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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十三話 戦略
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 丘から戻ると、春音の火のついたような泣き声が響き渡っていた。

 驚いて華耶は屋敷へと走る。どうしたって朔夜の方が足が速いので、先に着いたのは彼なのだが。

「…ああ」

 一目見て察しはついた。

 木の棒を持って顔いっぱいに口を開いて泣く春音の横で、波瑠沙が悪びれず胡座をかいて木刀を弄んでいる。

 その様を見ていた桧釐が苦笑いで説明した。

「子供相手の加減を間違えてるんだ」

 そんな事だろうと思った。

「私ちゃんと加減したよー?」

 不満げに反論。

「どんな風に?」

 問いながら春音から枝を借りて再現してみる。

 三歳児よろしく単純に打ってみる、と。

 下から木刀に掬い上げられ、棒は手から離れると共に軽く手首を打たれた。

「打っちゃ駄目でしょ!」

 いくら軽くても木刀だ。しかも彼女の馬鹿力だ。普通に痛い。

「痛い目にも遭うんだって、早めに知っておかないとさ」

「だからって!」

 苦笑いしつつ春音に棒を返す。

 そこへやっと華耶も追い付いた。もう走り疲れてとぼとぼ歩いてきた。

「安心して華耶。このお姉さんの洗礼を受けただけだった」

 朔夜の説明に、息が切れてすぐには声の出せない様子で彼女は笑った。

「さくー!おれさくとあそぶー!」

「うお、っと」

 勢いよく抱きつかれて後ろによろける。

「春音あのな、朔は私のもんだから、私を倒さないと遊べないんだ。分かるか?」

「わかんなーい!」

「訳分かんない事言うなっての」

 波瑠沙に呆れた視線を向けて、幼子を抱き上げた。

 桧釐の横へ立つ。

「出立を急ぎたいのは山々なんだが、もうすぐ雪が降るんじゃないか?」

「まあな。北州の冬は早い」

「交通が遮断される前に一度都に行きたい」

「ほう?」

「宗温に話を聞きたい。向こうも何があったか知りたいだろうし。今後の計画もあいつを交えて立てたいんだ」

「なるほど。俺も行った方が良さそうだな」

「ああ。どうせ冬の間は動けないだろうし」

 いつかのように雪が酷くて道が寸断されれば旅どころではなくなる。

 この冬はまた、寒そうだ。

「南はそうでも無いんじゃないか?」

「繍に行くには山越えをしなきゃいけないだろ?冬の山脈を通ろうなんて自殺行為だ」

「ああ、確かに」

 そこは出身者の意見が確かだろう。

「つまりは、冬の間はここで世話になるが良いか?って事だけど」

「それは勿論構わんよ。華耶様もそれが安心だろう」

 やっと息が整った華耶が頷いた。

「そうしてくれると、嬉しい」

 朔夜も頷く。

 本当はお前が心配だから、とまでは言わなかった。


 大刀に打たれて左手の剣が吹っ飛んだ。

 寧ろそれを機会と捉えて右手一本で相手の懐に飛び込む。

 が、相手が返した刀の方が早かった。こんな事は今まで有り得なかった。

 波瑠沙も止め切れなかったのか、頬に鋭い痛みが走った。

「お前」

 彼女はすぐさま刀を鞘に戻して朔夜の傷を見た。

「ちょっと切れただけ。大丈夫」

 一筋流れる血を手の甲で拭って。

「それより、何で?あんな切り返し初めてだ」

「うん、ちょっと握りを変えた。もう十分重さは制御出来るから、より軽く持ってる」

「はあ、なるほど」

 想像で分からなくはないが、お互い持っている得物の性質が違い過ぎる。

「お前もお前だよ。踏み込んでくる速さが違うからこっちも手元が狂った」

「速く動かないと勝てなくなったから」

「まあなー」

 満更でもなく波瑠沙は口元を緩ませている。

 負けず嫌いは表情に隠せない。

 対して朔夜の顔は険しい。

 そう、互角だった波瑠沙に勝てなくなった。体の調子は戻ってきている筈なのに。

「弱くなってる?俺」

「いや?そうは思わないけど」

 地面に胡座をかいて考える。

 速さだけで攻められなくなった。それに更に何かを足さねば上に行けない。

「桧釐」

 雨戸を開け放って試合を見ていた彼に問う。

「俺の刀、まだ変?」

「もうさ、速すぎて見えないんだけど」

「自分で受ければ分かるんじゃない?」

 きしし、と波瑠沙が悪く笑いながら言う。

「俺が打たれる所が見たいだけだろ」

 苦笑いで図星を突いて、再び朔夜に向けて。

