08「くるしげに舞う、羽ばたきの――」
「花屋から飛び立つ為の、『羽』になる」
はっきりと困惑の色が見て取れる瞳を、強く見返した。
「金糸雀には、自由に生きてほしい。自分の好きなようにしていいんだ。もう花売りなんてしなくていい」
「な、何言ってるの? 本当に、今日は変だよ? 花屋から出て行くなんて、許されるはずがないじゃない。主様が認めないわ」
「今の主は、俺だよ」
俺の腕から逃れようとしていた彼女の動きが止まる。
奇妙に口元を歪めたその顔は、これまた初めて見るものだった。ある種人形めいた彼女にはあまりそぐわない、人間臭い表情。大きい瞳を、更に大きく見開いて、俺を凝視する。
「どういう、こと?」
「館主と話をつけてきた。今の金糸雀の所有権は、俺にあるんだ」
「……待って……、待って」
金糸雀が、否定的な反応をするんじゃないかという予想はついていた。
そして、予想に反せず、彼女は必死に首を横に振る。収まっていた涙が、頬を伝い始めていた。追い詰められた感情の発露。小さい頭は、今ショート寸前なのだろう。
俺の、勝手な偽善心。スプーン一杯程度の、俺の意思。わかっていても、少しは、笑ってくれるんじゃないかって思ってた。笑って「ありがとう」って。
彼女の泣き顔を目の当たりにしたら、俺まで泣きそうになった。
馬鹿か。
「よくわからない。私は、あやはみたいに頭良くないの。どうして急に、こんな……」
「金糸雀の意思も聞かずに、勝手に話を進めて悪いと思ってる。でも、ごめん、時間がないんだ。明日、俺は東方を出る。多分、戻ってこない」
伏せていた顔を、ガバッと上げる。頬に張り付いた髪が、彼女の美貌を悲壮感で彩っていた。
髪と一緒に、涙を払ってやる。そんなことしたって、彼女が笑ってくれるわけでもないのに。自分の涙を、拭えるわけでもないのに。
「今日、中央セカイへの異動辞令が来た」
金糸雀はきょとんとして、俺を見る。
そうか、「異動辞令」がわからないのか。いつもの金糸雀なら、「なぁにそれ」って聞くんだろうな。さすがにこの状況下では、その口癖を聞くことはできなかった。
「中央セカイで働け、っていう命令が来たんだ。だから、行かなくちゃならない。明日の朝には、発つよ」
「戻って、こないの?」
「きっと、そうなると思う」
「もう、会えないの?」
突然、背中に痛みが走る。金糸雀の爪が食い込んでいるのだと気付くのに、多少の時間が必要だった。何が起きたのがわからないほど、鋭く強い痛み。あの細い腕のどこにこんな力があるんだ?
「金糸雀ッ……」
「かなりあを、どうするの?」
「は?」
「主様からかなりあを買って、どうするの? あやはも、かなりあを売るの? 花売りじゃないなら、何をさせるの? 今度は何を売ればいいの?」
問いを重ねるごとに、痛みが激しくなる。呪詛のように這う声に、喉元を締め上げられた。
「ちが、う。かな、りあ……ッ!」
「それとも、捨てるの? 姐さんたちみたいに、かなりあを捨てるの? 主様に頼まれたの? 中央に行くついでに、捨てて来いって? ねぇ、あやは」
痛みと苦しみの中、辛うじて見えた彼女の顔には、うっとりとした笑みが浮かんでいた。恍惚とした笑みの傍らには、透き通った涙。
金糸雀は、俺なんかよりもっと前に、堕ちていたのかもしれない。それを隠すのが、異様に上手いだけで。
「愛」を信じきれない、愚かで哀れな籠の鳥。
あぁ、本当に、俺たちはよく似ている。
髪を撫で、濡れた頬に口付けた。
――二人で一緒に、堕ちようか。
やっと中央行きを告げた彩羽。ここに来るまでに8話も……orz
金糸雀嬢がかなりダークです(汗)最初は明るい場面にしようと思ってたのになぁ。
闇は、誰の心にもあるモノ。それは、ほんの少し触れるだけで、簡単に増殖してしまうのですね。