06「白黒と、低音のセカイ。」
迷って黙っていると、いきなり金糸雀が動いた。頬に当てていた手をほどき、俺の背に腕を回す。抱かれているこっちが不安になる位、細くて小さい腕。
俺の手から、封筒がはらりと音もなく落ちた。
「金糸雀?」
名前を呼んでやると、回された腕に力が籠った。頭も体も全部、押しつけてくる。抱き締めるというよりは、しがみつくという方がしっくりきた。
顎をくすぐる髪から、金糸雀の匂いがする。内側に孕んだ熱が、どんどん激しくなる。
抱き返してやって、初めて気が付いた。
金糸雀は、震えていた。
そして、俺は思い出した。彼女の一番嫌いなものを。
震えているのは寒さのせいじゃない、恐怖だ。
「どうして、何も言ってくれないの? 声、聞かせて」
「ごめんな、金糸雀、ごめん。ちゃんと話すから」
「私、聞こえてる? あやはの声、ちゃんと聞こえてるよね?」
「大丈夫。大丈夫だよ」
金糸雀にとって最大の恐怖は、男に抱かれることでも、迫害されることでも、侮蔑されることでもない。
無音だ。
音が聞こえない、声が聞こえない。その状況が、彼女にとっては耐え難い恐怖だった。
彼女は、生まれつき「高音」が聞こえない。
女の声は、余程どすの利いたものではない限り、聞き取ることはできなかった。部屋の外に響く甲高い花売りの声も、彼女の耳には届いていない。
僅かな聴力までもが、いつか奪われてしまうのではないか。そんな恐怖が、金糸雀の小さな体に、常に重くのしかかっていた。
幼い頃、俺も似たような恐怖に襲われたことがある。
俺は、生まれつき「色」が見えない。
認識できるのは、白と黒だけ。今触れている金糸雀の肌が、本当は何色をしているのかもわからないのだ。周りの連中が白いと言っているから、白いのだろうと思っているだけで、実は違っているかもしれない。けれど、確かめる術は、俺にはない。
将来、白か黒かもわからなくなって、何もかも見えなくなってしまう日が来るのではないかと、一人震えた過去があった。
白黒と、低音のセカイ。
俺たちは、互いに欠けたセカイの中で生きている。
金糸雀に魅かれたのは、そんな仲間意識のせいも少しはあるんじゃないかと思う。
メインタイトルの由来が明かされることと相成りました。
欠けた二人のセカイ。互いに補うことはできませんが、そんな彼らはこの先どんな風に歩んでいくのでしょうか。