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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十五話 悪夢
39/53

7

 再び、この国に立つ。

 運命を狂わせた国。恨みと憎しみを抱き、復讐を誓った国。

 幾つのもの無念な魂がそうせよと己を導いて、約束のまま、ここに。

「大丈夫か」

 波瑠沙が心配して問う。

 頷いて、止めていた馬を再び進めた。

「なんか、澱んでるよな。ここの空気」

 彼女の言う事は尤もで、街の中に全く生気が感じられない。

 人の気配が無い。家の中には潜んでいるのだろうが、それでも息を殺している。

「戦になると民に伝わっているんだろうか」

 朔夜は己の推量を口にしながら、その責任も感じていた。

 戦は何の関係も無い民を巻き込む。

 知っている。だが、そうだとしても。

「…こんな国に住んでいる限り、自業自得だけどな」

 低く吐き捨てる。

「らしくない事言うね。どうした」

「別に。だってそうだろ」

 それだけで済まそうと思ったが。

 人家の無い方へ馬を進めて、彼女の探る視線に負けて、口を割った。

「この国に住む人達を守らなきゃならないって…そう自分を納得させて戦ってきたんだ。嫌で嫌で仕方なかったけど、その為ならと思って。なのに、桓梠に背いて捕らわれたら…俺は誰にとっても悪魔なんだ。守ろうとしてた民に早く死ねと言われて、勝手に裏切られた気がして、殺してくれって自分で言う所まで追い詰められた。結局俺は誰にとっても居ない方が良い存在なんだって…ここの民に教えられた」

