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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
最終話 決着
47/53

5

  挿絵(By みてみん)


 影は自ら真っ黒の仮面を外した。

 朔夜は睨みつつ下馬して、手燭の火を影の手前の地面に投げる。

 炎が枯葉を飲んで燃え上がった。

 影の顔が光に照らされる。

「…なんだこいつ…」

 波瑠沙が唸った。

 顔の中心に走る傷痕。その中心で削がれた鼻。

 全体は大きく歪み、目の部分だけが黒々と光る。

「俺がやった」

 感情無く朔夜は教えた。

「お前が?」

 問いに頷いて、影に言った。

「でもどうしてもその記憶だけが出てこない。やった感触はあるんだけどな」

「教えてやろうか」

 歪んだ口を開いて影は言った。

「お前がその記憶に耐えられるのなら」

 朔夜は鼻で笑った。

「心配するな。もうお前の知ってる餓鬼じゃねえよ」

 傷の走る口が吊り上がり、更に歪む。

「兵達に連れて来られたお前はまさに虚無だった。自我も無ければ生き続ける意思も無かった」

 母をこの手にかけた、あの後の事。


 他の捕虜と同じく繍軍の陣に運ばれた。

 それは荷物と同じ、人の形をした物だった。

 自ら動く気配は無い。薄く開く目に光は無く、瞬きすらしない。

 息をしているかどうかも怪しい口が微かに開いている。

 生捕りの命令から殺される事は無かった。手足に縄が巻かれ、国に運ぶべく荷台に乗せられる。

 他の捕虜――男達はその近くで片っ端から殺されていた。抵抗する女も同様に。

 子供達の怯えた啜り泣き。声をあげれば自分も殺されると分かっていた。

 そんな喧騒の横で、動かぬ身を囲んで繍兵達が話をする。

「これが例の銀髪の餓鬼か」

「嘘だろう?こんな餓鬼が苴兵を壊滅させるなんて」

「どうも神か悪魔かという力を使うらしい」

「それでこんな銀髪なのか。人間じゃないんだな」

「さっさと離れよう」

「早く女を物色しておかないと取られるぞ」

「そうだな、行こう」

 その、先頭に立った男の首が。

 いきなり、落ちた。

 どさりと身が倒れて、周囲がようやく異変に気付く。

「なっ…!?」

 足を止めて。

 ただならぬ、後ろからの気配。

 恐る恐る、振り向く。

 振り向いたそばから、身から血が吹き出た。

「あ、あくま、悪魔だーっ!」

 気付いて絶叫した声は、そのまま断末魔になった。

 その場に居た繍兵がこぞって動く。

「捕らえろ!捕らえて連れ帰るんだ!」

 縛っていた筈の縄は全て解けていた。

 否、切られていたという方が正確だった。短く、粉々に。

 悪魔は荷台から飛び降り、次々と兵を惨殺し始めた。誰の目にも止まらぬ速さで。

「た、たすけ…!」

 武装した兵達が逃げ出す。

「止まれ!戦うんだ!桓梠様がここにおられるんだぞ!」

 兵達を押し戻す声。

 逃げようとした者は、そこに待ち伏せていた味方兵によって斬られた。

 逃げ場の無くなった兵達の足が止まる。

 その背後から、来る。

「あれが例の子供か、影」

 桓梠がゆったりと口を開いた。

 その横に控える男が頷く。先刻叫び兵を押し留めた若者だった。

「そのようです。ここは危険です、桓梠様」

「大丈夫だ。どのようなものか、よく見たい」

 若者は眉間に皺を寄せて横の(あるじ)を見る。

 命の危険を分かっているのか。

 兵達の中から上がる血飛沫は徐々に近付いてくる。

「桓梠様、お退がり下さい!」

 主の目は脅威に釘付けになっている。

 神なのか、悪魔なのか、人智を超えた、銀色の力に。

「素晴らしい…」

 魅入られた声が、言葉を紡ぐ。

「あれを、我が物に…」

「桓梠様!」

