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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十四話 梁巴
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8

 南の道に沿って山の中を歩く。

 罠の点検と偵察を兼ねて。道の上では戔兵が働く姿が時折見えていたが、進むにつれてそれも無くなった。

 今は一人だ。波瑠沙にも来させなかった。

 偵察だから一人で十分、お前の馬鹿力は土木工事の方が向いてる。そう言ったら一発殴られたが深追いはされなかった。

 何か察してはくれたようだ。

 一人になりたかった。

 周囲の為に笑う事に疲れた訳じゃない。そうする事で癒えるものは感じている。

 だけど、どうにも、何か、自分を偽っている感が拭えなくて。

 俺は笑っていて良い人間じゃない。

 大きな罪を犯して、償いもせずに。

 蘇った記憶に押し潰されそうになる。

 木の幹に寄り掛かり、そのままずるずると身を沈めた。

 信じていた。まだ何処かで。あれはただの悪夢だと。自分が作り出した偽りの記憶だと。

 燈陰の言葉は信じるに値するものでは無かったが、とりあえず彼には許されたのだという安堵はあった。

 哥王の証言で完全に安心していた。やっぱりそうだった。あれはただの悪夢だったと。

 それこそがこの傷を塞ぐ為の嘘で。

 それは波瑠沙の為だろう。恨む気は無い。

 だけど、その分、真実を思い出した今の反動が辛い。

 本当は真っ暗なのだ。

 何も見えない。

 このまま地獄に向かう。

 その通り道でも良い。何処かであいつに会いたい。

 きっとまた殴られるんだろうけど。それでも。

 否――そんな夢は贅沢か。

 独りで真っ暗な地獄に向かう。

 波瑠沙は来なくていい。あいつに罪は無い。生かさねば。

 がりっと口元で音がした。

 無意識に噛んでいた指に血が滲んでいた。

 過呼吸を抑える方法だと昔母さんに教わった。教わったというより、して貰った。

 以来、その方法は少し歪んで、不安な時の癖になった。繍では何度も自分の指を噛み破っていた。

 最初の過呼吸の原因は何だったっけ。よく覚えていないが、梁巴の子供達が寄ってたかって自分を虐めていた光景は思い出される。

 異端だった。子供にとっても、大人にとっても、自分は、この小さな村で。

 味方で居てくれたのは、母と、華耶の家族くらいのものだ。

 みんな失ってしまった。自分の力が足りないか、或いは、自らの手で。

 もう疲れた。もう良い。

 終わらせてしまいたい。

――気配がした。

 意識せずとも体は動いた。跳び、相手を上回る速さで追い付いた。

 真っ黒な影から銀の刃が飛ぶ。刀を瞬時に抜きながら弾き、その軌道のまま相手に斬り付ける。

 その場に居た筈の影は消えていた。が、もうこちらも慣れたものだ。背後に刃を走らせる。

 刀がぶつかり合う。初めてまともに向き合った。

「まだ生きてたんだな」

 冷たく笑って朔夜は言ってやった。

「お前もな。――月」

 影は上へ跳んだ。

 逃がす気は無い。後を追って跳び、空中で刀を振る。

 影は浮きながら体勢を変える。くるりと回って刃を避ける。しかし。

 そんな事は計算済みだった。こちらの刀は一つではない。

 左手から短刀を放った。刃は影の命である脚、太腿に刺さった。

 一方は落ち、一方は着地して。

 右手に刀を持って悠々と近寄る。

 間合いまで来た途端、飛び道具が放たれた。

 至近距離で避ける事は出来なかったが、所詮こんなものは致命傷にはならない。

 腹に刺さったそれを、左手で引き抜いて、捨てた。

 血が滲む。

 痛みなど感じない。

