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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十三話 戦略
21/53

9

 於兎が産んだ子は男の子だった。

 今度は正真正銘の自分達の子となる男の子だ。桧釐は満足そうに後継ぎを抱いた。

「さあ、今度は誰似でしょ?」

 相変わらず産後でもけろっとしている於兎が夫に問う。

「流石にまだ分からんな」

 言って、春音に血縁上の弟を見せた。

「誰に似てる?」

「おれ!」

 嬉々として返す。

 笑って、桧釐は二人の息子を見比べた。

「案外そうかも知れんな。春音に似て綺麗な顔をしている」

「だからそれは私に似てるのよ」

「そういう事だな」

 於兎の手に赤子を返す。すやすやとよく眠る子だ。

「だけど、やっぱり春音はお前の顔とはちょっと違うよなあ。綺麗なのはそうなんだけど」

 切れ長な春音の目に対して、於兎は大きなぱっちりとした目をしている。

 産まれた子もどちらかというとそんな雰囲気がある。矢張り於兎似である事は間違い無い。

「やっぱりあなたの母系の顔立ちなのよ、春音は。ねえ?お父さんにそっくりだもんね?」

 於兎が春音に問うと、本人は首を傾けた。

「おとーさん?」

「あら、とーとの事よ?龍晶のこと」

 呼び方の問題かと言い直す。

「とーとはいなくなったよ」

 春音はそう言って顔を伏せた。

 実の両親が目を見合わせる。

「見えないだけなんだろ?」

 桧釐が何かに急かされるように問うた。

「みえないから、いないんだよ」

 当たり前のように言う。

 少し前までその存在を強く信じていたのに。

「…さくとあそんでくる」

 言って、部屋を出た。

「どうしたんだろ」

 父親は軽く首を捻っただけだが、産みの母は深く溜息を吐いた。

「やっぱりあの子にとっては、あの二人が両親なのよ」

「そりゃそうだけど」

「二人とも目の前から居なくなったのよ?寂しいに決まってる」

「うん、でもだから俺達が…」

「花音とこの子との差を、春音は感じ取ってるわ。賢い子だから」

「差、って言っても」

「私達にそのつもりが無くてもそうなのよ。育ててくれる大人は沢山居ても、自分にはお父さんもお母さんも居ないって、そう感じるのよ」

 うーん、と桧釐は唸って。

「どうしてやるのが正解?」

「正解は無いわよ、こんな事。あの子が自分で乗り越えるしか。私達はそれを見守るだけ」

 頭を掻いて。

「そうか。仕方ないな」

 於兎は頷いて、我が子を少し持ち上げて見せた。

「で、この子の名前はどうするの?」

「今度こそ俺に付けさせてくれる?」

 花音は於兎が付けた名前だ。つまり、三度目にして漸く命名権が桧釐に回ってきた。

「早く決めないと私が付けるわよ?」

「えっ!待ってくれ!ええと、そうだな…」

「今まで何も考えてなかったの!?信じられない!」

「そんな事は無い。無いんだが、ちょっといろいろあり過ぎてな…」

「分かった。私の考えてた名前で良いわね?」

「え、待って」

「春音に花音でしょ?音で揃えたいのよね。だから」

「待って待って待ってその一字は俺が」

「あなたの一字からリオンはどうかしら?漢字は難しいからあなたに任せる。考えといて」

「ええーっ!?良いけど!?」

 微妙な命名権になった。

 結局、名は里音となった。

 彼が愛した故郷で産まれた子だ。


 いつものように波瑠沙との稽古を終えて、朔夜はふらふらと縁側に座った。

 目元を押さえて体を丸めている。

「どうした」

 異変に気付いて波瑠沙は横に座った。

「…何でもない。ちょっと目が眩んだ」

「お前、さ」

 彼女は顔を険しくして相手を覗き込む。

「この所眠れてないだろ。いつも魘されてる」

「…そう?」

「魘されてなければ目が開いてる。誤魔化せねえぞ、私は」

 目元を押さえていた手で顎を支え、俯く。

 伸びた髪が顔を隠した。

「…梁巴の夢を見る。この手で故郷を滅ぼした時の」

 ぽつりと答えを言った。

 波瑠沙は息を吐きながら顔を上げた。

 春の気配が濃くなった空。

 もうすぐ発たねばならない。

「どうやったら治るのか、忘れられるのか…教えて欲しい」

「そんな方法があるなら私こそ知りたい。お前の為に」

 朔夜は少し顔を上げた。風が銀髪を散らした。

 虚ろな瞳の辛そうな横顔は変わらなかった。

「やっぱりケリ付けるしか無いんだろうな」

 そのままの顔で言う。

「そうかなあ?そうだとしても、その前に死にそうだよ、お前」

 辛辣な指摘に苦く笑う。

「祥朗に睡眠薬を貰おうかな」

「それが良いかもな。当面は」

「お前も気になって眠れないだろ?悪いな」

「私は体力お化けだからちょっと眠れりゃ大丈夫」

 今度こそ本当の笑いを見せて、重たい頭を横に倒した。

