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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十四話 梁巴
25/53

3

 燕雷とは都との分岐点で別れた。

 一度哥に行った後、自分も梁巴から繍に向かうと言って。

 また二人での旅に戻った。

 否。

「なーんかさ、嫌な感じするな。後ろ」

 轡を寄せて波瑠沙が言う。

「どうする?」

「良いんじゃねえの?手出ししてきた所で料理すれば」

「向こうの好きにさせるか」

「無謀なんだよなぁ。ま、まさか奴らも銀髪の可愛い坊ちゃんが悪魔だとは思ってないだろうけど」

「可愛いは余計」

「坊ちゃんは良いのか」

 不毛にも思える会話で意思疎通は出来た。

 なるべく進む距離を伸したいと、今晩は野宿にする事にした。

 真意は、宿や周囲の民に怪しい目を向けられたくはないからだが。

 騒ぎになればまたこの手の輩は近寄って来る。もしかしたら、碑未の手先なのかも知れないが。

 日の暮れた山中で今日分の足を止めた。

「懐かしいな、こういうの」

 小川の水が溜まって小さな池になる場所を見つけて、夜営の準備をする。

 哥から戔、そして苴に行く旅の最中で幾度も繰り返した夜営だ。

 木に繋いだ馬達が水を飲み、下草を食む。

 朔夜は枯れ枝を集め、火種を投げた。

 今夜は少々目立つように燃やしておきたい。

 波瑠沙はちゃぷちゃぷと池に素足を浸して洗っている。まだ水は冷たい。

「足だけで良いの?」

 揶揄を含んで朔夜は問う。

「へー?そっちこそ良いのかい朔ちゃん?」

「どうとでもなるから、波瑠沙の好きにしたら?」

 振り返る顔がにやっと笑う。焚火の光を受けてその笑みは妖しい。

 幾つもの視線がこちらに向いている。

 朔夜はその視線の主を始末する事しか考えていない。

 碧眼の揺らぎが消えている。迷いも辛苦も一時的に消えた、据わった目。

「いいや。あったかい風呂に慣れたら水浴びは冷たい。まだ寒いし」

 波瑠沙はそう言って引き上げ、焚火を前にする朔夜の隣に座った。

「お前こそ、薬飲んで寝といた方が良いんじゃねえの?どうとでもなるからさ」

 互いに始末は一人で十分だと言っている。

 相手を気遣いながら、その実は自分の獲物が欲しい。

 未だ見えない相手に戦い続ける事に疲弊しているのだ。だから、刀で斬れる相手が欲しい。

「嫌だよ、こんな時に」

「うわぁ、駄々捏ねてる」

 心外だと眉間に皺が寄る。分かっている癖に、と。

 波瑠沙は荷物を引き寄せて食糧を取り出した。小麦を焼き固めたものと、干し肉。

 一食分を隣に渡す。そうしながら自分のを口に咥えている。

 朔夜は半分に千切って返してきた。

「食えよ、そのぐらい」

 嫌そうに顔を顰めるが。

「夜中にまた吐いたら嫌だろ?」

「別に良いけど?しゃーないな」

 受け取って、やっぱり一人半分の食事になる。

「その代わり薬は飲めよ」

「なんで」

「寝る為だけじゃないんだろ?祥朗がお前の為を思っていろいろ混ぜてくれてる」

 不満そうな半目。だが納得はしたようだ。

 恐らく祥朗は眠れない原因を思って睡眠薬よりも向精神薬の成分を強くしている。だからここまで追い詰められいても自傷に走る事が無い訳で。

 同時に逃げ道も無くしている。目的を果たす事より他に考えられない。

「繍まで保つか?お前」

 溜息で答える。

「さあ。半端な所で倒れる気は無いけど」

「じゃあもう少し食うべきだ」

 半分に千切ったものをまた半分に千切って返す。

「食っとけ」

 要らない、とは言わせて貰えなかった。

 無理矢理、口に押し込む。

 繍に居た頃に食わされていた粉の塊の味がした。

 それを薬の入った水で胃の腑まで押し流す。

「…寝ちまうけど、良い?」

 くらくらする頭を隣の肩に預けて。

「良いよ。寝れる時に寝とけ」

 手が、反対側の肩を包む。

 言いようの無い安心感と。

 悲しみが溶け出し、その中に揺蕩うように。

「お前が背負わなくて良いものは、私にくれ」

 微かに頷いたかどうか。

 意識の無くなった体を横に倒し、薄い毛布を掛けてやる。

 体が冷えないように、隣に寝そべって抱えてやって。

 敵はこちらの油断を待っている。抱き合う様を見せつけて挑発してやっても良かったが、朔夜の体力を考えてやめた。

 大刀は常に己の傍らに置いている。

 これがあれば、どんな状況でも切り抜けられる。

 父が守ってくれている筈だから。

――お父さんって、何?

