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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十四話 梁巴
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  挿絵(By みてみん)


 敵の通りそうな細道に、黙々と鍬を突き立てる。

 穴を掘って、そこに先を削った木柱を立てる。そして気付かれぬよう穴を塞ぐ。

 梁巴の南面に沿う道に、そういう罠をいくつか仕掛けている。

 土木仕事をしていれば幾らか気が紛れるのか、精神的な打撃からは立ち直ったように見える。

 だが、ふとした瞬間に瞳は遠くを見ている。

 何を見ているのか、見たのか。

 波瑠沙は聞けないまま、目の前の作業に集中した。

 作業の合間に狩りが出来るよう、弓矢を常に負っている。獲物を見つけ次第追うのだ。

 そうせねば飢えてしまう。先日は鹿を得た。鍋にして、残りは干し肉にした。

 思いがけず射的の腕も上がってしまった。

「流石だよな。何やらせてもすぐ上達しちまうんだから」

 鍬を肩に担いで朔夜は悪戯っぽく笑う。

 そう、笑っている。表面上は、何事も無かったかのように。

 あれからずっとこうだ。元に戻ったというべきか。

 痛みを心の底に追いやって、忘れたふりで笑っている。

「武器に関する事だけな」

 波瑠沙は言って、今日の獲物を持ち上げた。

 兎。身は少ないが、贅沢は言っていられない。

「俺もちょっと獲ってくる!」

 言って、走りだす。

 おい、と声を上げたが焦って追うつもりは無い。

 走って行った先で、ざぶんと水音がした。

 おいおい、魚が驚いて逃げるだろ。苦笑いしながら川面を覗く。

 突き出た岩から深みに飛び降りるようになっている。子供達の度胸試しの場だと朔夜は説明した。

 気候は春めいてきている。動けば汗が滲むようになった。身を洗うには丁度良い。

 銀色の影が水底から浮上して顔を出した。

 無邪気な笑顔。手には仕掛けていたらしい魚籠を持っている。

「ちょうど二尾入ってる!」

 下から叫ぶと、手招きして誘った。

 こういう日が来たか、と思わず笑って衣を脱ぐ。

 一糸纏わぬ姿となって飛び込んだ。

 青い水中。きらきらとした水面を目指して。

 顔を出して息を注ぐ。浮いた体を抱き止められる。

 得意満面な笑顔がそこにある。

 顔に張り付いた一房の銀髪を掻き上げてやって、口付けを交わした。

「まだ日暮れまで時間あるよな。泳いで行こう」

 言うなり、潜水していった。

「私は新鮮なうちに獲物を捌きたいんだけど!?」

 水底に向けて叫んだが、聞こえているのかどうか。

 苦笑いして、諦めた。

 楽しんでいる。この束の間の平和を。昔のままの故郷を。

 それならそれで良いかと思って。

 青緑の中に輝く銀色は綺麗だった。

 満足して岸に上がってきた。先に上がって衣を着ていた波瑠沙が、朔夜の衣を胸に押し当てる。

「ありがと」

 受け取って向けた笑みは本当に子供のそれだ。

 着ながらくしゃみをする。

「やっぱ、まだ寒いな」

「当たり前だばーか。まだ雪も解けきって無いんだぞ」

「そうだった。早く夏にならないかな」

 えっ、と顔を見合わせて。

 完全に先の事を忘れている顔に、思わず吹き出した。

「平和ボケしてんなよ」

「違っ…!水温の事を言ってるだけ!」

「分かった分かった。夏になったらまた泳ぎに来ような」

「次は海だよ。海で泳ぐんだって」

「間に合わねぇよ。せめて来年の夏だ」

 濡れた頭を叩きながら、家路に着く。

 夕焼けが二人を照らしていた。


 梁巴での暮らしが半月ほど経った頃、変化が訪れた。

 異変を察知して馬を飛ばす。あの、一番手前にある村まで。

「賛比!」

 その先頭にあった顔に朔夜の顔は綻んだ。

 部隊を連れてやって来た友人の顔は誇らしげだ。

「朔兄!来たよ!」

 まるで遊びに来たようだ。お互いにそういう気分だ。

「出世したな?」

「まあね。いつまでも総督の腰巾着はやってられないから」

 率いて来たのは物資を運ぶ先行隊のようだ。

 朔夜は早速、自分の村へ彼らを案内した。

 兵達はそこで野営の準備を始める。天幕がいくつも張られ、竈で大鍋が湯を沸かせた。

「お、これで狩猟生活は脱却か」

 波瑠沙がその様を見て嬉しそうに言う。兵糧に頼れば自給自足の生活はしなくて良い。

「あれはあれで楽しかったけどな」

「また魚獲ってきたら?」

