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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十五話 悪夢
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5

  挿絵(By みてみん)


 敵を半分ほど減らした時、急に眩暈がした。

 とは言え、今の今まで自分が何をしていたのか分からない。

 こいつらを殺さなきゃと動いていたのは覚えている。殺す?自分が?

 混乱する。息が詰まる。怯えた目は周囲を落ち着きなく見回す。

 間を取っていた敵が変化に気付いた。

「来なくなったな」

「ただの子供に戻ったようだ」

 その兵はにやりと笑い、斬りかかって行った。

 月は己に振り下ろされようとしている刃を見た。

 殺される。

 死ぬ。

 母さんの所へ、逝ける。

 ちっとも怖くなかった。自然に笑みが浮かんだ。

 なのに。

 降ってきたのは、相手の血。

 自分に下される筈だった刃は、その身を避けるように横へ滑り落ちた。

 どうして。俺は。

 生きてしまうんだろう。

 敵の背後からわっと人の声が湧き上がった。桓梠の手勢がやって来たのだ。

 否、今まで潜んでその時を待っていたのかも知れない。悪魔の力が弱まる時を。

 敵の意識は全てそちらに向いた。

 月は一人、のろのろと立ち上がる。

 誰も居ない方へと歩く。

 もう嫌だ。

 もう誰にも近寄りたくない。

 もう誰も殺したくない。

 もう、何も。

 涙が次々に溢れる。足は自然とある場所へと向かっていた。

 喧騒を他所に、城廓の外へと出て。

 階段を降りる。

「朔…?朔夜!?」

 華耶の驚いた声が響いた。

「どうしたの…!?」

 答えは無い。向き合って顔を手で包むと、激しく泣きじゃくり始めた。

 漸く腕に引っ掛かっている衣以外は何も身に付けていない。そしてその衣も肌も、血塗(ちまみ)れだった。

「朔夜、怪我は?どこが痛い?」

 泣きながら首を振る。

 痛い。

 痛いのは、怪我じゃない。

「これはご自分の血ではないのでしょう」

 横に来て様子を見た彼女の母が教えた。

 華耶もそれ以上は口を噤んだ。

 この前の事が頭にあった。下手に何かを訊けば、彼はまた苦しむ。

 泣き声だけを聞き、必死に背中を摩り、やがて泣き疲れてその場に倒れた身にそっと毛布を掛けた。

「…騒乱の物音が外から聞こえていたけど」

 母が呟く。

 その音はもう止み、戦勝を祝う雄叫びが上がっている。

「朔夜…」

 寝顔は血に汚れている他は今までと変わらない。

 戦うのは嫌だと言った時も。

 梁巴の皆の為に、戦わなきゃいけないんだと諦めていた時も。

 今と、同じ顔で。

 華耶は知っている。虐めっ子に石を投げられても、組み伏せられて殴られても、朔夜は絶対に持っている刀を抜かなかった。

 抵抗の術があるのにそれを選ばなかった。

 なんで?と訊くと、彼は笑って言う。

 だって、刀を抜いたら向こうが怪我しちゃうじゃん。

 そういう、優しい彼が。

 今、全く関係の無い人々を傷付け、殺めて。

 不安な眠りの中で呻いている。

 死にたい、殺して、と。

 夜明け前、朔夜は目を覚ました。

 まだ眠っている人々を見渡し、どうして自分がここに居るのか、何があったか思い出した。

 もうそこに自我は無かった。何も考えず、地下牢に戻らねばと立ち上がる。

「朔夜」

 呼ばれて、振り向いた。

 この名前。まだ。

 俺が俺じゃなくなった今も、呼んでくれる。

「生きて…ね」

 華耶の願いに、はっきりと頷いた。

 俺は死ねないから。

 死にたくても、死ねないから。

 地上に出ると、朝の光にくらっとした。

 闇に目が慣れ過ぎている。目だけではなく、体も、頭も。

 後ろの気配に振り向く。

 そこだけがまだ夜の闇の如く。だから何となく落ち着いた。

「月。桓梠様は褒めておいでだ」

 足を止めて俯く。

 伏せた目で問うた。

「殺される事は無い?」

「当然。褒美を取らせるとの事だ」

「別に何も要らない」

 歩き出す。覚めれば覚める程に混乱する。

 俺は何をやった?