 その時受けた傷が、今また生々しく痛む。

 誰にとっても居ない方が良い存在。その範囲は広がって、国を跨いで皆が自分を亡き者にしようとしている。

「仕方ないよな。俺は悪魔だ」

 己を納得させようと呟き、笑おうとしたが、頬は強張って上手くいかない。

「少し休むか」

 波瑠沙は言って、馬を降りた。

 木立の中に入ってゆく。朔夜もそれに従った。

 馬を繋ぎ、水溜りで水を飲ませ、自分達も草の中に座る。

 波瑠沙の腕が肩の上に伸びて、抱かれるままに横に身を預けた。

 この地に来て心に吹き荒んでいた風が収まり、温かさが戻ってくる。

「どうあっても、私はお前の味方だ」

 彼女が言う。

「敵がどれだけ居ようと、二人なら勝てる。そうだろ?」

 人懐っこい笑顔で、朔夜は頷いた。

「うん。そうだよな」

 この笑顔が見たいから命を懸けられるんだと、波瑠沙は思った。

 喉を潤し、携行食を口にして。

「…なんか、居るな」

 波瑠沙が囁く。朔夜も頷く。

「行くか」

 馬に乗り、道へと戻る。

 気配は付いて来る。

 馬を飛ばせば捲けるだろうが、敢えてゆっくりと進めた。

 そのうち異変に気付いた。

「なんだ…これ」

 先に波瑠沙が顔を顰めた。

「なに?」

 まだ分からない朔夜が首を傾げる。

「血の臭いがする。強烈に」

「え…?」

 すぐに朔夜の鼻にも嗅ぎ慣れたそれは届いた。

 暑い時季、時間の事だ。血の中に腐臭も混じる。

 敏感な波瑠沙は強烈過ぎてまともに息が出来ず、布を鼻と口に巻いて道を進める。

 一段とそれが濃くなった場所で。

 朔夜が馬の足を止めた。

 赤黒くなった筋が林の中に入っている。

「…ちょっと見て来る」

「大丈夫か」

 朔夜は頷きながら下馬して血筋を辿って行った。

 波瑠沙も馬を繋いで付いて来た。

 彼女としては、女の変死体がある事を心配していた。無論、死体の心配ではなく朔夜への心配だ。やっと薄く塞がった傷が開きかねない。

 が、それは杞憂だった。

 しかしその光景はもっと凄惨だった。

「なんだこれ…」

 子供だった。

 その死体というだけで残虐だが。

 異常なのは、胸から腹にかけて掻き切られ、身を開かれて、内臓が捌かれたように飛び出ていた。

 近付いた時、鴉が飛び立った。既に食い荒らされている。

「うわぁ…吐きそう」

 臭いで既にやられている波瑠沙がげんなりと言う。

「いいよ、戻ってて」

「お前は?」

 これ以上、何を探るというのか。

 朔夜はその直視し難い死体に吸い寄せられるように近付いている。

「なんか、気になる」

「は?」

 ついには横にしゃがみ込んで観察している。

「お前、医者か」

「医者じゃないけどさ」

 振り返って。

「この死体、心臓が無い」

「…はあ」

 波瑠沙からすればそんな事はどうでも良いのだが。

「心臓って見て分かるのか。お前」

「暗殺の基本じゃん?心臓の位置なんて」

「はあ」

 また生煮えの返事。

 珍しく及び腰の彼女にやっと気付いて、朔夜は笑って引き返した。

「ごめんごめん。気持ち悪いよな、こんなの。帰ろ」

「戦場なら別に良いんだけどさ、臭いが…。腐りかけってキツいんだよ」

「完全に腐ってた首はいけたのに」

 苴で見せられた瀉冨摩の首の事だ。

「腐臭だけなら別に。ってか、あの時は頭に血が上ってたからそれどころじゃなかったし」

「普通あれの方が無理だけどなあ」

「一般人はこっちの方が無理だろ」

 言外に、お前は血の臭いに慣れ過ぎているだけだと言われた。

 苦笑いしか返せない。

 馬に乗り、再び道を進むが。

 臭いが消えない。

「これって私の鼻が麻痺してるからじゃないよな?」

