10「月下美人と手駒」
「戸籍の件とは別で、中央へ行くかどうかは、金糸雀に任せる。それなりに危険が伴うし、大変な思いもきっとするだろう。強制はしない。
このまま東方に残って暮らしていくのなら、それでも構わない。
明日の朝迎えに来るから、決めておいて」
彼女の返事も待たずに帰ろうとすると、慌てた声が追い掛けてきた。
「待って、あやは。封筒忘れてる」
しまった、そうだ!
本気で焦って、金糸雀の手からそれをひったくった。
「そんなに、大事なものなの?」
興味津々で、封筒を見詰める。
自分の将来を決めてしまう、大事な書類だとも知らずに。
心臓が、ゆっくりと跳躍を始める。思考能力が、段々漂白されていく感覚。
まずい。
何で言い忘れてたんだ?
っていうか「一緒に行こう」って、考えてみれば求婚みたいなもんじゃないか。
この上、まだ「結婚しよう」とか言わなきゃいけないのか?
こんなに一気に色々言ったら、金糸雀の頭パンクするだろ。
そうだよ。まだ一緒に行くって決めたわけじゃないし、明日でも良いよな。
いや、一緒に行くってなっても、俺との結婚が条件だったら辞めるとか言い出すかもしれない。
それって、相当キツイ状況だろ。惨め度最大だよ。
そもそも、金糸雀は俺のことどう思ってんだ?
「愛してる?」とか聞いといて、自分はどうなんだっつー話ですよ。
嫌われてはないだろうけど、客としてかもしれないし。良いように使われてるだけかも。
俺だって彼女を利用しようとしてるんだから、そこは同罪だろ。
あああもうめんどくせぇ!
一人脳内会話を終了させて、金糸雀に向き直る。
「大事なものだよ」
「それ、なぁに?」
「……婚姻届。俺と、金糸雀の」
「え?」
金糸雀は、今日何回「え?」と言ったのだろう。その本気のキョトン顔が、胸に痛い。
「ごめん。言い忘れていたんだけど、連れていけるのは、血縁者か配偶者一人なんだよ。だから、その、金糸雀が東方から出るには、俺と結婚することが条件なんだ。隠してたわけじゃなくて、本当に言い忘れただけで、他意はない。ごめん」
言葉を重ねれば重ねる程、墓穴が深くなっていく。最強にダサい。
背中の傷よりも、今は顔の方が熱かった。
「私、あやはのお嫁さんになるの?」
お嫁さん。
子供じみた単語が、余計に恥ずかしかった。
「なるかどうかは、金糸雀次第だよ。ただ、中央へ行くなら、結婚しなくちゃいけない」
「あやはは、どう思うの?」
「えっ」
「一緒に行こうって言ってくれたのは、お嫁さんになってほしいってこと?」
頼むから、真顔でそんなこと聞いてくるなよ。普通に分析するなよ。
何かもう、恥ずかしすぎて涙が出てきそうだった。
「そうだね、わかってるなら聞き直さないでくれよ。すごく恥ずかしいんだ、こういうの。柄じゃない」
「でも、確認しなきゃわからないでしょ? 相手の気持ちを確認しないのは良くないことだって、前にあやはが言ってたのよ」
いつだかわからんが、その時の俺を殴ってやりたい。
「わかった、うん、そうだな。ちゃんと言わない俺が悪かった。
……金糸雀といると楽しいし、嬉しいよ。守ってやりたいって思う。幸せになってほしいって思う。
……これで良いか」
額から流れる変な汗と、羞恥のあまり俯いていたせいで、眼鏡がズルズル下がってくる。
叶うのならば、今すぐここから逃げ出したい。
俺の願いとは裏腹に、金糸雀の追及は止まなかった。
「ということは、つまり?」
俺、良いように誘導されてないか? もしかして、遊ばれてる?
ちらりと窺うと、金糸雀はニンマリとした意地の悪い笑い方をした。
しまった、そうだ。
彼女は、一夜の愛を売る、花屋の稼ぎ頭。
色恋沙汰で、敵うはずがないのだ。
「傍にいてほしい。俺は、金糸雀と結婚したい」
目を瞑って、半分やけくそで言った。
理想の求婚像とかは持ち合わせていなかったが、コレはない。ひどすぎる。
恐る恐る目を開けると、望んでいたものが、そこにあった。
少しはにかんだ、満面の笑み。
「金糸雀……?」
「ありがとう、あやは」
舞うように軽やかに俺の手を取り、握り締めた。
「どこへなりとも付いて参ります。私の、旦那様」
そう金糸雀の声が聞こえて、次に意識が戻った時、俺は床に座っていた。状況から察するに、腰が抜けたのだろう。
本当に、ひどすぎる。
呆然とする俺の頭を、「よくできました」と言わんばかりに撫でてくれる。
完全に手駒だ。
彼女がクスクス笑うのが悔しくて、腕を掴んで引っ張ってやった。
非力な金糸雀が抗えるはずもなく、簡単に倒れてしまう。
ちょうど良いので、そのまま抱き締めた。
いつもより、もっともっと、何百倍も愛しく感じた。
金糸雀も同じなのか、強く抱きついてくる。
今度は頬ではなく、唇に口付けた。
「初めてだね、あやはが口にするの」
また意地の悪い笑い方をする。
何でそう、言わなくて良いことを口にするのか。
「悪かったな、今まで腰抜けで」
「今も、腰抜けてるけど?」
「金糸雀!」
「ふふっ」
他の花売りと館主に挨拶を済ませ、俺たちは連れ立って花屋を後にした。
繋いだ手をぶんぶん振って、彼女は至極御機嫌のようだった。
泣いたり笑ったりはしゃいだり、忙しいな。
「ねぇ、あやは。こういうのは愛とは違うの?」
「さぁ、どうかな? 金糸雀が本心で俺をどう思ってるか、わからないし」
さっきの仕返しのつもりで、意地の悪いことを言ってみた。
金糸雀は、月明かりの下、余裕の笑みを見せる。
月下美人。
そんな名前の花を、思い出した。夏の夜に、数時間だけ凛として咲き誇る花。
今の彼女の姿に、少し似ている。
「そうね、もっと上手くなってほしいかな」
敢えて「何を」上手くなってほしいのかは言わなかった。
それが余計に男のプライドを直球で抉る。
「……売り飛ばすぞ」
「できないくせに」
彼女は、一夜の愛を売る、花屋の稼ぎ頭。
色恋沙汰で、敵うはずが、ない。
話数がようやく二桁突入です。
更新も遅ければ、話の進行速度も遅く、申し訳ないです(;_;)
今回はちょっと毛色の違う雰囲気となりました。新作の影響か否か……。
少しは「ほのぼの」が出せたかな、と思います。
甘々なのは書いてて恥ずかしいです。彩羽じゃないですが、こういうの柄じゃないっ(>∀<;)
さあ、いよいよ旅立ちの時です。乞うご期待!