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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十三話 戦略
17/53

5

 連日その一角で打ち合っていると、見物者が現れだした。

 最初は賛比だった。こいつが仲間を呼んだ。

 お陰で少年達に囲まれながら二人は対峙する事になった。

「見物料取るぞ、お前ら」

 呆れつつ朔夜は彼らに言う。少年達は笑う。

 かつて朔夜が稽古を付けてやった子供達だ。あれから三年、子供の成長は早いもので、見た目は殆ど大人になっている。

「朔兄、俺達にもまた稽古つけてよ」

 言われて、苦く笑う。

 その結果彼らの仲間がどうなったか――そして、彼ら自身がどうなるか。

 笑っていられない。戦にしようとしているのは自分だ。

 或いは、彼らを殺すのは。

「朔夜君」

 少年達の後ろから、宗温が姿を現した。

 表情は硬い。察して彼の方へと走る。そうしながら後ろへ声をかける。

「波瑠沙、こいつらの相手してやって」

「はあ?自分は逃げて子供の世話を押し付ける気か」

「ちょっと打ち合ってやれば満足する…って言うかお前に恐れをなすよ」

「しゃーねーなあ。おら、かかって来い餓鬼ども」

「酷い怪我はさせるなよ」

 言ってはみるが、さて。

 まあ三歳児にも怪我はさせてないし大丈夫だろうとそこは楽観して。

 無言で歩き出した宗温に従った。

 建物の中に入る。誰も居ない部屋に通されて。

「軍事演習の件は今日の朝議で通りました。あっさりと碑未は折れた」

 宗温は言った。

「そうか。良かった」

 まるで他人事のように朔夜は返す。

 宗温は一度何かを言いかけて、溜息に変えた。

 落ち着き払って、もう一度口を開く。

「朝議の後、碑未から小言を頂きましてね。そんな事は有り得ないと私は返しましたが…どうも自信が無くなってきた」

 奴に言った言葉の中身の事だろう。

「私達はとんでもない悪魔を懐に抱えているのでしょうか?」

 朔夜の目は一点を見詰めていた。

 それは何も視界に入れていない。世界を見る事から逃げている目だ。

「朔夜君…あれはただの脅しですか?それとも、再び君は悪魔と化して罪なき民を襲うのですか?そうだとしたら…」

「首を落としてくれるか?」

 細い声で彼は問うた。

 それを望んだ。かつては。

 否、今も。心の何処かで。

「そんな事は出来ませんよ。未来の罪を罰する事は出来ない。陛下はそう言われた」

 僅かに首を傾けて宗温を視界に入れる。

 後悔の笑みがある。

「そう言って、陛下は珠音を解放した…。止める事は出来ませんでした。理は通っている」

 瞼を閉じる。己を犠牲にして理を通し、己を憎む者を守ろうとした友の顔が浮かぶ。

 己の寿命を縮めてでも、あいつが守りたかったものが分からない。

「…単なる脅しだよ。俺の刀は繍の奴らにしか向かない。今はな」

 朔夜は答えて開いた目を宗温に向けた。

「他にも文句言ってきたろ」

「矢張り事実なのですか。苴を動かす為に、皇后を人質にしろ、とは」

「俺じゃないと言えねえよ」

「君が言える事ではありません。少なくとも、私が知る君では」

 朔夜は込み上げる笑いを奥歯で噛み締めた。

「何を…」

「言ったろ。俺はこれまでの甘い自分を捨てる。そうじゃないと守れない。憎しみだけが今の俺を動かしているんだ。世界の何もかもが憎い。何処もかしこも汚れている。そういうものから大事な人を守らなきゃならない。俺一人で。だから手段なんざ選んでられない。嘘っぱちの綺麗事はもう沢山だ」

