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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十四話 梁巴
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 朝日が山の端に覗いた頃、本陣である村の跡へと戻ってきた。

 波瑠沙に背負われている朔夜を見て、宗温も燕雷も一瞬凍りついた。

「寝てるだけ」

 苦笑いで波瑠沙が言うと、あっという間に弛緩したが。

「無事でしたか」

 気が抜けた分を微笑に変えて宗温が問う。

「ああ、無傷だ。とりあえず今のところはな」

「敵軍は一時撤退したようですが」

「朔が言うにゃ、今からが本番だとよ。悪魔が寝こけている間が」

 実際、目の前で寝こけているので理解は早い。

 波瑠沙は背中の荷物を一旦庵へと置いた。

 まだ目覚めない。子供のようにぐっすり眠っている。

「それを分かってて寝てるのか、こいつは」

 燕雷が寝顔を見下ろしながら苦笑して言った。

「私が寝ておくように言った。出来るだけ体力を回復させて敵に当たらせたい。悪魔不在だとタカを括ってる奴らに泡を吹かせてやる」

「成程?起きれば良いけどな」

「大丈夫だろ、多分」

 背中に負わせていた自分の刀を取り、朔夜の横に腰掛けて。

「敵がどれだけ減ったか分かるか?」

 宗温に問う。

「およそ二千だと報告が来ています。動いていたのは四千」

「お、良い読みだったな」

 自画自賛して、腕を組み考える。

「残りは八千…夜に戦った兵の全てが動ける訳じゃないだろうから、七千くらいか」

「いけますか?」

「他人事みたく訊いてんじゃねえよ。お前が腹括れ」

 宗温は一瞬言葉に詰まる。

 波瑠沙は更に押した。

「こいつは全部自分でって思ってるけどな、土台そんなものは無理だ。この小さい背中にどれだけ背負わせる気だよ?」

 別の小さな背中が脳裡に見えた。

 あの背中に様々な重石を乗せていた。無意識のうちに。

 そして、還らぬ人となった。

「…分かりました。我々もあなた達と共に刀を振るいましょう」

 波瑠沙は頷き、庵の中に入って朔夜に毛布を掛け、自分も横になった。

「敵が来たら起こしてくれ」

「分かりました」

 宗温と燕雷は目を見合わせてその場を離れる。

「彼女が言う事は正論ですが…」

「朔はそれをしたくなかったんだろうな」

 宗温は頷く。

「しかし、甘い事は言っていられない」

「まあな。だが被害は抑えるに越した事は無い。まだ先がある」

 宗温は何か言いたげに口を開き、それを溜息に変えて穏やかに言い直した。

「矢張り繍の都まで行かねばなりませんか。我々は」

「毒をくらわば皿まで、だろ」

「毒ならばここで止めるという手もありますが。失いたくないのなら」

 都に行くのは危険な気がしてならない。

 桓梠の掌の内で、朔夜がどうなるか。

「一人でも行くと思うがな、あいつは」

 分かっていて燕雷は言った。

「だがまずは今日だ。この戦い次第で考える事もあるだろ」

 宗温は頷いた。


 一刻も寝ていただろうか。

 燕雷の声で目覚めた。

「来るぞ」

 すぐさま波瑠沙は起き上がった。

 差し出された飯を食いながら、朔夜を揺り起こす。

「朔!敵だ」

 がばりと起きた。

 そのままの勢いで刀に手を掛けたが、はたと居場所に気付いて照れ笑いした。

「ここに敵が居るかと思った」

「寝惚け眼で斬られるかと思ったよ、こっちは」

 苦い顔で波瑠沙が言う。あまり冗談にならない。

 波瑠沙と同様に握り飯を受け取って口にしながら、宗温の元へ行く。

 朝の光が燦々と山々を照らしている。

「規模は?」

 顔を合わせるなり宗温に問うた。

