01「異動辞令」
他の作者さんに比べて、一話ずつが長くなってしまうかもしれません。
また、改行があまり好きではないので、ごちゃごちゃして読みにくい部分もあるかもしれません。ご了承ください<(_ _)>
終わりが来た。
その日最後の書類を片付け終えると、所長から呼び出しが掛かった。
無駄に大きくて重い、樫の木の扉。
精々涼しい顔をしてそれを開けると、これまた無駄に大きい机の向こうにふんぞり返るオッサンがいた。呼び出したのだからこっちを向いておけばいいのに、わざわざ背を向けて窓の外をご覧になっていた。恐らく威厳を出しているつもりなのだろうが、薄くなった頭頂部が笑いと哀愁を誘っている。
仕事もろくにできないくせして、そういう無駄な演出ばかりするから部下に嫌われるんだよ。
所長が無駄をする度、奴の髪が一本抜けていく。彼の下で働く人間たちの間では、まことしやかにそんな噂が流れていた。
噂というか、ほぼ願望だ。日に日に薄くなる所長の髪を見て、ほくそ笑むのが所員に与えられた癒しだった。さっさとハゲろ。
「知識部古書保存課所属、西條彩羽です。お呼びでしょうか」
諸々の不満を押し殺して、俺は恭しく頭を下げる。
「御苦労」
椅子が軋む音と共に、無駄に重厚感を醸し出そうとする声が響いた。よし、一本抜けた。
顔を上げると、机の上に封筒が載っていた。役所で使われる、伝達事項用の茶色い封筒。宛名は俺だった。くそ、通信部のヤツ、直接本人に持って来いよ。
「君宛だ」
見りゃわかるっての。無駄な確認、マイナス一本。
「ありがとうございます」
俺が封筒を手元に引き寄せるのと同時に、所長の濃い毛をあしらった太い指がそれを制した。反射的に睨みつけそうになるのを慌ててこらえる。試しに軽く引いてみたが、彼の指には相当力が込められているらしく少しも動かなかった。
「中央人事部からの書類だ。ここで読み上げてもらおうか」
人事課からの言い渡しは、通常所長をはじめとする上の人間から伝えられる。
つまり、今回俺に言い渡された辞令は常ならざるものというわけで、所長サマとしては気にせずにはいられないのだろう。お前何かやらかしたのか、と。
軽くうなずいてやると、ようやく彼は手を放した。筆立てにさしてあるペーパーナイフを拝借して、一気に封を切る。
鈍い彼は気付いていないが、書類を取り出す俺の手は、かすかに、だが確実に震えていた。
――ついに、この日が来たのだ。
残酷にも思える白い紙に、冷酷な黒い文字の羅列。
一度深く息を吸い込んで、なるべく感情を込めぬよう、早口で読み上げる。
「中央セカイ役所、人事部より。東方セカイ役所、知識部古書保存課、西條彩羽に、中央セカイ役所、知識部知識庫管理課への異動を言い渡す。四方セカイ役所長の許可証を取得の上、三〇日以内に中央セカイへ渡ること。同伴者は、血縁者及び婚姻関係にある者一名限りとする。辞退不可、期日厳守。早急に出立せよ」
顔は俯いたまま、目線だけをちらりと上げると、所長は不満とも困惑ともつかない苦い表情をしていた。俺の心境は、彼よりも遥に苦い。
「栄転だな」
「そのようですね」
この世を成している五つのセカイ――東方、西方、南方、北方、中央――の頂点に立つのが中央セカイであり、その中央セカイを支配しているのが中央セカイ役所だ。いわば、この世の総元締めといったところだろうか。各部門の精鋭たちが集い、彼らの統治の下に暮らす民もまた、一流階級の者が多い。
そういった事情で、役人たちは中央勤務を夢見て働いている。能力を評価されるのは大変名誉なことだが、それ以上に魅力的なものがある。中央を除いた四方セカイの役人でも十分に余裕のある生活が送れるが、中央の役人の給与は、後の三代までは不自由なく暮らせる程と聞く。有り余る財を求めて、四方に勤める者は皆、中央勤務を熱望しているのだ。
「まあ、君の能力は目を見張るものがあるがね、何故この時期外れに異動命令が出るのかね」
何故この私を差し置いて、お前のような若造が中央勤務なのかね。
今の所長の言葉を翻訳すると、こうなる。
「私には何とも申し上げられません。欠員でも出たのでしょうか」
所長はなおも勘繰るような目つきで舐めまわしてきた。
賄賂でも使ったのか。
中央の役人夫人にでも取り入ったのか。
そもそも中央にコネがあるのか。
様々な想像が駆け巡ったらしいが、すぐに溜息で夢想を吹き飛ばした。
「……まあいいだろう。向こうでも頑張りたまえよ」
微塵も心のこもっていない励ましのエールを受け、俺も微塵も心を込めずに礼を言った。
「ありがとうございます。お世話になりました」
器用に片眉だけを上げて部下の言葉を流し、抽斗から許可証を数枚取り出して広げる。筆立てから羽ペンを掴み、インクが飛び散る勢いで瓶に突っ込む。追及は諦めたらしいが、俺の中央異動がさぞかしご不満のようだ。
「出立はどうする? 今日かね、明日かね」
「今日はもう日暮れ時ですし、明日の朝発ちます」
各セカイを渡るのは、役人だけに許された特権であるが、それでも所属役所長の許可は必須だ。いちいち面倒な規則だと毎度思う。
羽ペンがガリガリ音を立てて、一枚目の許可証に日付を刻む。
二枚目。これは異動許可証。人事部からの書類に「辞退不可」と記してある以上、許可するしかない。それなのに四方セカイを全部回って許可証を取って来いとは、何とも面倒な話だ。
三枚目。同伴者許可証。
「同伴者はいるのか? 確か君は独り者だろう。家族もいないと聞いているが」
どこから聞くんだよ。背筋に一瞬寒いものを感じたせいで、作り笑いが引きつった。
「現時点で伴侶はいません。ですが、連れて行きたいと思っている女性がいます。彼女の同意が得られたら、婚姻許可証を下さい。連れて行きます」
「ほう、これから求婚かね。一大事だ」
下卑た笑い。クソオヤジ。
「で、同意は得られそうかね」
「……恐らくは」
多分、彼女は受けてくれるだろう。中央役人の伴侶となれば、絶対安定の生活が待っている。今のように、自分を傷つけて働かなくても良くなるのだから。
きっと俺を愛してくれているから、とは言えない。俺自身、彼女を愛しているかと聞かれれば即答はできないからだ。
不足している愛情を、金で補おうとしている自分に吐き気がした。低俗にも程がある。
「では、もう発行してしまおう。私からの餞別だ。特別だぞ」
どうせ後から発行されるものなのに、恩着せがましく言うな。
「相手の名前は?」
彼女の名が許可証に書き込まれてしまうと、もう後戻りはできない。
本当にこれでいいのか?
アイツを巻き込んでしまっていいのか?
「名前は?」
所長の声が詰め寄ってくる。
彼女の無邪気な笑顔が脳裏を掠める。中央に渡れば、もう二度と会うことはないかもしれない笑顔。
「……金糸雀」
迷いもむなしく、俺の罪は確定した。
ごめん、金糸雀。一緒に、いってくれ。
初投稿!ですっ。ちゃんと完結までいきつけるだろうか(笑)
久しくファンタジーを書いてなかったので、慣れない部分もありますがお付き合い頂けたら幸いです!