 そうしながら刀はきっちりと影の首を捉えていた。

「桓梠は本気で俺を狙ってんだな」

 そうでなければこの再会は無い。

「お前の帰りをお待ちになっている」

「何の為に?死にたいのか、あの野郎は」

 刀を動かし、例の真っ黒な仮面に当てた。

 結び紐を切る。刀の先で掬い上げて退かす。

 鼻の無い顔。紛れもない、本物だ。

 俺がこの地で斬った、本物の影。

 その顔がせせら笑っている。

 この不気味な顔にかつては贖罪の意識から押し潰されたが、今はもう何も感じない。

 そこまで子供じゃなくなった。

「成長したものだな、月よ」

 同じ事を相手も考えたのか、馬鹿にした口調で言った。

「桓梠様もお喜びになるだろう」

 一度刀を振り上げて。

 首を斬る――寸前で止めた。

「あの野郎に伝えろ」

 迸る殺気は、氷のような声になる。

「俺はここで待っている。次はどっちかが死ぬまでの再戦だ、ってな」

 影は鎌のような口で笑った。

「面白い事になりそうだ」

 言うなり、身を翻して姿を消した。

 意味の無くなった刃を鞘に収める。

 影の血を吸った短刀もその場に落ちていた。

 血を払って。

 腹の傷の痛みがじわじわと襲ってきた。致命傷にはならないが、内臓はやられている。

 面倒だなぁ、と。

 短刀も鞘に収める。波瑠沙にまた怒鳴られるなと思いつつ、ふらふらと踵を返した。


 予想通り波瑠沙にはこってり絞られ、傷が治るまで庵に監禁、その後も保護観察という罰を受けた。

「いや、でもさ。朔兄は幸せだよ」

 雨戸を開けた庵の縁側に並んで座り、賛比と木の先を削っている。

 これも罠になる。鋭く尖らせて、道の中に掘った穴へ並べる。

「そこまで想ってくれる人が居てさ。俺もそろそろ欲しいけど、今の立場じゃなぁ」

「お前は宗温だろ。保護観察。ぴったりじゃねえか」

 多少やさぐれ感のある朔夜の返し。

「まだそれ言う?もう三年経ってるんだよ?」

「それだけ俺が後悔したって事だよ。お前らに自由にさせるんじゃ無かったって」

「そりゃ、青惇には悪かったけどさぁ」

 二人共溜息でその話を打ち切った。あまり深く思い出すのは辛い。

「頼むから今度は勝手な突出はしないでくれよ」

「朔兄に言われてもなぁ、それ」

「なんだよ?文句あるか」

「単独行動で腹に穴を開けて帰ってきた人に言われてもなぁ、って事」

 悪く笑う頭をはたいた。

「もう治った。擦り傷だったし」

「一般的には擦り傷って言わないよ、それ」

「うるせえ。黙っとけ」

「黙ってやらないもんねー」

「こいつ」

 三年経って随分生意気になった。

 見た目はもう逆転されている。賛比の方が背も高く大人の見た目だ。

 傍目には朔夜の方が手玉に取られているように見えるだろう。

 容姿はここから連れ去られた時と殆ど変わらないまま。十歳前後の顔貌のまま、少し背が伸びたくらいか。

 不老不死の不老の部分がものを言っているのだろう。それにしたってもう少し成長させてくれても良いのに。

 母を亡くした瞬間で時間は止まった。

 どうしたらまた動き出すのか。否、俺はそれを望んでいるのか。

 何も分からないまま。

「朔!」

 波瑠沙が馬に乗って戻ってきた。

 賛比達が来た時と同じだ。何か物音がするからと見に行っていた。

「来たぞ!宗温が!」

 顔を上げる。

 本隊が来た。約束通りに。

 先行隊が来てきっちり十日。流石は宗温だ。

「行って良い!?」

 立ち上がって走り出しそうな朔夜を、後ろから賛比が裾を捕まえて止めた。

「行かなくても来るから!」

 賛比に対して良い仕事だとばかりに波瑠沙は笑顔を向けて、自分は再び来た道を引き返した。

「あー、もう!やっぱりお前のせいだ!」

「そんなに焦らなくても」

 地団駄踏んで悔しがる朔夜に賛比は苦笑して宥める。こうして見ると精神的にも逆転現象が起きている。

