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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十三話 戦略
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2

 地下牢の中で、幼い心は死にかけていた。

 自分が何をしたか、そして何をされたか、受け入れる事が出来なかった。何も考えられず、思い出せず、ただ苦しく息をしていた。

 泣く事すら出来なかった。何の為に、誰の為に泣くのかも分からない。

 ずっと身を襲っていた震えも止まった。そうやって己の心身を生かそうとする一切を止めた。あとは呼吸だけ。

 それだけは止めたくとも止まらなかった。

 まだ何も知らなかった。自分を殺す術がある事。

 鉄格子の向こうに見えた姿に縋る目を向ける。

 この苦しみから引き上げてくれる人だと、まだ信じていた。

 だけど許しを乞うても乞うても与えられるのは更なる罪で。

 それだけ自分という存在が罪悪なのだと思った。早く消えたかった。

「月、戦さ場に行く為の刃が欲しいだろう?」

 問われている意味が分からなかった。

 戦さ場って?

 その為の刃?何の為の?

 どうして欲しいと思うのか。

 俺が人を殺す事を欲していると、そう思われているのだろうか。

 そういう疑問は実際その時には具体的に浮かばなかった。ただ危機感のような、切迫する苦しさに襲われた。

 何も要らないと思ったのは確かだ。

 何一つ。この命すら。

 当然、そんな思いなど桓梠に伝わる筈が無かった。

 否、奴は分かっていたのかも知れない。それでいながら壊れていく心を笑い弄び、都合良く考えていたのだろう。

「お前が以前言っていたものを用意した」

 鉄格子の隙間からそれらを滑り入れる、

 二振りの短剣。

 以前、まだこうなる前に訊かれていた。どんな刀を使っていたか、と。

 双剣だと答えて、それを思い出すだけで泣いた。燈陰に会いたくて。

 そのくらい柔らかだった心が瀕死の傷を受けて硬化しつつある。

 しかし完全に冷たく硬くなるのは、まだ先の事だった。


「…それで、こいつを持って初めて戦場に行った。何の為に行くのか分からないまま」

 寝台に転がり、裸の胸の上に鞘の付いた短剣を掲げながら語る。

 昼間の出来事のお陰でそれを持ち上げる右腕が痛むが、構わなかった。

 このくらいの痛みは痛みにならない。

 あの時から続く麻痺は耐性となって恐らく一生元に戻らない。

 痛みを感じない訳ではないのだ。痛いと言えないから我慢する。

「激戦地に放り投げられた。敵の背後を突く形で、一人だけで。そんな事はその時理解できやしなかったけど。ただ、殺せとだけ言われて。嫌だとも言えなかった。そうしなきゃ許されないんだと思ってた。だけどまた罪を重ねる事も分かってた。矛盾し過ぎてて…じゃあ殺す相手を変えれば良いと思った。自分を」

 事は終わったのにまだ喘ぐように息をする。

 思い出し語るには息が足りない。あの頃の直視はそれだけで苦しい。息が浅くなる。

 愛する人の手が胸を撫でた。肩に回され、引き寄せられて。

 右腕をぱたりと落とし、刀を手放す。そして寄せられるままに胸の中に顔を埋めて。

 つまらない話を続けた。

「幸いそこに立ってるだけで殺してくれる奴はいっぱい居た。何もしなくて良かった。もう何かを出来る精神状態じゃなかったから、楽だなと思って安心して待った。殺されるのを」

