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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
最終話 決着
46/53

4

 光を感じて目覚めた。

 首を横に巡らすと、波瑠沙が雨戸を開けていた。

 夏の日差しが室内に溢れる。良い天気だ。

「目が覚めたか?」

 頷いたが、まだ体を起こす気にはなれなかった。疲れている。

 布団の上。昨晩、全ての敵を蹴散らした後、その場でばったりと眠ってしまった記憶はある。

 矢張りまだ体力が追い付かない。もうそれは仕様が無いのかも知れないが。

「箪嬰は好きなだけ休んで行けってさ。あ、良いもん貰ったぞ」

 言いながら一旦波瑠沙は部屋を出て行った。

 なんだろうと考えていると、器を持って帰ってきた。

「ほら。精がつく薬湯だって」

「…何が入ってるんだろ」

 干した蜥蜴が頭の中に浮かんでいる。既に苦い顔になっている。

「さて?知らない方が良いかも?」

「とりあえず飲めって?」

「せっかくだから」

 渋々、上体を起こして器を受け取った。

「あー…絶対これ苦いやつ…臭いがぁあ…」

「つべこべ言わずに飲め。じゃないと口移しにするぞ」

「あっ、その方が…いや何でも無い」

 波瑠沙もこの苦味の道連れに出来るのではと考えて、我ながら馬鹿なことを考えたと反省しながら一気に口に運んだ。

 期待を裏切らぬ苦さ。

 吐かないように頑張ってどうにかこうにか飲み込む。

「よしよし、偉いぞ朔ちゃん」

 子供みたいに褒められた。

「口直しをください」

 切実に懇願する。

 波瑠沙は懐から黒糖を取り出して割ると、自分の前歯に咥えて朔夜の口に押し込んだ。

「…ありがと」

 甘い。いろんな意味で甘い。

 それを以前のように戸惑わずに享受するようになった朔夜を彼女は笑った。

「慣れちゃったな、お前」

「お陰様で」

 黒糖を舌の上で転がしながら答える。

「びっくりしておどおどしてたお前も可愛くて好きだったけどな。もう戻って来ないか」

「記憶が消えたら戻るかもね?」

「消してやろっかな」

「お前に頭ぶたれたら本当に記憶飛びそうだからやめて。大ごとになるから」

 大ごとどころではない経験があるので冗談にならない。

 そして考える。悪魔は何処に行ったんだろう、と。

 昨晩も全く憑かれる気配は無かった。もう随分その気配が無い。梁巴で火に巻かれた時も、実は己の制御が効いていた。

 消えたんだろうか。

 だと良いのだが。

 いつからだっけと考えて。

「波瑠沙」

「んー?」

「お前、悪魔払いの能力とか持ってる?」

「はあ?」

 本気で意味が分からないという顔をされる。当たり前だ。

「お前に会ってから悪魔に憑かれてないなって思って。前に記憶を失った時に憑かれて大変な事になったなって思い出してたら」

「龍晶をずたぼろにやっちゃった時?」

「そうそう。二度とあんな事はしたくないけど」

「私に返り討ちにされるのが怖くて悪魔も出て来れないんじゃないか?」

「あ、そうかも」

 納得して、笑う。

 そして自ら答えを出した。

「あとは、お前と居る事が幸せだからかな」

 黒糖を溶かした甘いままの口で。

 そっと相手の顔を引き寄せて。

 お互いの両手がお互いの頬を包む。

 甘い幸せに、慣れてきた。


 苴軍の本隊はいよいよ明日出発となった。

 この軍としては新たな世となり再編成されてから初めての戦だ。国としては戔の侵攻以来で、まだそれは人々の記憶に新しい所だが。

 涛虎にとっても初陣となる。

 母の心配の目を避けるように外へ出て刀を振る。

 もうすぐだ。もうすぐ、この刀が報われる。

 復讐の刃。憎い仇に、永遠の死を。

