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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十三話 戦略
19/53

7

 闇の中を進む馬車を見つけた。

 足の速度を更に速める。馬車馬より己の足の方が余程速い。

「止まれ!」

 追いつき、並走しながら叫んだ。

 御者が驚きと戸惑いの目を向ける。

「進め!急げ!」

 中から韋星の怒鳴る声がした。

「待って下さい!お願い!自分で説得させて下さい!」

 華耶の声。

 芯の通った、でも悲痛な叫び声。

 ややあって、馬車は止まった。

 中から二人が出て来る。

 まず韋星。既に刀を抜いている。

 そして華耶が。

「…朔夜」

「春音になんて説明すれば良いんだよ」

 静かな怒りをぶつけた。

 華耶は寂しげに自嘲した。

「お父様の所に行ったって、そう言ってくれたら良い」

「駄目だ、そんなの!」

 永遠に失わせる、その辛さは知っている筈なのに。

「じゃあ正直に灌に居るって、そう説明してあげてよ。そのうち戻るからって」

「行ったら戻れないよ華耶!それは甘いって!」

「そうかしら」

 朔夜に近寄り、向き合う。韋星には背を向ける形で。

「朔夜の思ってるような事にはならないと思うんだ。だって王様は誰でも選べるんだもの。わざわざ私を抱く事は無い」

「そんな訳…」

 彼女のその自信が分からない。

 分からなかった、が。

「…もう朔夜は見ても大丈夫だよね」

「何を…?」

 華耶の白く細い手が、自らの襟元を緩め、開く。

「この傷を見たら嫌になると思う」

 露わになった胸元。

 目を逸らす事も出来ずに。

 そして声が出なかった。

 心臓を貫いた矢傷。その、大きな穴を塞ぐ醜い痕。

 滑らかな乳房の間で、それは生半可な覚悟を試すように。

 ――俺が死んだら、傷痕を見せて貰え。

 あの時の龍晶の言葉がやっと解った。

 恐らく、あいつの考えていた形とはまるで違っているとは思うが。

「朔夜が守ってくれた証拠だよ。これからも守ってくれる、お守りだよ、これは」

 だから自分を責めないでね、と。

 彼女の笑みがそう言った。

「華耶…」

 思わず抱き締めようと伸ばした手を、彼女は優しく拒んだ。

 手に手を包まれて。

「朔夜は朔夜のやりたい事をやって。私の事、忘れて良い。波瑠沙さんと幸せになってね。私達の分まで」

 戔に行く前に言われた事と。

 今現在の、彼女の最大限の優しさと。

 手が離れた。

「嫌だ…華耶」

 追う力も無く、子供のように呟く。

「行くな…行かないでくれ…」

 彼女は美しく笑って。

 馬車の中に消えた。

「華耶っ…!」

 走り出した馬車に向けて。

「待ってて…!必ず助けに行くから…!」

 何故、俺は追わない?