「逆に余裕が無いんだよ、お前。速さだけで押し切ろうとするから手が単調になってる。それに得物を飛ばされてたら実戦じゃ死ぬぞ。敵は一人じゃないんだから」

「うーん」

 桧釐の言う事は尤もだ。

 だから何処をどう変えるべきか、そこに行き詰まる。

「遊びがてら、いっぺん得物を交換してみるってのはどうだ?」

 波瑠沙が楽しそうに提案してきた。

「ええ?」

「前は癖が付いてるからって長刀同士でやってたろ?こんどは丸切り逆にするんだよ。新しい攻め方を思い付くかも知れない」

「でも大事な刀だろ?良いのか?」

「良いよ。お前なら」

 ひょいと大刀を渡された。

 初めて持った。

「おもっ!」

 叫んで、前のめりになる。

「あー、お前と重さ変わらないかも」

「そんな筈ない…とは思う…けど、重ぉ…」

 持ち上げて立ち上がろうとしているが、やたら時間がかかる。戦うどころではない。

「お前そんなに筋力無い?ひ弱過ぎだろ。そりゃ得物飛ばすわ」

「お前が馬鹿力ぁぁあ…」

 構えようと持ち上げてみるが腕がふるふると震える。

 諦めた。

「課題は見えたな朔ちゃん」

「前から課題だったけどな」

 上から二人に言われるが何も返せず肩で息をしている。

「ま、春まで時間はあるんだ。今から鍛えりゃ少しはマシになるだろ」

 重いばかりの刀を返そうと差し出すが、受け取って貰えなかった。

「そいつで素振りしてみ?」

「無理」

「鍛えてくれって言ったじゃんお前。やるんだよ」

「ふぇええ…」

 今更ながら春音の気持ちがとてもとても分かる。このお姉さんの洗礼は厳しい。

「お前の得物は合理的だけど、今まで楽し過ぎたな」

 ひょいと腰から短剣を抜かれる。

 掌の中でくるくると回しながら、波瑠沙は訊いた。

「これ、いつから使ってんの?」

「この刀自体は繍に居た時から。同型のものは燈陰に与えられて稽古つけられてた」

 答えて、ぐぬぬと大刀を持ち上げる。

 切っ先が浮いた。どうにかこうにか下段に構える。

「相当ちっちゃい頃から使ってるって事だ」

 眼前に持ち上げるので精一杯。そこから振ると言うより刀に引っ張られて前のめりにたたらを踏んでいる。

「そりゃ軽くて当然だよ。軽過ぎるんだ、もう」

「いや重過ぎる…」

「そっちじゃなくて、これな」

 人差し指の先に束頭を乗せて均衡を取りながら。

「お前に拘りが無いなら、得物変えたら?この長さじゃ相手が多いと辛くなってくるだろうし」

 いちいち懐に入り込まねばならない。見えぬ刃があるから今まで困らなかったようなものだ。

「これは無理ーっ!」

 叫びながらもう一回持ち上げようとしているが、もう大刀は動く気が無さそうだ。

「馬鹿。いきなりそんなもん持てとは言わんわ。大体それは私の大事な刀だ」

 もう力を無くしたであろう両手からひょいと取り上げて、余裕の手つきで鞘に戻す。

 見上げる朔夜の目が唖然としている。彼女の動きがどれだけ常軌を逸しているか骨身に染みた。

「桧釐、なんか持ってねえ?こいつにちょうど良さそうな刀」

「おお、そうだな…ちょいと倉庫にでも行ってみるか?」

「ありそう?」

「刀はいろいろあるよ。なんせ、ここは北の防衛地点なんだから」

 波瑠沙はぐったりと四肢を地面に付けている朔夜の腰に彼の得物を戻すと、片手で彼自体をひょいと抱え上げた。

「行ってみようぜ朔」

「これって拒否権無いよね?」

 既に地に足が付いてない。

 庭の一角にある蔵を開け、手燭で中を見ていく。

 覆いから覗く(こしらえ)の金属部分が灯りに反射して輝いた。

「でもやっぱ双剣が良いよ。慣れてるし、春までに型を崩して作り変えられない」

 本人が一番乗り気ではない。

 波瑠沙は無視して次々と覆いを外して刀を見ている。楽しそうだ。

「例えば朔夜、双剣の長さを変えるってのは?」

 桧釐が提案してきた。

「長くするって事?長いもん二本持って邪魔になりそうだな。そもそも身長は殆ど変わってないんだし」

 得物を変える気にならなかったのはそのせいだ。子供の頃から体格が変わらないから得物の長さを変える必要が無かった。

 成長期に成長出来なかった事が響いている。繍のせいだ。

「両方長くする必要は無いんでない?」

 波瑠沙が一本、刀を渡してきた。

 刀としては少し短い。が、無論短剣に比べれば長い。

「右手はそれ、左手は今まで通り。どうだ?」

 朔夜は蔵から出て、刀を抜いた。

 先刻無茶苦茶に重いものを持ったせいか、手に馴染む。

 左手で短剣を抜く。

 両手で構えて振ってみる。悪くは無い。

「いっちょやってみるか」

 波瑠沙も出てきて自分の刀を抜いた。

「それはまだ早いんじゃ」