 にやっと悪戯小僧の顔をして、年若い友に向いた。

「賛比、暇になったら連れて行きたい所がある」

「どこ?朔兄」

「お前の出世を占う場所」

「へっ!?何それ気になる」

 波瑠沙は傍らで、こいつは泳げるんだろうかと首を傾げたが、関係無いし黙っておいた。溺れてもどうにかなるだろう。

「朔夜君」

 呼ばれて振り向くと、意外な顔があった。

孟逸(モウイツ)?あれ?なんで?」

 戔の臣になった事は知っていても、軍部の人では無かったと思うのだが。

「苴との共同作戦である以上、私が詳細を祖国に報告する任を請け負いました。こちらの動きは逐一私から苴へと送らせて頂きます」

「…苴は動く気があるんだ?」

 自分で脅しておきながら半信半疑だ。

「勿論です。今度は繍を滅ぼすまで攻めます」

「皓照は…」

 言いかけて、頭を掻いた。

 やめた。奴の頭の中を考えても分からない。

「よろしく頼むよ。あ、苴に居るお前の友人はどうなった?」

 範厳(ハンゲン)だ。今は彼に対して憎さ半分、感謝半分。

 彼も内乱を経て立場が変わっているだろう。

「幸い、王の側に付いていたようで。相変わらずでやってますよ」

「そうか。なら良いや」

 負けた弟の側に付いていれば命は無かったかも知れない。

「これは龍晶陛下の弔い合戦なのですよね?」

 思いがけず問われて、朔夜は動きを止めた。

 そうだ。本来はそうだった。

「それを言うと絶対にあいつは嫌がるから、これは単なる演習」

「はは、成程。そういう訳でしたか」

 故人の為の嘘だという事にして孟逸は納得した。

 半分はそれで当たりかも知れない。

 だけど、もう半分は。

「賛比、宗温は?」

「本隊を率いて来ます。十日後くらいかな」

「機嫌は良いか?」

「機嫌の良し悪しを出す人じゃないのは朔兄も知っているでしょう?あーでも、前に朔兄が来た時から機嫌が悪いっちゃ悪いかな」

「…やっぱり?」

「微妙なんだけどね。ずっと近くに居るから分かる。時々貧乏揺すりしてるもん」

「そんなとこ?」

「だから、そんなとこしか分からないんだって。あの人」

 賛比の言いたい事は分かる。宗温は己の気分を表に出す人ではない。言っても仕方ない愚痴は賛比などには話さぬだろう。

 自分の裏切りを既に知っているのか――考えかけて、これもやめた。

 約束通りここに兵が来た。今はそれが全てだ。

「繍兵が通る南面の道に罠を仕掛けてる。これだけの人数が居たらもっと拡大出来るだろ?頼んでも良いか?」

「勿論。その為に来たんだよ」

「案内するよ。お前が罠にかかっちゃいけないし」

「そんな馬鹿なことしないよ!朔兄じゃあるまいし!」

「俺だってそれは経験無えよ!」

 笑いながら道を行く。波瑠沙も一緒について来た。

 三人で南方に通じる道を確認し、帰り道に例の場所へ寄って。

「ここだよ。お前の出世を占う場所」

「へ?川?」

 まだ賛比は分かってない。

「こうやるんだぜ坊ちゃん」

 いち早く波瑠沙が衣を脱いで飛び降りた。

 度肝を抜かれたのは賛比だけではない。朔夜も忘れていた。止めるのを。

 時既に遅しで派手な水音が上がる。彼女の裸を見せる前に朔夜は強引に少年の目を覆った。

「ちょ!ちょっと朔兄!照れ過ぎでしょ!?」

「照れじゃねえよ馬鹿!!お前が見るにゃ十年…いや百年早いっ!!」

「百年は生きてないって!て言うかもう風呂場で見た!!」

「はあ!?なんだと!?」

 前に戔を訪れた時、賛比は波瑠沙の入る風呂を沸かしていたからだ。彼女の事だから普通に窓越しに見せていた…否、やっぱり考えるのは止そう。

「てめえ、覗きの罰だ!上を脱げ」

「えっ。いや、俺、泳いだことない…」

 言い訳は聞いて貰えず、背後から思い切り飛び蹴りを受けた。

「うわぁぁぁあ!!」

 絶叫の後、波瑠沙の時とは倍以上の大きさの水音が谷間に響いた。

 賛比は水中で混乱した。本当に泳ぎの経験が無い。戔人は大体そうなのだが、泳ぐという必要性が普段から無い。

 藻掻く体が急に柔らかなもので抱き止められ、ふわりと上昇した。

 状況を理解するより先に呼吸だ。水面で喘ぎながら横に視線を向ける。

 え、と固まった。それは拙いのでは。

「なんでそーなる!?」

 上から絶叫と共に体が降ってきた。

 二人の横に大きな波を立てたかと思うと、賛比は下から足を引っ張られた。

「うわわ!?」

 溺れる。それを阻止してくれているのは波瑠沙の腕。

 賛比を支えながら下に居る朔夜の頭を蹴った。

「いい加減にしろ、この馬鹿!」

 不貞腐れた顔が上がってくる。

