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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十二話 葬送
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  挿絵(By みてみん)  



 いくら念じても傷は塞がらなかった。

「待って…頼む…龍晶(リュウショウ)

 焦り、呟きながら、傷口を抑え続ける。

 光は現れない。

 温度は奪われていく。

 場所が場所だけに、掌を通じて分かってはいる。

 もうその鼓動が消えている事は。

「駄目だ…駄目だよ、待てよ!逝くな!」

 叫んで、歪めた顔を上げて。

燕雷(エンライ)!」

 納屋に珠音(シュオン)を閉じ込めた彼が戻ってきた。

「教えて…蘇生させる方法…。不死にさせるんだよ!そう望んでいたから、こいつは!」

「朔、それは」

「頼むよ!このままじゃ死んでしまう!」

「言ってるだろ。俺も知らない。そんな事しちゃならない」

皓照(コウショウ)を呼んで!あいつなら…」

 屈んだ燕雷が、頬を平手打ちにした。

 横を向かされたまま口を閉ざし、痛みに耐えるように目を閉じる。

「人に戻るんだろ、お前は。そんな事、するな」

 燕雷は、眠る龍晶の息を確かめた。

 息を飲む彼の家族達に、首を振って見せる。

 華耶(カヤ)の泣き声を聞いた。

「とーと、ねちゃった?」

 まだ理解できない春音(シュンオン)の声。

「おきて。あそぼー」

 嗚咽を噛み締める。まだ、

 まだ、諦めてはいけない。

 開いた目を擦って。まだ泣くもんか。

 方法。華耶を蘇らせ不死にした時を思い出す。あの時の光景に答えはある。

 共に同じ矢に貫かれた。そして落下し、炎の中へ。しかしそうはならなかった。

 血。そうだ、血だ。

 悪魔となった己が口走った事がある。不死となった人間の血を飲めば、お前も不死になれると、龍晶の兄へ向けて。

 華耶はあの時、矢の雨を浴びた俺の血を飲んだ――密着していたから、偶然口に入ったのではないか。

 血を。俺の血を。

 短刀を抜いた。が、途端に。

 今度は波瑠沙(ハルサ)に殴り飛ばされた。

 刀が手から離れて飛ぶ。それを拾おうとしたが、蹴られて離された。

「違う…!必要なんだよ!こいつを不死にする為に!」

 叫んだが、理解されなかった。

「その前にお前が死ぬんだろ!?絶対許さねえよ、そんな事!」

「違う!龍晶を不死の身にするんだ!永遠に生かしてやるんだよ!今なら出来る!」

「朔夜!」

 華耶の叫び。

 目を見開いて、彼女を見返す。

「もう良いの…。ありがとう。でも、彼はそれを望まない…」

 首を横に振る。

「だって…言ってたんだ。俺を不死にしてくれって、こいつは」

「知ってる。もう諦めたって。昨日の晩にはもう、何もかも覚悟してたよ。骨は北州に連れて帰ってくれって、そう言った」

 華耶が動いて、転がる朔夜の顔に触れた。

「それより、あなただよ。彼は望まない。あなたがそんな力を使う事。自分の為に、朔夜(サクヤ)が犠牲になる事…」

 固く目を瞑る。

 彼女の手を抜け出して。よろめいて立ち上がり、此処ではない何処かに行こうと。

 あいつの生きている場所へ。

 喚き、叫んだ。何も意味の無い声を、喉が潰れるまで。

 誰か。

 誰でもいい。

 俺を殺してくれ。

 あいつの所へ送ってくれ。

 共に逝くんだと約束したから。

 否――約束は、永遠に生きて、戔を見てくれ、と。

 力を失って倒れる。とめどない嗚咽だけが残った。

 波瑠沙に身を包まれる。

 それすら受け入れられなくて、暴れて。

 でも彼女の力に敵わない。両腕をしっかりと固定されて、耳元に聞きたくもない言葉を落とされる。