 人影を目の端で捉えて手を止めた。

 曾以(ソウイ)。元は父の部隊の一員だった人。

 部隊の中で一人だけ生き残って軍を退役し、この近所にある家へ帰ってきた。

 それ以上の詳しい事は知らない。生前の父の話は小さい頃よく聞かせて貰ったが、自身の事は何も語らない。

「明日には進軍すると聞いたんでな」

 相手の言葉に涛虎は頷いた。

「お陰で初陣を迎えられます」

「それはめでたいと言ってやりたい所だが」

 不意に言葉を切らす。

「何か?」

 首を傾げると、相手は空を見つつ切実な声音で言った。

「父上を悲しませるような事はするなよ」

 涛虎は思わず鼻で笑った。

「どういう意味ですか。知ってるでしょう?もうあなたにも勝てるほど俺は強くなったんですよ」

「無事に帰って来れるならそれで良いんだ。普通の戦ならお前の実力で心配する事は無いんだがな」

「何を心配しているんです」

 少し煩わしくなって棘のある口調で問う。

「…悪魔が居るんだろう?」

「ええ。そうですよ。それが何か」

 当然と返す。

 軍の中ではもう常識になっている。この戦の本当の目的は、悪魔を退治する事なのだと。

「奴は尋常じゃない。気をつけろ」

「知ってますよ。だから悪魔なんでしょう?」

「いくら兵が居ても敵う相手じゃない」

「それも知っています。でも負ける訳が無い。俺が仕留めます。奴は俺に絶対に敵わないんです」

 心無しか、曾以の肩が萎んだ。

「…そうかも知れんな」

 気負い込んで涛虎は続ける。

「前も奴は俺に斬られた。わざとらしいんですけどね。それにしてもその理由ですよ。皓照様によれば、奴は甘い所があるから、父への引け目を感じて俺には手出しが出来ないそうです。だから自ら殺されるだろうって。それで悪魔ですよ?笑えますよね」

「ああ。そういう…優しい少年だった」

 悪魔を人間扱いする言に、涛虎は白い目を向けた。

「そうか。あなたは知ってるんですよね、奴のこと。父と一緒にこの家に入れようとしていたんですか?」

「いや。その時は知らないも同然だった。父上の存命中は」

「じゃあ何処で」

「俺も復讐を考えたんだよ。お前と同じように」

 それは初耳だった。

「退役した後、賞金稼ぎになった。その方が自由に動けるからな。悪魔の行方を追って…対峙した」

「戦ったんですか!?」

 心底驚く。対峙した事実より、戦って生き残っている事に。

 しかし、少し考えれば納得出来る事だった。

「もしかして、悪魔はあなたにも甘さを発揮したのでは?父の部隊の一人と知って、わざと…」

「いや、もう少しで殺される所だった」

 否定して、あの時を思い出して苦い気分になりながら。

「悪魔の仲間が奴を止めてくれなければ死んでいた。俺は奴に一矢報いる事も出来なかった。…ただ、奴の本性を見て、それが無意味だと知った」

「本性?」

「お前の父上が…千虎将軍が、何故彼を養子にしようとしていたか、よく分かってしまったんだよ」

 涛虎は白々とした目で相手を睨む。

 そんなものは目に入っていないように曾以は続けた。

「悪魔は彼自身ではない。あの心優しい少年は、悪魔の憑代に過ぎない。ならばあの少年を殺そうとするのは、間違いなのではないかと…。千虎将軍を裏切る事になるのではないかと、そう思った」

 その実の息子である少年に向き直って。

「だからこそ彼はお前に刺される事を選んだんだろう。彼自身が将軍を殺した罪に誰よりも苦しんでいる。それ故にだ。悪魔となってもあの少年は、血の(なみだ)を流していた」

「…だから、何ですか」

 冷たく涛虎は返した。

「どうしてあなたが悪魔の命乞いをするんです。理解出来ないな。その本性が何だろうと悪魔は悪魔だ。この世に居てはいけないものですよ。父を殺されたのは俺です。俺には仇を討つ権利がある。そうですよね?」

