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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十三話 戦略
20/53

8

 寝かされている横で、春音が鞠で遊んでいる。

 自分で転がして追いかけていく。また転がして、壁にぶつけて、拾いに行って。

 相手をしてやりたいが、手を伸ばせば傷が痛むので見るだけにしている。

「さくー」

「なんだ?」

 口は普通に動く。斬られた直後からそうだったが。

「かーたん、まだかな」

「うん…まだまだだな」

「そっかー。はやくかえるといいね」

「ああ。そうだな…」

 涙の滲む目を伏せる。

 韋星の言った通り、春音は北州に残される事になった。それを裏切られなかっただけは華耶の行動が報われたという事だ。

 灌の連中には幼い上に廃王子同然の春音などどうでも良いのだろう。

「さくも、はやくげんきになってね。またあそぼ」

「…うん」

 感覚としては、あと三日程だ。月も満ちてくる。だんだんと治癒の速度は加速するだろう。

 丁度良かった。考え続け、動き続ける事に疲れていた。波瑠沙は強制的に休養を与えてくれた。本人にそのつもりは無かっただろうけど。

「さくはとおく、いかない?」

 訊かれて、目を見開いて。

「とーとも、かーたんもいなくなったから。さくは?」

「春になったら俺もちょっと遠くへ行く。波瑠沙と一緒に」

「えーっ。はーさもいなくなるの?」

「許せよ。また戻って来るから」

「つまんなーい」

 言いながら鞠を壁に投げる。弾力性は無く、壁に沿って落ちると少し転がって止まった。

「みんないなくなる」

 それはその通りで。

 朔夜は溜息を溢す。

 龍晶は父を亡くし、母を捕らえられた。

 その通りの事が、今春音にも起こっている。

「なあ春音」

 せめて、あいつのような絶望は知らずに居て欲しい。

「俺が戻ってきたら、母さんを迎えに行こう」

「うん。わかった」

 運命に弾き返される辛さを、こいつは知らなくて良い。


 冬はどんどん深くなり、周囲は雪に閉ざされた。

 淡々と日々は流れていく。失ったものを取り戻せないまま。

 雪の上で打ち合う音は金属ではなく、木刀の乾いた音になっていた。流石にお互い反省した。

 それでも何度かに一度は真剣でやる。感覚を取り戻す為。

 それが出来るのは春音の姿が近くに無い時だ。

 昼間は必ずと言って良いほど、打ち合っているとどこからか現れてじっと見ている。

 今も、雪遊びの手を止めて見ている。

 相手をしていた十和が肩をそっと押さえ、不慮の事にならぬよう気を配ってくれている。

 一瞬でそれらの事を把握する、その間にも波瑠沙の木刀が空を斬り向かってくる。

 駄目だった。今はそれだけの事が命取りになる。取らないように木刀でやってはいるが。

 躱しきれず肩を打たれた。

「おい、朔!」

 打たれたのはこっちなのに責める声音で呼ばれる。

 痛みを堪えて間合いを取った。得物は手放していない。

 この得物も木刀を削って己の刀の尺に合うように作り替えた。燈陰が同じ事をしていたのを思い出した。

 なので木刀でも二刀流だ。

 再び向かってゆく。蹴られた雪が高く跳ね上がった。

 正面と見せかけ、瞬時に右へと切り替えた。波瑠沙の木刀は瞬時に方向を変える。

 左手の短い木刀のみでそれを受け、右手はそのまま突きに行った。真剣だとあの大刀ゆえに出来ない攻めだ。

 波瑠沙は舌打ちして後ろに大きく飛び退いた。

「うーん、つまらん!得物が軽過ぎる!」

「普段が重過ぎるんだよ、お前は」

 至極当然な突っ込みを入れつつ更に攻め込む。

 朔夜もまた木刀であるお陰で素速さを増している。これは重さ云々ではなく、遠慮せずとも彼女に怪我を負わせる心配が無い故だ。

 波瑠沙はその速さに面喰らいつつどうにか刀を合わせてくる。二つの刃が押し合った、かと思うとすぐに朔夜の方から逸らされる。

 押し合う刀を支点に、まるで振り子のように刀の下を潜ってきた。雪に膝を滑らせながら。

 そうやって懐に潜り込まれては為す術が無い。容赦なく足を叩きつけてきた痛みを感じると同時に、胴体の上にぴたりと突きつけられた木刀を見た。

「あーもう、負けた。これのせいだ」

 悔しげに波瑠沙は木刀を雪の中に投げつける。

「さく、かった!」

 春音が嬉しげに声を上げた。

 照れもあって朔夜は口の端で笑い、彼女に訊いた。

「ごめんな?足、痛くないか?」

「手加減してる癖に。痣にもならねえよ。それを言うならお前の肩だって」

「お前のは手加減にならないからなあ」

 袖を外して雪中に肩を晒す。見事に赤く変色している。明日には紫色になるだろう。

「塗り薬を祥朗から貰ってやる」

