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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十五話 悪夢
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9

 桓梠は年若い王に向けて頭を下げていた。

 己で擁立した王だ。本当ならばこちらが頭を下げられる立場だと自認している。そこまでさせた事は無いが。

 王位に付けた時まだ十代だった少年は、十三年の時を経て三十代の充実期に足をかけようとしている。

 その分、そのきっかけを与えたもう一人の子供が成長するのも道理だ。

 尤も、外見は十年前のままだと報告は受けているが。

「戔、苴、灌が我が国に兵を差し向けているようだが、一体この窮地、どう脱する」

 今は王の相手だ。頭を上げた桓梠は顔を曇らせる若者にさらりと言って退けた。

「窮地ではありません、陛下。いよいよこの繍に復権の時が来たのです」

「復権?」

 王――麒躁(キソウ)は小首を傾げた。

 全く王の威を備えぬまま成長したものだ。その機を奪った臣は薄く笑う。

「列国の真の目的は我が国にあらず。その目的とは、悪魔狩りでございます」

「悪魔狩り…」

「さよう。陛下もご存知でしょう。かつて我が国で飼っていた月夜の悪魔を」

「その方が飼っていた、あれか」

「その悪魔が今再びこの国内に来ております」

「何?戔に居たのでは無かったのか」

「前の戔王を私が弑しましたゆえ」

「その仇を討たんと…?」

「しかしそれも全て罠でございます」

「罠?」

「悪魔は戔苴を味方に付けたと思い込んでいる。この二国の協力の元、この繍を滅ぼし私を殺そうと考えておる筈。しかし、その実、戔苴の標的は先も申し上げた通り、悪魔その者なのです。それを知らずのこのこと奴は我が元に現れるでしょう。そこを捕らえる」

「捕らえるのか?生きて?そんな事が可能なのか?」

「もう一国の協力がありますゆえ」

「灌…?」

 桓梠は背後の扉を見やった。

 家臣が開き、そこから現れたのは。

「この女は?」

 顔を伏せた女の肩を抱きながら、桓梠は答えた。

「灌王鵬達陛下の現在の愛妾にして、先の戔王龍晶の正室、華耶夫人ですよ」

「なんと…!?」

 その経歴からして驚くべき事だが、更に桓梠は続けた。

「しかしそもそもは我が奴隷でございました。かの悪魔と同郷の奴隷です。この身を初めて味わったのは何を隠そう、私なのですよ。およそ十年前、悪魔を陥れる為に。今また、何の因果か同じ目的の為にここに送られて来ました。さて、華耶夫人」

 指先で女の顎を上げる。

 表情を失った顔が露わになる。

「我が国の陛下は初のお目見えであろう?今後の灌繍の友好の為にも挨拶はしておいて損は無いんじゃないか?」

「友好…ですか」

 無表情から呟かれる疑念。

 それが無ければ、彼は。

 しかし華耶は王の前に跪いた。

「先程ご紹介に預かりましたように、灌王側室華耶と申します。我が陛下より繍王陛下へ、例の事くれぐれもよろしくとの言葉をお預かりしております」

「例の事…悪魔狩りか」

 華耶は顔を伏せたまま頷いた。

「そなたが居れば悪魔は捕らえる事が出来ると言うのか」

 蒼白の顔色で、彼女は微笑んだ。

「彼とは同郷、幼馴染であり、私と戔王を結び付けてくれた人です。私のことを信じきっています。この身をどのように使うかは、桓梠様次第ですが…」

 肩越しにその男を振り返る。

 厭な笑みがそこにある。

「生きて捕らえて、何とする?」

 王は桓梠に訊いた。彼はわざと意外な顔を見せた。

「おや、決まっているではありませんか。再び我が国の兵器とするのですよ」

「言う事を聞くか?」

「難しいでしょうな。しかし、私の真の目的はそれではなくて」

「ほう?」

「陛下はご存知ありませんか。あの者の生き肝を喰らえば、不老不死の力を手に出来ますぞ」

 華耶は鋭く息を吸った。

 一方で、王は身を乗り出した。

「まことか?」

 桓梠は自信たっぷりに頷く。

「まずは私が毒味しましょう。陛下にはその後召し上がって頂くとして」

「そのようなこと!」

 思わず華耶は叫んだ。

「必要ありません…!私自身がその証。決して私はそのようなものを口にしてはおりません。しかし、不死の身となった事はあなたの目で見ている事でしょう!?」

 桓梠に向けて問う。不死となったあの事件を作り出した男に。

「そなたが不死の身と?」

 好奇心のままに王が問う。

「そうなのです。私は彼の力によって不老不死となりました。一度共に炎の中に飛び込み、生き返ったのです」

「そんな事が…」

「私が仕組んだ事ですがね」

 当然のように桓梠が口にする。

「しかし、そのような大がかりな事をせずとも生き肝さえあれば不老不死となれるのだよ、夫人。私と陛下が炎の中に飛び込む訳にはいかないからね。尤もあれは偶然の産物だったが」

