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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十二話 葬送
11/53

9

 長屋に帰ると、膝に春音を乗せて遊び相手を務めながら、大人には何も喋らずに。

 華耶のその姿に、本心は見えていた。

「…人の皮を被った鬼畜生だったって事か」

 自分達の部屋で波瑠沙に説明すると、彼女はそう王を評した。

「有り得るのかな、そんな事」

 朔夜はまだ信じられない。

 人間の善意を信じているのだろう。

「純なお前にゃ訳の分からん事態だろうが、有り得るよ」

「波瑠沙のお陰でちょっとは分かるようになったよ」

「どういう意味だ、そりゃ」

 苦笑いして。

「だがこんな馬鹿げた事態を許す訳にはいかねえな。何か手は打てるか」

「燕雷が今ごろ桧釐に説明してると思う。北州で守って貰う」

「一国を敵に回すぞ」

「国より王一人だろ。俺が暗殺してやっても良いんだが」

「そりゃ難しいな。面が割れてる」

「分かってるよ。それに皓照まで本気で敵に回してしまう」

 そうなれば命は無い。

 溜息を吐く。

「…ただ王の身辺の世話をするだけなら別に良いんだけどさ。華耶もそう思ってたんじゃないかな」

「だから、純粋過ぎるよお前ら。それだけで済むかい」

「あーもう、分かってるって!分かってるけど、そう思いたいんだよ!」

 駄々を捏ねる子供のように口答えして、がさがさと頭を掻き毟る。

「…髪切ろ」

「唐突だな」

「前から思ってはいたんだけど。いい加減邪魔。華耶に頼む」

 波瑠沙は苦笑いで頷く。

「まあ、良いけど。私も横で夕飯を作るから」

 並んで濡れ縁を歩く。秋の日が落ち、陰はもう暗い。

「俺は繍に行きたいんだ」

 ぽつりと朔夜が言った。

 知ってる、と頭の中で波瑠沙は返す。

 だから、華耶を近くで守るという事は出来ない。それはもう言葉にした事。

 華耶は早めに寝た春音の腹を優しく叩いていた。

「華耶、髪切って」

 また何の前置きも無く唐突に頼む。

 流石に驚いた目を向けて。

「良いよ」

 いつものように笑って、縁側に灯りを出した。

「寒くねえか?明日の日中にすれば…」

 波瑠沙は言いかけたが、華耶は首を横に振った。

「今しないと、明日には朔夜の気が変わっちゃうかも知れないから」

「んな事ねぇと思うけど」

 波瑠沙は火桶を二人の横に置いてやった。

 朔夜が華耶を見限る事など有り得ない。心の底の芯の芯から信じている。同じ信頼を波瑠沙自身感じている。

 華耶は亡き夫を裏切るような事はしないと、それは絶対だろう。

 悪いのは灌王だ。それは二人とも分かっているだろうが。

 だけど、波瑠沙には華耶の内心も分かる。

 男には理解出来ないであろう、女の罪悪感。

「華耶」

「なに?」

 髪を切られながら、後ろの彼女に朔夜は言う。

「ごめん。役に立てなくて」

 銀髪が灯りに反射して、きらきらと。

 梁巴でも、戔の穣楊でも。こうしてこの髪を切る時は、いつも幸せだった。

「そんな事無いよ。朔夜はいつも最大限の事を私にしてくれてる」

「そうしたいっていつも思ってる。でも結局、俺は何も出来ない」

「ううん。私は朔夜のお陰で幸せだった。彼に会わせてくれて、本当にありがとう」

「守りきれなかった」

「もう後悔しないで良いんだよ。私の事は気にしないで、自分のやりたい事をやってよ」

 そう言って欲しかった。

 狡い。俺は。

「あの…華耶」

「うん?」

「嘘吐いた俺を恨んでくれ」

 俺のやりたい事なんて、一つしかない。華耶を守ること。

 そう、言ったのに。

 これからお前達を守るんだ。三人とも、もう悲しい思いはさせないから。

 そう、言ったのに。

「ごめん。俺は、繍に行く」

 さらさらと、髪が落ちる音だけ。

 雪のように、二人の間に降り積もって。

 まるで両親の最期のように。

「うん…。応援してるよ、朔夜」

 仕上げに、頭を撫でられて。

「どうか無事に帰ってきて。また春音と遊んであげてね。お願い」

 うん、と。

 それだけしか返せず。

「うわ、かわいっ」