 信じていた世界は、愕然とする程に醜悪だった。

「何を…見たのですか、君は」

 宗温には分からない。何が少年を変えたのか。

 親友を殺された恨みだけではないのだろう。

「苴王家の奴らだけでも十分吐き気のするような屑共だった。三人はこの手で始末したけどな。それよりタチが悪いのが居た。灌だ」

「この国を乗っ取ったからですか?」

「それだけじゃない。灌王は、華耶を側女にすると言い出した」

「なんと…!?」

 それだけで少年の目は裏切られ傷付き果てたそれだった。

「俺はその為に灌王が龍晶を殺す手引きをしたんじゃないかと疑っている」

 口調はあくまで淡々としていた。

「しかし、裏で糸を引いていたのは繍…」

「下心があればその更に裏で糸を引くくらいするだろ」

 深い溜息を吐いて。

「勿論、華耶の事だけじゃないだろう。龍晶が生き続けて一番都合が悪いのはどう考えたって灌王なんだ。戔の事だって…。だけど手出し出来ない。灌の裏には皓照が居る」

「あの方が、そのような事を許すでしょうか」

「許すよ。その方が自分に都合が良いか、別に関係無いと考えれば。そういう男だよ、奴は」

「朔夜君…」

「お前が思ってるより人間も世界もずっと醜いもんなんだ。俺ですらそこまでとは知らなかった。いろいろ知って…分かった。悪魔はそんな世界より悪でなければならないと」

 憔悴を、覆うように。

 瞳はぎらつき、口元は歪み笑う。

「こんな世界、俺が壊してやる」

 宗温は立っている我が身さえ重く感じて、そこにある椅子を引いて座った。

「陛下と言い、君と言い…純粋に他人を想う優しい心根の者が、何故悪とされねばならないのでしょうか…」

「それだけ世界が歪んでるんだ」

 言い切って、見据えて。

「お前はどうする?この国がこのままなら、俺はいつか倒しに動く。お前が今の立場のままなら刃を交える事になるだろう。それは流石に俺も嫌だ。龍晶も望まないだろう、そんな事は」