 たちまち蹴り飛ばされ、踏まれ、雨後の地面に埋まりながら。

 遠退く意識の中で、刃が迫っていた所までは覚えている。

 それに無上の安堵を感じたから。

「…気付いたら俺が全部殺していた。俺だけが生き残っていた。死にたかった俺だけが」

 凄惨な光景を目にして、愕然として。

 やる事は一つだった。

「それで初めて刀を抜いた。周りの屍と同じように、首を斬ってみようと思って」

 それで終われるのだと思えば痛みも恐怖も感じなかった。

「…目が覚めたらまた地下牢だった。時間を巻き戻したように。それから同じ事を何度も繰り返した…。でもいつも結果は同じだった」

 絶望の中で、心は死んだ。

 それでも生きる体を、持て余すように戦地へ運んで。

 何もかもどうでも良くなった。命じられるままに殺し、戦地を彷徨い、悪魔と呼ばれて。

 殺してくれる誰かを探して。

「俺は死にたかっただけ。それを叶えてくれると思ってこの刀を持った。どうでも良いだろ、こんな話」

 強く、強く抱き締められる。四肢は甘美に痺れた。

 冷え切っていた体温が、急に温められる。

 何より痺れているのは、血を流し続ける心。

「今はどうなんだよ、お前」

 問われて、安心で重たくなった瞼を閉じて。

「生きてて良かったよ。お前達に出会えて」

 出会った以上、必ず別れもあるけれど。

 出会わなければ良かったとは、もう思わない。

「波瑠沙」

「うん?」

「俺はもう、目的の為ならいくらでも殺せる。そういう化物になったら、お前は嫌う?」

 朔夜の自嘲に対して、波瑠沙はにやりと笑った。

「寧ろそういうお前を私は望むよ。誰を殺しても、お前だけ生き残ってくれればそれで良い」

「…そっか」

 また、体を重ね合いながら。

「そっか…」

 お前は甘い、大人になれと言われ続けたその意味が。

 少しずつ、分かってきてしまった。


 桧釐によれば、都から書状の返信が来たという。

 相手は宗温(ソウオン)。今は都に滞在しているから、是非来て欲しい、と。

 行くのは朔夜、波瑠沙、桧釐、燕雷。繍を滅ぼすのに必要な面々。

 華耶と春音を連れて行くべきか迷っていた。

「都に帰りたい?」

 悩んでも仕方ないので本人に問うた。

「うーん、別に良いかな」

 彼女は小首を傾げて微笑んだ。

「別に会いたい人も居ないし。それよりここで彼の近くに居たい」

「俺もそれが良いと思う。都は変な奴が色々居るし」

 朔夜は言いながら、後ろから打ってきた春音の棒をひょいと躱した。

「あ!こら春音!朔兄ちゃんに謝りなさい!」

 華耶が怒る。

「別に当たってないから良いよ」

「そうじゃないの!またやるでしょ!?」

 何故かこっちが怒られる。

 華耶は走り回る春音を捕まえて朔夜の正面に向かせた。

「さく、いいっていってるもん」

「めっ!駄目なものは駄目なの!ごめんなさいは!?」

「ごめんなさいー」

 今にも舌をぺろっと出しそうなごめんなさいだ。全然反省してない。

 華耶が手を離すと、棒を片手に走り去ってしまった。

「あ!春音だめ!遠くに行かないの!」

「屋敷内なら誰か見てるから良いよ」

「そうだけど…もう…!」

 彼女の母親ぶりを少し笑って、心配が勝った声で問う。

「大丈夫かなあ。俺達ちょっと居ないけど」

「於兎さんも居てくれるし、もう少しで祥朗達も帰るから」

「そうだな。心配し過ぎか。俺達も今回はすぐ戻るし」

「うん。いってらっしゃい」

 そういう訳で彼女は留守番を選んだ。