 曾以は、諦めたように頷いた。

 歪んだ笑みを浮かべて涛虎は言った。

「あなたも欲しかったであろう悪魔の首を土産にしますから、楽しみにしていて下さい」

 少年は踵を返し、家の中に入った。

 溜息。

 別に悪魔の命乞いがしたかった訳ではない。

 このままでは将軍が悲しむ事になると思うから。

 双方無事では済まないだろう。

 ではどちらが犠牲になるかと言えば。

「朔夜、か…」

 記憶の中に埋もれていた名前を呟く。

 将軍の明るい声が愛情を込めてその名を呼んでいた音を、今でも思い出す。


「朔は飯が好きだからなあ。これも貰っておこうかな」

 乾飯の入った袋を持ち上げる。

 箪嬰から物資を買っている。

「時間があれば水の中に入れておくと良い。それを炊けば柔らかい飯が食えるぞ」

「へー」

「波瑠沙は知らないもんな。飯のある場所の出身じゃないから」

 買い付けを任せて寝転がる朔夜が口を挟む。

 出来るだけ今のうちに体を休ませておきたい。波瑠沙がそう命じたのだ。

「お前さん、戔北部の出かい?」

「いや、もっと北」

「とすると…哥!?」

「そんなにびっくりする?」

「それは、まあ…。北方民族か…初めて会った」

「ま、繍に居たら会う事無いよな」

 朔夜が笑う。迷惑そうに波瑠沙が眉根を寄せる。

「未知の生物みたいに」

「俺は初めてお前を見た時、本当に未知との遭遇だったけど」

「どういう意味だこら」

「こんな礼儀を知らない粗雑な人が居るんだあって…いででて」

 頭をぐりぐりされる。

「仲が良いよなあ。羨ましい限りだ」

 箪嬰が笑う。

「そうじゃないと一緒に命懸けられないからな」

 真顔で波瑠沙は言った。

「はあ、確かに」

 昨晩の様子を思い出しつつ箪嬰は頷く。

 波瑠沙は気を取り直して銀貨の入った袋を持った。

「これだけ貰う。ここから好きなだけ取っておいてくれ」

「おいおい、お代以上には要らないよ」

「良いから。もう殆ど必要無いんだし。荷物にしかならない」

 箪嬰は朔夜にも視線を投げる。

 彼もまた、頷いた。

「必要以上に貰い過ぎてさ。お前と子供達の路銀にでもなれば」

「だってお前達、帰りもあるだろう」

「必要無い」

 二人の声が揃う。

 聞いた箪嬰の顔がすっと真顔になった。

「それって…」

「ああ、帰りは戔軍に合流して送って貰うつもりだから」

 朔夜の説明に波瑠沙がちらりと視線を投げたが、何も言わなかった。

「そうか。それなら良いんだが」

「だから、それは昔と今回の迷惑料。全部貰っておいてくれよ」

「そうは言っても、この先は宿もあるぞ。都に近くなればな」

 言いながら箪嬰は銀貨を分けた。

「全部は要らない。せめて半分だ」

 波瑠沙は問答無用でその半分から一掴みしてもう一つの山へ落とした。

「これで」

「大胆なお姉さんだな」

「よく言われる」

 にっこり笑って、小さい山を握って袋に戻した。

「さーて、用は済んだ。行くか」

 袋を朔夜に投げながら言う。朔夜はちょっと慌てた素振りで寝転んだまま受け取った。

「待て、そんなに急がなくても」

「急ぐって。夜までに出なきゃ」

「どうして」

「こいつがここじゃやらせてくれないんだよ」

「はっ!?」

「子供に声を聞かせられないからって。そうだろ?」

「いやいやいや言ってない!そんな事言ってないから!」

「言った。一緒に風呂に入れないのはそういう理由だって」

「言ったけど言ってないぃ!」

 顔を赤く染めて掌を千切れんばかりに振る。

 箪嬰は腹を抱えて笑った。