「その時は私も身の振り方を考えます」

 言って、悲しく笑って。

「今も…時に考えるのです。龍晶陛下の居ないこの城に留まり続ける意味はあるのだろうかと。しかし私はあの方に託された。彼の遺志を継ぐ、最後の砦として」

 軍を掌握する立場として、兵の動かし方に、かの王の遺志を込める。

 常に人を守ろうとした彼の願いを。

「…頼むよ。それは、俺からも」

 朔夜は呟くように言った。

 裏切るのも自分なのだが。

 でも戔兵は死なせない。それは先刻の少年達だからだ。

 自分が敵を最大限減らして、彼らに留めを刺させる。そういう戦い方に持って行きたい。

「梁巴の雪が溶けるのはこっちよりひと月遅い。その機を狙って兵を動かしてくれ」

「分かりました…朔夜君」

 顔を上げる。素の少年の顔に戻っていた。

「あまり無理はなさらぬよう。私もですが…龍晶様は、そのままの君を愛しておられた」

 愛――なのか。

 そうかも知れない。あいつから貰ったもの。

 自分自身が抱いていたもの。

 見返りを求めない。ただ互いの為を想い合う、そんな関係。

「…あいつは王で有り続けなきゃならなかった。今ひしひしとそう思うよ」

 私利と欲得まみれのこの世界で。

 あいつの存在がどれだけ眩しかったか。

 龍晶は世界を変えねばならない王だった。

 だから俺は、悪魔となって。

「宗温、あとは頼むな」

「はい。また、春に」

 梁巴で。


 北州に帰る前に行くべき所があると桧釐が言い出した。

「付き合え」

「俺が?」

「お前が行かなきゃならない」

 首を捻りつつ馬に乗る。

「救民街だ」

 桧釐が言った目的地に目を見開く。

「俺は行った事が無い。案内してくれ」

 そう言えば都に居ても桧釐がその場所を訪れた事は無かったなと、龍晶の在位中を思い出しながら。

 しかし後方支援をしていたのは確かだ。この人や燕雷が手を回して、救民街を王府の直轄地としたり資金を捻出していたのだから。

 無論、それを実行させていたのは龍晶だ。だから彼は貧しい者達から崇敬を集めた。

 それは都――否、国全体を変える人々の感情となった。何があってもこの王は救ってくれると思わせたから。

 戔はそのまま良い国になる筈だった。

 少なくとも龍晶はそう信じていただろう。だから国を救う為に命を擲つ事を決めた。

 あいつは信じていた。己の民を。人を。

 世界はまだ美しいと。

「…また、元に戻りつつあるな」

 道の端に蹲る痩せこけた少年に桧釐は銀貨を投げてやった。

 彼は驚いた顔をしつつも、他人の目を盗むようにそれを懐に入れた。

「当たり前だよ。放っておけば朽ちていく」

 老人の屍。打ち捨てられたまま、誰も近寄らない。

 そのうち宗温の部下達が発見して埋葬するのだろうが。

「都ですらこれだ。地方はもっと酷いだろう。潤っているのは北州くらいだ」

「お前の力だな」

「俺と言うより、あの人のだな。金を取る効率を上げたから」

 その仕組みはまだ生きているという事だ。誰にとっても利のある話だから当然だろう。

「そこを国にどうこう言われずに保っていくのが俺の仕事だ」

「そうだね」

 少女が声を掛けてきた。自分を買ってくれ、と。

 朔夜は堪らず顔を背けた。桧釐は再び金を投げた。

「華耶を…北州で守り切れるか?」

 どうしても、考えざるを得ない。

「北州から出さねば向こうは手出し出来ないだろう」

「そうか?」

「こんな恥ずかしい事に兵は出せんだろう?いくらあの王でも」

 鼻で笑って応える。確かに、女が欲しくて他国に兵を出すなど有り得ない。

「お前は安心して戦え。守るべきものは俺が守る」

 頷く。目に光が戻った。

 救民街は意外にも以前のままだった。

 否、規模が広がったと行っても良い。水路が流れ、その水で田畑を作っている。

「凄い…なんで?」

 国からの支援を打ち切られたのでは無かったのか。

 桧釐はにやりと笑った。

「夏の間に灌から書状が来てな。救民街をなんとかしてやってくれと、まあ他力本願なあの人らしい言い様でさ。ま、金山の負傷者が集まる場所だから北州も関係している所だし、俺が責任を持つのも筋かと思って」