「必ず…」

 走って、彼女を奪って、敵を殺して、逃げれば。

 そうすれば、いいのに。

 何故。

 彼女は闇の中に消えた。

 取り戻せるか分からない、闇の向こうに。

「朔!」

 波瑠沙が馬に乗って追い付いた。

 そこに座り込んでいる相棒を不審に思って。

「どうした…?」

 愕然と、呆けてしまっている。

 口だけが動いた。

「行ってしまった」

「は…?お前」

 馬を飛び降りて、両肩に手を掛けて。

「見送ったって言うのかよ!?阿呆か!?取り返しつかねぇぞ!?」

 がくりと、頭が垂れた。

「分かってるよ」

 そうとしか言えなかった。

 波瑠沙もそれ以上は責められなくなって、様子を窺った。

 駄目だ。魂が抜けている。

「また、置いて行かれたのか。お前は」

 小さく、頷いた。


 部屋の隅に膝を抱えて蹲っている。

 もう一日近くその様子だ。波瑠沙は大きな溜息を吐いた。

 これでは龍晶が死んだ時とまるで同じ。成長が無い。

 否――同じで当然か。

 同じ傷が、更に広がってしまっただけの事。

 動けなくなるのも当然と言えば当然だ。

「朔。いい加減なんか食え。せっかくここまで鍛えたのにまた振り出しに戻るぞ?」

 僅かに顔を上げる。声は届いたかと思いながら。

「お望みならまた口移ししてやっても良いぞ?やるぞー?やっちゃうぞー?」

「…自分で食うよ」

 悪戯する気満々の波瑠沙を抑えて朔夜は置かれていた器に手を伸ばした。

 雑穀米に焼いた魚が乗っている。これはただ波瑠沙が皿を持って来るのを横着して乗っけただけのもの。

 だから珍妙な見た目の料理となっている。思わず朔夜は苦笑いした。

 箸を受け取って口を付ける。

「よしよし。成長は認めてやる」

「なんだよそれ」

 悪態を吐く元気も戻ってきた。

「で、何があった」

 切り込まれると黙る。

 黙々と、目の前の料理とも言えない食料を無くす事だけ考えて。

「ごちそうさま」

 食器と箸を持って、自分で洗うべく立ち上がった。

 ふらついて壁に手をつく。幸い、それだけで目眩は収まって歩き出す。逃げるように。

「おい朔」

 当たり前だがついて行く。

「私はてっきり華耶以外を皆殺しにして帰ってくると思ってた。その方が後が楽しいし?ここを拠点に奴等を打ち負かせば良いじゃねえか」

「そうは出来ないから華耶も俺も諦めた」

「はあ?何が出来ないって言うんだ」

「この街の人達を巻き込めないって事だよ。華耶一人の為に」

「守る為には何でもするんじゃねえのかよ」

「ここの人達は守らなきゃいけない。龍晶から引き継いだものの一つだ」

 やっと波瑠沙は黙った。

「つまんねーの」

 一言だけ溢して。

 何とでも言え、と食器を水場にぶち撒けて。

 やっぱり黙っていられなくなって、素直に見たものを話した。

「華耶はさ…自分の身を守る公算があったんだ。俺達の思っているような事にはならないって」

「え、何それ。仕込み刃でも隠し持ってるのか?お前が教えた?」

「そんな事しねえよ」

 ちょっと笑って。

「胸に大きな傷痕があった。八年前、俺が守りきれずに付いた傷だ。心臓を貫いた矢傷…」

「不死になった、そのきっかけか」

 朔夜は頷いて、華耶の言葉をそのまま伝えた。

「その傷を見たら嫌になるって。わざわざ抱く事は無いって」

「…そうかなあ」

 半信半疑で波瑠沙は返す。

「確かにぎょっとするような酷い傷痕だったよ。普通は躊躇うんじゃないかな…俺は責任しか感じないけど」

「責任取って華耶を抱きたいのか?」

「そーじゃないけど。そんな事したらお前に殺されるだろ」

「殺しはしないよ。華耶だし、しょうがないって思いながら半殺しにするかな」

「だから怖いって」

 お互い笑って。虚しく声は消える。

「…それで納得させられて…いや、そういう華耶に甘えて、俺は、自分の復讐を優先させるんだ。彼女を見殺しにして」

 暗い水の中に向けて朔夜は言った。

「お前の動揺は分かったよ」

 波瑠沙は返して、更に言ってやった。

「でもまだ絶望する必要は無い。まだいつでも取り戻せるんだし。動け、朔。じゃないと、何も望みは叶わない」

 頷く。

「相手を頼んでも良いか?」

「今から?どっちの?」

 戯ける波瑠沙の言う意味はもう分かる。

「とりあえず、先に刀の」


 冬の細い月は光源にはならない。

 闇の中で二人は対峙した。

 未だどちらも刀を抜かないまま。覇気すら夜に隠して。

 風が、木々の梢をざわつかせた。

 朔夜は抜きながら跳んだ。一挙に詰められた間合いを、波瑠沙は身を翻して避けながら刀を抜く。

 斜めに振り下ろされる大刀。その軌道は既に読んでいる。振り切った弧の外から刀を打ち下ろし、次の手を封じた。

 そのまま前へと詰める。刃と刃が擦れて火花が散った。

 左手の短刀が彼女の首を狙った。靡いた髪がはらりと切れる。

 大刀が気の削がれた刀を跳ね返す。その反動を利用して朔夜は跳ぶ。空中で姿勢を整え、刀を振り下ろす。

 正面から刃と刃が交わった。

 波瑠沙は上へと朔夜の体ごと押し上げた。朔夜の足はその大刀の腹を蹴っていた。

 くるりと空中で一回転して着地し、また向かって来る。

 思わず波瑠沙は笑ってしまった。どんな芸当だ。

 また刃を交えてやりながら言った。

「お前、曲芸師で食っていけるよ」

「それは嫌だな。衆目は浴びたくない」

「恥ずかしがり屋さんだもんな」

 笑い声と共に軽い刀を跳ね返す。

 地面に足を擦らせながら後退した朔夜はその低い姿勢のまま地を蹴った。

 波瑠沙は打ち下ろす体制を取った。正面。否。

 消えた。そう見えた。

 ――横。

 咄嗟に薙いだ刀は余裕を失っていた。

 嫌な感覚。血の匂い。

「馬鹿!避けろ!」

 刀を捨てて倒れた体を抱き上げる。

「痛え…」

 当たり前だ。横腹が斬れている。

 波瑠沙は必死に朔夜の服を脱がせた。どうにか肋骨で止まってはいるが、一本や二本は砕けているだろう。

 弱い月明かりを探して抱き上げる。

「これは今日明日には治らないな…」

「喋るな。私が治す。死ぬな」

「死にはしないけどさ」

 月明かりの届く広場の真ん中に、体を抱えたまま座り込んで。

 血が流れ冷えていく手足を感じながら、波瑠沙に抱かれる温もりが嬉しかった。

「俺が悪いんだ。一日塞いでたから判断が遅れて避けきれなかった」

「そうやってまたお前は自分を責める」

「だって、お前にも怒られたし」

「子供か」

 顔を近付けて笑い合う。波瑠沙はそのまま唇を甘く噛んでやった。

「…華耶を抱きたいと思ったのは本当だよ。ごめん」

 波瑠沙は呆れ笑いで返す。

「そりゃそうだろ。お前も男なんだし」

「でも、弁明じゃないけど、抱きたいって言うより抱き締めたかった。あの傷を抱えて、それを受け入れてきてくれた事が、なんかとても…嬉しかった。龍晶もこの傷痕ごと華耶を愛してたんだなって思うと、たまらなくて。拒まれたけど」