 刀を渡された時に、心底分からずに問うた。

 あれは五歳の頃だったか。

 母代わりの人は、珍しく困った顔をした。

 親というものが分からなかった。陛下も、女官達も、皆が自分を育ててくれているのは幼心に分かっていたが、肝心の親というものに出会う事がなかった。

 王宮の中では親子という存在が無い。他人を通して知るという事も無かった。

「お母様は、覚えている?波瑠沙」

 陛下は訊いた。小首を傾げて答えた。

「あんまり」

 顔も知らない。声も。その温もりも。

 そういう人が居たと、濃い影のようなぼんやりとした存在があるだけで。

 陛下の困り顔に悲しみが混ざった。

「波瑠沙。人と言わず、全ての生き物は、お母さんとお父さんが居て、初めて赤ちゃんとして産まれてくるんですよ?あなたにもその大事な大事な二人が居たんです」

 説明されてもよく分からない。

 ふうん、と流すようにして。

「陛下にも居たの?その二人は」

 その時の、遠い遠い場所を想う目を、忘れる事が出来ない。

「ええ。勿論。大好きな二人でした」

 その意味は分からない。今ならもっと問える事がある筈だが、あの頃の無邪気さが無くなった以上、不躾に問える事では無くなった。

 不機嫌な顔のまま、自分は渡された大刀を睨んでいたと思う。

 重くて持つ事も出来ずに、それは床の上に横たわっていた。

「その、お父さんって人が持ってたの?これ」

「そうです。ですから、それはあなたのもの」

「いらない。こんな重いもの」

「そう言わずに」

 苦笑いして陛下は返す。勿論、五歳の女の子に必要な物だとは思っていないから苦笑いになるのだ。

「刀は持つ人の魂が宿るものです。あなたのお父さんの魂が、この刀に宿っている。波瑠沙、あなたを守る為に」

 渋面を塗りたくった可愛げの無い表情で大好きな人を見上げる。

「へーかのお話、よく分かんない」

 彼女は素直な言葉に笑っていた。

 その刀を抜いて持ってみようと思ったのは何故だったか。

 今でもよく分からない。気付いたらその道へと導かれていた。

 ただ単に負けず嫌いの気性がそうさせたのかも知れない。この刀を使えないのは即ち負けだ。

 刀の上で運命は転がって、気付いたら同じく刀の上で運命を転がされた一人を愛している。

 その彼は隣でよく眠っていた。目前の不安が軽いものにすり替わったからだろう。自分が負わなくても任せていられるから。

 顔に掛かった銀髪を撫でつつ掻き上げてやって。

 可愛い寝顔を見ながら、そっと刀へと手を伸ばす。

 飛んできた複数の矢を、薙ぎ払った。

 大刀に斬られ、防がれた矢が朔夜の体の手前に落ちる。

 彼もまた飛び起きて双剣を手にした。

 起きながら毛布を翻す。次の矢はそれに防がれ、目標物を見失って落ちた。

「寝とけよお前!」

 波瑠沙は叫びながら朔夜の体を飛び越え、矢の飛んできた根源に向かって行った。

 茂みの陰、数人の男の姿がある。

 的が自分から向かってきた事に慌てながら必死に弓に矢をつがえようとしているが、距離を詰められて役に立つ得物ではない。

 一閃した刀は二人を同時に斬り倒し、返しでまた一人を斬った。

 一方、寝ておける筈も無い朔夜は斬り掛かってきた敵の刀を受けていた。

 それも一瞬の事だったのだが、右手の刀と相手の刃を交えさせて、それを弾いた隙に左手の短刀は敵の体を裂いていた。

 次に目を向ける。