「だって」

「だってじゃねえよ。分かるだろ、こうなるって。坊ちゃんは泳げないんだから」

「やっぱりお前のせいだ」

「おおお俺!?蹴飛ばされて死にかけたのに?俺悪い!?」

「知ってるか?俺以外で彼女に抱かれた男はみんな死ぬんだぞ?」

「ええーっ!?勘弁してよ!不可抗力じゃん!」

「そうだ。お前はいっぺん沈んどけ」

 波瑠沙に頭を抑えられて朔夜はそれ以上馬鹿を言えなくなった。

「ところで坊ちゃん、自力で浮いてるな?そしたらもう泳げるんじゃねえか?」

「えっ?」

 そう言えば無意識に手足は水を掻いている。

 波瑠沙は底抜けの笑みを見せた。

「自分で飛び込んでみな?」

 指を上に向けて。

「ええーっ!?」

「なんだよ。お前も意気地なしか?」

「お前も、って」

 今度は指を下に向ける。まだ朔夜は波瑠沙の手で抑えられて水中で藻掻いている。まだ元気なので息が持っているのだろう。

「…行ってくる!」

 賛比は岸に上がって岩の上へと走って行った。

 やっと解放された朔夜がぶはっと息を吐いた。

「あれ?あいつは?」

 波瑠沙はにやっと笑ってまた上を指した。

 黒い影になって落ちてきた。


 度胸試しは合格した。

 村に出来た陣に戻って、焚き火の傍らで地図を広げる。

 地図と言っても梁巴は戔にとって未開の地であるから、空白が多い。そこを朔夜は自ら筆を取って埋めていく。

 罠を仕掛けた場所には印を付ける。これから罠を仕掛けたい場所にも別の印を付けた。

「ここの道は谷間になってて狭い。上から岩を落としてやりたいな」

 朔夜の構想に頷きながら賛比と、実質的な指揮を取るであろう男が地図を見る。

 この男、団雲(ダンウン)と名乗った。宗温の下で働いてきた古株だ。壬邑(ジンユウ)の戦にも居たらしい。

 お陰で朔夜への信頼度は高い。あの時、命懸けで――実際失ったのは記憶だったが――救った一人なのだ。

 宗温が彼を寄越した意図に感謝した。彼はそう怒ってはないようだ。

「ここの川を越えるように仕向ける。俺が囮になっても良い。普段は堰き止めてあるから、敵が渡る時に一気に水を流す」

 書き込みながら朔夜の口元は楽しそうに笑っている。悪戯を考えている子供のようだ。

 実際それに近いものがある。この戦。

「最後はこの空き地に敵を集める。俺が全部片付ける。皆は見といてくれたら良い」

 仕上げとばかりにぐるりと丸を描いて、朔夜は筆を置いて面々を見た。

「どう?」

「凄いや朔兄。俺わくわくしてきた」

 賛比が目を輝かせて言う。昼間の恨みは何処へやら。

「見事な策です。こちらの犠牲を出さず、敵を一網打尽に出来る――貴殿の力さえ出せれば」

 答えた団雲を、朔夜は冷たい笑いで見返した。

 それを言われるのは、壬邑でのことがあるから。

「大丈夫だよ。あの頃の比にならないくらい、力は自在に操れるようになった」

 相手を黙らせる。

 実際そうだ。もうあんな間抜けな事態にはならない。

 暴走する事も無くなった。だが絶対ではない。

「朔兄、飯が出来たみたいだよ。食おう」

 大鍋で作られた夕飯が配られた。少しずつだが酒もある。波瑠沙は大喜びで飛び付いた。

 和やかに夜は更けた。酒のお陰か踊り出す者も現れて、歌声と手拍子が夕闇に響く。

 朔夜は自分の荷から笛を取って来た。

「持って来てたのか」

「置いておく場所も無いから」

 言い訳めいた理由を波瑠沙に告げて、彼女を隣にして吹き始めた。

 陽気な調べが人々を更に楽しくさせる。

 この場所で響くべき音が、やっと帰ってきた。

 同じ場所で、同じ音を、華耶が聴いていた。

 燈陰も。母さんも。

 あの頃、みんな笑っていた。

 昔と同じように人々は笑い、酔い、踊った。

 夜が更けて解散となり、庵に戻って床につく。

 今宵は簡単に口付け合ってさっさと眠りに向かう。泳ぐと心地よく体が疲れる。

 朔夜は背中を向けて横になった。

「どうした?珍しいな。いつも向き合ってくるのに。あ、上下で向き合いたい?」

 冗談に返ってくる言葉が無い。

 もう寝たのかと思ったが、そうではないようで。

 日の光が眩しければ眩しい程、影は濃くなる。

 背中を向けたその向こうで、抑えた嗚咽が聞こえた。

 丸めた背中を波瑠沙はそっと撫でる。

 昼間は太陽のようでも、矢張り本質は夜の闇に孤独に浮かぶ月。

 嗚咽が疲れと共に消えて寝息に変わるまで、不安な少年の背中を慰めていた。


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