しみにしておこう」

「お前の居室はこの屋敷内に用意させる。その間に華耶と話がしたいだろう?」

「うん。気が効くね。流石だ」

「私も王宮に用がある。共に来るが良い」

 隣の王宮までは歩いても知れている距離だ。

 しかも屋敷から屋根付きの回廊で結ばれている。

 いつでも王に取って変われるというのはこういう所からでも知れる。

「あの悪魔と昼も夜も一緒でよく死ななかったな」

 歩きながら桓梠に言われた。

「それだよ。もっと命懸けで楽しいかと思ってたら、期待外れだった」

 肩を竦めつつ答えると、笑われた。

「度胸のある女だな。それにしても、その強運は買える」

「運の問題か」

「運悪く奴の犠牲になった者を多く見てきたからな。ここだ」

 開いた扉の向こうに。

「…波瑠沙さん…!?」

「よう。来てやったぜ。華耶」

 部屋の中に入る。

 ついて入ったのは影だけ。

「執務が終われば迎えに来る」

 桓梠はそれだけ言って去った。

 影は部屋の隅にまさに影のように控えている。ここでも勝手な真似をしないか見張る気なのだろう。

 気にせず波瑠沙は告げた。

「目が真っ赤だな。泣いてたか」

 華耶は隠すように目を瞑った。

「安心しろ。もうお前の体は売らせないよ」

「売っていた訳じゃ…。私は皆を裏切ってここに居るだけ」

「灌の助平親父に売られたんだろ?どうしようもねえよな。同情するよ」

「同情なんて必要無い。私は自ら朔夜を陥れた。怒っても良いよ、波瑠沙さん。私が彼を酷い目に合わせた」

「残念ながら、まだお前の罠にはかかってないんだよな、あいつは」

 ちらりと影に目を向けて。

「それより先にもっと派手な罠にかかって死にかけてるから」

「聞いた。…酷い怪我をしてるって」

「でも、あんな子供騙しで死にはしないからな。子供だから騙されはするけど」

「そっか」

 華耶は少し笑みを浮かべた。

「あいつはお前が帰ってくるのを心底から待ってる。早く抱かせてやれよ」

 笑った顔が驚きに変わる。

「そんな事言って…。それはあなたが認めないでしょ?」

「え?もうどうでも良いよ。私はお前に代わって桓梠の女になるから。交換だ」

「そんな!」

「だって破格の条件だぞ?子供が出来たら王妃にしてやるってさ。そう言われたら頑張っちゃうもんね。あ、ここだけの話な?」

 影の空咳を聞いて付け足す。流石にこの話が広まれば謀反の疑いは免れないだろう。

 華耶にとってそんな事はどうでも良いだろうが。

「波瑠沙さん…駄目だよ、そんなの…。それだけは駄目…。私が言える事じゃないかも知れないけど…」

「そうだよ、お前に口出される事じゃない。ただ単に私はあいつに飽きたんだ。お前も桓梠に飽きられたんじゃない?」

「そんな事じゃなくて…!ねえ、お願いだから自分の体を大事にして?朔夜も仲春も同じなの。皆誰かの為に自分を犠牲にしてしまう。波瑠沙さんまでそれを選ばないで」

「だから、そうじゃないって。丸切りこれは自分の為。私は生き残って良い思いをしたいから朔を裏切った。な?薄情な女だろ?」

「本気…?」

 にやりと波瑠沙は笑う。

「お前から桓梠は奪うから、今夜は龍晶の事を思い出してゆっくり寝ろ」

 華耶の目にまた涙が滲んだ。

 波瑠沙の本意は分かった。

 伸ばされた腕に包まれる。安心出来る胸の中で。

「辛かったな」

 影に聞こえぬ声で己の本心を当てられる。

「前に私に甘えろって言ったろ?良いんだよ、これで。朔もこれを望む。あいつさ」

 堪えきれないという風に笑って。

「お前に傷を見せられた時、抱きたかったって白状したぞ。お前も本音はそのつもりだったろ?お互い出来なかったんだろうけど」

 華耶は頷いた。まだ泣きながら。

「龍晶もそれを望むだろ。少なくとも今の状況よりは。朔の所へ帰ってやれ。あいつに代わって私から頼むよ」

「本当に…良いの?波瑠沙さんは、それで」

 ふっと笑って。

「そういう前提であいつと共に居たからな。ま、今後の状況次第で文句言うわ」

 華耶は暫く黙っていた。

 そして胸の中で顔を見上げて微笑んだ。

「それなら、私は文句を言われないように行動するね」

「別に良いのに。気にしなくて」

 首を横に振って。

「ここを出れたとしてもまた灌に戻されるの。ごめんね…。でもありがとう」

 体を離し、正面で微笑んだ。

「大丈夫。私は絶対に生きるから。生まれ変わった彼に出会うまで、絶対に」

 波瑠沙もまた、微笑んで頷いた。


 夜。

 流石に小刀は没収された。のみならず身につけている物は全て外された。

