07「彼女の魔力」
「――落ち着いたか?」
あれから五分ほど経過しただろうか。黙るとまた不安がるから、その間適当な話をし続けて、息苦しくなってきてしまった。反応のない相手に語りかけるのは、案外体力がいるものだ。
相変わらず金糸雀は俺にしがみついていたが、震えはだいぶ治まっていた。
ゆっくりと俺の胸から顔を外し、まっすぐこちらを見つめる。黒目がちの大きな瞳に映りこんだ自分と、目が合う。
――また一段と、あの人に似てきたな。
心の中で、顔をしかめた。
普段、俺は鏡など見ない。自分の中に、あの人――父さん――の影を、見てしまうから。それは、深くはないけれども、薄く血を滲ませるように胸を裂いた。
未練がましく同じ型の眼鏡を掛けたりしてるくせに、何を傷ついた風になってんだ、俺。
「あやは?」
金糸雀が、緩み始めていた腕に再び力を込める。
表情には出さないようにしたつもりだったが、無意識に出てしまっていたのか。不安げに潤んだ瞳に、下手くそな愛想笑いの俺が映る。
「大丈夫、何でもないよ」
到底納得していない様子で、金糸雀は顎を引いた。よく手入れされた髪が、さらりと落ちかかる。梢を渡る風に似た、澄んだ音色。
俺がその髪に触れるより早く、彼女の小さな掌が、俺の頬を包んだ。滑らかな指先に触れられて、全身に鳥肌が立つ。
振り払うのなど簡単なはずなのに、彼女の射るような眼に引き込まれて、動けなかった。全てを見透かされている気がして、目を逸らしたいのに逸らせない。金糸雀の魔力だ。
「……金糸雀」
名前を呼んでも、呪縛から抜け出せない。
見つめられて、目に穴が開きそうだ。触れられた頬が、熱くて溶けそう。触れている手が、ちりちりと痺れる。どんどん理性が漂白されていく。
「あやは」
「な、に?」
今は、呼ばないでくれ。
堕ちてしまいそうだから。
二度と、手離せなくなってしまう。
「あやは、悲しいの? 寂しい?」
問われて、理性が切れかかった。
ありったけの力で、彼女を抱き締める。細い身体が軋み、金糸雀が小さく声を上げたが、構わなかった。頭の中がぐしゃぐしゃで、構っていられなかった。
悲しい?
寂しい?
何が?
反論もできないが、肯定する材料も持ち合わせていなかった。この複雑な感情を、何といえば良いのだろう。
強いていうのならば、今まで生きてきたことが、今生きていることが悲しい。
ずっと前からわかっていたが、俺には何もないのだと思い知らされる毎日が寂しい。
空虚な身体に、古人の知識を詰め込んでできたのが俺だ。書庫に並んでいる本と変わらない、ただ人間の形をしたモノ。幼い頃から役所に飼い慣らされて、自分の意志など、スプーン一杯程度。
――ああ、そうか。俺も金糸雀と同じ、檻の中の身なんだ。
皮肉な名前を付けてくれたね、父さん。
色など知らないのに、「彩」羽だなんて。
飛び立つことなどできないのに、彩「羽」だなんて。
忘れたいのに、忘れたくない。この名前は、俺を締め付ける鎖で、あなたと繋がる細い糸だから。
自分で飛ぶことができないのならば、せめて――。
「金糸雀、俺がお前の『羽』になってやる」
「え……?」
久々の更新です。
再び動き始めた二人のセカイ、ゆっくりと見守ってやってください。