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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十四話 梁巴
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  挿絵(By みてみん)


 燈陰(トウイン)の去った故郷は混乱の極みにあった。

 半鐘が鳴り響く。逃げる者と戦う者、或いはどっちとも決められない者でごった返す。

 どっちとも決められない――それは、自分の事だ。

 戦う力は存在した。事実、それで一度敵を撃退した。

 だから、また同じ事をすれば良い筈なのだ。

「朔夜!待って、朔夜、どこに行く気!?」

 ふらふらと外へ出て行く体を追いかけて、母さんは捕まえて抱き締めた。

「…戦いに、行かなくちゃ」

 熱に浮かされるように答えた。

 母さんは首を激しく横に振った。

 それを見ないように。

「戦わなきゃ。燈陰はその為に俺に刀を教えたんだから。…戦わなきゃ。みんな死んでしまう」

 泣いていた。その意識も無かった。

 それ以上に母さんが泣いていた。

 蹲る親子が見えぬように――実際目に入らぬ程混乱しているのだろう。すれ違う人々の荷が当たり、ぶたれ、蹴られた。

「朔夜!おばさん!」

 その中から希望のように呼ぶ声。

 華耶が走ってきて、泥の中で動けずに居る親子を立たせ、物陰に導いた。

「華耶ちゃんも早く、逃げなきゃ」

 母が言う。華耶は首を横に振った。

「母さんと話しました。逃げるなら、二人と一緒に!」

 母子ははっと顔を見合わせる。

「逃げよう、朔夜。一緒に行こう、ね?」

 頷いていた。

 分かった。刀を持つ意味が。

 この二人を守る為に。

 華耶は微笑んで頷き返した。

「一度家に帰ります。荷物を持って、母さんと来ます。母さんは父さんを呼びに行ってるの。みんなで行こう!」

 言うなり、ぱっと踵を返して駆けていく。

「私達も…」

 母さんが言いかけた。その時。

 太い叫び声と。

 悲鳴と。

「華耶!」

 巻き込まれたのではないかと、朔夜は駆け出しそうになったが。

「待って!母さんを一人にしないで!」

 彼女の悲鳴を聞いて、思い止まった。

 唇を噛む。誰よりも大切な人を失いたくない。

「家の中に。隠れていましょう」

 刀を振る音と、それが何なのか理解したくない音が、すぐ近くまで迫っていた。

 家の中に戻り、母さんは押し入れに俺を隠した。

「ちょっとだけ、ここで我慢していて。絶対に開けたら駄目だよ。良い?約束できる?」

 思わず頷いた。それで閉めようとする手に驚いて大声で問うた。

「母さんは!?」

 彼女は微笑んだ。

 その頬に、涙が落ちた。

「大丈夫。きっと、お父さんが戻ってきて助けてくれる」

 頬を撫でられて。

 抱き締められて。それが、最後の温もりだった。

 彼女の手が戸を閉めた。

 暗闇の中で。

 土足の足音が複数、家の中に入ってくる音を聞いた。

 足音は、何かを追う。

 追われる者は、そこにある物を投げ、壊しながら逃げ惑う。

 俺がここに居ると勘付かせない為に。

 どうして。どうしてそんな事を。

 悲鳴が聞こえた。

 すぐには動けなかった。

 約束があるから?違う。

 全身がどうしようもなく震えていた。

 また、悲鳴。

 何が起きているのか。

 身に付けている小さな刀を握りしめて。

 そっと、戸を開けた。

 約束を破って出て行く。悲鳴のする方へ。

 高い声音はだんだんと断続的になっていく。その意味は当然まだ知らない。

 この刀を持って自分がどうする気なのか。

 それすらも考えていなかった。

 ただただ怖くて泣きたかった。だけど、立ち向かわねばならないと本能的に動いていた。

 扉を開ける。その先の光景で、悲鳴の正体を知った。

 女の裸体を、いくつもの腕が押さえ付けていて。

 代わる代わる陵辱していたのだろう。勿論あの時はそんな事は分からなかったが。

 だけど、その全てに――体を許している母にすらも、嫌悪感を抱いたのは確かで。

 全てが消えて無くなれば良いと思った。

 守りたい、ではなく。

 殺したい、と。