 目の前の兵が倒れた。

 若者は刀を抜いた。

「お逃げ下さい!」

 腕に覚えはあると言え、刀が何処まで役に立つのか。

 相手の力は見えない。得体の知れぬ何かが身を裂き命を奪ってゆくのだ。

 倒れた兵の向こうから、その姿をはっきりと見た。

 長い銀髪が小さな体を包んで輝く。

 その中の幼いながら端正な顔。

 目は、藍と翡翠の混じり合う、宝玉のような。

 神の子。

 その単語が浮かび、慌てて打ち消した。

 そうであってたまるか。人を幾人も惨殺した、その行為は正に悪魔。

 無表情の中の赤い唇が、ふっと笑みを浮かべた。

 刀を構える暇も無かった。

 顔面に、熱い痛みが走った。

 悲鳴すら上げられなかった。口まで裂かれていた。

 殺される。

 血に染まった目で相手を睨む。

 こんな餓鬼に。

 悪魔の手が挙がった。

 死ぬ。

 だが。

 子供の体は倒れた。

 自身が、血飛沫を出しながら。

「なんだ…!?」

 桓梠の当惑した声。

 その時、目に入った。

 眩ゆい程の金髪が。


「その男は俺の顔に手を当てた。後は気を失ったが」

 傷を治すと言うより、最低限塞いだという事か。

 確かにあの男が治癒まで可能だとは聞いていない。可能ではあるが、そもそも完治の必要性を感じなかったのかも知れない。

 そういう男だ。

「…分かった。俺は殺されたからその時の記憶が抜けてるんだ」

 淡々と朔夜は言った。

 溺れた時もそうだが、死の前後の記憶は消える。幼い頃のものは特に。精神が耐えられないせいだろう。

「お前達は皓照と組んでいたのか」

 正面から朔夜は訊いた。

 影は歪む顔を横に振った。

「その時初めて見た。桓梠様はお前の蘇生の方法とその力の使い方を聞いたが、その男自身の事は教えられなかったと仰っている」

「だろうな。もう一度皓照が俺を殺した時、お前達は震え上がっていた」

「震えていたのはお前だろう?月以上に使える駒があると知ってあの方は欲しておられたのだ」

「駒にすらならない野郎なのに。それどころか自分を殺す側の男なのにな。そんな事も分からない間抜けか、桓梠は」

 嘲って、刀を抜いた。

「お前をそんなにした俺が憎いんだろ」

「無論。何度殺しても足りない程に」

「一度くらい殺してみたら?」

 挑発し、相手を睨んだまま背後に言った。

「手は出すなよ、波瑠沙」

 呆れて返す。

「差しが好きだよな、男って。見ててやるよ」

 少し馬を返して場を広げる。

 それを機に。

 駆ける――否、跳んで足を付かぬまま二人の刃は交わった。

 互いに跳ね返されて着地する。そこから体勢を直して再び飛び掛かるのは朔夜の方が早かった。

 影は上に跳んだ。

 月明かりの空の中に黒い人影が浮かぶ。

 虚空を切った刃を翻して、朔夜は落下地点に足を向けた。

 にやりと、歪んだ口が笑った。

 それをはっきりと見ていたが為に、地面になど意識が向かなかった。

 何かを踏んだ。その刹那。

 衝撃。土埃が舞う。

 体が意図しない方向に吹っ飛んだ。

「朔!」

 波瑠沙の声が遠く聞こえる。耳鳴りが酷い。

 地面に叩きつけられたが、その衝撃すら遠かった。自分がどういう向きに居るのかも分からない。

 足の感覚が無い。折れているのか、それとも。

 朦朧とした視界の中に黒い影が近寄った。

「貴様…!」

 波瑠沙が走り寄る気配がしたが、影は冷静に言った。

「お前が死んだら誰がこいつを甦らせるんだ?やめておけ」

 彼女は止まった。それで良いと朔夜は思った。

 お前まで死なせられない。俺の血を飲んだからって、それが本当に不死の方法かどうかは定かではない。

「ああ、桓梠様はお前にも興味を持っておられる。華耶と共にあの方に侍るというのも悪くはなかろう?」

「何…!?」

 影の言葉は酷い耳鳴りかと思った。

 華耶と?