 彼女の体に寄りかかる。

「本当に死んだらごめん」

「死なすかよ。死にかけても首根っこ捕まえて連れ戻すわ」

「うん。でも…自信が無くなってきた。梁巴に立って、自分を保てる気がしない」

「早めに行くか。いきなりそういう状態で戦うより、慣らした方が良い。下見も出来るし、罠も仕掛けられる」

「そうしよう。滅茶苦茶お前に迷惑かける気がするけど」

「大丈夫だよ。殺されてやる気は無いから」

「うん…」

 自信が無い。何も。

 自分が生き延びる事も、彼女を守り通す事も。

 再び、生きてこの地に帰れる事も。

 軽い足音がした。

「さく、やろー」

 その一言が習慣になった。春音が木刀を持って寄ってくる。

 波瑠沙の体から頭を起こしたが、立ち上がる気力が無かった。

 察した波瑠沙が木刀を持つ。

「今日は私が相手だ。厳しく行くぞ」

「ええー!はーさ、やだ!つまんない!」

「なんだとお!?お前ちょっといっぺん痛い目見せてやる!」

「やだー!」

 笑いながら逃げ回る春音と、怒った顔を作って緩く追う波瑠沙の姿にちょっと笑って。

 ゆるゆると立ち上がる。彼女の厚意に甘えて自分はやるべき事をやろうと思った。

 祥朗は屋敷の近くに居を構えていた。

 医師はこの街に数少ない。いつもここに悩む人の姿があるが、幸い今日は誰も居なかった。

「あ、朔夜さん。珍しいですね」

 すっかり声は普通に出るようになった。少し掠れた低い声だ。人に落ち着きを与える。

 祥大を背中に負った夲椀が茶を出してくれた。赤子はよく眠っている。

「もうこんなに大きくなるんだな」

 子供の成長に目を見張る。

「よく食べよく眠る良い子です。於兎さんにもお子が産まれたんでしょう?男の子だとか」

 夲椀が目を細めて言う。

「そうらしいな。俺は会ってないけど。於兎に会うと必ずなんか怒られるからさ」

「旧知だから心配なんでしょう?今日はどうされました?」

 祥朗に本題を聞き出され、朔夜は言い辛いながらも正直に答えた。

「睡眠薬が欲しい。旅の間も必要になるだろうから、ちょっと纏めて大量に」

「眠れませんか」

「やっと寝付けたと思ったら、魘されて目が覚める。この所…ほら、春めいてきて温くなってきた辺りからずっと。波瑠沙にも迷惑かけるから薬でどうにかしたいと思って」

 祥朗にこれだけ自分の弱味を喋れるのは不思議な気がした。彼が子供の頃を見ているから。

 それだけ、自分が誰かに縋りたい事の裏返しでもあった。見えない影に追い詰められている。

「分かりました。容易い事です。僕も同じ薬を飲んでいるのですから」

「そうなのか。…あいつの事があるから」

 彼は頷いた。龍晶を失った傷は彼も同じだ。

 今まで面と向かって話した事が無かったが、彼の苦しみは朔夜にはよく分かる。

 己の全てであったのは、自分と一緒だから。

「お前は何も悔いる事は無いよ。今や立派な父親じゃねえか。あいつも喜んでる」

「そうだと良いのですが」

 自分の事はその弱気な一言で収めて、医師として目を上げた。

「朔夜さんこそ、どうか自分を責めないで下さい。兄は何度もあなたに救われた。それは事実なんですから」

「…一度でも失敗したら意味無い。これがその結果だ」

「あなたの責任ではありませんよ。それが眠れない要因の一つでしょう。気分を軽くする薬を混ぜておきますね。あなたには是非とも必要だと思います」

 自嘲して朔夜は頷く。全て気持ちの問題と言えばそうなのだから。

「他に気になる事はありますか?」

 うーん、と天井を見上げて。

「体力付ける薬とかある?」

「持久力を付けて疲れにくくする薬があります。調合しておきましょう」

「ありがと。助かる」

「お代は桧釐さんが払ってくれますから、どんな高価な薬でも混ぜられますよ?」

 悪戯っぽく彼は笑って言う。朔夜もにっと笑って頷いた。

「調合してきます。少しお待ち下さい」

 祥朗が席を立って奥の間へと向かった。

 代わりに夲椀が祥大を抱いて戻ってきた。

「なかなか顔をお見せする事が出来なくて。華耶様にも元気だとお伝え下されば嬉しいです」

「うん。手紙で伝えておくよ」

 華耶が消息を伝えてくる返信を朔夜が出している。こちらの近況と、春音の手習の成果を交えて幼子に書かせてみている。何なら春音の方が朔夜よりよほど上手い字を書く。

 やっぱり龍晶に似た秀才なのだ。文武両道とは言うが、それを素の才能だけで発揮している。

 十年後の姿を是非見てみたいものだが、それは叶うのだろうか。

「よく寝てるな。羨ましい」

 祥大について朔夜は言って笑って見せる。

「朔夜さんは背負い過ぎなんだって、於兎さんは言ってましたよ」

 敢えて避けている於兎の言葉を伝えられて、朔夜の表情は無になった。

「昔から何もかも一人で背負おうとするから、無理が出てきて結局潰れてしまうんだって。ごめんなさい、そこまで私が言う事ではないんですけど。あまりお顔が辛そうだから、つい」