 言って、波瑠沙は屋敷の中に入っていく。

 祥朗は雪の少し溶けた隙を縫って都から帰ってきた。師匠を見送ったのだと言う。

 今ごろ、あいつに伝言が届いているのかなと思う。二人がのんびりと言葉を交わしていると良い。

 尤も、龍晶は気が気ではないだろう。華耶の事。

 時折、手紙が届く。その自由は認められているのだろう。ただし中身は元気でやっているとか、大事無いとか、とても事実とは思えぬ事ばかりを並べている。

 では何が真実かと考えれば、それは辛かった。

 自分にはともかく、春音には言えぬだろう。本当の事は。

 今すぐ助けに行きたい。何がそれを止めているのかよくよく考えねば、衝動のまま行動してしまう。

 時期尚早だ。まずは春音を育てねば。

「さく、やろう」

 波瑠沙が居なくなって今度は自分の番とばかりに自分の木刀を持って来た。

「ああ、いいよ」

 育てる――強く、誰よりも強くせねば。

 母親を迎えに行く資格があるのは、こいつだけだ。

 小さく振り上げた枝が下ろされる。

 かん、と乾いた音をたてて朔夜の持つ木刀に当たる。

 次は横からだ。ちょっと笑ってしまう。自分達の動きを真似ようとしている。

「まだ早えよ。上下がちゃんと出来るようになってからだ」

「えー」

 不満そうに見上げる。

 自分の幼い頃を思い出す。

『素振りもロクに出来ない癖に舐めた事をするな』

 燈陰に横から打って出ようとしたらそう言われて返り討ちにあった。

 吹っ飛ばされたついでに起き上がろうとする背中を打たれて。

 いつもそうだ。基本を飛ばそうとするとこっぴどく打ち据えられる。

 そういう強制的な訓練のお陰で基礎は身に付いた。

「ここに打ち込むんだ。まずは十回」

 練習になると嫌がるかと思ったが、春音は素直に言葉に従った。

 軽い力を木刀越しに受けつつ、考える。

 本気で強くしようと思うなら、俺では駄目だ。

 俺はこいつに刀を持たせる事に迷いがある。自分自身に対してそうなのだから。

 龍晶を裏切っているような気がして。

「さく、じゅうやったよ。つぎは?」

 却って丁度良いか。

 どうせもうすぐ俺はここから居なくなる。

「持ち方を教える。そんなに力を入れて握るんじゃない。小指と薬指だけで、あとは軽く支える。そう」

 横に屈んで小さな手を矯正してやる。

『こんな小さな体ですぐに強くなれる訳が無いだろう。お前は他の者よりずっと弱い。だから刀を教える。体に叩き込んでおけ』

 燈陰に言われた大前提。

 同世代の子供と比べても、一回り以上も体は小さかった。今もそうだ。大人になりきれない小さな体のまま。

 取っ組み合いの喧嘩になっては勝ち目が無い。基本的に俺は弱い。体力も筋肉も付かない。女のような細い骨格は多少成長しても直らないまま。

 だからこそ刀が物を言った。

 小回りの効く体を活かして燈陰は素早く動けるように育てた。力の無さは諦めざるを得なかったから、その分を全て動きへと持って行った。

 得物もその前提で選んで与えた。一本の刀を振り回すと体が持って行かれる。だから軽い二本の剣を両手に持たせた。そのお陰で手数も増える。

 刀の振り方を十分に叩き込んだ後に、今度は双剣の使い方を徹底的に叩き込まれた。

 お陰で痣と傷の絶えない子供時代だった。

 いつも父親に打ちのめされていた。意識を失う程にやられたのも一度や二度ではない。母さんは少し怒ってたっけ。

 もう良いんじゃない?もうやめてあげて。そう母さんが夫を止めるのだが、自分でそれに首を横に振った。

 強くならなねばならなかった。そう信じていた。

 故郷はその時既に脅かされつつあった。皆がどう梁巴を守るべきか考えていた。

 自分が子供だからという意識は無かった。俺も戦わねばならないのだと、それは燈陰の洗脳の効果なのかも知れないが。

 それが繍でも続いていたのは皮肉だ。

 だから、子供は守って貰うんだという千虎の理屈が最初は飲み込めなかった。飲み込めたら、憧れた。

 本音は母さんの言う通りやめたかったのだ。刀を持つ事。それによって誰かを殺す事。そして、己へ刃を向ける事。

「それで刀を振れ。飽きるまでやってみろ」

「うん!」

 春音は喜んで打ち込みを始める。

 こんなに嬉々として。

 自分は『やりたい』と言った覚えは無い。

 刀を持つ事が嬉しいのでは無かった。父親に向き合って貰える事が嬉しかった。その手段は何でも良かった。

 だからやっぱり、俺は歪んでいる。

 純粋に、刀を持って強くなりたいというこの子の師にはなれない。

 人を殺す為だけに生まれた剣を、教えるべきではない。

「朔、薬」

 波瑠沙が戻ってきた。

「ちょっと待って。こいつが飽きるまで」

「そんなの際限有るのかよ?」

 疑わしそうに彼女が笑う。

「春音、百数えれるか?」