「六千を昨晩同様、二手に分けて来ています。先頭は落とし穴を探りつつのようです。梯子代わりに丸太も持っているとか」

「なるほど?でも落とし穴だけじゃないもんね」

 悪戯っ子の如く言い放って、彼らが囲む地図の一点を指した。

「この川を渡らせる。敵を川の中に引き込んだら上流の堰を切るよう賛比に言ってある。繋ぎに一人欲しい。矢を放って報せて貰う」

「私が」

 団雲が名乗った。

 朔夜は頷いて、宗温に対して続けた。

「敵はこの本陣目指して集まって来るだろう。手前のここにある広場に閉じ込めるんだ。道に岩を落とすようにしてある。閉じ込めた敵を俺が片付ける」

「我々は敵に見えるよう布陣しましょう。猪の如く突っ込んでくるように」

「ああ。でも気をつけてくれ。この辺の高所を取られたら弓矢の餌食になり兼ねない」

「心しましょう。兵を伏せておきます」

「うん。あとは任せとけ」

 踵を返そうとした背中を。

「朔夜君」

 まだ何があるかと振り返る。

「最早君だけの戦ではありません。我々に頼っても良い事を、お忘れ無く」

 目を見開いている朔夜の横で。

 にやっと波瑠沙が笑った。

 天幕を出て、日の眩しさに目を細める。

「よく寝れたか?」

「うん。お陰様で」

「総督も言ったが、無理はするな。お前がやらなくてもあいつらが倒してくれる。数の上では有利になったんだ」

「いや、そこまで頼る気は無いよ。戔軍に被害は出さない。一人も」

「戦だぞ」

 呆れて言う。そんな事を言っていては勝負にならない。

「戦だから、だ」

 言いながら引かれてきた馬に乗った。

 言い返そうかと思ったが意味が無いと知り、黙って波瑠沙もそれに続いた。

 見てきた戦が違い過ぎる。自分は数の寡多で戦略を練る群衆の戦。

 朔夜にとっての戦は、多数を己一人で殲滅し、或いは救援する、孤独な戦い。

 だから自然とそういう物言いになり、戦略になる。

 人智を超えた圧倒的な力があればこそ。

 二人は川を目指して走った。

 あの度胸試しの岩を超えて、川の砂州が広がる場所。

 団雲が物陰で待っていた。

 軽く手を挙げて合図する。敵の姿はまだ無い。

「しかし、どうやって引き込む?お前の姿を見たら奴らは寧ろ逃げるんじゃないか?」

 朔夜は肩を竦めた。

「波瑠沙に頼もうかな」

「何を」

「渾身の芝居」

 訝しく見返す。

 勝手に可笑しそうな笑みがある。

「だって、悪魔がもう少しで倒せるって分かったら、奴ら殺到するだろ?」


 落とし穴をなんとかやり過ごし、降り落ちて来る石と矢の雨を超えて、ほうほうの体で辿り着いた彼らが見たものは。

 川の向こう岸で、女が泣いている。

 その彼女が抱いている身から、血が流れている。身体には矢が幾つも刺さっていた。

 女が嘆きながら叫ぶ。

「だから月の無い時に行くなとあれほど言ったのに…!」

 女が抱きかかえるその手元は、銀髪で覆われている。

 間違い無かった。

「月が出るまでまだ間がある、死んでしまう」

 嘆く内容もそれを裏付ける。

「悪魔が…?」

 先頭に立つ兵が隣に確認しようと囁いた。

 それを受けた者は頷く。

「今のうちに始末するぞ」

 そうでなければ、また恐怖の戦を強いられる。

 後続に合図し、走って浅い川を渡りだした。

 女は悪魔を抱えたまま逃げ、叫んだ。

「来るな!繍の悪鬼共!お前達は血も涙も無いのか!?」

 それはこちらから悪魔へ言いたい!誰もがそう思った時。

 地鳴りのような音。

「…なんだ…!?」

 兵達は川の中で足を止めた。

 しかし後続は次々と押し寄せて来る。疑問はともかく渡河を続ける。

 女を追って先頭は河岸に上がり、後続はあらかた川の中に入った時。

 荒れ狂う白い波が押し寄せてきた。

「しまっ…!逃げろ!!」