 都へ。苴に行く前に立ち寄って以来だから、一年以上ぶりだ。

 当たり前のようにここで過ごしていた日々がもう遠い。

 あいつと共に居た日々が。

 城に入り、軍部へと赴く。

 その途中にあった筈の学舎は跡形も無くなり、子供達が耕していた黍畑は元の花畑に戻っていた。

 あいつの理想も心血も踏み躙られている。

 怒りより前に、虚しさを噛み締める。

 どうして、こうなった。

 あいつは正しかった筈なのに。

「朔夜君!」

 聞き馴染んだ声に顔を上げた。

「宗温!」

 ほっとして名を呼び返す。

 宗温と、後ろにはいつものように賛比(サンヒ)が。

 ひと月あまり前に灌で会っているのに、都で会うと随分久しぶりな気がした。

「良かった。君が元気そうで。随分気落ちしていると聞いていたので」

「いつまでも引き摺ってたら波瑠沙に殴られる。な?」

 実際に殴った彼女は否定せず、にやっと笑う。

「なるほど。貴女のお陰ですね。こうして我々がまた再会できたのは」

「そういう事。感謝しろよ?特にお前はな」

 謙遜せず、隣の朔夜の頬をぐりぐり弄りながら言う。

「はひ…感謝ひれまふ…」

 宗温は心底可笑しそうに笑って、軍部の客間へと一行を案内した。

 それぞれ座り、落ち着いて。

「それで…こっちには何がどう伝わっている?」

 桧釐が問う。自分が都から受け取った一報には死因が記されていなかった。把握しているのかどうかも分からない。

「我々も随分後になって知らされました。弑逆された、と」

「誰にかは知ってる?」

 朔夜が問う。刺さりそうな程に鋭い視線で。

「いいえ。下手人は死んだと、それだけです」

 溜息。視線を落とし、瞼を伏せて。

 殺さなければ奴は戔に送られてこの宗温の尋問を受けていたかも知れない。或いは灌はそれも許さず自国内で処理したかも知れないが。

 考えても栓の無い事だ。もう奴は死んだ。

「珠音…お前は知ってるよな?藩庸の手先だった餓鬼」

 鋭く息を吸う音。

 宗温はすぐには何も言えない様子で目を見開いていた。

 そして顔を両手で覆う。深い、深い後悔の溜息が聞こえた。

「だからあれほど申し上げたのに…」

 自嘲を浮かべ、首を振って、それを知らぬ彼らに説明した。

「陛下…龍晶様は、自ら藩庸を拷問し処刑する所をわざわざあの少年に見せたのです。殆ど正気を失っておられた時期だったので致し方無かったのですが…。その上で、解き放つよう命じられた。藩庸を斬った刀を渡しながら」

「それで…その時は助かったのか」

 顔を顰めながら燕雷が問う。

 宗温は頷く。

「珠音は刀を手に取らなかった。何故か。本気で死を望む人を殺しても意味が無いと言って」

 だから。

 あの幸せな様を見て、彼は。

「そうだ…あいつは何も出来ない奴だった」

 朔夜の声が震える。

 最初の襲撃の際も、一人だけ何も出来ず泣くだけで。

 だから、自分も甘く見て。

 処刑を渋る龍晶に結局は同調した。あいつは何も出来ないよ、と。

 なのに。

「あいつを変えたのは繍の桓梠という男だ。俺が殺す間際にそう自白した。何故繍の奴が出て来るのか訳が分からないが…」

 再び宗温は衝撃を受けたように目を見開いた。

「その名…藩庸から聞きました…!」

「何!?」

「反体制派の裏に居たのはその男だと…!藩庸などはその男に操られたとまで言っていた。それが保身の為の嘘なのは見え透いていましたが、その桓梠という男が藩庸を利用していたのもまた確かだと思います」

