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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十四話 梁巴
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 いつものようにあまり進まぬ夕飯の後、朔夜はさっさと薬を飲んで横になった。

 共に卓を囲んだ燕雷は食べ残しに溜息を吐く。

「もったいねーの」

「私が食べるんだけどさ」

 宣言通り一食の半分以上はあろうかという残りを平らげる。そうやって彼女の体と体力は維持されるのかと感嘆する思いで燕雷は見ている。

 それに比べて、だ。

 横の寝台に顔を背ける形で横になったまま、朔夜は動かない。

 まだ寝ている訳ではないだろう。息を詰めているのが分かる。

「朔」

 波瑠沙が覗き込んで言った。

「心配ならここに居てやるが、どうする」

「何の心配だよ。行ってくれば?」

 言い放って、目を閉じる。

「大人しく寝とけよ」

 小さく顔が上下した。

「そんなに眠れてないのか」

 宿から出て、燕雷が問う。

「ずっと魘されてる。出発前に祥朗の薬を飲んで爆睡するようになったと思ったら、昨日の夜はまた魘されてた」

「それでか。顔色が悪い。食欲も無いんだろうし」

「昨日の夜は薬ごとゲロってたからな。体が物を受け付けないんだろ」

「そこまでして…」

 言いかけた所で波瑠沙が酒場へと入って行った。

 安酒で口を湿らせながら。

「限界なんだよ。そんな事は私もあいつ自身も分かっている」

 頬杖で支える顔は険しい。

「自分で分かってるか?あれ」

「私が居るからどうにか動いてるって自認してる。逆に言えば、私のせいで虚勢を張っている」

「虚勢ねえ…」

「あいつの為を思うなら共に哥へ行くべきだった。そんな選択は二人共出来なかったってだけだ」

 燕雷は酒を煽った。

 空いた杯に並々と注ぎ、彼女の杯も満たしてやって。

「まだ間に合う」

 杯の中に立った波を睨みながら言った。

「そうかなあ」

 半信半疑で波瑠沙はその波を飲み干した。

「馬首を返せば良いだけの話だ。宗温には俺から説明しておく」

「身内はそれで良くても、苴は怒るぞ」

「苴?」

「碑未って野郎を通して朔がけしかけてんだよ。聞いてなかったか?」

「聞いてない。詳しく教えてくれ」

「繍への出兵を促したそうだ。促すと言いながら殆ど脅しだ。普通なら内乱で代替わりしたばかりの国が対外戦争なんかする筈ないから」

「脅しって…何を使って」

 ちらりと目を向ける。

「言わなきゃならんか?」

「知ってるのなら教えて欲しい」

「うん、じゃあ、知らない」

「おい」

 にこっと、女の笑みを浮かべて。

「私だって聞き出すのに散々苦労したんだぜ?タダでは教えられねえなぁ」

 要求は一つ。

 燕雷は上級の酒を頼んでやった。

 それ以上の極上の笑みを浮かべて自ら杯に継ぐ。

「美味い。こうでなきゃ」

「良かったな。で?」

「皇后だよ」

「は?」

「何だよ自分で教えろって言った癖に。それとも意味が分からんか爺さん?皇后を殺すとあいつは脅したそうだ」

 声を低めて、周囲に聞こえぬように。

「馬鹿な…」

「そうだよねぇ。馬鹿やっちゃったよねぇ。ま、私は別に良いんだけど。苴戔で囲んでくれれば敵は減る」

「敵…分からないのか。あいつは逆に敵を増やしているぞ」

「そうだろうね。懸賞金だってそういう事だし」

「苴には今、あの野郎が居る…。見過ごす筈が無い」

「どの野郎?」

「お前は会ってないか?金髪野郎に」

 波瑠沙の目が軽く見開く。

「あいつね。朔が絶対に逆らえないって言ってたあの天然野郎」

「天然なだけなら良いんだけどな。奴は今、苴を裏から操っている」

「前もそんな感じだったと思うけど?趣味なんだな、国を操るのが」

「冗談みたいだがそれが本当だからタチが悪い」

 波瑠沙は口の端を上げて楽しそうに笑う。

「やべぇ状況って事だな?とことんあいつは自分で自分を追い込んでいる」

「楽しんでんのか?酔ってんのか?」

「失礼な。このくらいで酔っ払う私じゃない。危機的な状況ほど好みだってだけだよ」

「酔狂…」

「ま、そういう事だ」

 対して燕雷の表情はあくまで険しい。

「冗談で済まないぞ。二人とも無事に切り抜けたいなら、梁巴には行くな」

「そうだね。それは分かった。でも朔も私も止められないぞ」

「どうして。死なせても良いのか」

 波瑠沙は答えずに唇に杯を付けて香りを楽しんでいる。

「ここに来る前に桧釐に会った。あいつも言っていたが…朔は今、進むべき方向を見失っている。流されるがままに行動しているだけだ。自分の生死さえ見えていない」

「知ってるよ。あいつは死ぬ気だ」

「ならどうして!?」

 彼女が朔夜の死を望む筈が無い。それは有り得ない。

「死ぬ気だから私が死なないように捕まえててやる。それだけの事だ」

「なら、道を引き返せば…」

「それは駄目だ。あいつが腐っちまう」

「腐らせておけば良いだろう」

「嫌だよ。そんな奴は抱きたくないね」

「お前…」

 呆れを込めて見返すと、くくっと笑われた。

「やらせてやろうよ?やりたい所までさ。あいつにとって必要なんだ。連日悪夢に魘されても、心が崩れて壊れそうになっていても、どれだけ国を翻弄して怒らせようとも、必要なんだ」