「今は私のせいで生き残ったと恨めば良い。お前に会えなくなる方が嫌だからな。…死ぬな」

 頭は理解を拒絶した。嗚咽する喉の奥で、殺してくれと願い続けた。

「死ぬな…生きろ。お前の友はそう願っている」

 知っている。知っているけど。

 あいつの願いじゃない。俺が、死にたい。

 終わらせたい。こんな世界、生きたくもない。

 共に逝きたい。

「さく」

 間近で春音の声がした。

 目を開くと、鞠が差し出された。

「げんきだして。あそぼ」

 友が遺した幼子を見つめる。

 何か信じられない気持ちで。

 希望、だろうか。

 最近の会話は、俺の代わりにお前がこの子を見守っててくれと、遠回しにずっとそう言っていたから。

 鞠に手を伸ばす。

「やったー。さく、なげてなげて」

 あいつの魂は、きっとこの子の中に宿っている。

 この子の中から叫んでいる。

 生きろ。

 お前が、俺の代わりに。

 俺の分まで。

 鞠を、空へ、高く高く投げた。

 春音の笑い声。それに幾許か救われて。

 せめて、頼むから、空の上で笑っててくれ。

 ずっと。今までの分まで。


 死に顔は微笑んだままだった。

「…綺麗だね」

 撫でながら華耶が呟く。

 枯れ果てた涙はもう出てこない。虚ろな目で、最後の最後までその姿を目に焼き付けようと。

 ただ眠っているだけにも思えて。

 目が覚めて、また、ただいま、と。

 そう言いそうな口元。

 春音は母の膝で両親を見比べている。

 少しずつ、何か分かり始めたのだろう。

 隣で十和(トワ)が嘆いている。祥朗(ショウロウ)は背を向けてすすり泣いていた。

 何も見たくなくて、朔夜は縁側で虚ろな目を空に向けていた。

 隣には常に波瑠沙が居てくれる。

 確かに彼女が居なければとっくに刃を己に向けていた。もう殴られるのは御免だからその気力は失せた。

 否、殴られたかった。痛みが欲しかった。

 だけど指一本動かす気になれないだけ。

 このまま空に吸い込まれて消えられたら。雲のように。

 人が来た。韋星だ。

 燕雷が庭で立ち塞がるように応対した。

「仔細は部下から聞いた」

 そうだ。最近は彼の部下達が交代で常に見張りに立っている。

「下手人は?」

「そこの納屋に閉じ込めてる。だけどまだ子供だ」

「成程。いずれ引き取りに来よう。まずは遺体を荼毘に付さねば」

「暑くはないし、そう急ぐ事は無いんじゃないのかい?」

 長屋の中を見ながら。華耶の俯く顔を。

「ここの裏に空き地があったな。山の上だ。丁度いいだろう。支度に一日かかる」

 事務的に韋星は告げる。

 燕雷は頷いた。

「そこまでしてくれるのなら、頼もうか。こっちは誰も動く気にならんから」

「そのようだな。気持ちは分かるが」

 初めてこの男の心が垣間見えて、燕雷は目を丸くした。

「陛下に報告する。戔にも使いを出すが、良いな?」

「ああ…頼む」

 別れて、燕雷は朔夜の前に腰掛けた。

「あと一日だ。お前もちゃんと見ておけよ」

 反応する気になれなかった。

 それも織り込み済みとばかりに、燕雷はもう一言添えた。

「馬鹿な事は考えるなよ」

 なんだ、それ。

 思考の止まった頭では自分が死ぬ事以外に思い付かない。

 でも問うのも馬鹿馬鹿しくて――声を出す気力が無くて、ただただ虚無に浸り続けた。


 夕飯は波瑠沙と燕雷で用意してくれた。

 流石に華耶も動けなかった。だが、出されたものを感謝して口にする気力はあった。

 春音にも食べさせねばならないからだ。椀の中の粥を、息子の口へ運ぶ。

 春音はぐずった。

「いや!」

 我儘に耐えられる気力までは無かったのだろう。珍しく彼女は溜息を零した。

「良い子にして。お願いだから」

「いーやっ!」

 怒っている。小さな体で。

 何に怒っているのだろう。

 華耶はもうそれを考えられない。