 こちらに気付いた男が下卑た笑みを浮かべて手を伸ばす。

 やめて、と女の悲鳴が言う。

 硬直して動けない体を撫でられ、衣の中に男の手が入り込んで。

 お前も可愛がってやろう、そんな事を男は言ったと思う。

 俺も同じ目に遭うんだと、察知した。

 絶対に嫌だった。

 瞬時に刀を抜いて、目の前の男の腹へと突き刺した。

 別の男が怒鳴りながら軽い体を捕まえて引き倒した。刀は最初の男の腹に突き立ったまま。

 男が馬乗りになる。抵抗する細い腕を別の男が捕まえ、乗っている男は頭を二発殴って抵抗する気力を奪った。

 ぐらぐらと視界が揺れる。吐き気がする。それらを上回る、恐怖感。

 再び伸ばされる男の手を見た。

 冷たい感情が、頭の中へ流れ込むように。

 次の瞬間、生温い液体が体の上へ大量に落ちてきた。

 男の腕から下が視界の端に落ちる。

 悲鳴。阿鼻叫喚の、男達の声。

 みんな、みんな、殺してやる。

 立ち上がって、次々と男達の息の根を止めていく。

 異変を聞きつけた新手が家の中に入ってきた。次はそいつらだと思って部屋を出て行く。

 その時、母さんがどうなっていたか、見ていない。


 闇の中で息をしている。

 無意識の中で流れていた涙を拭って。そのまま掌で顔を覆う。荒く吐く息が掌に当たった。

「また魘されてたな」

 横の波瑠沙が目を開けて言った。

「ごめん、起こして」

 彼女の手が頬を撫で、腕が頭を抱え込む。

「薬が効かなくなったか」

「環境が変わったせいだよ。一時的なものだと思う」

「これから毎日変わるぞ」

「それに慣れたら大丈夫なんじゃないかな…」

 自信は無いけど。

 否、寧ろこれからどんどん悪化していく予感しかない。

 あの場所が、近付けば近付く程に。

「何の悪夢なんだ?」

 問われて、一度言葉に詰まって。

「母さんの、最後の記憶…」

 ああ、と波瑠沙は呻いた。その意味は知っている。

「忘れてたものがだんだん鮮明になってる…。夢なのに、感触とかも、全部」

 夢の中の吐き気が蘇ってきて、口元を抑えて起き上がる。

 雨戸を開けて、外に吐き出した。

 寝る前に飲んだ薬の味。それを体が拒んだのだと知った。

 波瑠沙が隣に座って背中を摩る。もう片方の手で顔に垂れる銀髪を抑えてくれていた。

 全て吐き出して、息を継いで。

 差し出された水を口に含み、吐き出す。

 そのままうつ伏せに沈んだ。

「もう少し眠れるか?」

 訊かれて、伏せた頭で頷く。

 眠らねば、体も心も持たない。

 抱え上げられて褥に戻され、懐の中に包み込まれて。

 それでもまだ震えている。

 怖くて、怖くて。

「どうやったら寝付けるかな」

 子供を寝かし付けるかのように、苦笑いしつつも背中を優しく叩いてみたり。

 だから子供のようにねだってみる。

「波瑠沙の子供の頃の話が聞きたい。なんか、こう、幸せなやつ」

「話?子供の頃の?そうだなあ…」

 言ってみるもので、彼女は考え考え語り出した。

「幸せだったのはやっぱり王宮に居た頃かなあ。退屈で仕方なかったけど。雅やかな生活が合わなくてさ。わざと粗雑に振る舞って大人を困らせるのが趣味だった」

「趣味て」

 けけっと悪く笑って、波瑠沙は続けた。

「飯はわざと食い散らかしてみたり、手で食ってみたりさ。あの紅葉の木に登って猿が出たって勘違いされた事もあったな。あの時は大変だった。降りれなくなって」

「お前でもそんな事あるんだ」

「だってまだ四つとか五つくらいだよ?春音くらいの。それがあの高い木に…確か王宮の屋根を見下ろしてた気がするから、相当登ったんだよ。大騒ぎでさ。みんなして梯子出してきたり、根元に布団重ねてみたりしてくれて。ま、最後は落ちて人生初の骨折を体験したんだけど」

「落ちたんかい」

 笑って朔夜は返す。

「腕と足を折ったねぇ。いやー、痛かった。でも懲りなかったけど。てっぺん目指してあの後も登り続けたね。ちゃんと降り方も分かったし」

「そういう問題じゃなくないか」

 無意味で人騒がせな挑戦だ。

「女官達にはよく怒られたけどさ。陛下と香奈多さんはいつもにこにこしてたよ。これがこの子の性分だからって庇ってくれてさ。刀を振ろうとして舶来のでかい壺を割っても怒られなかった。うん。半分わざとだったけど」