 波瑠沙の吹き出す声に振り返った。

 口を押さえて笑いを堪えている。

「また幼くなってるぞ。どこの坊ちゃんか嬢ちゃんかって見た目だ」

「ええっ…!?」

「似合い過ぎちゃうんだよなぁ。良い腕してるよ、華耶は」

「えー、それ褒めてる?」

「褒めてる褒めてる。童顔なこいつが悪いだけ」

「分かってるよもう!悪かったなこんな顔で!」

「可愛いから良いよ」

 二人が声を揃えた。

 目を合わせて、笑う。

「人の顔をダシに笑うなよー!もー!」

「違う違う朔夜。波瑠沙さんと気が合うのが楽しいの」

「そうそう。笑われたいならもっと笑ってやるけど?」

「もう良い!もう良いから飯食おう」

「今日のはとびきり美味いぞ。お前に褒めて貰ったからな」

「朔夜、料理の腕も褒めなきゃね?」

「波瑠沙は何でも器用にこなすからなあ」

「適当に言うな。裁縫はからきし駄目だって知ってる癖に」

「あ、そうだった」

 上衣の縫い目を華耶に見せて、意地悪に笑う。

「細かい事は駄目なんだよなー」

「良いじゃない。欠点の一つくらい無いとね」

「一つじゃないよ。言う事乱暴だし、すぐ手が出るし、がさつだし、あと…」

「てめえこの野郎飯抜きにされたいか!?」

 足蹴が顔面を襲った。

「今のは手じゃないからな?」

 華耶にぴしっと告げる。

 笑っちゃいけないが口を押さえて震える華耶。

 うーん、と唸り朔夜は起き上がる。

「言い過ぎました。ごめんなさい」

「よし、食え」

 華耶はいよいよ笑い転げて朔夜の背中を叩く。

「もう朔夜、しっかりしてよ!ほんっと可笑しいんだから!!」

 照れ笑いを隠して、飯を掻き込んだ。


 夲椀の為に祥朗や十和夫妻はひとまずここに残って、また馬車を送ると桧釐は約束した。

 とにかく華耶を戔に連れ帰るのが先だ。北州で保護して、後の事はまた考える。

 骨壷を大事に抱いて、華耶は去る場所を振り返った。

 幸せだった場所。

 まだ残り香がある気がして。

「かーたん、とーともいっしょ?」

 足元から春音に問われて、華耶はにっこり笑って頷く。

「一緒だよ。春音の行く所に、お父様は居るからね」

「わかった。いこう、とーと」

 見えない彼に向かって言って、桧釐に馬車へと乗せて貰った。成長して『嫌い』が少し薄らいだようだ。

 華耶は一つ頷いて息子の後を追った。

 これは別れではない。共に行くのだ。

 厩では朔夜と波瑠沙が支度をしていた。

「ああ。ごめん波瑠沙。なかなか哥に帰してやれないな」

「ん?別に良いけど、どうして?」

「両親に報告に行くって」

「それこそ別に良いよ、いつでも。ああ、全部落ち着いたら海に行くだろ?その時にでも」

「あ、そっか」

 忘れていたらしい。

「早くお前が目をまん丸にしてびっくりする顔を見たいもんだな」

「そんなにびっくりする?海って」

「お前はすると思うな。純粋だから」

「それ関係ある?」

「あるある。擦れてないから素直に感動出来るんだよ」

「そうかなぁ?」

 騎乗して、馬車のある表へと向かう。

 馬車には華耶と於兎、それぞれ子供達が乗っている。

 燕雷と桧釐は既に馬上で待っていた。

 そこに、後発でここを出る四人と小さな一人が見送りに並ぶ。

 初めて朔夜は祥大を見た。小さいな、が素朴な感想。

 顔までは分からない。きっと祥朗に似るんだろうが。

「お気をつけて」

 十和が口火を切ると、それぞれに同じ言葉を口にした。

 去りながら、朔夜は振り返る。

 後悔だけの場所じゃない。この一年を全て水泡にしたくはない。

 ずっとずっと、記憶に留めて抱えていたい。

 あいつがやっと、全ての苦労を捨てて辿り着いた幸せの場所。

 穏やかに笑う顔を。

 ずっと。


 長く馬上に居ると体が凝る。

 休憩時間に運動がてらまた波瑠沙と打ち合っている。

 一刻でも早く感覚を取り戻したい。

 鍔迫り合いから朔夜は身を翻して大刀の均衡を崩させる。

 重さに引き摺られまいと波瑠沙は刀を持ち上げる。

 その下を銀の影となって潜る。そのまま懐へ寄る。

 波瑠沙は大刀を手放して小刀を抜き、朔夜の短刀を受けた。

 正面で顔を見合わせて。

 彼女はにっと笑った。

 それを合図に二人は離れて間合いを取った。