「…何故?」

「それは知らん。あいつの問題だから」

「はあ?自分だって命懸けだろ?」

「言ったろ。私はこの状況が楽しい。だから引く気は無い」

 本気で呆れ返って天井を仰いだ。

「似合いの夫婦だよ、お前ら。良くも悪くも」

「夫婦よりも戦友だけどな。今は」

 心の底からの溜息を吐いて。

「それならさ、波瑠沙」

「うん」

「保険になるかどうかも怪しいが、最悪の状況を避ける為に打てる手は打って欲しい」

「どんな手?」

「哥王に書状を書いてくれないか。俺が届ける」

「陛下に?」

「この状況を説明してくれ」

「陛下は全部見てるよ」

「だとしても、お前から直接説明があるかどうかで違う。それが援軍…になるかも分からないが、王としても何らかの手を打ち易くなる」

「私が直接助けてくれって言えって、そういう事か」

「そういう事だ。国境を跨いで派手な真似は難しいだろうが、或いは」

 くいっと酒を飲んで。

「お前が言うならそうしてやろうか。陛下だって私が黙って死んだら納得しないだろうし」

「おい…お前も死ぬ気か」

「どっちでも良いんだよな、私も」

「な…?」

「そりゃあ生きて帰れるに越した事は無いけど、戦って華々しく散るのも悪くないと思ってる。あいつと一緒なら尚更」

 疑念を孕んだ目を受けて、笑って。

「なんであいつが死にたがってるか、分かるか?」

「いや…?」

 杯を眼前に、遠い目をして。

「龍晶の所へ行きたいんだ。あの日からずっと、あいつはそれだけを念じている」

「…まだ?」

「まだ。て言うか、何一つあいつの傷は治ってない。どんどん悪化してる」

「悪夢もそのせいか」

「死にたいから今までの色々にケリを付けたいんだ。だから梁巴を戦地にするなんて無茶を始めた。自分の傷を抉り取る無茶だ」

「それが必要だって言うのか、お前は」

「ああ。そうしないと越えられないんだ」

「何を?」

「あいつの友を、だよ」

 分からない、と見返す。

「もしもこの戦いを生き残れたら、朔はあいつの死を乗り越えられるだろう?」

「ああ、まあ、確かに」

 この壮大な復讐劇の果てに。

 己を殺さずに居られたら。

「私は私で、あの二人の関係のその上のものを築きたいんだ。嫉妬だよなー。だから、朔があいつの事を振り切ったら、その時初めて私は龍晶を超えられると思う」

 燕雷は目を瞬いて暫し考えて。

「そういうもんか?」

「負けず嫌いなんだ、私は」

「そりゃ分かるな」

 軽く笑って、杯を干した。


 久しぶりに北方語で文章を書いた。

 故郷の言葉でありながら、忘れかけている。これって何だっけ、と何度も言葉が出なくて筆を止めて。

 酔っているからではないと思う。いや酔ってはいない。どれだけ飲んでも酔うという事が無い。

 一度くらい正体を無くすほど酔っ払ってみたいと思う。

 出来れば楽しく酔いたいものだが。

「…華耶…」

 横から譫言が聞こえる。今日は華耶の夢かと思いつつ。

 譫言は続いた。

「やめろ…」

 波瑠沙は筆を置いて朔夜の隣に潜り込んだ。

 背中から腕を回してやる。

 譫言は止まった。

 代わりに、苦しげな息を吐く音がする。

 回した腕を掴み、顔を埋めて。

「何を見てた?」