「そうだと思う。俺にも分かるから」

「まだ新しい血の臭いがするんだが」

「別の?」

「ああ。こっちはまだ腐ってない」

「さすが野生動物…」

「ああん?」

「なんでもないです」

 今度は道の真ん中だった。

 矢張り子供。そして体は掻っ捌かれて。

「やっぱり心臓が無い…」

 馬上から見て朔夜は呟いた。

 何者かが心臓を奪う為に体を切り開いたのは明白だ。

「なんだこの国…」

 心からの軽蔑を込めて波瑠沙が言う。

 この国をそれでもまだ知る筈の朔夜が首を捻る。

 こんな光景は初めて見た。

 ふと、顔を上げる。

 ずっと付き纏っていた気配が近寄ってきた。

 波瑠沙に目配せする。

「えー、ここで?」

 はっきりと渋られた。臭いが嫌なのだろう。

「じゃ、行くかぁ」

 間延びした言い方で。

 次の瞬間には馬に鞭をくれていた。

 二人して爆走する。そのまま山を降りた。

 里に着く。馬を止める。降りて、そこに流れている細い川の水を飲ませながら。

「流石に追って来れないか」

「さてな。相手の正体が分からん」

「隠密じゃなかった。素人っぽい」

「素人にしちゃ上手いがな」

「手慣れてる感じはしたね。あの死体の原因かも」

「身を潜めて子供を襲う稼業ってか?何の為に?」

「子供の心臓を狙って盗る…それこそ何の為にって感じだけど」

 腕を組んで朔夜は考えている。

「どうでも良くないか?こっちには関係無い」

「そうかも知れないけど」

「何がそんなに引っ掛かるんだよ?」

「気に入らないだけ。奴らの狙いは俺だったんだろうし」

「ああ、子供」

「見た目だけな」

 苦い顔で言って、視線を巡らせる。

 既に日は暮れようとしている。山の中の暗がりに視線だけを向けて。

「…また来やがった」

「しつこいな」

 小声で囁き合って。

「宿でも探すか」

 これ見よがしに声を上げて言う。

「こんな寂れた所に宿なんかあるかなあ」

「泊めて貰えたら厩でも良いんだけど」

「私は嫌だ。それなら野宿が良い」

「まあそう言うなって」

 ぐるりと小さな里を見たが、案の定宿らしきものは無く、人家の戸を叩いても出て来る者が居ない。

 諦めて、川沿いに進んで見つけた空き地を夜営の場所とした。

 焚火を付け、携行食を夕食として、早々に寝転がる。

 毛布の中で身を寄せ合いながら、囁き声で話し合う。

「来るかな」

「これで来なきゃそれこそ何の為にって話だろ」

「ただの監視かも知れないよ?」

「監視?」

「俺の」

「…お前の正体を知る奴か」

「桓梠の犬でな、影って呼んでた奴が居る。ずっと俺の監視をしていた。この前久しぶりに会ったから挨拶がてら足をぶっ刺しておいた」

「また随分な挨拶だな」

「だから奴の代わりが来てるんじゃないかと思う訳。本物ならもっと上手い。俺でも気付かない時がある」

「ふうん?それなら放っておいても良いか」

「出来れば始末はしたいけどね」

「尻尾が出ないとな」

「出させるか」

 立ち上がって。

「眠れないから散歩してくる」

 波瑠沙は眠そうな振りで手だけ挙げてひらひらと振った。

 川に沿って歩く。浅い水面は月明かりを反射してきらきらと輝く。

 反対側は木立の闇だ。その中に息を殺して付いて来る気配が確実に存在する。

 前にもこんな事があったなと思い出す。

 華耶を救いに行く道中だ。後を尾けてくる気配があるから夜中にわざと単独行動をした。

 そうしているうちに悪魔に憑かれて。

 燕雷を斬った。

 今その心配が殆ど無くなったのは、本当に幸いだった。そうでなければ波瑠沙と行動を共に出来なかった。

 何が俺を変えたんだろうと考える。

 気付いたらこうなっていた。いつから?