 どういう事だ?

 黒い影が赤々とした口を見せて笑った。

「生きているか、月。教えてやろう。お前が幼少の頃より頼みにしていたあの女」

 己の途切れそうな呼吸音すら煩い。

 華耶が、何故、今。

 聞かせろ。どうして彼女の事が出てくる。

 灌に居るのでは。

「今、自ら進んで桓梠様に身を捧げているぞ」

 目を見開く。

 嘘だ、と呟いて。

「出鱈目言うな」

 波瑠沙の声が重なった。

「真実だ。その声を私はもう幾日も聞いている。快楽に溺れ切っているぞ、あの女」

 昔、命令書に包まれた糧を投げるように。

 手紙を倒れた身の上に投げ渡した。

「証拠だ」

 腕はどうにか動いた。

 体の上に乗った紙を広げる。

 細かな字だった。霞む目でどうにか捉えて。

 朔夜、と書かれていた。

 灌との手紙のやり取りで見慣れた字だった。

『今、私はあの憎い男と共に居ます。耐えられません。一刻も早く、助けて』

 華耶、と。

 自身の名で結ばれた短い手紙。

 頭が煙に霞んだ。

 嘘か否かも分からない。ただ、焦げ付いてゆく頭の熱さを感じた。

「さて、一度くらい殺してみろと言ったな」

 影の刃が頭上で翻り、月光を反射した。

 それを見ている事しか出来ない。

 だが、己の身は今や一つでは無かった。

「させるかよ!」

 波瑠沙の大刀が凄まじい勢いで振られた。

 再び上に跳んだ身から血が散った。

 斬った、が、浅い。

 彼女の舌打ち。落ちて来る筈の身が落ちて来ない。

「女、くれぐれもよく考えろ」

 樹上に。

「どちらに身を捧げるのが賢いか。桓梠様は寛大だ。必ず受け入れて貰えるぞ」

「誰が…!」

 笑い声の中。

 無数の物音。

 囲まれていた。

 一斉に包囲網は狭まった。その、どの顔にも黒い面が付けられていた。

 苦無が飛び交う。波瑠沙は朔夜の前に立ちはだかって刀で振り落とす。だが数が多い。

 幾つか身に受け、その度に歯を食い縛って耐えた。

 確かに致命傷にはならない。急所に当てない限りは。

 だが痛みと出血が確実に身を蝕む。

 飛び道具はもう良いとばかりに無数の影は刀を持って迫った。

 最初の一人、二人は撃退出来た。が、同時に恐ろしい数で斬りかかって来る。

「朔…!」

 続きは言葉にはならなかったが。

 ――済まん。ここで終わりだ。

 斬りかかってきた影が、急にその場に落下した。

 同時に、何人も。

「…え…」

 覚悟を決めていた目を見開く。

 残っていた者も、次々と血を吹いて倒れた。

 静寂が訪れるのは早かった。

 呆然としかけた頭を振り、背後に目をやる。

「お前!」

 両足は殆ど千切れていた。

 体中から血が流れ、月明かりに鈍く光る。

 そういう状態で、顔は。

 ふっと笑った。

 そのまま瞼は閉じられた。

「朔!」

 血溜まりの中に膝をつき、その顔に手を当てる。温かい。

 まだ血は通っている。生きている。

 夜空を睨んだ。

 月。

「治るよな…?治せよ…!」

 月に祈るのではない。これは命令だ。

 聞かねば、許さない。

 くらりと、視界が揺れた。

 横に倒れる。

 飛び道具による傷が痛み、血が出過ぎた。

 意識が遠くなる。

 まあ、私が死んでも、こいつが生きるなら。

 それで良いよな、とぼんやり考えた。


 柔らかな場所で目覚めた。

 天幕ではない。ましてや地獄でもないだろう。

 この場所。だけど見覚えは無い。

「総督!」

 上官の目が開いている事に気付いて賛比が駆け寄った。

 宗温は一度目を瞑り、いくらか慣れさせてもう一度目を開けた。

 青年の顔がはっきりと映る。いくらか涙目の。

「ここは?」

