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月の蘇る-6-  作者: 蜻蛉
第三十二話 葬送
10/53

8

 大刀の衝撃は受け止めず、ぎりぎりで躱して懐に飛び込んだ。

 今は刃を受け止められる力は無い。それより動きを増して隙を突いた方が良い。

 相手もまた横に体を回して避ける。すぐに大刀が己を追ってくる。

 屈んで刃の軌道を頭上にずらし、その低い姿勢のまま縦に一回転して着地しながら双剣を横に薙いだ。

 狙った足は跳ぶ。

 空中の足は着地の間際に伸びた腕を蹴った。

 片方の剣が跳ぶ。だがもう一方がある。

 それを自由にさせてはならない。大刀を打ち込む。

 思わずそれを受けた小ぶりな刃は力を流せず、手から離れて地面に突き立った。

 朔夜は痺れる手を逆の手で押さえる。

「…駄目だな、まだ」

 顰めた顔で言った。

「それだけ動けりゃ及第点だろ」

 波瑠沙は刀を引き肩に担ぎながら言った。

 元々の二人の実力は互角だ。三回やり合えば一勝一敗一分けになる関係だ。だが、今は圧倒的に朔夜が波瑠沙に押されている。

 まだ体が戻り切っていない。

「これ以上はやってやらねえぞ。これだけでも無理してるのは分かってるからな」

 上がった息を繰り返しながら、朔夜は頷いた。

 立ち上がる事も出来ず、その場に座り直して呼吸を整える。

「初めて見たが、見事なもんだな」

 感心した桧釐が縁側から波瑠沙へ言った。

「どーも。あんたも相当強いって朔から聞いたよ?」

 彼女はにっこり笑いながら返した。

「初めてお前と会った時は互角だったよな」

 桧釐は朔夜へと確認する。声はまだ出せず頷かれた。

「今は全然よ。酒ばっかり飲むから体がぶくぶく」

 横から於兎に言われ、夫は苦笑い。

「へー。手合わせ願いたかったのに」

 波瑠沙は諦めを表すように大刀を背中の鞘に収めた。

「勝てる気がしねえな」

 桧釐はまだ苦笑いで、横に居る春音を抱き上げようとした、が。

 するりと手から逃れて、朔夜の元に駆けていった。

「さく、はーさつよいね!」

 ご丁寧に傷口に塩を塗りに来た。

 こちらも苦笑いで、やっと立ち上がる。

「また強くなってるだろ、お前」

 春音の言葉ではないが、朔夜は波瑠沙に確認する。

「そうかもね?お前の動きは十分研究済みだから」

「力で全部押し切らずに先の動きが読まれて、その分動きが早くなってる。俺はどうしようもないや」

「おお、褒めて貰った。礼に今晩は美味いもん食わせてやる」

「世辞じゃないんだけどさ」

「知ってる。お前は本音しか言えない」

 飛ばされた短刀を拾い、縁側の桧釐の隣に座る。

「どう思う?お前。俺に何が足りない?」

「体力」

 一言でずばり言い当てられる。ぐうの音も出ない。

「そうだけど、それ以外」

 技術的な助言が欲しい。

「そうだなあ。何より筋力が欲しい所ではあるけど、それは地道に努力するしかないもんな。あと気になるのは、波瑠沙相手だからかも知れないが、若干刀が逃げてるよ、お前」

「そうか?」

「気にせず打ち込める相手と一度やって確かめれば良いんだが」

 ひたと、視線が向けられる。

「…俺か?」

「他に居ない」

 気にせず打ち込める、つまり多少の怪我は目を瞑って貰える相手。

「焦るなって。今日じゃなくても」

「今から城に行くんだ。何があるか分からないだろ」

 日延べしていた灌王宮に行く。華耶を守らねばならない。

「なら尚更今は体力を温存すべきじゃ…」

「一回だけ。木刀で良いから」

「波瑠沙」

 彼女に止めて貰うべく呼ぶ。

 肩を竦めて返された。

「打ち込みだけ確認したら良いんでない?」

「頼む」

 両側から二人に言われ、やれやれと立ち上がった。

 波瑠沙が投げ渡した木刀を受け取る。朔夜も同様に。

「先手を取れ。俺は受けてやる」

 実際、受け止めるだけで精一杯だとは思うが。

 朔夜は頷いて、構えすら見せず打ち込んできた。

 速い。知っていたが。また速くなっている。

 受けると言いながら、間に合わなかった。

 木刀の先は頭を掠り、横へ逃げた。

「受けてくれよ!本気で行けねえだろ!?」

 苦笑いで流すしかない。完敗だ。

「確認出来ないなー。でも」

 波瑠沙がぼやきつつ続ける。

「なんかお前の言う事分かるわ。切っ先が迷って引っ掛かってる」

 朔夜の眉間に皺が寄る。

「迷ってる?」

「うん。何となく原因は分かるけど」

 地面を睨んで、縁側から中へ入る。

「原因って?」

 桧釐が小声で問う。

「このまま刀置きたかったんだ、あいつは」

 波瑠沙もまた小声で答えた。

「自分でも分かってんだよ。今は認める訳にはいかないんだろうけど」

 軽く溜息を吐いて陰に入った背中を見る。

「龍晶が死ななければ、そうやって生きてたかったんだ」

「…そうか。そうだろうな」