「私は偶然の産物ですか。…そうでしょう」

 蔑みを込めて彼女は言い、改めてその男を睨んだ。

「生き肝など、誰がそのような事を?」

 ぬらりと、微笑う。

「もう一人の、不老不死のお方だよ」

 彼女は目を見開き、頭の中で否定しかけて、しかしすぐにその可能性の十分にある事を考え直した。

 己が今、ここに居る事がその証明。

「皓照さんだと言うのですか…?あの方が、そのような事を…?」

 頷く。愉しそうに。

「十年かけて共に準備をした。いよいよ実った果実を捥ぎ取る時だ」

 十年前から結託していたと言うのか。

 灌と繍という国の問題ではない。桓梠と皓照、この二人が既にあの時、秘密裏に組んでいた。

「血生臭い果実はどのような味かな。楽しみだ」

 衝撃を隠せない女の顔を嗤う。

「華耶と言ったか」

 王の声が掛かり、彼女はなんとか身を動かして向き直った。

「戔王の正室であったのだろう?とすると、我々はその仇となるのでは…。何故に我々に協力する?」

 若い王の疑問は素朴で尤もだった。

 この答えならば道々用意してきた。

「過去の事は過去の事。今は、我が王命に従うのみでございます」

「灌王の命令に従って…しかしそんな事が出来るものなのか?」

「出来得るからこちらに参りました」

「そなたにとって戔王とは、皇后とは、たったそれだけの存在であり地位であったという事か」

 華耶は、悲しく笑った。

「そのようでございます」

 繍王、麒躁もまた、哀しげな顔をした。

 彼もまた、同じような立場に置かれている。

「分かった。桓梠、後は良きに計らえ。退がって良い」

 玉座の下の二人は、同時に頭を下げた。

 王の間を辞して。

「私もその点が疑問だった。しかしそういう事か、お前は悪魔によって無理矢理戔王に嫁がされたという訳か。不本意な皇后の地位だったのだな」

 無表情のまま彼女は頷く。

「確かに酷い話だ。かの月は、己の手で不老不死にした女の責任を取らず他の者…それも男にすらなり切れぬ王などにお前を押し付けた訳だから。お前達が好き合っていたのは私でも知っているのにな」

「過去の事です」

 硬い声音で繰り返した。

「その恨みがあるのか。悪魔狩りに自ら参加すると言うのは」

「恨み…そうかも知れません。しかし私情など忘れました。この十年の間に」

「王命か。よほど灌王に惚れているのだな」

「それも私情でございましょう」

「忘れたと?」

「元より感情がありませぬ。しかし愛という執着はあります」

「ほう」

 桓梠は一室の扉を開け、華耶を先に通した。

 客間のようだった。ここで暫く過ごせという事だろう。

 男は自らも中へ身を滑らせて、後ろ手に扉を閉めた。

「…私が奴隷である事はあなたが一番ご存知でしょう」

 背中を向けて華耶は言った。

「尤もだな」

 薄ら笑いで応じる。

「生きる為にはその時の主の言う事を聞く。それが奴隷というものでしょう」

「なるほど?確かにな」

「例え皇后であっても私の本質は奴隷だったというだけの事です」

 頷きながら。

 後ろから、その身に腕を絡ませる。

「安心しろ。灌からは、頭が冷えたら国に戻せと言われている」

「この頭が熱した事などありませんが」

「悪魔への熱だろう?」

 本音を見透かさんと、後ろ斜め上から目を見下される。

 長い睫毛で覆われた瞳は、曇った硝子玉だった。

「いずれ分かる事か。お前が奴にどういう感情を持っているのか」

「今すぐお確かめになれば?」

 挑戦的な唇に誘われるがままに。

 十年前は逃げ惑っていた口へ。

 離して、問う。

「良いんだな?」

「それがあなたの目的でしょう?」

 笑って、背中を押しながら共に歩き、もう一つ扉を開けて寝所へと入った。

「なるほど。確かに未だに奴隷だ」

「十年経っても主はあなたでした」

「それも含めて確かめてやろう」

 帯を解き、露わになった体を見て。

「この傷…」

「あなたが付けた烙印ではありませんか」

「確かにな」

「嫌いますか?」

「いや」

 満足げに笑う。

「十年前の若さはそのままに洗練されたな。美しい。流石は不老の身だ」


 これは、あなたへの裏切り。

 罵って良い。どれだけ口汚く言っても。

 言って?