 程なくして大隊が姿を現した。

 率いるのは勿論宗温。その横に燕雷の顔もある。哥から戻ってきたようだ。

 迎えた顔に宗温は笑みを向けた。

「賛比、先行隊の指揮、ご苦労だった。恙無くやり遂げたと団雲から聞いている」

「はい!総督もお疲れ様でした!」

「問題はここからだよ」

 低く言って下馬し、その馬を賛比が急拵えの厩へと連れて行く。

 宗温は真っ直ぐ朔夜の前に立った。

 無表情でその顔を見上げる。

「私は君に何から言えば良いのか」

 複雑な表情は逆光になり影になっている。

 朔夜は小さく息を吐いて、後ろを振り返った。

「ここで話す事じゃないのは確かだから、中に入るか」

 宗温は頷く。戻ってきた波瑠沙にだけ手招きをして中に入れた。

 雨戸を閉め切った庵の唯一の空間で。

 天井に近い所にある明かり取りの窓だけが唯一の光源だった。その光は、影を多分に含ませて互いの険しい顔を浮かび上がらせる。

 宗温は再び口を開いた。

「完全にこれは戦となりましたね。君の望む通りに」

「鵬岷から聞いたか」

「ええ。しかしそれ以前に、苴が出兵を決めた事で戔に選択肢は無くなった。戔に、と言うより、私に、と言う方が正確ですが」

「お前には悪いと思ってる」

「私に?謝る先が違うでしょう?」

 息を吐き、瞼を閉じる。

「何の為に龍晶陛下は命懸けで君を守り、苴に命を棄てに行ったのですか。君が一番よく知る事でしょう。何故裏切るような真似をするのです。私はそれが何より許せない」

 何も言えない。言えない代わりに涙が溢れた。

 呼吸が浅く苦しくなる。息の仕方が分からなくなる。咄嗟に己の手で口を塞いだ。

 口の中に血の味が広がる。

「朔…」

 波瑠沙が立ち上がって体を庇おうとした。が、宗温の手で阻まれた。

「手出しは無用に願います、波瑠沙殿。これは差しの勝負なので」

「こんなに苦しんでるのを傍観しろって?やるなら刀でやれよ!どれだけ今こいつが襤褸襤褸になってるか分かるだろ!?」

「そうだとしてもです。私は朔夜君の言葉が聞きたい。弁明でも、言い訳でも。龍晶陛下に何と申し開きするのですか」

 遠退きかけた意識でその言葉を聞いていた。

 気付けば床に突っ伏していた。手を噛んだまま。

 少しずつ呼吸が深く戻っていく。意識してゆっくりと吐き出し、繰り返す。

 思考も少しずつ整理されていった。己を苦しめているものの正体。

 救えなかった過去の事。救わねばならないのに何も出来ないこれからの事。そして、あいつへの裏切り。嘘。

「言葉での援助はしなきゃ良いんだろ」

 波瑠沙は言って、朔夜の傍らに屈みその身を助け起こした。

 彼女の温度で呼吸は落ち着いた。

 それでも泣いていた。子供みたいに。

「宗温…」

 喋れる所まで回復しても、まだ苦しく。

「何も言わずにやらせてくれ…頼む…」

「そういう訳にはいかないから詰問しているのです」

 分かっている。こいつは龍晶の遺志を継いでいるのだから。

 兵を、民を、使い捨てさせる訳にはいかないのだ。

「前王を殺すのは明らかな挑発行為だろう…」

「だとしても、その挑発に乗るか否かは別問題です。龍晶陛下は絶対に乗る事は無いでしょう」

「あいつの為じゃねえよ。俺の為だ」

「…はい?」

 血色も表情も抜けた顔に、雫だけが落ちる。

「悪魔を滅ぼす為の儀式だ、これは」

 無表情に見えた目の奥に。

 ぎらぎらとした光が見える。

「繍と共に悪魔も滅びる。お前達が世界をこのままにしておきたいなら、この戦を認めると良い」

「世界を…」

「言ったろ?こんな汚れた世界、俺が壊すって」

 開いた目は、激しい憎悪と。

 後悔と、哀れみが、光となって。

 宗温は息を呑んで考えていた。

 止めるべきか、否か。

 今ならまだ間に合う?