 訊いてやると、細い声で答えが返ってきた。

「男達に襲われてるのが、母さんから、華耶になってた。あいつは今、同じ目に遭ってるのに…」

「じゃあ灌に行く?あの助平親父をぶっ殺しに。それでも良いぜ?」

 呼気だけで朔夜は笑った。

「そうしたいよな」

「選んで良いぞ」

「うん。…でも、まずは、梁巴だ」

 それはもう動かせない。

「華耶は春音が助けに行くよ。きっと。あいつは強くなるから」

「お前が一緒に行くんじゃねえの?」

「うん…うん、そうだな…」

 否定しているも同然の返事。

「朔」

「うん?」

「どんな悪口言ってたか教えてやろうか?」

「ええと…それは聞きたくないかも…」

「お前が死にたがっているのは龍晶のせいだって言ってやった」

 動きも、息遣いも、止まっていた。

 一瞬で張り詰めた緊張が、密着する体を通して伝わる。

「あいつの所に行きたがってるからだって」

 腕を掴む力が一度ぐっと強くなって。

 次の瞬間には脱力してしまった。

「…俺、言ったっけ。そんな事」

「どうだったかな。言ってはないかも」

「じゃあ何でそう思う?」

「見てりゃ分かるよ。外れじゃねぇだろ?」

 黙った。

 否定しないのは、つまり肯定だ。

「朔」

 呼びながら、女の口が首筋を吸う。

 その感覚だけに意識を傾けるように、瞼を閉じる。

「そろそろ、私の気も分かってくれよ」

「…ごめん」

 耳朶を噛む口を、笑みにして。

「謝るなら、こっち向け」

 身を捩り、傾けた頭を抱えて。

 唇を奪う。奪い返される。分かっている。

 愛している。それに応え、返す。それだけ。

「龍晶を忘れろとは言わないよ。華耶の事も好きなままで良い。だけどさ」

 繋がりを求めながら。

「私がお前の一番近くに居る。こうして同じ体を持って。だから生きるも死ぬも一緒だ。そう思っててくれ」

 頷く。

 もう、とっくに、それは分かっている。

 こうして包んでくれているから、己の形をまだしも保っていられる。

 本当はもう、バラバラで。

 屍同然の自分を、この世界に繋ぎ止めてくれているのは彼女だけなのだと。

 繋がれた心身は、一つの生命。

 だから、生きるも死ぬも、一緒。

「二人で行こう?何処までも。俺、波瑠沙と一緒なら何処でも行ける」

「ああ…行こう、朔」

 二人分の四肢が、大きく震えた。


 どうせ燕雷に北方語は読めないから、好きな事を書いた。

 今の状況と、どうかお構いなく、というだけの文章。

 あとは、陛下の率いる哥の繁栄を祈り、出来れば祖国を一目見に行きたいという本音を乗せて。

 そして一番重要な事。

 陛下に言われた通り、私は彼の傷を癒す事に徹してきました。

 確かに彼は変わった。大人になった。私の愛を受け入れてくれました。でも。

 傷を治す事は出来ませんでした。

 時間が足りなかったなんて言い訳はしたくないのです。

 私はこの結果を受け入れるだけ。

 陛下。明紫安様。お母様。

 今まで有難う御座いました。ご恩は死んでも忘れません。

 愛する人と二人で戦い、逝きます。

 それが私の幸せです。


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