 虚無の目が己の足元を睨んでいたが、我に返って笑って見せた。

「於兎には敵わないなぁ、全く。その通りなんだけどさ。それに自分でうんざりしてるからここに来た訳で」

「そうですよね。来て下さって良かったです」

 笑顔を向けられて、それに応じる。年下の彼らに心配されるのは気恥ずかしいが、それを繕う余裕はそれが限界だった。

 祥朗から薬を受け取り、帰途へ着く。

 街の中で一人になった途端、萎むように肩から力が抜けた。

 きっと、体と同じで精神も何処かで成長を止めている。本当に大人なら、もっと上手く割り切って処理出来る筈だ。

 止めているのではなく他人よりずっと遅いのかも知れないが。

 龍晶にも同じような事を言われたっけ。生きる時間が長いだけ大人になるのも遅いんじゃないか、と。

 伸び代があるなら希望もあるんだろうか。否、そんな希望は要らない。今すぐ強くなりたい。

 それが出来ないのは繰り返し燈陰から叩き込まれた事ではあるが。

 街の中で、迷い子になったように足を止める。

 空を仰ぐと、青は霞んで見えた。

 春になる。恐れていた季節が訪れる。もう時間が無い。

 怖い。本当は怖くてたまらない。

 この先何が待っているのか。

 この手が何をするのか。

 この身が、頭が、保つんだろうか。

「大丈夫」

 自分に言う。

 眠れないから弱気になるだけ。体も頭も弱っているから。

 薬を飲めば何とかなる。少し休めれば。

 まだ俺は戦える。そうでなければならない。

 辛い、怖いなんて言えるか。俺が始めた戦だ。

 戦だ。自分の為の。


 虚しい手紙を書き終えて華耶は筆を置いた。

 本当の事は元より書けない。書けば朔夜は黙ってはいない。その気持ちは嬉しいのだけど。

 そうでなくとも、検閲される事は分かっている。灌王の目にも晒される手紙だ。別に取り繕う気は無いが、本音を書けばその場で捨てられるのは分かっている。

 届いた手紙の、春音の字を愛しく撫でる。

 上手な字を書くようになった。自分よりずっと上手だ。

 父親と手習していた姿を思い出す。きっと彼も喜んでいる。

『母さまへ。春音はげんきです。さくにかたなをもらいました。まだつかってはいけないといわれてます。ごさいになったらつかいます。だいじにします』

 書く事も成長した。四歳になった我が子の姿を想像して微笑む。

 そして朔夜の行動の裏側を考えざるを得ない。五歳になったら使うよう言って、今渡す。

 帰って来ない気だ。

 深い溜息と共に頭を沈める。

「仲春…あなたの大事な人を、守ってね。お願い」

 きっと言われるまでもないと思うのだが。

 春音を守ってと願った。彼自身そう言ったし、実現した事も知っている。

 それに朔夜まで足したら負担だろうか。霊魂にどれだけの力があるのか知らないけれど。

 じゃあ自分は。

「やっと執務が終わった」

 扉が開いて憎い男が入ってきた。

「ご苦労様でした」

 感情無く告げる。互いの立場がそう言わせるだけ。

「手紙か」

「また戔に届けて頂けますか」

「容易い事だ。おお、これはそなたの子の字か。あの坊やがのう。子供の成長は早いものだ」

 それを言いながら。

 もうその精神が信じられない。そうする己に罪は全く無いと信じているのだろうか。

 それとも、抱くこの身は玩具同然で、心など無いと思っているのか。

「陛下」

「なんだ?」

「後宮にお帰りにならなくて良いのですか。皇后様は待っておられると思いますが」

 この身だけではないのだろう。

 女は皆、己の意のままになって当然だと。

「そのような事、お前が心配せずとも良い」

 肩を抱かれ、椅子から立つよう押される。

 溜息を隠さず、しかし従った。

 帯を解かれ、衣を剥がされて、寝台に倒される。

 もう抵抗すら虚しかった。これだけ繰り返せば意味が無い。

 乱暴な手が足を開く。こうして当然という仕置きだ。

 本当に虚しいが、子を成せる身でなくて良かったと思った。

――きっと。

 私の事なんかとっくに見放してくれているよね?

 自分だけのものにしたかった私に、唯一惚れてくれた女に、こんなに易々と裏切られたのだから。

 それでも良い。だからその分、朔夜を。

 あなたの為だけに真っ直ぐ過ぎて、道を失っている彼を、助けてあげて欲しい――



  挿絵(By みてみん)



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