 そして体に縄が巻かれる。全て影の監視の元で。

「これって寝首掻かれない為に必死なのか、ただ単に趣味なのか、どっちなんだ?」

 まだ桓梠はこの場に居ない。見ている影に問う。

 答える事は無いとばかりに仮面の下は沈黙している。

 波瑠沙はにやりと笑った。

「よくじっと見てられるよなぁ。忍耐力も忍びの実力のうちってか。こんなの見せられて本当はたまんねぇんだろ?事の最中もずっと見なきゃならないのか?可哀想に」

 縄を縛り終え、作業していた宦官らしき者達が去った。

 影と二人きり。

「切られたのは鼻だけなんだろ?あ、匂いってどうなの?分かるのか?」

 素朴な疑問にやっと答えが返ってきた。

「分かる筈無かろう。だが必要無い」

「へー。野生動物並みな私には羨ましい話だ。要らない事まで匂いで分かっちまうからなぁ。例えば、澄ました振りしてお前は今私とやりてえんだな、とか」

「…黙れ」

「図星だー。可哀想にねえ。顔はそれでも生身の人間だってのに。そのナリじゃずっと女なんて抱けてないんだろ?相手してやっても良いぜ?お前の主人に黙ってたらさ」

「口を縛るぞ」

「抱く代わりにさ、あいつとの真剣勝負を見せてよ。小細工無しのさ。それを叶えてくれたらこの身を好きにしても良い」

 縄を持った影の動きが止まった。

「私は刀を使える強い男が好きだ。お前の腕を見込んでんだよ。本当はあんな卑怯な罠を使いたくは無かったんだろ?己の腕だけであいつに復讐したいんじゃないのか?」

 影は縄を置いた。そして向き直る。

「流石に主人の前に手を付ける訳にはいかん」

「涙ぐましい忠誠心だな」

「機会はいくらでもあるだろう。月を殺す機会もな」

 紅を塗った赤い口の両端を吊り上げ、妖艶に笑う。

「楽しみだ」

 この男とて、矢張り人間だ。性欲以上に、承認されたい欲求が有る。

 刀の腕を認められたいのだ。誰でも良い。主人はそれを腐らせているから。

 それを擽ってやれば。

 朔夜は勝てる。短い対峙を見て確信した。

 扉が開いた。いよいよその主人が登場した。

 寝台の上の縛られた裸体を見て、満足げに笑う。

「良い姿だな」

「やっぱり趣味だったか」

「いや、矢張り寝首を掻かれるのは恐ろしいからな。お前の実力は馬鹿に出来ない」

「刀でも手合わせ出来たら良いのにな。私に勝てたら本気で惚れてやるんだが」

「そのうちな。だがこちらだけで惚れさせてやろう」

「王妃にさせてくれよ」

 せせら笑う息が頬に掛かった。

 後ろから抱き竦められる。

 吐息が漏れる。触れられて反応した足が震えた。

「月に義理立てする気は無いんだな?」

 低く、問われた。

「さあ、何の事?」

 惚けて見せて。

 笑って、細い腰を揺らした。


 ぼんやりと、星を見ていた。

 隣に寝転がっていた龍晶がまだ居るかも知れないなと思いながら。

 寒い城の屋上で二人、眺めた星は今も変わらないまま。勿論、冬と夏の違いはあるけれど。

 ――華耶を幸せにしろ。それが出来なきゃ、許さないからな。

 そうだよな。許されないよな。

 涙が溢れ、耳の中に入る。

 拭った手を持ち上げて。

 あの日と同じように流れた星を掴もうと。

 願い事は決まっている。

 華耶を。

「目覚めたか?」

 燕雷の声。

「うん」

 驚くでもなく当然のように応えた。

「傷は痛むか?」

「ううん。塞がってきたっぽい」

「それは良かった」

 露わになっていた骨の上に肉が付いて、皮膚で覆われている。まだ抉れは見て取れるが。

 朔夜は横を見た。

「波瑠沙は?」

 溜息交じりに燕雷は答えた。

「行ったよ」

 それには目を見開く。

「何処に」

「桓梠の所へ」

「置いて行かれた?」

「ああ。生き残る方を選ぶんだと」

 何か言いかけて、声は出なかった。

 痛い沈黙。

 その後の、笑う呼気。

「そっか…」

 掌で顔を覆う。

「そっか。そうだよな…」

 尚も笑いながら。

「俺は自分で言ったもんな。裏切ってくれって。そうしてくれたんだ」

 ついには声を上げて笑って。

 そのまま慟哭となった。

 子供のように泣き叫んでいた。

 その声が、夜の森に木霊する。

 黙って燕雷は聞いていた。

 不意に途切れた。

 気を失っていた。

「…馬鹿だなあ、ったく」

 虚しく笑って。

 彼女達の無事を、星に祈るしか無かった。


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