 否。

「…俺だって嫌なんだよ」

 もう睨む力も無くし、波瑠沙の腕の中で。

 何も見ないよう、体に顔を押し付けながら。

「怖い。苦しい。止められるもんなら止めてくれ。どうして俺が何より憎む事を自分で始めなきゃならない?どうして…」

 嗚咽のような呼吸を挟んで。

「どうしてこんな世界にまだ生きなきゃならない!?どうして世界はここまで俺を生かした!?もうたくさんなんだよ!もう終わりにするんだ!世界か、俺か、どっちかが…」

 抱き締められる強さだけ。

 信じられるのは、それだけ。

「…みんな死ぬ。俺のせいで」

 意識を失った腕の中の魂の代わりに波瑠沙は相手を睨んでいた。

 忘れさせておきたかった本音を全てぶち撒けさせて、相手は何も返そうとしない。

 卑怯だ。こんな勝負。

「…答えにはなってない」

 やっと、宗温はそう口にした。

 その言葉の非情さに刀を抜く所だった。朔夜が腕の中に居なければ。

「答えなんざ無いだろ」

 突然、雨戸が開いて二人は眩しさに目を細めた。

 燕雷が入ってきた。外で聞いていたのだろう。

「戦に答えなんざ無えよ。そんな事で人を殺せるか」

 彼は波瑠沙の横に膝を付いて朔夜の様子を窺った。

「ちっとは食えるようになったんだな」

 痩せ方が酷かった頃に比べたらマシになっている。

「ここに来てからね」

 波瑠沙は答えて、朔夜を抱きかかえたまま立ち上がり、足で布団を敷いた。

 そこに寝かせて、毛布の上から胸を撫でながら。

「…思い出したみたいだ。母親が死んだ真相」

「え…!?」

「やっぱり俺だった、って」

「有り得ない」

「どうかな?詳しくは聞いてないよ。そんな事出来るか。それでもこいつは表面上は平気な振りをしてたんだ。食って眠れるようになったし、普通に笑うようになった。とにかく今は忘れよう忘れようって自分に言い聞かせて。だから今は放っておいて欲しかったんだよ、総督。傷を抉るような真似はしないで欲しかった」

 宗温は口を引き結んだまま波瑠沙を見詰めていた。

 彼女は堪えるように上を向いた。

「怖くて不安でしょうがないんだ。夜になったら泣いてる。昼間平気な顔をしてる分、夜になったら色々襲ってくるんだろ。本当は立ってるのも辛いんだ。それでも行く所まで行かなきゃならない」

「何処に?」

「さあ…自分の死場所じゃないかな」

 波瑠沙は再び宗温を見据えた。

「もう止められない。こいつは繍の忍びを捕まえて桓梠を煽った。繍軍は必ず来るだろう。ならもう、腹括って戦うしかないんじゃないのか?理由が何であれ、軍人なら軍人らしく戦をするより無いだろ?」

 宗温は息を吐き、頷いた。

 燕雷が口を開いた。

「理由は寧ろ向こうに聞くべきだな。桓梠がまたこいつを手元に戻そうとする理由…それが分からん」

「確かに。龍晶様を襲撃させた理由もそこにあるのだとしたら…」

「朔に理由を求める方が無理だろう」

 走りくる足音。一同が顔を横に向けると、開いた雨戸の隙間に賛比が取り付いた。

「総督!細作から報せが!」

「なんだ?」

「繍軍が麓まで来ているそうです!数はおよそ一万五千!」

 ここに居る戔軍は八千。

「やるか」

 燕雷が自らの膝を叩いた。

「やってやろうぜ」

 楽しそうに笑みを浮かべて波瑠沙が言った。

 宗温は再び、深く頷いた。

「やりましょう」


 戦にはしたくないんだ。

 龍晶は言った。

 分かってる。誰よりも、俺はそれを分かっている。

 同じ想いを持っていたから。

 戦の道具だった俺を人間に引っ張り上げてくれた。

 その俺が人間となって、戦を始める。

 皮肉だよな。そんなの。

 でも、お前は分かってくれるかな。

 戦無き世を目指すと言ったお前の夢を叶えるには、今の世界のままでは駄目なんだって。

 一度悪魔が世界を壊すから。

 その上でお前の夢を叶えれば良い。

 出来る筈だよ。だって。

 もう、お前は一人じゃないから。


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