 どうしてそんな事になった?

 何をされた?何をやらされた?

 それが正しいのか?

 罪、とは。

「得物は何を使っていた」

 影の問いに顔を顰める。

「得物って」

「お前の使う刃だ。物質の方の」

 意味は解る。

 それを問う意味が分からない。

 否、解る。分かりたくないだけで。

 故郷の景色が目に浮かぶ。

 大好きだった、まだ信じていた父親の顔と。

「双剣」

 それだけ答えて、走り出した。

 己の巣に戻って、泣き喚いた。

――お前が戦えば、この村は守れる。

 嘘つき。

――お前の力で、この戦は勝てる。

 嘘だ。

 負けた。負けたから、こんな事になった。

 裏切られたんだ。

 裏切られた。

 何に?誰に?

 全てに。

 俺は独りなんだ。もう誰も信じられない。

 戦って、殺して、いつか死ぬ。

 もう、そうするしかない。



 嬌声の響く狂乱の最中に再び扉は開かれた。

 灌王は慣れた様子で使いを追い払おうと目を向ける。華耶は矢張り奥歯を噛み締めて我慢した。

「陛下、あの…」

 言い淀んだ従者を追い払おうと手を出した時。

「失礼致しますよ」

 その声に二人共、息を飲んだ。

「皓照殿」

「大変不粋かとは思いますが確認に来ました」

 燭台の明かりに金髪を輝かせて、皓照は近寄ってきた。動きを忘れて固まる二人に。

「ほう。矢張りこれは紛れもなく戔国前皇后の華耶様であらせられる」

 王は漸く彼女の体から離れた。

 萎えたものを隠すように足を組んで。

 華耶はすぐさま横にあった毛布で身を包んだ。顔ごと隠してしまいたかった。

「何か、問題がありまするか?」

 開き直って王は問うた。

 皓照はにっこりと笑って答える。

「それ自体に問題はありません。男女の事は私には分かりませんし。しかしね、一つ気になる事がありまして」

「なんでしょうか」

「陛下が繍殲滅の出兵を断った事ですよ。それだけは困ります。それで、確認を」

 王の顔は訝しんだ。

「繍殲滅?お断りしましたかな。何かの間違いでは」

「そうなのですか?では何かの手違いでしょうか。ああ、断る理由に華耶様の名が上がっていたので、もしやと思いまして」

「華耶の?はて、何の事やら…」

「何故に戔皇后であった華耶様の名が灌で上がるのか、確認に参ったという次第です。しかしこのような事情なら得心しました。あとはお断りになった理由ですが」

 言いながら皓照の目は華耶へと。

「まさか華耶様が奴隷扱いを受けた繍を庇う事はありますまい?いくら寛大な御心をお持ちの貴女様でも」

「皓照さん」

 震えながら彼女は言った。

「繍であろうと何処であろうと、私は戦を望みません。権力のある者が戦を抑える。それが私が戔で教わった事です」

「つまりは龍晶前陛下の無謀ですか」

「無謀であろうと、私は彼の志を今も敬しております」

「ふむ。それは本音でしょう。若いお二人が分かち合っていた青い志は全く脆いものでしたが、誠意は伝わりましたよ」

 華耶は微笑さえ浮かべて頷いた。

「未熟でした。子供だったんです、まだ。二人とも」

「龍晶陛下は子供のまま逝ってしまわれましたか」

「純粋な人でしたから。それで良かったんです、きっと」

「華耶様は?そのままでは居られなかったと?」

「ご覧の通りです」

「こういう事が見て分からぬのが私の玉に瑕な所です。どちらなのでしょう?華耶様は純粋に鵬達陛下を愛しておられるのか、何か打算あってのものなのか」

 灌王の目が自然と厳しく注がれる。

 彼女は嫣然と微笑んだ。

「どちらもでしょう?愛とはそういうもの」

「はあ。分からないなぁ」

 皓照は笑いながら首を傾げる。灌王の視線は彼に戻った。

「思い出した。繍殲滅とは聞かなかったのですよ、皓照殿。私は繍に居る悪魔の包囲網を作ると聞いた。だからお断りしたのです」