 少し身を逸らして刃を躱すと、ひらりと背中を取って左手で突き刺す。その間に次の敵の刃を右手で弾く。

 相手が均衡を失った隙に返す刀で斬り伏せた。

「朔、こっちは終わった」

 潜んでいた弓兵を片付けた波瑠沙が戻って来る。その時には朔夜を囲んでいた敵も皆屍と化していた。

「これで全部?」

 波瑠沙に問う。

「みたいだな。歯応え無いけど」

「そっか…」

 返事をしながら、視界が揺れた。

 崩れ落ちかけた所を、彼女の腕に支えられて。

「だから寝とけって言っただろ」

「寝てたら膾にされるって…」

 意識はあるのだが、頭と体が薬によって眠りを欲しているのだ。

「死体の中で寝る?それでも良い?」

「なんでもいい…」

 場所なんか選んでいられない。ただただ眠い。

 大体、死体に紛れて眠るなんていつもの事。

 波瑠沙は元通りに体を焚火の前に横たえ、毛布を掛けた。

「これでゆっくり寝られるな」

 頷く。もう口を開く力も無い。

 その代わり、腕を伸ばして温もりを求めた。

「はいはい。抱いててやるよ」

 毛布の中で、互いに包み合いながら、眠った。


 男の腹から取り戻した短刀と、もう一振りを両手にそれぞれ持って。

 血の海となった生家を出た。

 故郷は唸りをあげて燃えていた。

 炎の中で、人々は未だに逃げ惑い、殺し合う。

 華耶を探さねばとは思っていた。

 しかしそれ以上に、敵を殺す事が頭にあった。

 こんな光景を作り出した、奴らが憎い。

 目の前で刀を交えている二人に飛び掛かった。完全に隙を突かれた相手はあっという間に刃の餌食となった。返す刀でもう一人も斬った。

 敵?味方?関係無い。

 この光景を作り出したのは、お前達全員だ。

 目に付く男を片っ端から殺していく。歯止めは既に飛んでいる。

 己の意識は無い。憎しみに踊らされて。

 炎の唸り声の向こうで、女の悲鳴が響いた。

 走る。彼女は――華耶だけは、守る。

 男が華耶と彼女の母の腕をそれぞれ掴んでいた。

 その男は、朔夜も知る人間。先日燈陰を責めに家に押し掛けていた一人。

 そいつが、敵兵へと喚く。

「女はやるよ!だから見逃してくれ!」

 敵兵へと放り投げられた少女は既に顔色を失っている。彼女の母は娘を庇った。

「この娘は助けてください!この子だけは!」

 男達は笑いながら母親を退かし、華耶へと手をかけた。

 悲鳴すら上げられないのだろう。彼女は硬直して震えている。

 その隙に女を売った男は逃げようとした、が。

 体は袈裟懸けに切れていた。

「おま…つきがみ…なんで…」

 思ってもみなかったであろう事態に混乱しながら男は死んだ。

 体が倒れる前に懐から抜け出し駆ける。

 華耶の素肌の背中が白く浮いていた。その後ろ目掛けて。

 跳び、顔面を蹴り飛ばす。

 彼女から離れた体を踏み付け、見えぬ刃は下半身をぶった斬った。

 そうしながら自身の腕は隣に居た敵を仕留めに掛かっている。胸を切り裂き、腹を突き殺す。

「朔夜…」

 震える声で後ろから呼ばれた。

 敵が居なくなった事もあり、動きを止める。

 朔夜?誰だ、それ。

 冷たい視線で彼女を一瞥して、次の敵へと走った。

「やめて!行かないで!朔夜が人を殺すなんて嫌だよ!」

 泣きながら叫ぶ懇願も、雑音の一つとしか聞いていなかった。


 俺が俺じゃなくなっても、朔夜って呼んでくれる?