 龍晶に言われたように、刀を置くべきだと。

 今もまだ、そうすべきだと、心の何処かで思っている。

 それが太刀筋に迷いを齎す。玄人目にしか分からない、微かなぶれ。

 朔夜は庭から見えない裏側の濡れ縁で、頭を壁に持たせかけてずるりと座った。

 寝込んでいた所を薬で無理矢理治して動いているのだ。流石に体がきつい。

 体力を戻さねば話にならない。それは当然なのだが。

 胸にある袋を両手に包んで額に付ける。

 お前の望みを叶えるべきか。

 お前の仇を討ちに行くべきか。

 人として生きたいのなら、前者を選ぶべきだ。それが正しいのは知っている。

 だけど。

 俺は、人足り得ない。

――戦の道具か。

――俺はもう道具じゃない。

 そう願ってあいつの元に居た。それを叶えてくれるから。

――お前がお前のままで居てくれなきゃ困るんだよ。

 戦の道具なんかじゃない。ましてや、悪魔なんかでもない。

 人間の、弱さを抱えたままのお前で。

「龍晶…俺は、このまま…」

 このまま、俺は、俺として。

 迷い、惑ったまま。弱いまま。

 答えなど出せない。答えなど出してしまうと、人間を続けられなくなる気もする。

 そして、弱さを抱えたまま、戦う。

 それが俺の生き方。

 お前に応える、方法。

 ゆっくりと目を開く。

 戦い続ける覚悟は、まだある。


 龍晶と共に地下牢に放り込まれて以来の道だった。

「あの時はどうなるかと思ったが」

 燕雷が笑って言う。

「華耶が助けてくれたんだろ?後で聞いた」

 朔夜が問うと、彼女は首を傾げて笑う。

「私は仲春に言われて書状を持って行っただけだよ」

 燕雷はにやりと笑う。

「お前らの救出作戦よりもさ、俺は龍晶の恋路がどうなるのか気を揉んでいた」

「恋路?」

 二人声を揃えて問う。寧ろ彼らは当事者だ。

「この行き道で鎌かけたら必死に否定しちゃってさ。本音だだ漏れだよ。あの時もう華耶に惚れてたんだ」

「…そうだったの?」

 きょとんとする朔夜の横で、華耶は恥ずかしげに笑う。

「そうなんです。彼に直接聞きました。いつからだったのか。初めて会った時からって言われて」

「だろう?俺の目は誤魔化せねえよ。その後さ、華耶が朔を牢から救い出したろ?あの時の華耶の必死さにあいつ絶望しちゃってさ。痛々しい失恋だった訳だよ。まだ始まっても無かったけど」

「あー、そっか。あの時私、朔夜に抱きついちゃった」

「…そうだっけ?」

 凍死寸前で殆ど意識が無かったので覚えてない。

「悪い事しちゃったなあ。あの時はそんな事、考えもしなかったけど。朔夜の事しか考えてなくて」

「あー…」

 何とも言えない朔夜の返事。

「でもま、龍晶もあの時本当に結ばれるとは思ってなかったろ。華耶は朔夜が好きなんだって前提で全部見てただろうし」

「そうですよね。今考えたらあの時の彼の言葉、一つ一つが納得いきます。当時は分からなかったけど。朔夜が羨ましいって言ったの、そういう事だったんだ」

「悲恋が実って良かったよ。本当に」

「私もそう思います」

 燕雷と華耶が目を見合わせ微笑む。

 間に挟まれて朔夜は真顔で首を捻る。俺はどういう反応をすれば良いんだ。

「華耶ちゃん」

 燕雷は幾分か真面目な顔で語りかけた。

「華耶ちゃんはまだ若いし、時間は永遠だ。あいつに義理立てせずに、心のまま生きていくべきだからな?それをあいつも望むと思うんだ。俺だって妻の事は忘れられる筈が無いが、それだけじゃ永遠の人生はやっていけないからな」

 華耶は途方に暮れた顔で空を仰いだ。

「そう…同じ事を彼にも言われました」

「やっぱり」

「誰かと幸せになって欲しいって。きっとそれは生まれ変わった彼なんです。私に会いに行くって、そう言ってくれたから」

 朔夜は眩しく隣の華耶の顔を見た。

 だからあいつは再会を約束する言葉を最期に遺した。

 華耶を愛しているから。そして、そこに俺が居ると信じているから。

「でも、そういう気になれません。もう無理だと思います。私には、彼しか居ない」

「そりゃ、ま、そうだよな」

 燕雷は頷きながらも言った。

「今はまだ日も浅いから。それが何年とか何十年とか経ったら、心境も変わってくるさ」

「お前は別の人を好きになったの?」

 朔夜の質問が純粋に直球で、燕雷は思わず吹き出した。

「そういう所は本当に相変わらずだよな!?」

「だってそういう事言ってるじゃんお前!俺は変な事言ってねえよ!?」

「あはは、そうだよね朔夜。私も知りたい」

 苦笑して、頭を掻きながら。

「…本気にはなれなかったよ。まあ、自分の身が普通じゃないって分かってたから、当然だけど」

 これは若い二人に伝えるべきでは無かったかと思いながら。

「不死の身を持ったからって、遠慮する事は無いとは思うんだがな。だけど現実、色々問題は出て来るよな、子供とか。そういう所で俺は新しく添い遂げる人を作る勇気が持てなかっただけ」