「それで珠音は奴と繋がって…糞が!」

 怒鳴って、机を叩いて。

 食い縛った奥歯が鳴る。

 どうして気付かなかった。

 龍晶の兄の時代、密かに繍と戔が関わり合っていたのは知っていた事なのに。

 早く始末しておけば。

「朔夜君、その桓梠という男、君は知っているのですか」

 頷く。そのまま顔を上げず足元を睨んで。

「珠音を変える事なんざ訳無いよな…。桓梠は、俺を悪魔にした男だ」

 顔を上げ、息を飲む宗温を見据えて。

「俺は桓梠を殺す。協力して欲しい。それを言いに来た」

 その瞳が刃のような、美しくも鋭い目から逃げるように。

 ゆっくりと、面々を見回す。

 波瑠沙、桧釐は同じように己を見据えている。必ず仇は取る、取らせると、言外に。

 燕雷だけは少し違った。目を逸らしている。

 この人は彼らを心配しているのだと宗温は察した。

 考えを纏め、口を開く。

「私個人では君に協力を惜しみたくはありません。しかし軍総督としての私を頼ろうと言うのなら、協力は難しいでしょう」

「軍は動かせないって?」

 頷く。

 朔夜は蔑むように笑った。

「なんでだよ?前の王が殺されてんだぞ?こんなの宣戦布告と同じだろ。軍を挙げて戦うべきだと思うけど?」

「それこそ龍晶陛下が避けたかった事態ではありませんか」

 言葉に詰まる。秀眉の間に皺が寄った。

 言われるまでも無い。戦を避けたくて、あいつは無茶を重ねてきた。

 その仇に出兵しろとは、誰よりもあいつの願いを踏み躙っている。

 そうだとしても。

「君らしくもない…。誰よりも龍晶様の事も、その志も理解していた君が、戦をしようなどとは」

「戦じゃねえんだよ、宗温」

 口の端を吊り上げて朔夜は言った。

「戦ではない?」

 立ち上がり、壁に貼られている各国の地図を剥がして、皆が囲む卓上に置いた。

「桓梠はここに居る」

 繍の都、明惣(メイソウ)。そこに軍議に使う駒を一掴み持って来て、ばら撒く。

「繍の国土は削られたとは言え、軍はまだ健在だろう。寧ろ多くの駒がここに集中しているとも言える。苴ですら何年も手を出してないから力は温存され増えているだろう。その中で桓梠はぬくぬくと生きていやがる」

 一つの駒の上に指を置き、すっとそこから動かす。

「この兵力を剥がして分散させる必要がある。流石の俺もこの一点集中を突破する自信は無いからな。前も華耶を人質にされて失敗したし」

 あの時、桓梠にまで刃が届いていれば――後悔すればキリが無い。

「その為に戔の兵力が必要だ。つまり、戦う必要は無い。こいつらを誘き出せれば良い。それを俺が一つずつ叩く」

 三人の疑念を孕んだ視線が向けられる。

「出来もしない癖に大口叩くなって?」

「いや?出来ない事は無いと思う」

 真っ先に波瑠沙が言った。

「私がお前の背を守る。二人でやればそれも可能だろう。ただ、気が遠くなるような途方も無い戦いになるだろうけどな」

 朔夜は頷き、笑みを見せた。

「お前ならそう言ってくれると信じてた」

「だからひたすら強くなろうとしてるのか、お前は」

 桧釐が今更ながら納得したと言わんばかりに。

「力に頼らずに嫁と戦う為か。成程な」

 言われた朔夜はぽかんと口を開けて伴侶を見つつ。

「よめ…そっか、嫁か」

「は?」

「いや、なんか言葉にされると凄く違和感…」

「は?」

「いやいや、変な意味じゃなくて、嫁って感じがしない…」

「は?」

 言えば言うほど波瑠沙の顔が怖くなる。朔夜は一旦口を閉じた。

 考えて。

「夫婦って言うより、戦友なんだよ俺達。同志って言うかさ」

「体の関係は有るのに?」

「っ!!」

 一瞬にして顔が沸騰する。

 周りの笑い顔がまた恥ずかしさを助長する。顔が上げられない。

 波瑠沙は豪快に笑い飛ばして、相棒の背中をばしばし叩いた。

「らしくない振る舞いしてるからちょっと止めてやったんだよ、朔ちゃん。お前の言う事は分かるよ。私達に家庭的な言葉は似合わない。戦友であり同志、それとついでにお前は私の可愛い小犬だ」

「ええ…ああ…うん…そう…ありがと」

 何とも言えない謝辞。

 けけっと波瑠沙は笑う。

「ま、私達二人が敵を殆ど片付けるからさ。戦と言うよりはその片付けをお願いしたいって所かな、総督さん。つまりこれは軍事演習だ。そういう名目で兵を出すってのはどうだい?」

 宗温は慎重に考えつつ、上目遣いに朔夜を見た。

「兵を出すとすれば――何処に?」

 朔夜は口元だけで笑い、駒に指を置いた。

 するすると動く。北へ。そして止まった場所。

 繍、戔、苴の、ちょうど中間地点。

「これは…」

 見開いた目が集まる。

 朔夜は鋭く見据えた目を戻して、自信たっぷりに言った。

梁巴(リョウハ)に」

 それぞれの国が領地を狙い、実際に取り合いの戦となった場所。

 今も繍苴が密かに睨み合っている場所。

 そこへ戔が勝手に出兵すれば、内乱で弱っている苴はともかく、繍は黙ってはいられない。

 そこを、叩く。

「梁巴で、俺は戦う」

 失った時を取り戻す、それは宣言だった。


  挿絵(By みてみん)


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