「春音!お父様の前で我儘はやめなさい!」

 叱る。だけど幼子は泣くだけで。

 華耶も一緒に泣き出した。

「華耶様、あとは私が」

 ずっと嘆き悲しんでいた十和が春音を引き取って、あやしながら庭へと向かう。

「じぶんでたべるのー!」

 泣きながら春音が十和に訴えた。

 それで怒っていた。華耶は無力感で力が抜けてしまう。

「疲れてんだよ。ちょっと寝な」

 波瑠沙の言葉に頷く。

「隣に布団敷いてやるから」

「ありがとう…」

「ぜーんぜん。たまには甘えろ」

 笑いながら隣の部屋に入っていった。

「朔夜」

 縁側から動かない幼馴染に声をかける。

「朔夜も食べてね。お願い」

 粥の入った椀は置かれたまま、夜の空気に冷え固まっていた。

「ごめんね…。朔夜も怒ってるよね。私、何も気付けなくて…」

 やっと、ゆっくりと、視線が向けられた。

「止めてごめんね。不死にする事、せめて試して貰えば良かった」

 小さく首を横に振って。

「華耶は悪くない。何も」

 それだけ言って、また虚ろに空へと意識を向ける。

「朔夜…私を一人にしないでね」

 こくりと、頭が落ちた。

 だが、頷くにしてはそこから元に戻る動作が無くて。

 一人にはしたくない。が、守れない。

 そう言っているようだった。

「お待たせ。ほら」

 波瑠沙が戻ってきて、華耶に手を差し出した。

 握り返して、強く優しい力に引かれるまま立ち上がる。

「波瑠沙さん、朔夜を…」

 褥へと押し込まれながら、華耶は縁側の背中に目を向けて言った。

「大丈夫、分かってるよ。あの馬鹿野郎」

 言葉とは裏腹に口は笑っている。

「意地張って食わねえなら、春音みたいに自分で食いたくなるようにしてやる」

「どうやって?」

「龍晶も言ってたじゃん?口移しの刑だ」

 思わず華耶は笑った。

「刑にならないよ。ご褒美だよ、それ」

「いやー、あいつ嫌がるからさ。照れ隠しだろうけど」

「見せてあげてよ、彼に。きっと笑うから」

「だろ?また皆で朔ちゃんを揶揄ってやろうぜ」

 華耶は笑いながら溢れた涙を拭いて、布団の中に丸まった。

「ありがとう。おやすみ」

「うん。ゆっくり寝ろよ」

 眠りに落ちるまで、それとなく見守って。

 戸を閉める。これで龍晶からの無理難題は少し応えられただろうか。

 華耶はもう大丈夫だと思う。生きる気になっている。幼子が目の前に居るから、そんな選択は出来ないだろう。

 問題は、寧ろ。

「いい加減にしろ、お前は」

 呆れ混じりに隣に並ぶ。

 随分肌寒い。波瑠沙でさえそう思うのだから、肉の無い朔夜は尚更だろう。

 だがそれを感じていない。まるでかつての龍晶のようだ。感覚が麻痺している。

「皆が寒いから入れ。雨戸閉めるぞ」

「良いよ。閉めて。ここに居るから」

「ったく。馬鹿野郎」

 罵って、体を抱え込み、持ち上げた。

 抵抗しない。体は力が抜け切っている。

 部屋の中へ放り出して、ついでに椀も中に入れて、雨戸を閉めた。

「世話が焼けるよなぁ。済まんな、お子ちゃまが」

 燕雷が炉を準備してくれた。火を入れて、暖まる。

「良いよ。私がこいつを選んだんだから」

 朔夜は投げられたそのままで項垂れていた。

 その上に毛布を被せてやる。

 抱き上げた時、生きてるのかと疑うほど体は冷え切っていた。

「時間を掛けて治せば良いって言ってやりたいけどさ」

 怒りながら、肩を揺すって。

「華耶を前にそんなツラをいつまでも晒すなよ、馬鹿。しゃんとしろ」

 言うだけ言って、冷えた椀の中身を自分で掻き込みつつ、土間へと降りた。


 夜中。

 重い体を動かして、やっと向き合った。

 綺麗だという華耶の言葉が分かる。元々の綺麗な顔に、あるか無しかの仄かな微笑。

 俺の顔を見て最後に笑った。

 あの時のまま。