「正面から切り込んできたな」

「手の感覚が戻ってきた」

「まだ力は無いけど、踏み込めるようになってる」

「うん」

 双剣を収めた手に視線を下す。

 まだ微かに痺れている。大刀と鍔迫り合いをするにはまだ早い。

「ちょっとは迷いが消えたか」

 波瑠沙が隣に並んで訊いた。

「そうかも知れない」

 素直に朔夜は答えた。

 迷う事を、迷わなくなった。

 それで良いと、己をそのまま受容して。

「あー!!」

 馬車の中から絶叫が聞こえた。

 どうしたと覗き込む。春音が涙目で朔夜に訴えた。

「さく!ぼう!ない!!」

 柿の木の棒を忘れてきたらしい。

 思わず笑って、辺りを見回した。

「待ってろ」

 手頃な木の枝を見繕う。

「大丈夫かなあ。この中で振り回したりしないでね」

 母から言われ、春音は頷く。

「この際捨てさせても良かったのに、あいつ乗り気だな」

 波瑠沙が可笑しげに口を綻ばせて朔夜の行動を見ている。

「その方が有難いんだけどね」

 華耶は悪戯っぽく笑って返した。

「吹っ切ったみたいで安心した」

「ああ。本当に」

 本当は心の奥底に追いやって目的に邁進しているだけだとは思うが。

「波瑠沙さん、朔夜をよろしくね」

「ああ。お前こそ、さ」

 不思議そうに見返される。波瑠沙は言った。

「あいつを見捨てないでやってくれ」

「有り得ないよ。見捨てられるなら私の方」

「それこそ有り得ないな」

 少し遠く、達観した視線で。

「遠くに行かないでやってくれ。私も約束はしたが…何があるか分からないからな」

 華耶は緩く首を横に振った。

「やめてよ。そんな事、考えたくない」

 ふっと口の端を上げて笑う。朔夜が枝を手に戻ってきた。

 その日のうちに戔に入り、いつか来た国境の運河の街で宿を取った。

 広い部屋で棒を手にはしゃぐ春音を見ながら、朔夜は気付いた。

 これはあの旅の道筋を逆から辿る旅なのだと。

 あれが龍晶を王にした旅なのだとしたら。

 その逆を辿って、一人の、十七歳の少年に返す旅なのだろうか。

 そうだと良いなと思った。

「こら、春音。もう寝なさい」

 華耶に怒られて、棒を手にしたまま布団に潜り込む。

 それならもっと丁寧に木屑の出ないように作れば良かったと苦笑いした。

 そしてはたと気付いた。

 これは決して、時間を戻す旅ではない。

 時は進む。魂は受け継がれる。

 次は。

「朔夜も寝なよ。ごめんね、うるさかったんでしょ」

 首を横に振って。

「春音が王になりたいって言ったら…華耶はどうする?」

 きょとんと、目を丸くして。

 考えなかった訳は無いと思う。だが、こういう事態になって初めてその可能性に気付いたというべきか。

「そんな事…あるかな」

 朔夜は視線に力を込めて彼女を見返す。

 彼女は避けるように俯いた。

「あなたは普通の子だって言い聞かせなきゃ。血の繋がらない兄上が王様だから、あなたにはその出番は回って来ないって」

「それで良いとは思えないんだ」

 華耶は緩く首を振って。

「良いの、それで。私はもう権力の近くには居たくない」

「それは華耶の勝手だよ」

 思わず言ってしまったところで、首根っこを掴まれて引き倒された。

「ほざいてねえで寝るぞ」

 波瑠沙に抑え込まれる。その隙に華耶は燭台の火を吹き消した。

「波瑠沙」

 布団を被った下で囁き抗議する。

「馬鹿。そんなのお前がどうこう言う資格は無い」

「そうだけど、でも」

 確実に華耶を守ろうと思えば、春音を王にさせるのだ。

 そうすれば、誰にも手出し出来ない。

「何年先の話だよ。まずお前は繍だろ。そしてそれより自分自身だろ。目ぇ逸らして逃げてんじゃねえよ」

「今のままじゃ駄目って?」

「甘いよ、お前」

 真っ暗で何も見えない筈の顰めた表情を、波瑠沙の手が撫でた。

 覚悟が足りないのか。

 どうすれば。

 迷いのあるままでは駄目なのか。

 分かっている。そんな刀は繍では通じない。

「生きて帰るぞ、二人で」

 その為には、何だってする。

 彼女の手が触れたままの顔で、頷いた。


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