 言い分は聞いて貰えなかった。

 横に薙がれた大刀を跳んで躱した。跳びながら攻撃範囲の広がった刀で相手に斬り付けた。

「おっと」

 間一髪、鼻の先まで届いた刃を首の動きだけで波瑠沙は躱す。

 その分、隙は出来た。

 着地を狙う所が狙えず、地面から跳ね上がった朔夜は右手で彼女の刀を受けながら左手で懐を狙った。

 刃が擦れ合う悲鳴。お陰で大刀の軌道は狂った。

 その間に左手の短剣は過たず彼女の心臓へ突き付けられていた。

「容赦無えな」

 にやりと彼女は笑って大刀を翻した。

 朔夜はその場に沈み込む。あの重さを受けた右腕が悲鳴を上げていた。

「傷めたっぽい」

「あーあ。どれ」

 波瑠沙に右腕を取られる。撫で、揉まれて、それだけで癒えていくようだ。

「刀は良さそうだな。逃げ腰も無くなったようだ」

「そんなに逃げてた?…いでっ」

 患部を握られた。握力が痛い。

「自分が死にたいのが見え透いてたよ」

 波瑠沙に真顔で言われた。

「相手を殺すくらいなら自分が死にたいって、そういう刀だったぜ、お前」

 真正面から彼女と向き合う。

 本音を抉り取られた。

 その痛みで涙が滲む。

 波瑠沙は微笑んで、左腕も取った。

 傷痕が消えて綺麗になった手首を見て、笑みを深くして。

「もう大丈夫だ」

 己の懐に引き寄せ、頭を抱えてやった。

 見えない傷痕はまだまだ大丈夫とは言えないだろうけど。

 自ら死に走る事はもう無いだろう。その目には、生きる未来がしっかり映っている。


 余った短剣をどうしたものか、寝台に転がって片手で弄びながら考えている。

 常備する刃を増やしても良いのだが、持っているとつい慣れでこちらばかりを使ってしまいそうな気がする。

 捨てようか。

 だがそれも惜しい気がした。長年の相棒だ。

 出会いは泥沼だったとは言え。

「捨てるにゃ惜しいな。物は良いからな」

 波瑠沙も同じ事を考えていたようだ。

「繍で貰ったのか?自分で用意した訳じゃないんだろ?」

「持たされた。…いや、敢えて持ったのかな。お前の言った通りだよ。俺は死にたいからこの刀を持つ事を選んだ」

 波瑠沙は座っていた椅子から立ち上がって、朔夜の隣に寝転んだ。

 横向きになり肘をついた手で頭を支えて、仰向けの相棒を見下ろす。

「詳しく聞こうか」

 朔夜は顔を顰めて首を横に振った。

「いいよ。こんなつまんない話」

「つまらねえ話が聞きたいんだよ」

「波瑠沙は迷わなかったの?」

 問いで返された。

「他人を殺す事が嫌じゃなかったのか?怖くなかった?その刀で誰かを斬る事…」

 考えても彼が望む答えは己の中に無い。潔く答えた。

「全然。私は根っからの軍人なんだろうな。早く人を斬りたくて仕方なかった。お陰でずっと苛々してたよ」

「怖っ」

 軽く笑う。ここまで真逆だと最早面白い。

「初めての戦場は楽しくて仕方なかった。女だからって舐めてかかってくる男共を片っ端から斬ってやってな。ざまあ見ろだ」

 波瑠沙につられて笑ったが、最後は痛々しい溜息になった。

「どうして俺はそういう風に考えられないんだろ」

「優しいからだよ」

「波瑠沙だって優しいよ」

「そりゃお前だからだよ」

「そうかなあ」

「私は敵は容赦なく殺すが仲間は救ってやりたいと思う。軍人の(さが)だ。尤も、仲間と思える人間が少ないからいつもはぐれ者だったが」

 同じ軍の中――味方と言える人間達は大体、女がいる事を疎むか体を狙うかどちらかだった。心を許せる人間などほんの一握り。

 そういう状況は似ていたかも知れない。ただ厳しさは段違いだと思う。

「喋り易いように抱いてやろうか?」

「そんなに聞きたい?」

「吐き出させたいんだよ。今まで誰も飲まなかったお前の毒を私が飲んでやりたいんだ」

 複雑な表情。戸惑いながら、縋るような。

 それでもまだ隠したいような。

「そんな可愛い泣き顔を向けるなよ。襲いたくなっちゃうだろ」

「待っ…そんなつもりじゃ…」

 絡ませた舌の奥で意地悪に笑う。

 そうしながら衣の奥を探る手の動きも意地悪だが、それが優しさだとも分かる。

「お前から出て来る毒は甘いからな。不老不死の酒ってこういう味なんだろ」

 耳元で囁かれて、実際それを飲まれて、蕩けていく思考の中で。

 不死にさせるものが己の血である証拠なのではないか、と。何せ同じ体液だ。

 もっと早く気付いていればという痛い後悔。だけどそれすら蕩けた。

 彼女を代わりに不死にする事は罪だろうか?


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