 それを私は望みます。


 はっと朔夜は目覚めた。

 まだ真夜中。相変わらずの野宿。

 暑い季節で良かった。尤も繍は寒いという時季が無い。

 やたらと暑がっていた波瑠沙は相変わらず無防備に寝ている。苦笑して体に毛布を掛けてやる。

 自分は衣を羽織って、暫くぼんやりと夜の闇を見詰める。

 珍しく過去ではない夢を見ていた。

 否、過去と言えば過去か。ただ今までのように具体的では無かった。

 華耶だった。彼女の背中を追っていた。

 梁巴に居た頃のように。遊びに行こうと誘われて、昔は成長の差で華耶の方が先々行ってしまうから、いつも追いかけていた。

 いつもなら立ち止まって振り返って待ってくれるけど。

 夢の中の彼女は全く振り返らなかった。

 ただただ、その背中を追って。

 何故だろう。背中しか見えないのに、彼女は泣いていると分かった。

 どうして泣くのか。その理由なんて知り過ぎている。

 俺が二人とも守れなかった。

 龍晶も、華耶も。守ると言って、何一つ守れなかった。

 自分が情けない。そしてそれで良しとして今この場に居る自分が恨めしい。

 どうして灌に行けなかった。

 今すぐ助けに行くべきだろう。

 だけどそれを拒むのも彼女自身だった。

 俺が人を殺すから。

 華耶は俺の汚れた手を嫌う。

 その手で助けられる事を。

 だから振り返ってくれない。待ってくれない。

 昔の俺はもう居ないから。

 彼女が龍晶を躊躇いなく愛せたのはそういう事だったんだ。

 俺は嫌われていた。きっとお互い自覚が無かったけど。

 自嘲して、もう一度寝転がる。

 波瑠沙の腕が伸びてきた。

 頬を手で包まれて、耳元に口が寄った。

「今日は華耶の夢か」

「…俺なんか言ってた?」

「ずっと呼んでたぞ」

 寝言で名を呼んでいたのだろう。

「ごめん」

「別に謝る事じゃねえけど?」

 顔を向ける。

「だって、そういう前提でお前の横に居るんだから」

 最初に哥王に確認して貰った事。

 龍晶と華耶が大好きだが、それでも良いかと。

 その時も言った。承知の上での行動だと。

「こういう私じゃないと、お前は一緒に居られないんだろ」

 笑って、頷く。

「好きになった人が器のでっかい人で良かった」

「お前それは、男に対して使う褒め言葉だからな?」

「良いじゃん。波瑠沙なら」

「うるせえよ、この野郎」

 黙らせようと口を塞ぐ。

 そうしながら、至近距離で見つめ合うお互いの目は笑っている。

 甘い余韻のまま、仰向けに同じ星を眺めて。

「俺、波瑠沙じゃないと何も出来なかったよ。華耶でも駄目だった。きっと、ずっと子供の頃の嫌な感触を引き摺ったままだった」

「華耶じゃあここまでぐいぐい来てくれないからだろ」

「それもそうだけど」

 笑って。

「華耶は汚しちゃいけないと思っていたから」

「清楚過ぎたのか」

「そういう事なのかなぁ。血で汚れた自分を見せられなかったんだよ。悲しませたくないから」

「大事にし過ぎたのな」

「波瑠沙は大事にしなくても自分で自分を守ってくれるから気が楽なんだ」

「うわあ。ぞんざいに扱われてる」

「そうじゃないけど」

 慌てて否定して、ぎゅっと体をくっつけて。

「俺は誰も守れないから」

 暑がりな割には、身を寄せ合う体温に文句を言った試しが無い。

 寧ろ、いつも包み込んでくれる。

「分かってるよ。私がお前を守ってやる」

 その心地よさに蕩けながら。

「ありがと…大好きだ」

「そう言う素直なお前が私も好きだよ」

 恋人達の甘い夜が更けてゆく。



 目覚めても影が居なかったから、今日はもう殺しに行かなくて良いのだと察した。

 いつものように首筋を確かめる。もう生き返っているのは分かっているから何も意味の無い確認なのだが。

 起き上がって、血の足りない頭がくらくらとして、しかしそれにももう慣れて少しの間目を瞑ってから鉄格子を掴んで立つ。

 自由な時間があるなら行きたい場所があった。

 まだ日の昇り切っていない時間帯。丁度良かった。眩しい陽光は月にとって目の毒だ。

 それに、日中は彼女達が働きに出ていて会えない事が多い。

 階段を降りる。早朝から働かされる彼女達はもう目覚めていた。

「朔夜」

 まだ、呼んでくれる。

 安堵と後ろめたさが同時に沸き起こった。

「しばらくぶりだね。元気だった?」

 答えずに、訊き返した。

「華耶は?」

「仕事には疲れてるけど、元気だよ」

 そして無邪気に笑う。

「朔夜の顔を見たら元気になった」

 笑い返したくとも、出来なかった。

 表情に力が入らなくて。

「朔夜?どうしたの?」

 泣く事も出来なくて。

 肩に置かれた手に、びくりと震えた。

 呼吸が荒くなる。

「朔夜?大丈夫?」

 泣きそうな顔で首を横に振った。

 そしてやっと、息を吸って、言った。

「俺はもう…朔夜じゃないんだ」

「え…?」

「月なんだ。人を殺す、月なんだ。ごめん華耶。もう俺は居ない」

 それだけ告げて走って帰った。

 受け止めて欲しかった。死にたいけど死にきれない自分を。

 だけどそこまで気付いて貰える筈は無いし、言える筈も無かった。

 己が作り出した孤独に傷付いた。

 鉄格子の中で膝を抱える。

 このまま、身も心も冷たくなれば良いんだと分かってしまった。

 白銀の月の如く。夜空に独り、浮かぶように。


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