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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十三話 戦略
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 恒例の朝議の席。

 宗温は予定通りに梁巴での軍事演習を奏上した。

 鵬岷はすかさず許可した。断れる筈が無かった。

「お待ち下さい」

 次へと話題が流れそうになった時、横から止める声が掛かる。

 碑未だ。

「軍事演習とは唐突ですな、宗温殿。今は外憂も無いのに、どうしてまた」

「無いからこそ今やるのです。戦を知らぬ兵も増えています。これではいざという時に動けない。それ故の演習です」

 それは尤もだが。

「では何故、梁巴という地を選ぶのか説明して頂きたい。彼の地は苴領だと私は認識している。そこに勝手に入り込んで演習を行うなど、自ら外交問題を起こすようなもの。やるならば国内で良かろう」

「苴には孟逸を通じて許可を取ります。梁巴でなければ意味が無いのです」

「ほう?何故」

「繍への牽制です」

 碑未の細い目が更に細められる。

「彼の国は以前、反体制派を通じて我々を悩ませてきました。鵬岷陛下の世となった今、再び良からぬ事を企むかも知れない。その前に、あの国に通じる梁巴で兵を並べておきたいのです。如何ですか」

「ふむ。成程。しかし結論から言う。そんなものは必要無い」

「何故」

「繍は弱体化している。こちらを攻める事など叶わぬだろう。故に必要無い」

「碑未!」

 悲鳴のような王の声が飛んだ。

「わ、私も宗温と同意見だ…!この演習は、絶対必要なんだ!私が許可する、宗温、是非計画してくれ」

「これはこれは、一体どういう風の吹き回しですかな?」

 一際声を大きくして碑未が言い放った。

 笑う顔の眉間に不快だとばかりに皺が寄っている。

「私が不要と申し上げておるのです。陛下は何もご存知無いのですから、全てこの碑未にお任せになれば良い」

「そういう訳にはいかない」

 勇気を持って言い返す。

「王は私だ。いくら宰相でも、私の意見には従って貰う」

「ほう?御立派な事を仰せになるようになられましたな。喜ばしいご成長ぶり。しかし」

 勝ち誇った笑みで。

「陛下が成人なされるまで、玉璽はこの碑未が預かっております。この国を傾ける訳にはいきませぬので。この意味、お分かりになりますよね?」

 言い淀んだ王を無視して、重臣に怒鳴った。

「早く次へ行け!」

 また元の通り黙って玉座に収まるだけの人形に、鵬岷は戻っていた。


 夜。

 碑未は執務室から横の仮眠室へと入った。

 ここがすっかり寝泊まりの場所となっている。都の中に屋敷は用意したが、遠方ゆえ帰った事が無い。

 いつものように扉を開けた途端、いつもと違う気配に動きを止めた。

「何者だ」

 手燭の灯りに煌めく光。

 それがゆっくりと長椅子から起き上がった。

「久しぶりにここで寝たな。戴冠前は龍晶と寝泊まりしてたけど」

 なんとも場違いなのんびりとした声。

 碑未は家臣を呼んだ。

「曲者だ!捕えろ!」

「やめときなって。俺が誰か知らないだろ」

 駆け付けた護衛兵を長椅子の上でひらりと躱し、行き過ぎた背中に踵を落とす。

 続いて長椅子の背もたれを掴みつつ、次の兵へ飛び蹴りした。

「刀は抜かないよ?変に騒ぎになるし」

 起き上がって再び向かってきた兵の得物――丸太の棒を、触れずに切り落とした。

 手元から無くなった棒の先を見て、兵は驚き、固まった。

「分かった?俺は誰でしょう?」

 子供が戯れに問題を出すようにせせら笑いながら碑未に問う。

「前王と共に在った…あの悪魔か」

 朔夜は笑みを深くして動き兼ねている兵らに顎を振った。

「行け。扉の外で警戒しておれ」

 碑未の命令に戸惑いつつ彼らは部屋を出た。

「何をしに来た」

 問われて、ぞっとする程冷たい笑みを浮かべて答える。

「お前を殺しに来た」

 碑未は無言で懐から短刀を抜いた。

「…なんて、嘘うそ。そうしたいのは山々なんだけど、どうもまだお前は消せないんだよな」

 誤魔化す気も無い本音ばかりを並べられて、宰相は眉間に深く皺を寄せる。

「何が言いたい」

「脅しに来た」

 あっけらかんと本来の目的を言う。

「脅しだと?」

「うん。軍事演習の件、何が何でも飲んで貰おうと思って」

「あれは貴様の差金か。陛下までも…何か変だと思ったが」

「鵬岷は素直な坊ちゃんだよ。このままにしておくのは可哀想だ。でも、王の器かと問われれば疑問だけどさ。あいつ自身が足掻いてお前を追い落とさなきゃ本当の王にはなれないな。それが龍晶の願いだろ」