「俺、波瑠沙と子供の頃に会ってたら絶対仲良くなれなかったわ…。見てて胃が痛くなる。絶対」

「お前は良い子ちゃんだもんな?大人の顔色を窺って行動するから、こんな暴れん坊は有り得ねぇんだろ」

「密かに憧れるけどね。自分には絶対に出来ないから」

「大人になってこういう関係で良かったな?正反対だから惹かれ合うんだ」

「そうかもね」

 額から、瞼へと口付けされて。

 目を瞑る。闇への恐れが消えていた。

「子供の頃のお前に会えたら、守ってやれたのにな」

 波瑠沙の呟きは、素直に嬉しかった。


 戔を東北から南西に突っ切る旅だ。予定では十日ほどかかる計算で居る。何事も無ければ。

 今回は堂々と街道を通る旅だ。別に追われる事もなく、人目を気にする事も無い。珍しく。

 桧釐のお陰で路銀は十分にあるから、宿場から宿場へと一日の行程を考えて馬を走らせる。

 最初の宿を去って、南へと馬首を向けた。

 峠越えの道の中で。

「おおい、朔」

 呼ばれる声に振り返る。

「燕雷!」

 後ろから追いかけてきた彼は、二人に追い付いて馬を止めた。

「良かった、間に合って。都の様子を見て来たたんだが、帰ったらもう出てるって聞いて慌てて追いかけてきた」

「そうだったのか。都の様子って?」

 燕雷は周囲を気にする素振りを見せた。

「進みながら話そう」

 燕雷を中心に轡を並べる。

「先に言っておく。お前は都に入るな。恐らく面倒な事になる」

「碑未の野郎か」

「ああ。銀髪の首に懸賞金を懸けてやがる」

 朔夜は皮肉っぽく笑った。

「死体が増えるだけって言ってやったのに」

「自分じゃなきゃ良いんだよ、ああいう輩は」

 頷いて、横目に燕雷を見る。

「そうなると、お前に宗温への繋ぎを頼んで良いか?」

「ああ。そのつもりで来た」

「俺達は先に梁巴に入る。後からのんびり来てくれって言っといて」

「のんびりって」

 半笑いで返す。朔夜も少し笑ったが、消えて残った表情は固かった。

「どうなるか分からないから」

 馬を追いながら、その横顔を鋭く見て。

「やっぱり無理があるんだろ」

「そんな事ないけど」

 即座に否定したが、視線は逸らすように前を見据えたまま。

 息を吐いて、反対側を見る。

「とりあえず今日の宿まではご一緒させて貰って良いかな?今夜は酒を飲ませてやるから」

「お、気前が良いな。奢りだろ?」

 喜色満面で波瑠沙が問う。

「ある程度はな。お前の笊加減じゃ些か不安だが」

「俺は飲まないよ」

 聞いてもないのに朔夜は釘を刺す。

「飲ませる気は無いよ。お前の絡み酒は面倒臭い」

「そんなに絡んでねーよっ!」

「あったじゃん。婚姻直後にさ、華耶も龍晶も相手してくれないって泣きついてきた事が」

「新婚さん相手にそんな事言ってたの?お前」

「言ってない!燕雷がそう吹いてるだけっ!」

「嘘じゃねえよ。本当だもん。お前が記憶無くすまで飲んでたから」

「だったら証明出来ないだろぉ!?」

「燕雷が嘘吐く利点は無いよなぁ。十分ありそうだし」

 波瑠沙が敵の肩を持って、朔夜は口をぱくぱくさせる。

「お前も気をつけろよ。本当に面倒臭いぞこいつ」

 燕雷は波瑠沙に忠告するが、当人はけろっと言う。

「一発殴れば黙るだろ?」

 男二人が腰を引かせる。

「だから飲みたくありません」

 朔夜、禁酒宣言。

「そもそも許容量が少ないしな、お前。体はまだまだお子ちゃまなんだ」

「それとこれとは違う…。大体、不味いから嫌いだし。喜んで飲むお前らの気がぜんっぜん分からない」

「こっちこそ、不味いって言うお前の気が分からんわ」

 なあ?と二人頷き合って。

 除け者になる。

「もー、好きにしなよ。二人で好きなだけ飲んでくれば?どうせ俺の悪口言うんだ」

「なんだ。分かってんじゃん」

 さらっと伴侶に全肯定される。

 狼狽えた目を向けたが、すぐにしょぼんと下される。

「迷惑かけてるのは分かってんだよ」

「そういう顔をするな。悪口が言い辛くなる」

 どういう顔をして良いのか分からず、むーと膨れながら馬の鬣を弄る。

「ま、そう気にするな。燕雷に愚痴ったら私もお前に当たらずに済むんだし。今宵はさっさと大人しく寝てくれ」

「そうするけど」

 出来るかどうか。

「何なら、お子ちゃまを寝かし付けてから大人の夜遊びに行ったって良いぞ?」

「ふぁっ?」

「なあ燕雷、そうしようぜ?お子ちゃまが寝たら大人の時間だ」

「は?へ?え?」

「何顔赤くしてんだよ。酒飲むだけだよ」

 横から燕雷が腕を伸ばして頭を小突いてきて、また膨れっ面をして。

「好きな時に寝てるから構わなくて結構!お前らも好きにしろ!」

「あ、拗ねた」

 笑われて、今日はもう口を利いてやらねえ、と分かりやすく子供のような拗ね方をした。


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