 もうすぐ四歳、まだそれは無理だ。

「十までならできる」

「じゃあ私が数えるよ。十が十回。それでおしまいだ」

「はーい」

 呂律が随分回るようになった。ならば波瑠沙の呼び方も直りそうなものだが、もう『はーさ』で定着してしまっている。

 母さん、とももう呼べる筈なのだが。

 この三月ほどその言葉を聞いてない事に気付いた。華耶が連れ去られてから。

 もう存在を忘れさせるべきなのか。そう言えば『とーと』も聞かない。

 あいつはそれを望むんだろうけど。

 寂しく思うのは自分の勝手だ。

「九十九…百。はい、朔の貸し出しは終わり」

「貸し出し?」

 不本意な言葉に首を傾けたまま連れて行かれる。

 その後を春音はついて来る。

 屋敷の中で再び肩を晒した。

「うわあ、なにこれ!おはなみたい!」

 痣は派手な色になっているらしい。自分では見えないが。

 その上を、軟膏を付けた波瑠沙の手が撫でる。

「いたいの!?」

「ん。別に」

 慣れている。

「お前も付けてみる?」

 にやにやしながら波瑠沙が言う。

「こら。やめなさい」

 朔夜が苦い顔で止める。

 痣と傷無しには強くなれない。それはよく知っているけど。

 まだ綺麗なままで居てほしい。

「しかしこうして見るとまだ肋骨が浮いてんなぁ。どうやったら太るんだよ、お前」

「太った試しが無いし太らなくて良い」

「自重が無いと何かと不便だろ」

「そりゃ分かるけど、無いまま今まで来たからもう今更だよ」

「あー、私の肉を分けてやりてぇ」

 贅肉でよく言われる台詞だが、彼女には筋肉しか無い。

「春音、お前はこうなるなよ。しっかり食って大きくなれよ」

 波瑠沙に言われて、素直にうん!と頷く。

「はーさはいっぱいくったの?」

 もう粗野な言葉が染み付いている。王子様の言う事じゃない。

 誰も注意する者が居なくなった…否、於兎が居れば怒られるが。彼女は今三人目の臨月を迎えて大人しくしている。

「ああ。人一倍飯を食ってたぞ。それで人一倍動いていた。そしたら強くなった」

「そーなんだ!」

 良い事を聞いたとばかりの返事。

「朔は全然飯を食わずに人の二倍三倍動いてたからこんな小さいひょろっひょろの細っこーい体になったんだ。見習うなよ?」

「そうだけど、小さいのは元々!母さん似だから!」

「知ってる知ってる。美人のお顔も母上似なんだろ?銀髪だけ父親似ってな。強さの要素は何一つ貰わなかったけど、美人の要素は全部貰った訳だ?」

「あーなんかその言い方腹立つ…!」

 けけけ、と特有の笑い方をして素肌の背中をばしりと叩かれた。

「いった…」

「女じゃねえのが勿体無いよなあ?ま、服着ろや」

「お前は男じゃないのが不思議なくらいだ…」

 無意味な反論をして、袖を通す。

 尤もそういう彼女だからこそ、居心地が良いのだが。

 衣を直して朔夜は立ち上がった。ちょっと待ってろと春音に言い残して、自室に向かう。

 そこに置かれていた短剣を取った。

 右手にずっと持っていた刀。今もまだ握れば手に馴染む。

 数々の苦難を共に乗り越えてきた相棒だ。

 あいつと共に戦っていた時も。

 春音の元に戻って、それを差し出した。

「お前にやる。でもまだ使うなよ?五歳まで待て」

「五歳はまだ早くね?」

 波瑠沙の当然の突っ込み。

「お前は八歳であの馬鹿重い刀振ってたんだろうが。他人の事言えないぞ」

「って事は、お前が五歳から真剣を持ってたって事だ?」

「基礎が出来るまで抜かしては貰えなかったけど。見るだけならと思って抜いてみたらすぐ燈陰にぶちのめされた」

 子供に向き直って。

「そういう事だ、春音。強くなりたいなら、まず木刀で練習を積むんだ。それが十分になって初めてこいつを使ってみると良い。監視は桧釐に頼む。この約束を破ったら痣の一つや二つ付けて貰うからな?」

 春音は刀を受け取ったが、すぐに差し返してきた。

 要らないのかと意外に思ったが、続く言葉に納得した。

「なかがみたい。みせて」

 鞘から抜いて見せろと言う。約束を守ろうと思えばそうなるのだ。朔夜は微笑んだ。

 すっと、鞘から刀身を露わにする。

 鋭い輝きは健在だ。使わなくなってからも手入れは欠かさなかった。

 初めて見た時のように、春音の目が輝く。刃とは違う、憧れの温かな光。

 そのまま朔夜はその刀で空を切った。

 ひゅっ、と高い音が鳴る。

「とりあえず、大きくなるまではこれを使え。大きくなったら丁度良い刀を桧釐から貰うと良い」

 これならば、小さな手にも馴染むだろう。

 鞘に納めて再びその手に戻す。

「ありがと!さく!」

 心から喜ぶ笑顔に微笑んで頷く。

 雪上に柔らかな光が落ちる。春はもうすぐだ。


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