 消せないのはその為だ。碑未だけを消してしまうと、鵬岷の為にならない。代わりは灌にいくらでも居るだろう。

 消すのなら、諸共に。

 あの子供を殺したいとは、流石の朔夜も思わないが。

「前王こそ王の器だったとも思えないがな」

「何も知らないあんたに言われてもな」

 笑みを浮かべたまま。

 一瞬の事だった。気付けば碑未は己の首に刃が突き付けられており、身動き出来ない事を悟った。

「悪いけど、今あいつの悪口を言われたらどうにも殺したくなっちゃうんだよ。次から気をつけてくれよ」

 懐に潜り込んだ悪魔は言った。

「私を殺せばお前は各国を敵に回すぞ…!戔は勿論、灌も、そして同盟関係を結ぶ苴も。それでも良いのか…!?」

「だからまだ殺さないって言ってやってんだろ。だけどそれは脅しにならないからな?俺は()ると決めた奴は殺るよ?死にたくなければあまり俺を怒らせない事をお勧めするね」

「…要求は軍事演習だろう。何が狙いだ…!?」

「別に戔には何も不利の無い話だよ。だから宗温も話を飲んでくれたんだ。俺の狙いは繍。単純な話だ。悪魔は戦を欲している」

「戦をしろと…!?」

「俺に繍兵を殺させろって言ってる。そうしないとさ、飢え乾いた悪魔は戔の民を殺すぜ?それでも良いのか?」

「貴様…!」

 朔夜は口の端を引き上げて邪悪にせせら笑う。

「流石に民が死んでも良いとまで言わないか。そこまで悪人じゃなくて安心したよ」

 刀を首筋から離し、自身も男の懐から離れる。

 長椅子の手摺りに腰を下ろして、悠々と足を組んで。

「どう?要求を飲んでくれる気になったかな?」

「致し方あるまい…。まさかお前、前王の世でもこうして王や臣を操っていたのか」

「どうして親友を操る必要があるのさ?あいつのやる事は正しかった。お前のやる事はその真逆だ」

「それより更に悪いのが貴様だろう…!?」

「違いないね。だって俺は悪魔だもん」

 悪びれずに笑って、指を一本立てる。

「もう一つ頼まれてくれ」

「何を」

「苴にも出兵を促すんだ。そもそも共同で繍を滅ぼすって話だったんだから、戔だけが動くってのは筋に合わない。何より、苴にも借りを返してやらなきゃな」

「借り?」

「お前は知らねえか。龍晶が王になってすぐに繍への出兵を苴から迫られて、俺達は酷い目に合った。あれが無ければあいつはまだこの城に居ただろうよ。そう思えば大きな借りだな」

