04「花屋(3)」
「待て! 今大事な話をしているんだ。入ってくるな」
俺の心情を察したわけでもなかろうに、館主は叫んだ。恐らく、商売人スイッチがオンになっていたのだろう。
「も、申し訳ございません。西條様がお待ちと窺ったもので。失礼致しました」
がやがやとうるさい不協和音に消え入りそうな声で、金糸雀は言った。ドアを閉めながらの言葉だったので、後半はほとんど喧騒に飲み込まれた。
恐縮した彼女の声を聞くのは初めてで、新鮮だった。新たな一面を見たという妙な嬉しさと共に、苦しさに襲われる。
俺が知らない場所で、金糸雀はずっとこうしてきたのかもしれない。
「花売り」として蔑まれ、白眼視され、抑圧され、それでもなお、無邪気に笑うふりをしていたのかもしれない。仕事だからか、自己防衛だったかは知れないけれども。
彼女を、救いたい。
俺のこの安っぽい同情心を知ったら、金糸雀は何と言うだろう。
「部屋で待て。西條様は、後からお連れする」
「はい、失礼致します」
ドアの向こうに人の気配が消えると、俺は大きく安堵の息を吐いた。
助かった。
最初で最後のことだろうが、この時ばかりは彼が輝いて見えたものだ。……頭のせいでなく。
「さて、お話の続きを致しましょうか」
にんまりと笑い、館主は俺に向き直った。
商売人の眼。ぼったくるつもり満々の、いやらしい光が満ち満ちている。
「とりあえず、ここには五〇〇〇用意してあります。まさか、これで足りないと?」
一般民男子十五回分だぞ、十五回。
金糸雀の稼ぎを考慮して、それに多少色も付けてある。金にこだわる性質ではないが、法外の値段を要求されても気前よく払ってやるほど器は大きくない。稼ぎのレベルが違うといわれる役人連中にとっても、一気に五〇〇〇も出すのは相当の覚悟がいるのだ。
「しかしですな、うちには金糸雀の噂を聞いて、遠方からいらっしゃるお客様も多いのですよ。金糸雀がいなくなったという噂も、また広がるでしょう。そうなってしまえば、うちとしましても、大変困った事態となるわけでしてなぁ」
つまり、見込み客の分も寄こせというわけか。がめつい野郎だ。五〇〇〇で腰を抜かしたくせに。
「ご主人。行き過ぎた欲というのは、身を滅ぼすのですよ。あまり多くを望んではいけません」
せいぜい「神」らしく説教を垂れてやる。
この世界で、役人は神として畏れられていた。一般民とは、あらゆる面で格差がつきすぎているのだ。決して逆らうことはできない、絶対不可侵の存在。
そんな絶対的なカミサマが、女を金で買おうとしているのだから、お笑いな状況だが、遠く遠く神話の時代から神というのは、美男美女が好物なモノである。
館主は依然「はぁ」とか言って渋っていた。そんなに金を手に入れたところで、何に使うのか。
コイツが、後代の子孫に財を残してやろうとか、殊勝なことを考えているとも思えない。第一、正式な子供はいないはずだった。店の花売りに手をつけて、孕ませた挙句、捨てたという話は何度か聞いた気がするが。
そろそろ、煮え切らない態度に付き合うのも面倒になってきた。金糸雀も空いたことだし、早々に済ませるとするか。
「それでもなお、あなたが富を望むというのならば、身を以て体験して頂きましょうか? 強欲が破滅への第一歩だということを、ね」
俺は笑ってみせた。別に、声に凄味を効かせたわけでもない。ただ世間話のように、さらっと言ってみただけだ。
しかし、それだけでも館主を震え上がらせるには十分だった。見事に血の気が引いて、口の端が引きつって痙攣し始める。
役人が「神」と呼ばれる所以。一般民が、逆らうことができない事情もここにある。
それは、役人には生まれながらに特殊能力が備わっているからである。能力を持っている者でないと、役所勤めはできないのだ。この能力は九分九厘が遺伝性で、従って役人はほぼ世襲制であった。実際、俺の両親も役人だったし、同じように特殊能力を持っていた。
個人によって能力は違うが、いずれもかつては幻想の産物であった「魔法」と呼ばれる代物だ。火や水や風といった自然物を操る力、物や人を操る力、その他にも禁呪とされる種々の力。
大概の役人は一つの能力しかないが、たまに複数の能力を持っている奴もいる。そういう奴はやはり特別扱いされて、ガンガン出世したりする。中央役人にも複数保持者が多いらしい。
一般民を制圧するのに便利な特殊能力だが、だからといって好き勝手に乱発していたのでは秩序が崩壊する。それ故、役所の規則で能力の使用は制限されている。使用が許可されているのは、自衛の為か、警備課所属の役人くらいだ。規則を破れば、相応の厳罰が科せられることになっていた。
「どうします? これで手を打つか、それとも――」
「じじじじ実力行使ですか? そんなことをすれば、西條様の御立場も危ういのでは? すぐに役所に通報がいきますよ」
まだ抵抗するのか、この薄らハゲ。見上げたタマだな。
「通報がいったとしても、御心配には及びません。お忘れですか? 私は、今や中央セカイの役人です。四方セカイ役所長と同等の権力があるのですよ」
これは事実だ。
セカイ役所の中にも序列はある。四方を統べる中央役所は、たとえ下っ端役人であろうとも、絶大な権力を有している。我ながら大層な地位に就いたものだ。
「さあ、どうするのですか?」
ここまでくれば、選択の余地などないはずだが。いかに金の亡者とはいえ、まさか、自分の命を危険に晒してまで、金を要求してくることはないだろう。
「……わかりました。どうぞ、お持ち下さい」
ぐったりと首をうなだれて、館主は観念した。
「ご協力頂き、感謝します。では、こちらに署名を」
札束を片付けさせ、役所でもらってきた譲渡証明書を差出し、サインをさせる。花売りの所有者が変わったぐらいで誰も気には留めないのだが、念には念を、だ。
これで、晴れて金糸雀は俺の所有物になった。
感慨なのか何なのか、奇妙な感情が胸を浸食していった。
金糸雀が婚姻を拒んだ場合でも、戸籍は作ってやるつもりだった。きちんと、「人」として生きさせてやりたい。今日で五〇〇〇もの貯えを失ったが、それでも、彼女一人を死ぬまで養ってやれる程度は残っている。
――俺はまた、金で解決しようとしてるな。
自分が腐っていく感覚というのは、死にたくなるほど素晴らしいものだ。
「また、ご縁があったらお会いしましょう」
悪魔の笑みを浮かべて、俺は館主部屋を後にした。
扉を閉める瞬間、館主の笑い声とも泣き声ともつかない呻きが漏れてきた。
どちらにせよ、後味の悪い一時に似合いの終了ベルだった。
結局また男二人のむさい場面となってしまいました(-_-;)
次回こそ!金糸雀嬢の登場です!