「穣楊の砦です。総督、五日も寝てましたよ!」

 苦笑いする。生きて戻っただけでも良しとせねばならない傷ではあったが。

「水と粥をお持ちしますね!待ってて下さいよ!」

 張り切って賛比は走って行った。

 息を吐く。溜息ではない。身体の中に滞った物を吐き出すように。

 夢を見ていた。

 小奈が、幼い前王と共に遊んでいた。

 あどけない、無邪気な笑い声まで聞こえていた。

 小奈、次は一緒にお勉強しよう。そう誘う声も。

 一度、彼女が休暇で帰った際に、是非とも仕事中の様子を見てみたいと冗談に言った事がある。それを見ていた。

 ただ、楽しいだけの、無垢な時間。

 あの頃に戻れたら。

 全てが始まる、その前に。

 あなたはそれを、望みますか?

 亡き主に問いかける。

 だが運命は変わらないのだろう。何度繰り返しても。

 それでも何かを戻さねばならなかった。そうでなければ。

「お待たせしました!」

 そう待ったと思えぬが、賛比が器を二つ持って戻ってきた。

 上体を起こす。体は動いた。

 水を受け取り、口にする。

 粥の椀も受け取り、匙で掬って。

「…これを口にする権利は私にはもう無い」

「はい?」

「民から糧を与えられる人間では、もう無いのだよ」

 賛比は硬直していた。何処かで恐れていた言葉だった。

「今は有難く頂くが」

 しずしずと平らげて。

「繍はどうなった?」

 直立不動のまま賛比は答えた。

「俺も詳しい事は分かりません。ただ、あの金髪の男…あいつが苴共々指揮を握るとは聞きました」

「彼は皓照様という。名を覚えろ。元々は私もあの方に仕えて…いや、あの方の駒の一つだった」

「駒…!?」

「ただの人間は誰しもあの方の駒に過ぎぬよ。龍晶様とて例外では無かった」

 賛比は目を見開いて首を横に振った。

「何を…仰っているのか…」

「この世から不要になれば消されるという事だ」

 若者を見やって、悲しく笑う。

「私とてやっとそれが解った。龍晶様はその事をとっくに察して私に警告して下さっていたが。私の理解が遅過ぎた」

 いつか俺の言葉を思い出して欲しい――彼はそう言った。

 兵を挙げる時、それが誰の意思なのか疑って見てくれ、と。

 その上で戦い方を考えてくれ。兵を、人を、ただの駒とさせない為に。

 ――遅過ぎた。

 だが、気付いたとしても抗えなかった。

「龍晶様はたった一人で世界を操るその大きな力に抗っていたんだ。私が早くその事に気付いていれば…。少なくともあのような孤独を強いる事は無かった。私もまた彼の死を招いてしまった一人なのだろう」

 賛比は愕然としながら、その一言一言を理解していく。

 あまりに理解を超越した話ではあった。たった一人が世界の全てを握るなど。人を全て駒とするなど。

 しかし、頷けてしまった。これまで目にした全てを考えていけば。

 あの言葉を聞いていたから。

「俺はあの男が憎いです、総督。あなたがなんと言おうと陛下を殺したのはあの男だ。それに朔兄まで…。止める術は無いのですか…!?」

 緩く、宗温は首を横に振った。

「駒は、その使い手に抗えぬよ」

 賛比の唇が震え、頬に悔し涙が落ちた。

 分かっている。燕雷にも言われた。どうにもならない実力差がそこには存在する。

「だが、それに抗えるとしたら」

 仄かに笑みを浮かべた口で宗温は続けた。

「ただの人間ではない彼ならば、どうだろう?」

 はっと顔を上げる。涙が降り落ちた。

「朔兄…!」

 頷き、きっぱりと宗温は言った。

「私は職を辞す。お前は好きにすると良い」



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