 何を期待して笑ったんだろう。治そうとした手を止められたから――否、止めたのではなく頼むという意味だったのか。否、わざわざそんな事をしなくても。

 華耶は言っていた。昨晩にはもう覚悟を決めていたと。

 分かっていたんだろうか。こうなる事を。

 何か予見して。

 ならば自分を道場に向かわせずに居た筈だ。

 だけどあんな馬鹿な言い合いして。最後の最後に。

 ああ、でも。

 避けられない運命だとしたら、俺も同じ事をしたかも知れない。

 いつものように馬鹿な喧嘩をして。しょうがねえなこいつはって思いながら。

 最後にこいつの顔を見て満足するだろう。

 だから笑ったんだ。

 やっぱりお前は誰にも代えられないって。

 ただただ、隣に居て良かった、って。

 楽しかった。

 そう、満足して。

「馬鹿…」

 滲む涙を手の甲で拭く。そのまま額を支えて。

「なんで教えてくれなかった…。知ってたら、お前に何言われてもここを離れなかったのに」

 どんな形で己の死が訪れるかは知らなかったのだろう。

 本当はもう少し続くと思っていたんじゃないか。

 冬になればもう無理だと言っていた。だからあと数ヶ月は、このままだと思っていて。

 まさかこんな突発的に終わるとは思わないから。

「悔いてないのか、お前は」

 そういう顔に見えない。

 やり遂げた笑みにも見える。

 生き抜いた。何度も投げ出そうとした生を、ここまで。

「俺達、出会えてなければ、もう少しお前は生きてたのかな」

 そんな気がする。少なくとも致命傷を与える事は無かった。

 だけど、自己弁護のつもりは無いが、こいつは生きながら死んでいたような気がする。

 あのまま非道な兄や取り巻きに魂を抜かれて。ただただ耐えるだけの日々を続けていたら。

 どうなのだろう。考えても栓の無い事だが。

「駄目だな。俺は後悔ばっかりだ」

 何か一つ、変わっていたら。

 今もまだ、息をして。

「ごめん…」

 ――謝るな。

 しつこいんだよ、お前は。

「じゃあどうすりゃ良いんだ」

 にやりと、口元が笑った気がした。

「勝手に一人で逝きやがって」

 気のせい。何も変わってない。綺麗な死に顔。

「目ぇ覚ませよ龍晶…。春音に失わせるなって、あれほど言っただろ。華耶を悲しませるなって、あれほど…。俺の為に目ぇ覚ませよ。なあ」

 涙を拭う事も、もう忘れた。

「頼むよ。一人にするな…」

 背後で、とぷんと、独特な水音がした。

 振り返ると、波瑠沙が酒瓶を差し出していた。

 頷いて、彼女に向き合って、受け取る。

 栓を開けて、煽った。

 飲み込んで、ゆるゆると息を吐いて。

 彼女の肩に額を付ける。優しい手は、頭を撫でて包んでくれる。

「悪い。俺もう、一人じゃないんだった」

「思い出せばそれで良いよ」

 口は、痛みを隠して笑って。

「それも…分かってたからだろうな。優しいから、俺の事まで考えて」

「うん。私もそう思う。こいつはお前の事心配してた」

「重荷になってたのかな」

「それは違うと思うぞ。お前ならどうなんだよ?」

「いくらでも世話を焼いてやるって…いっつも言ってやってたからな。しんどい事はあったけど、今となっては良い思い出」

 言ってしまって、首を振って。

 酒を口に流し込む。

「まだ思い出とか言えねーよ…」

「良いじゃん別に。時間は流れてんだから」

 拗ねたように黙って。

 彼女の膝の上に頭を置いた。

「うわ、甘えるねえ」

「許せよ。今日くらい」

「良いけどさ」

 けけっと笑う声。

「お前が私で我慢してくれるなら、いくらでも何でもしてやるよ」

 我慢じゃないけどさ、と小さく返して。

 疲れ切った頭を眠らせる。

 あいつが波瑠沙と共に居る事を喜んでくれたのは、今を見越しての事なんだろう、と。

 敵わないな、と小さく笑った。


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