「悪魔ごと彼の国を滅ぼすのですよ。意味は変わりません」

「いいえ」

 厳しく否定したのは華耶。

「違います。それとこれとは、全く違うでしょう。その悪魔とは誰の事ですか?あなたは分かっていて言っていますよね。彼は繍ではなく、戔に居るべき人」

「華耶」

 王に制止の意味で呼ばれる。彼女は振り切って続けた。

「繍では悪魔でも、戔では救国の英雄です。何故滅ぼさねばならないのですか。彼が一体何をしたと!?」

 口を塞がれた。

 王の手で。中に入れられた指が舌を弄ぶ。

「それがお前の本音か」

 非情に彼は言った。

 華耶は必死で出来る限り首を振った。誤解だと伝える為に。

「陛下、出兵して頂けますね?」

 駄目押しとばかりに皓照が訊く。

「無論。詳しい事はまた、お知らせ下され」

「畏まりました。では、お邪魔を致しました」

 全く邪魔だった。

 皓照が去り、解放された口で、華耶は叫んだ。

「誤解です!陛下!私は戔の常識を申したまで!罪も無き彼に兵を差し向けて返り討ちにされては、灌の衰退に繋がりかねます!」

 王は答えなかった。無言のまま女の体を手篭めにした。

「陛下…信じて…」

 怒りはそのまま身に打ち込まれる。

 死ぬ程の我慢の果てに築き上げたものが崩されながら。

 それでも生きねばならなかった。

 生きて、と彼に言った。

 自分がその言葉を守らないのは、卑怯だから。


 離れ難い山野を歩き、沢を覗き込んで、その水を掬って。

 立ち上がり、山の声を聞く。

 鳥が鳴く。梢が揺れる。せせらぎは、優しく。

 ここにあるべき彼女の声だけ聞こえない。

 目を閉じる。

 いつかきっと一緒に帰れる?否。

 きっと叶わない。そんな夢。

 甘い、甘い、いつかの夢。

 朔夜は目を開けて振り返った。

 同じくらい大好きだけど、違う人が待っている。

「行こう」

 誘うと、彼女は迷いなく頷いた。

「ああ、行こう」

 肩を並べて歩き出す。それぞれ馬を引いてはいるが。

「賛比が煩かったんじゃないか?」

 彼は出立にずっと反対していた。

 出立自体より、先を越される事に。

「大丈夫。ちょっと黙らせてきた」

「え?どうやって?」

 波瑠沙は流し目で意味深に笑う。

「は?え?そんな…えっ、それ!?」

「どれだよばーか。何を想像してんだか」

 何かは、青くなったり赤くなったりの顔色が物語っている。

「ちょっとシメてきた」

「あーなんだぁ…じゃない。大丈夫かそれ。あいつ生きてる?」

「大丈夫大丈夫。死なない程度にやった」

「なら良い…のか…?」

 騒ぎにならなきゃ良いのだが。

「良いじゃん別に。私達は抜け駆けしてんだし」

「まあ、な」

 やり逃げと言った所だが、そんな事はどうだって良い。

 繍軍との戦いの跡はまだ残っている。落とし穴は埋められたが、土の色はまだ馴染んでいない。

 元々あった土は血を含んで赤黒くなっている。

 投石と矢は片付けられずそのままだ。

 どこかにまだ死体が残っているのか、濃い腐臭が漂ってくる。

 これ以上の地獄を作り出す。この手で。

 憎い、あの国を滅ぼす為に。

 故郷の村の端まで来て、朔夜は回れ右をした。

 今日も麗らかに晴れ渡る空。

 山の青みは来た時よりずっと濃くなった。

 また戻る。きっと。

 生きて戻る。そうじゃないと。

 皆の笑い声が風の中に聞こえた。

 幼い自分の声も。

 逝った人の声も。

「…行ってきます」

 ここから、やり直す。

 取り戻すんだ。失った時を。

「行こう」

 波瑠沙に微笑んで、騎乗した。

 あとは振り向かず、真っ直ぐに戦地へと向かって行った。


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