「向こうは当然の筋を通したと思っている。借りにはならないだろう。今、苴が動くとは思えない」

「動かすんだよ。無理矢理にでもさ。前に戔がそう迫られたように」

「どうやって」

 にやりと笑う。

「何の為に皇后を苴から貰ったんだよ?」

「は…!?まさか、貴様…!?」

「お前が出来ないなら俺がやるぜ?まずはちょいと脅してやっても良い。皇后付きの女官でも屍にして返すか」

 その思考こそが信じられないと、邪悪な存在を見下ろす。

 これは苴だけへの脅しではない。自身への脅しだ。

 それを実行されては、戔もただでは済まない。各国もだ。再び戦乱の世となる。

「…分かった。まずは私から出兵の要求をする。ここは穏便に済まそう。苴とて、同盟国の要求を無下にはしない筈だ」

「そうだと良いね」

 やっと、悪魔は立ち上がった。

「俺をどうこうしようとは考えるなよ?死体が増えるだけだ」

「分かっている」

「じゃあ、後はよろしく」

 悪魔は去った。碑未は代わりに長椅子に座り込んだ。

 卓上にあった灰皿を床に叩き付ける。悲惨な音が城内に響き渡った。


 波瑠沙の姿を見て、心の糸が切れた。

 懐の中に吸い込まれるように崩れ落ちた。

「朔」

 呼ばれても、浅い呼吸音だけ。

 両腕で包まれて、やっと少し安心して。

「ちょっと無理し過ぎなんじゃないか?」

 小さく首を横に振る。何もしていない。ただ口を動かしただけ。

 なのに、苦しい。否、寒い。心が凍え付いている。

 人の温度が欲しかった。

「寝るか」

 何も言わずとも察してくれた彼女は少し微笑み、解いた手で二人分の衣を脱がせて褥の中に誘った。

 肌を重ね抱き合う。

 少しずつ解け、溶けてゆく。

 怒りも、悲しみも、後悔も、矛盾も。愛の中に蕩け、一つになる。

 それでも心の底には凍傷の跡が残った。痛みを超えて、麻痺し動かない。

「波瑠沙」

 まだ繋がった体でぐったりと重みを預け合う。それでも出る声はまだ切迫していた。

「俺が世界を全部敵に回しても、お前は味方で居てくれる?」

 震える唇を奪われる。そして彼女はにっこりと笑った。

「そうなったら、哥に行こう。陛下は必ず私達の味方をしてくれる」

 頷いて、やっと微笑み返す。

 逃げられる場所があるのは有難かった。

 安心すると、どうしようもない疲れだけが残った。

「おやすみ」

 浅い眠りの中で、梁巴を思い出す。

 母の懐の中で何も考えずに眠れていた、あの頃を。


 軍部の演習場の片隅を借りて、二人は打ち合った。

 鋭い金属音が青空に響き渡る。青は冬の色を帯び始めていた。

 右手を刀に変えた事で、攻め方に幅が出来た。相手に接近せずとも詰めれる。腕の力を付ければ防御も可能だろう。尤も、これは波瑠沙の得物が尋常ではないから難しいのであって、普通の刀なら余裕で攻めと守りを同時に出来る。

 今はまだ慣らしだ。新しい相棒の特性を徹底的に体に叩き込む。それで初めて実戦で使える。

 朔夜の鼻先を波瑠沙の刀が薙いだ。一歩退いたから避けれたが、紙一重で頭が割れていた。

 すぐさま切り返された刀を刀で受ける。正面から受けては分が悪い。と言うか無理だ。抑え切れない。

 激しい金属音と共に軌道の下へ潜る。下だけは彼女の得物の死角となる。重さゆえに一度地面に付けば再び上げるまでに隙が出来るからだ。

 いつもならそのまま懐を狙う。だが敢えてそれをせず、刃が軌道の極限まで離れた隙に間合いを取った。

 彼女の眉が訝しげに顰められる。だが考え問う暇は無い。

 朔夜は再び地を蹴って間合いを詰めた。仕切り直された大刀が正面から打ち下ろされる。

 それを刀で受け止めた。金属の悲鳴。それはそのまま細い腕の限界である筈だ。

「馬っ鹿、また傷めるぞ!?」

 交差された刃の向こうから波瑠沙は叫んだ。

 朔夜は答えず、渾身の力を刀に込める。大刀の動きは確かに止まっていた。

 波瑠沙は舌打ちし、一度刀を離してまた振り切った。空気を斬り、その先の刃へと衝撃が走る。

 振りを付けた重みには流石に耐えられなかった。朔夜は体ごと飛ばされた。

「もうやめとけ。休憩だ休憩」

 ず、と手足を地面に引き摺らせて。

 弾かれたように体が跳んだ。高い跳躍の最中で刀を振り上げ、空中から相手を狙ってゆく。

 思いがけない動きにも波瑠沙は対応した。振り下ろされる刀の軌道上に大刀を持ってゆく。

 金属と金属が再びぶつかった。その余韻の最中で。

 ぶつかったのは朔夜の左手にある短剣。彼女の懐へ着地すると同時にもう片手の刀を振り上げた。

 刃は顎の下で止まった。

 波瑠沙は視線だけを下に向けて何が起きたのか確認して。

 にやっと笑った。

「ずりーよ、お前」

「勝ちは勝ちだ」

「そうだな」

 両手から刃を手放して。

 ばたりと、そこに大の字に転がる。

 もう一寸も動けない。

「今私が反撃してきたらどうすんだよ?死ぬぞ?」

「うーん。まあ、お前みたいなのは他に居ないから」

「なんだよその言い草」

 波瑠沙も大刀を納めて横に座った。

 やっと勝てた。龍晶が死んでから、どう足掻いても勝てなかったが、やっと。

 少しだけの充実感。すぐに虚しくなるけれど。

「朔」

「うん?」

「辛いか?」

「…うん」

 どうにも、誤魔化す気にならない。

 これまでと違って。

「そうかも知れない。よく分からないけど」

 凍えた痛みは焼き付いて麻痺している。

 それでも、誤魔化しの笑みを浮かべた。

 彼女に対して誤魔化せるとは思っていない。

 自分に対して。

「目的地に辿り着くまで治らないよ。お前のお陰で生き延びてはいるけど」

 波瑠沙は無言で手を伸ばし、銀髪を撫でた。

 されるがままになりながら、青空に意識を吸い込まれる。

 友が死んだ、あの時と同じに。

 このまま消えてしまいたい気持ちは変わらなかった。

 それでも。

「…生きて帰ろう。二人で」

 その為になら、何だってする。

「それで、哥に行くんだ。二人で、海へ」

「ああ。そうだな」

 波瑠沙の穏やかな笑顔が、嬉しい。

「その時までは死なない。約束する」

「ばーか。その先もだよ」

「…うん。お前がお婆ちゃんになるまで」

「そのもっともっと先もだろ?」

「そこまでは知らない」

 笑って。

 解かされた氷のように、涙が一滴溢れた。


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