「それで…」

 この場所を見ておくと言い出したのか。

 だが桧釐はこの地に来た事は無いと言った。資金は出しているとしても、実質的な差配を誰がしているのか。

「桧釐殿、お待ちしておりました!」

 駆け寄ってきたのは、以前灌で見た。

「おお、要馬(ヨウマ)。ご苦労」

「桧釐殿こそ、わざわざ都までご苦労様です」

 下馬して桧釐はその男の肩を叩き、朔夜に言った。

「医師の要馬だ。龍晶様は現地の差配をこの男に任せろと書いていてな」

「診療所の先生のお弟子さんだ?」

 思い出して朔夜は問う。要馬は頷いた。

「是非先生にお会いになって下さい」

 診療所に向かって歩いていると、懐かしい顔が寄ってきた。

「お前…呂枢(リョスウ)!」

 戴冠前、反体制派に龍晶と共に捕らえられ救ってくれた彼は、もう子供とは言えない見た目になっていた。

「朔夜さん!都に来てたんですね!」

「なんで、お前ここに」

「城を御役御免になった所を、桧釐さんに雇われました。僕と同じく城で働いていた仲間達が今はここで働いてます!」

 言って指差した先に、畑に立つ少年達が見えた。

「ここで高黍を育てて増やしてるんです」

「高黍は国に年貢として持って行かれないからな。ここで増やして貧しい者に配る事にした」

 桧釐の説明に、あ、と呟いて。

「あいつのやってた事だ」

「そうだよ。俺が引き継いだ」

「あの、朔夜さん…陛下の事…」

 落とした肩を叩いて、言ってやった。

「お前の働きであいつはこの国に生きられる。あいつの魂、引き継いでやってくれ」

 かつての少年は頷いた。

 龍晶は呂枢を前に、お前の為に王になると言った。

 十数年後、優秀な大人になった彼らに活躍の場を与えて率いる為に。

 その姿は無くなっても、少年達一人一人の心に魂は生きている筈だ。

 そういう彼らが世界を作り変えて欲しい。

 悪魔は壊す事しか出来ないから。

「行きましょう。先生がお待ちです」

 要馬に促され、診療所へと入った。

 老先生は、話の通り床に伏せっていた。

 診療室の奥で、土気色の顔を微笑ませて。

「おいでなすったか…」

「先生…!」

 その顔を見て、朔夜の中で保っていた何かが崩れた。

 枕元に座り込んで、嗚咽を噛み締めながら頭を下げた。

「ごめんなさい…俺はあいつを守れなかった…。先生がいつも救ってくれたあいつを、俺は…」

「君のせいではないよ。頭を上げて下され」

 泣き顔を上げて、彼に向ける。

「病が良くなって…熱が下がって、油断してたんだ。少し離れた隙に…まさか殺しに来る奴が現れるとは思わなかったから…」

 彼もまた辛そうに龍晶の最期に頷いて、だが朔夜には微笑んで言った。

「最期の日々に君と共に在った事、龍晶様はさぞや嬉しかった事でしょう」

 駄目だ。壊れたように涙が止まらなくなった。

 最期の笑顔が閉じた瞼に浮かぶ。

「君ほど心を開ける人は居なかった。あの方自身そう仰せになっていました。不遇で寂しいお子だったあの方の孤独を救って頂いた事、私からも礼を言います」

「俺も同じだったから…!だから、置いて行くなって…俺を独りにするなって、そう言ってたのに…!」

 本音は絶叫になった。

 丸めた肩に、温かな手が乗った。

「もうじき、私も後を追います。伝えたい事があれば、私に仰せになって下さい。必ずお伝えします」

「先生…」

「老いた身に出来る事は、それくらいでしょう」

 呆然と、涙を垂れ流しながら。

 あいつに、今、伝えたい事。

 謝らねばならない事ばかりだ。それを伝えた所で一蹴されるのは分かっていた。

 ごめん、以外の事。

 なんだろう。まだ何も約束出来ない状態で。

 不確定の未来と、曖昧で崩れ落ちそうな今。

 その中で、あいつに伝えるべき事。

「早く…こっちに戻って来いって」

 胸が焼け付くような願い。

 俺と、華耶と、あいつ自身の。

「戻ってきてまた出逢おうって、そう言ってやって」

 いつか。遠い遠い未来の、いつか。

 遥かな約束。

 また三人で笑うんだ。

 否、四人か。波瑠沙もそこにきっと居る。

 いつだろう。永遠と告げられた未来の中で。

「承りました」

 老医師は微笑み、頷いた。

「先生、祥朗に子供が産まれたんだ。龍晶が名前を付けて、祥大っていう。もうすぐ戔に帰って来るから、会ってやって」

 老人は夢見心地で頷いた。

「あいつは間に合わなかったから、先生は…」

 彼の疲れを見て、朔夜は診療所を出た。

 その場に座り込む。まだ嗚咽は止まらない。

 冬の太陽は温かった。

 非情になり切れない心を包む。

 あいつはこの街に母親の姿を探していた。

 居るんだ。何処かに。この街の中に。

 そう思えば、己の行動の虚しさを突き付けられて。

 分かっている。何の意味も無い。こんな復讐に。誰も望まない。

 だけど。

 それを真正面から受け止めたら、自分が消える。

 動く理由が無くなる。生きる理由が。

 だから、やっぱり。

 引っ掛かる息を吸って、ゆっくりと吐き出す。

 やっぱり俺は行くよ、と。

 見えない影に向けて呟いた。


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