11「始まりのセカイ」
翌朝、少ない荷物を鞄に詰め、俺と金糸雀は役所へ向かった。
二つの書類を携えて。
一枚目。戸籍作成申請用紙。
正体不明の不審人物でも、役人の申請であれば戸籍を得る事ができた。
当然ながら、その人物と申請を行った役人は一蓮托生の運命にある。何かしでかせば、無条件にもう片方も締め上げられるってわけだ。この制度を悪用されて、消されたヤツも中にはいる。恩を仇で返されたヤツも、また然り。
どこのセカイでも、正直者の善人が損を見るようにできていた。住みにくい世の中だ。
俺も、金糸雀が何かやらかしたら糾弾されることだろう。悲しい事だが、喜々として群がってくる輩が大勢想像できた。
そうならない為にも、しっかり手綱を握っていなければ。
すでに金糸雀は街の様子に興味津津で、手を離したら確実に迷子になる。俺にとっては何の変わりもない眺めだが、彼女にとっては見るもの全てが新鮮なのだ。
できることならば自由に見物させてやりたいが、タイムリミット付きの旅ではそうもいかない。
フラフラと落ち着かない金糸雀を引っ張って、役所へと急いだ。
二枚目。婚姻届。
正面の階段を一段昇る度、心拍数が跳ね上がる。
この先へ続くのは、天国か地獄か。
一蓮托生。
金糸雀の手を強く握り締める。
「あやは?」
――今なら、まだ戻れる……まだ……。
今の今になっても、迷っていた。赤の他人を自分の人生に巻き込むことへの、恐怖。
どこかでずっと声がする。
お前が、幸せになれるはずがないだろう。
何故なら、お前は――。
俺の中の、誰かの声。
この先は、いつも聞こえなかった。心が聞くことを拒否して、身体がそれを叶えた。
聞かずとも、わかっている。知っている。
俺は一体、どうすれば?
「あやはっ!」
強く引っ張られた腕の先に、頬を膨らませた金糸雀がいる。夜の妖艶な姿からは想像できない、少女の仕種。
何かおかしくて、思わず吹き出してしまった。そんな俺を見て、彼女はますます頬を膨らませる。
「何がおかしいの?」
「何だろ……あはは!」
晴れた空の下、声をあげて笑うなど、何時振りだろうか。記憶にない位、遠い過去だということはわかった。不思議と、悲しくはない。
今、多分、これが「シアワセ」なのだと思えるから。
「変なの」
へそを曲げて、プイッと外方を向く。揺れる髪から漂う金糸雀の匂いは、陽を浴びてまた違った風に鼻をくすぐる。春に咲く花のような、澄んだ優しい香り。
そういえば、この東方にも、そろそろ春が来る。
風は依然として冬の寒さを感じさせたが、その中に微かな春の気配が忍んでいる気がした。陽射しも暖かく、穏やかだった。
「金糸雀」
「?」
最終確認。
「俺と来ることに、異存はない? この先は、何も保障できないよ。もちろん、全力で守る。でも、及ばないことだってあるから」
「いぞん、ってなぁに? およばない、って?」
いちいち時間の掛かる会話。
普段だったら苛つくだろうに、今はこの時間が愛おしかった。
「『異存』は、違うっていう気持ち。『及ばない』は、できないって事」
多少の語弊はあるが、彼女のわかりやすいように言い換えてやる。
これから夫婦になる予定だというのに、親子のようだ。また笑いが込み上げてくる。
金糸雀は、一度チラリと空を見て、レンズ越しに俺の眼を見た。
「気持ちは違わないし、あやはにできないことはないよ」
彼女なりの精一杯。何故か、そう感じた。
俺にわからないだけで、金糸雀は色々な事を考えているのかもしれない。小さな頭で、たくさん、たくさん。
真っ直ぐに見詰めてくる瞳には、確かな決意の色があった。
ならば、俺も腹を括らなければいけない。
「わかった。じゃあ、行こう」
今はまだ少し重い、俺への絶対的な信頼。
変わらず暖かい、握り返す小さな手。
望むことなく備わっていた、この能力。
恨んだこともある。できるなら捨ててしまいたかった。
呪われた能力と命を使って、俺は、君を守ろう。
俺と金糸雀、二人分の決意が込められた薄っぺらい紙は、滞ることなく受理された。
行く先には、固く閉ざされた門がある。
東方セカイと、外を繋ぐ唯一の出入り口。くぐってしまえば、もう二度と戻ってくることはないだろう。
住み慣れたセカイ。最後に振り返ると、金糸雀も倣って反転する。
彼女にとって、俺にとって、このセカイはどんなだったろうか。
始まりの場所。俺達が出逢い、旅立っていく、戻れない起点。
軽く頭を下げて、広がるセカイに別れを告げた。
「行こうか」
頷き、寄り添う小さな身体。
何が待つのかもわからない旅路の果て、辿り着く終点まで、繋がれた手を離さずにいられるか。
「大丈夫だよ」
見透かした風に、彼女は微笑んだ。
この時、白黒の俺のセカイに、一瞬だけ、色が灯った気がしたんだ。
久々更新(>_<)
いつまでたっても東方から出ない二人(笑)11話使ってようやく旅立ちですよ。スローペースにも程がありますね、すみません(/_;)
彩羽の言う「呪われた能力と命」。
明かされるのは最終段階に入ってからになりそうですが、ちょこちょこ欠片を潜ませていきたいと思います。
乞うご期待☆(*^^)v