 龍晶と出会ってから。

 あいつと出会って、共に過ごして、心からこいつと共に居たい、笑っていたいと思ってから。

 繍時代の孤独が消えた。人間への不信感と共に。

 あいつは俺を人間へと戻してくれた。

 そして人を愛する事を教えてくれた。

 だから波瑠沙が今横に居る。居られる。逃げずに、ちゃんと。

 俺は変わったんだ。あの頃から考えれば。

 あいつのお陰。

 でも俺は、あいつに何を返せただろう。

 結局、守り切れなかった。

 何度でも後悔する。溺れて息が出来なくなる程に。

 足を止め、座り込む。

 頬を涙が伝う。

 いくら泣いても、いくら悔いても、足りない。

 進むべき道も無い。闇ばかりで。

 あいつの居なくなったここから、何処にも行きたくない。

 どうして置いて逝った。

 どうして。

 心とは裏腹に、手は刀へと伸びていた。

 身を翻したかと思うと、林の中に飛び込む。すぐそこまで近寄っていた気配を逃さなかった。

 木陰に潜んでいた一人を斬り、飛び掛かってきた二人目の刀を受けつつ、今斬った刀を翻して腹を突いた。

 刹那、後ろから薙ぎ払われた刀を身を屈めて避け、そうしながら逆手に持ち直した短刀でその足へ突き刺した。

 抜き、立ち上がる。

 相手は倒れて悶絶している。

 敵は三人で全て。それは最初から分かっていた。

「何者だ?」

 相手の傍らに屈み、喉元に刃を突き付けて問う。

「べ…別に、何者でもねえよ」

 答えにならぬ返答に眉根を寄せる。

「どうして俺を狙っていた?」

「餓鬼だからだよ!しかも銀髪」

「…どういう意味だ」

 悪魔だから、と言っている訳ではない。

 その特徴は知っているが、それが何者なのかは知らないのだろう。知っていればこんな無謀はしない。

「知らないのか!?餓鬼の…それも特に、銀髪の餓鬼の肝は、食えば不老不死の薬になるんだよ!高く売れる筈だったのに」

 咄嗟に理解出来なかった。

 頭が拒んだ。全てを理解する事を。

 解るのだが。何もかも、その裏まで一瞬で見通したのだが。

 それを認めるのは辛かった。

 せいぜい、小さな舌打ちで虚しい怒りを漏らすしかない。

「桓梠…」

 奴が、こんなありもしない与太話を流したのだ。

 俺を追い詰める、その為だけに。

「お前らが…山の中で子供を殺したのか」

「獲物だよ」

 嘲るように言った口を。

 横から殴り、また反対側から殴って。

 顔の形が無くなるまで繰り返した。

 そしてまだ息のある胸に、刃を突き刺して。

 朔夜は崩れるように座り込んだ。

 顔を両手で覆って。

 叫びたくとも、声が出ない。

「…朔」

 波瑠沙が後ろから呼びかけた。

 応えたくとも、唇が震えて言葉が発せられない。

 後ろから抱きかかえられる。

 そのまま持ち上げられ、屍に囲まれたその場から脱した。

 焚火の前で降ろされ、毛布に包まれて。

 そこでやっと、自分が泣いている事に気付いた。

 どうにか息を整えて、教えた。

「銀髪の餓鬼の肝を喰えば、不老不死になるんだって」

「…は?」

「こんな馬鹿話を信じて、奴らは子供達を殺していた…」

 それ以上は喋れなかった。

 波瑠沙もまた、察した。

「桓梠の罠か」

 泣きながら頷く。

 その涙の訳なら聞かずとも解る。

「朔、あの子達の死は、お前のせいじゃないからな」

 反応せず、炎を前にしても尚暗い目を開いて。

「お前は怒っても良いが、気に病む事じゃない。絶対にお前のせいじゃない」

 やっと頷いた。かと思うとそのまま腕の中に顔を埋めた。

 波瑠沙は肩を抱き、幼子をあやすように軽く揺らしながら。

「早く終わらせようぜ。こんな馬鹿馬鹿しい事は…」

 はっきりと、腕の中で頷く。

 桓梠を殺す。

 長年の憎しみは、確固たる目的のある殺意となった。



 桓梠は空いた玉座に月を使って殺した王の甥を座らせた。

 その甥はまだ十代の少年で、如何様にも操れる。

 誰も桓梠には逆らえなくなった。

 朔夜はそんな事は知らず、影に言われるがままに暗殺を繰り返していた。

 前王と彌羅を支持していた残党を闇討ちにしていく。時には不意打ちで。時には寝所に潜り込んで。

 己が繰り返している行為の意味など分からなかったし、考えもしなかった。

 まともに考えたら最後、己が壊れる事は分かっていた。

 それでも心は蝕まれる。

 殺していたのは自分の心で。

 ある時、地下牢の床に倒れ伏して、動けなくなった。

 このまま自分も死ねば良いと思った。

 呼吸以外の一切、生きる為の動きが止まった。

 どうしてまだ呼吸をしているのか分からない。しょっちゅう止まろうとしている癖に、こんな時だけ。

 まだ許されないんだと思った。

 母さんの所に行ってはいけないのだと。

 泣く事もできなくて。

 鉄格子の向こうに桓梠が現れた。

 自分を救ってくれる人。でも、救われたいとも思えなくなった。

 許してくれる人。でもまだ、許されない。それどころか更に罪を重ねて。

 それでも縋りたくて。

「どうした?殺しに飽きたか?」

 言われている意味を考えられず。

 ただ、見上げるだけ。

「まだ私の為に働けるだろう?」

 頷く。見放さないで欲しくて。

「なんでもするよな?」

 また、頷く。見放されたら終わりだと信じていた。

「月、戦さ場に行く為の刃が欲しいだろう?お前が以前言っていたものを用意した」

 双剣が鉄格子の隙間から滑り入れられる。

「これを持って戦場に行け。お前の恐ろしさ、人々の目に焼き付けて来るが良い」

 絶望の目を向ける。

 まだ、誰かを殺さないといけないのか。

「どうした?何か不満か?」

 首を横に振る。

 逆らう事など思いもよらない。

 許されるまで、この人に従い続けないと。

「戦場に現れる月夜の悪魔――これは良いな。すぐに各国の噂となるだろう。面白くなってきた」

 悪魔?

 なんでもいいよ。

 どうせ人にはなれない。

 あなたの道具。道具に命は要らない。

 だからもう、許して。

 俺を、殺して。


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