 しかし水の中の事、上手く足は動かない。

 波は人々を飲み込んで押し流した。

 既に岸に上がっていた者は呆然とその様を見るしか無かった。

 そこへ。

 高らかな笑い声。

 はっと振り返る。

 悪魔は堪えきれないと言いたげに腹を抱えて笑う。

 脇に挟んでいた矢がばらばらと地面に落ちた。

 女の体から降り、自分の足で立って。

「どっちの死に方が良かったかな?」

 ぞっとするような無邪気さで言って、刀を抜いた。


「いや、めちゃくちゃ上手くて鳥肌立った。流石だよ。お陰で笑いを堪えるのが大変だった」

 波瑠沙の演技について。

「小芝居の為に自分で腕切って血を流す奴に言われたくない」

 冷めた目で彼女は言う。

 朔夜は左腕の裏側を見て、そこに残っていた傷痕をぺろっと舐めた。

 もう出血は止まっている。

「貧血になっても知らないからな」

「大丈夫、これだけ寝てれば」

 ったく、と波瑠沙は馬を駆る事に意識を移す。

 川は通行不能となり、後続は道を逸れて山に入った。もう一方の軍勢と合流するのだ。

 そして戔軍の並ぶ本陣を目指す。

 が、その手前で彼らの道は途切れる事になっている。

 その場所に先回りすべく向かっている。

「これで残りは…」

「五千くらいかな。向こうで数が減ってりゃ良いけど」

「八千対五千なら御の字だろ」

「いや、一対五千だね」

「だから、お前…」

「そうじゃなきゃならない」

 強く言い切る。

 波瑠沙は訂正した。

「ニ対五千だ」

 軽く見開いた目でじっと見て。

 ふっと笑った。

「ごめん。そうだった」

「この波瑠沙様を見縊るなよ?」

「怖くてそんな事出来ないよ」

 明るく笑う。少年の声で。

 例の広場に到着した。敵は既に到着し始めている。隊列をここで整えて、本格的に攻め込むのだろう。

 地響きのような雄叫びが聞こえる。宗温が兵達に声を出させているのだ。それを聞く繍兵の顔に不安が()ぎる。

 二人はそれが見える程近くの物陰に潜み、時を待った。

 程なく殆どの部隊が到着した。五千という程の数には見えない。せいぜい四千か。

 後詰めに残しているのか、それだけ死傷者が増えたのか分からないが。

 まだ列が続いていた後方で、大きな音がした。本物の地響きだ。

 大岩が斜面を勢いよく転がってゆく。それに誘発された土砂と共に。

 まだその道を歩いていた兵らは下敷きとなり、阿鼻叫喚の地獄が発生した。

 それを合図と朔夜は出て行く。波瑠沙も続く。

 既に隊列を整えていた軍勢に踊りかかった。

「敵襲!敵襲だ!」

 敵が口々に叫ぶ。その口を塞いでゆく。

 そんな叫びなど意味が無い。彼らは進む事も退く事も出来ず、当然援軍も来ないのだから。

「悪魔だ!焼き払え!」

 違う種類の叫びに朔夜は刀を振るいながら眉根を顰めた。

 焼くったって、どうやって。

 自分を囲む敵の輪の外側に、火矢が見えた。

 火矢?建物内に敵が潜む時に使うものだ。この乱戦状態で使える筈が無い。

 だが、急に冷やりとした感覚に捉われた。

 桓梠ならば、どうするか。

 その時、現実に液体が掛けられた。陶器の丸い器にそれは入っており、投げられ地面に落ちて次々と割れた。

 思わず刀で払ったそれも空中で割れ、体の上に落ちてきたのだ。

 冷やりとした後、どろりとした感触。

 ――油の臭い。

「波瑠沙!逃げろ!」

 それだけ叫ぶのが精一杯だった。

 火矢が放たれた。

 味方諸共に、こちらに向けて。

 火柱が。

 梁巴が燃える。

 あの時と同じように。

 外から来た人間達によって。

 悪夢が現実と溶け合って一瞬で脳裏を駆け巡った。

 また、あの夜が。

「朔!」

 紙一重で逃れた波瑠沙が叫ぶ。朔夜の声を聞かねば突出して気付かぬ所だった。