「お前に抱き締められてたら、華耶は引き返したかもな」

「うん…それだけ決意が固かったんだよな」

「本気になるのも怖かったんだろ。私がじゃないよ?関係が拗れてお前を傷付けるくらいなら一人で地獄に飛び込む。そういう女だろ、彼女は」

「俺も反省しなきゃ。これは良いお灸」

「全くだ」

 悪びれず笑う波瑠沙の顔が変わらなくて愛おしい。

 このくらい、強く在りたい。

「波瑠沙」

「ん?」

「いつか俺の血を飲んでみてくれる?」

「…は?」

 背徳感と、欲望と、優しさと。

「人を不死にさせる方法はそれじゃないかって…考えてる。ずっと一緒に居たいからさ」

「はあ、成程」

「信じてないな」

「どうかなあ。有り得ないとは思わないけど。でも困るんだよな」

「何が」

「お婆ちゃんになれないじゃん?」

 思わず吹き出して。

「なりたいの?」

「どっちでも良いけど」

 笑って。

 顔を撫でられ、瞼を下された。

「ちょっと寝ろよ。守ってやるから」

 息を吐いて、頷いて。

 傷付き果てた後の、優しい夜が更けてゆく。


 後宮では周囲が煩かろう、と表の王宮に居室を用意された。

 結局は自分が誰にも文句を言われず、尚且つ日夜近くに置いておきたいが為の言い訳だ。冷めた目で華耶は部屋を見回す。簡素な調度の部屋。

 ならば嫌われたらどうなるんだろう。膝を抱えて考える。

 戔に帰して貰えるだろうか。否、そんなに甘くはないだろう。一度側女とした以上は。

 後宮に押し込められるか。あの皇后や他人の目を気にしない側女の世話をするのは嫌だが、仕方ない。

 この後の事よりは。

 扉が開いた。膝を抱える腕が更に強張った。

「待たせたな」

 待ってなどいない。微塵も。

 灌王は華耶の座る寝台に上がってにじり寄って来る。華耶は膝を硬く抱いたまま動かなかった。決して体を開くまいと。

「そんな気はしておったが、根は強情な娘よの。平素はあんなにたおやかなのに」

 肩に手を置かれ、背中へと滑ってゆく。

 震えは耐えた。石のようになるのだ。

「諦めて下さい。夫の為にも私は、あなたに体を委ねる訳にはいきません」

「そういう所だ。嫌いではないが」

 再び、今度は両肩に手を掛けられて。

 強く押された。力に抵抗など出来ず、仰向けに倒れる。

 馬乗りになり、乱れた衿元を開けられて。

 動きが止まった。狙った通りに。

「このような傷物、あなた様が手を付けなくても良いでしょう?」

 震えながら、口の端を嘲笑に吊り上げて華耶は言った。

「不死、か。なるほど」

 男は呟くと、卑しい笑いを浮かべ言った。

「不死の者を喰らえば、己も不死になれるそうな」

「私を殺して喰らいますか?」

 いっそ、その方が良い。

「いや。儂はそこまで強欲ではないようだ」

 傷痕ごと、手が乱暴に乳房を掴んだ。

 声は噛み殺した。その顔を上から見てまた下卑た笑いが広がってゆく。

 体が全て露わになって。足と足の間に手を捻り込まれた。

「三年待った。お前の夫は孝行者だったな。もっと掛かると思っていた」

 怒りを露わにした目を向けて。

「矢張り、最初から…!」

「あの者が出来なかった事をしてやろう」

 怒りは瞬時に怯えへと変わった。

「お許しください!それだけは…!やめて!!」

「奴隷だったのだろう?このくらい訳無い事だ。まして儂は王だ。栄誉と思え」

「嫌…!!」

 悲鳴。そして。

 あの幸せな夜は何処へ行ったのだろう。

 思い出しても辛いだけ。そうだとしても、きつく閉じた瞼の裏に愛しい顔を思い出してやり過ごすしかない。

 体と頭は別物なのだと思えばそれで良かった。

 あなたは同じように苦しんでいたんだね?

 一致しない、させられない頭と体を、最後は全てこの手に委ねてくれた。

 もう一度抱き締めたかった。

 抱き締めて欲しかった。

 いつかまた叶うのだろうか。

 裏切った私の元でも、あなたは帰って来れる?

 ごめんなさい。でも、そう願う。

 あなたに会いたい。

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