「朔。朔夜。おい」

 呼ばれる声はまだ遠く感じた。

 その名前を呼んでと頼みながら、そこにもう朔夜という自分は居なかった。

 あの時もう捨てていた。繍に行ってから忘れさせられたと思っていたが、そうなるのは必然だった。

 俺は悪魔だ。冷たい非情な、月。

「朔夜」

 また呼ぶ声。華耶ではないのは分かっている。

 華耶は悪魔である俺を否定した。それで良かった。

 今、共に居てくれる彼女は否定しない。共に刀を振るってくれる事で肯定してくれる。

 共に堕ちてくれる。

「波瑠沙」

 目を開けると、鼻の触れそうな位置に顔がある。

 夜明けの光が、青く彼女の顔を浮き立たせた。

「また魘されてた」

「ごめん、起こしたんだな」

「それは別に良いけど」

 物言いたげな表情。目で促す。

「譫言であんまり華耶の事呼んでると、嫉妬しちゃうぞ?」

 冗談にして彼女は伝えた。

「言ってた?」

「二日連続だ。心配なのは分かるがその分私の事も呼べ」

 朔夜は笑って、笑った口のまま呼んだ。

「波瑠沙」

「無駄に呼べと言ってる訳じゃないんだが」

「はーるーさ」

 無視して呼ぶ。何度でも呼ぶ。

 好きだから。その全てが大好きだから。

「このやろう」

 黙らせるように頭を抱え込まれる。胸の中に押し付けられて。

 その温もりの中で泣いた。

 どうしてずっとこんなに辛いのか、分かってしまった。

 この温度を、無にしたくない。

 なのに彼女は共に在ってしまう。

 俺と共に居てしまう。

 この身が向かう先に救いは無いのに。

「なあ、波瑠沙」

 泣きながら言った。

「俺を裏切ってよ」

「は?」

「俺を殺してお前は生き残って。そうして欲しい。頼むから」

 馬鹿、といつものように返しかけた口を閉じて。

 それが本気だと分かったから。

 簡単にあしらうだけではこいつは納得しない。面倒臭いが。

 土壇場で何かをされるよりも、今のうちに納得させておかねばならない。

「お前を死なせる気は無い。それが大前提な。そう思って聞け」

 幼子に言い聞かせるように、目を合わせて、顔を手で包みながら。

「お前が死ぬ時は私も死ぬ。そうしたいと願っている。お前はそれを嫌がるんだろうが」

 頷く。目は合わせたまま。

「あのな、朔。お前がそこまで我儘を言うなら、こっちの話も聞いてくれ。一方的なのは公平じゃない」

「…うん」

「私は飽きるまでお前と一緒に居る。そう言ったろ?それが生きてても死んでても、だ。昨日の夜も言っただろ。共に行く。戦場でも地獄でも、何処にだって。私は私でそうせねばならない理由がある。もう捨てられるのは御免だ」

「お前が誰かに捨てらるなんて事、ある?」

「言いたかないが、前の男はそうだよ。体を利用するだけ利用して捨てられた。軍全体がそうだ。命令すれば女なんていくらでも体を開いて相手の寝首を掻く事ができると思ってる。それで使い捨てだ。お前も似たような所はあったと思うけど」

 表情が翳る。光の無い目で頷く。

 波瑠沙は続けた。

「それと、これを捨てられたと言ったら怒られるけど…両親だ。そもそも私は彼らに捨てられたから、こうしてお前の横に居る訳で」

 仄かに、朔夜は笑んだ。

「…分かるよ」

「お前もそう思うか」

「うん。何があっても一緒に居て欲しかった」

 汚れた肌が脳裏に過ぎる。

「そういう事だ」

「波瑠沙も寂しいんだ」

「ああ。お前に捨てられたら孤独なだけ」

 分かる。立場は同じだから。

「何があっても死なせないし、俺も死なない。絶対に。でも、万一の時は…」

「お互いに裏切りは無しな」

「分かった。そうしよう」

 これでまた、見えない糸で首を絞められる。

 苦しさは募る。だけどもう良い。

 もう良いんだ。

 今まで犯した数多の罪に対する罰を受けて、悪魔は死ぬから。



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