「いや、良いなあ!良い夫婦だ、お前達」

「そんな所で評価しないで!?」

 朔夜の悲鳴にまた腹を抱えて笑う。

「限界だ朔ちゃん、起きろ」

 波瑠沙が朔夜の寝転ぶ布団をひっぺ返す。体はひっくり返って見事に転がっていく。

 ついでに荷物の所まで転がって身支度に入る。

 波瑠沙も買った食料を纏めていく。

 箪嬰もまた、広げた商品を纏めて自分達の旅の荷に纏めた。

「なんだか、不思議だな」

 手を動かしながら彼は言う。

「以前もほんの少ししか言葉を交わしてないのに、ずっとお前の事を知っている気がして。親戚の子供みたいだ。大きくなって再会してさ、結婚しましたって言われてる感じだよ」

 背中を向けながら朔夜は笑う。

「それはあるかも。ずっと背負っててくれてたから情が湧いたんじゃないか?」

「覚えてるのか」

「うん。朧げに思い出した」

 山の中で拾われて、二日か三日、ずっと背中で眠っていた。

 その無言の中で人の温もりを感じて。

 冷え切っていた心身に、それがどれだけ有難かったか。

「またどっかで会おうよ」

 朔夜から言った。

 箪嬰は軽く驚いた顔から、笑い顔になる。

「今度は俺からお前を訪ねよう。何処に居る?」

「多分、全部終わったら戔に帰ってるかな。戔の北州の、一番でかい家を訪ねてくれ」

「へえ。でかい家ね」

「居候してるから。俺がそこに居なくても、その時の居場所は教えて貰える筈だよ」

「会いに行ける場所だと良いな」

 振り返って、朔夜は深く頷いた。

「この世界の何処かには居るよ」

 それぞれに、支度を済ませて。

 箪嬰は明日の朝一番で出立すると言った。流石に子供を連れての夜道は危ない。

「じゃあ」

「世話になったな」

「こちらこそ。成旦を助けてくれてありがとう」

 その少年を見下ろして、波瑠沙はにっと笑う。

「もう襲われるなよ?」

 彼はこくりと頷いた。

 子供達が後ろに並ぶ。仲良くなる間は無かったけど、彼らは小さな手を振ってくれた。

「この子達こと、頼むな」

 朔夜は箪嬰に行って背中を向けた。

 知らなくても、他人ではないから。

 彼らがこの先、これ以上の苦労をせずに暮らして欲しい。

「体は大事にしろよ」

 後ろから箪嬰が叫んだ。朔夜は手を挙げ、振って応えた。

 闇の迫る山道を二人、馬に揺られて。

「意地でも生き延びる気になったな、お前」

 波瑠沙に言われた。

「当然じゃん」

 笑って答える。

「良かったよ。死ぬ気の奴を生かすのは骨が折れるから」

「知ってるよ。悪かったな」

 否定せず開き直る。

「ま、良いけどさ」

 生きるつもりならそれで良いのだ。

 近頃、言葉の端々でそれを感じる。

 龍晶と過ごした時が、思い出になっている、と。

 心の血を流して思い返す記憶ではなくて。

 笑って語れる過去に。

 気持ちが友から自分に向いている。それが波瑠沙には嬉しかった。

 同時にそれは、生きる欲望なのだ。

 この先はそれが無いと生き残れない。

 決戦の地が近付く。

 朔夜が馬の足を止めた。

 日は暮れ、闇の中。

 夜目の利く眼光が鋭い。

「…居る」

 言葉少なに、また低く抑えた声で波瑠沙に伝えた。

 刹那、高い金属音が響き渡った。

 軌道を逸らされた苦無(くない)が地面に突き刺さる。

 見えぬ刃を飛ばした朔夜は尚も闇を睨み続けた。

「影」

 闇に向かって口を開く。

 その黒一色の中から。

 形が現れた。

 真っ黒な、人の形が。


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