 が、その朔夜は炎の中心に。

「朔!」

 もう一度叫ぶ。何でも良い。返事が欲しい。

 こんな時にも敵兵は向かってくる。容赦なく波瑠沙はぶった斬った。

「許さんぞ貴様ら!こんな卑怯な真似…!」

 敵が波瑠沙一人に集中する。悪魔はもう終わったとばかりに。

「死ね!」

 叫びながら斬ってゆく。夢の中のように自在に体は動いた。怒りが感覚を研ぎ澄ます。

 どれくらいそうしていたか。否、一瞬の事だったのかも知れない。

 急に、笑い声が響き渡った。

 炎の中から聞こえるそれは、澄んだ高い声でありながら余りにも不気味だった。

「舐めんなよ!同じ手に二度も掛かってやるかよ!?俺は悪魔だぜ!?」

 人々がはっと息を呑んだ。その瞬間。

 閃光が走った。

 雷にも似たそれは、炎が風に煽られたのだとすぐに判った。

 多くの者が火達磨になり、喚きながら救いを求めて走り、もんどり打ち、そして動かなくなり焼けてゆく。

 残った者は呆気に取られていた。そこを、銀の風が走った。

 首が飛ぶ。次々と、血飛沫を上げながら。

 波瑠沙は本能的に拙いと察した。近くで呆然としていた敵兵を斬り、山の中へ走った。

 身を顰めて様子を窺う。既に広場は炎と血で赤く染まった海だ。

 知らず、震えていた。

 恐ろしい――畏ろしい力だった。そう、神々しくさえある。

 誰も彼に触れられないまま。

 何千という敵は、無になった。

 いつの間にか辺りは夕闇が迫っていた。

 残照に煌めく銀髪がゆらりと揺れて。

 倒れた。

「――朔!!」

 物陰から飛び出て走り寄り、横に膝を付く。

 意識は無い。が、息は有る。眠っているのか。

 今まで気付かなかったが、身体中に火傷をしている。服も黒く焦げ、破れていた。

 思わず空を見上げる。

 橙から藍色に変わる微妙な色合いの中に、細い月が見えた。


 絶望の光景をいくつも目にしながら生まれた村へ戻ってきた。

 知った顔がいくつも死体となって転がっていた。戦い破れた大人も、犯され裸にされながら殺された女も、逃げながら斬られた子供も。

 自分を虐めていた連中も例外ではなく、その死体の中に混じっていた。

 ざまあ見ろなんて思える筈が無い。なんで死ぬんだよと悪態を吐くのがせいぜいで。

 だがもう麻痺していた。自分がそっち側に居ない事の方が不思議だった。

 悲しくもなんともない。

 華耶の姿は無かったから、それだけは安心していた。死んでいるのかも知れないが、そうだとしても死体は見たくない。

 生家に戻る。声の限り、母を呼びながら。

 自分によって作られた死体の道を戻って。

 その部屋へ入った。

「母さん…」

 生きていた。

 最低限、衣を体に掛けて。生気の無い顔で息子を見て、微笑む。

「朔夜」

 広げた腕の中に抱きついた。

 泣いた。これまで押さえ殺してきた感情が爆発して、涙になって流れた。

「母さん、俺…」

「うん、もう良いの、朔夜。もう良いのよ」

 何が?

 何がもう良いの?

 問えず、その顔を見て。

 彼女は朔夜の腰に付けていた刀をするりと鞘から取った。

「母さんと同じ事をして」

 意味が分からなかった。

 言われるままに、もう一方の短剣を手にする。

「朔夜。これから父さんの所に行くの。ここに居てもまた次の悪い奴が同じ事をしに来て、もっと恐ろしい目に遭うから。一緒に行こう?ね?」

 頷く。

 もう分かった。

 するべき事。

 刀を片手に握りながら、母の手が顔を撫でた。

「愛してるよ、朔夜。怖くないからね」

 ごめんね、と。

 唇は声にならず言葉をなぞった。

 互いの首筋に刃を当てて。


 俺がやった。

 母さんを、殺した。


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