「そうですか…」

 華耶は頷いて、朔夜に視線をやった。

「朔夜は波瑠沙さんとずっと一緒に居てね」

 彼女を見つめ返す。

 勿論、そのつもりだ。

 だけど、その先はまだ存在する訳で。

 慌てて目を逸らした。

 これでは、昨日散々罵ったあいつの考えに乗ってしまう。

「不死って面倒臭いなあ」

 とてつもなく不謹慎な一言に集約されてしまった。

 燕雷は苦笑いした。華耶は困ったように微笑んだ。

 あいつを不死の身に出来ていたら、こんな事は思わなかっただろうけど。

 朔夜はそう考え直して、叶わなかった夢に溜息を溢した。


 朔夜にとっては八年ぶりとなる王宮だ。

 繍で死にかけた体を知らぬうちに皓照らに運ばれて以来。あの時は華耶を救わねばならない立場だった。

 今は、守る為に。

 そして、もう一つ別の目的を孕んで。

 王宮の扉が開く。

「よう来た」

 玉座から灌王が告げた。

 その表情は穏やかだ。娘を迎えるそれ。

「少しは落ち着いたか?」

「はい。お陰様で。先日はまともなご挨拶も出来ず、失礼を致しました」

「十分、お前は気丈であったぞ。最愛の夫を亡くしたのだ。もっと泣き崩れていても良かったのに」

「彼を愛していたのは私だけではありませんから」

 灌王の目が、彼女の背後に向いた。

「面窶れしたな、悪魔殿」

 先日はその呼び方を否定したが。

 今は拒む事も出来ずに。

「四年前、そこに居たのはおぬしの友であったのう。手をついておぬしの助命をしおった姿を、今まだ思い出す」

 自分だって死にそうになっていた癖に。

 必死の友を思い浮かべる。

 治らない傷を付けた。惚れた人の前に立ちはだかった。

 それでも、あいつは。

「華耶」

 娘に視線を戻して。

「これからどうする?」

「戔に戻ります。義母上(ははうえ)の故郷で彼は眠りたいと、そう頼まれているので…。その願いを叶えに行きます。お許し下さい」

 何故許しが要るのだろうと、軽く疑問に思う。社交辞令のようなものだろうかと思いながら。

「ふむ。そうか、致し方無い。して、いつ戻る?」

 華耶の顔色が変わった。

 それは朔夜も同様だ。戻る事が前提である事は、いくら何でもおかしい。

 横に居る燕雷も同様の表情だった。

「北州長のご厚意で、住む場所を用意して貰える事になりました。春音にとっては実の両親です。共に暮らす事があの子の為だと思います。どうか、お気遣いなくお願い致します」

 華耶は顔色を戻そうと努めつつ説明した。が。

「気遣いではなく、これは約束であろう?」

「どういう事だ?」

 黙っていられなくなって、朔夜が鋭く問うた。

 灌王は自ら口を割らず、華耶を見ている。その口で説明しろとばかりに。

 華耶は俯いて幼馴染に言った。

「彼の助命の時に約束したの。亡くなった後は、灌王宮の後宮に入ること」

「…え…!?」

「王家の娘となった以上は、路頭に迷わせる事は出来ぬでな」

 灌王は言う。華耶は小さく頷くが。

 その目は沈んでいる。

 朔夜は燕雷に目をやった。

 こんな想像、外れていて欲しい。

 彼の顔は険しい。そして、問うた。

「後宮で、どういう立場にさせるつもりだ?」

「親子の縁を一度切り、側女とする」

 悪びれず王は答えた。

「儂の近くに置いた方が何かと目が届きやすかろう?虐められは可哀想だからの」

「貴様…」

 漏れた殺気に、周囲を囲む兵が刀を鳴らした。

「朔夜、燕雷さん、私は大丈夫。良いの。そういう約束を自らしたんだから」

 華耶は振り返って早口に告げた。

「お願い。そうさせて」

 潤んだ目で言われる。

 本心とは裏腹な言葉を。

「朔…今はやめとけ」

 燕雷に言われるまでも無い。

 王を睨んで、俯いた。

 龍晶の時と同じだ。これは政治的な駆け引きで解決されるべき問題なのだ。

 それに、今は。

「陛下、お願いです。北州へは一度行かせて下さい。必ず戻りますから」

「言うたな?儂は覚えておくぞ、その言葉」

「はい。無責任な事は申しません」

 深々と、頭を下げて。

「では、また」

 踵を返して、王宮を出た。


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