三 現場で分かる業務上の諸注意
第三世界と呼ばれる異世界は長閑、という他なかった。降り立った場所が田舎だったのか人っ子一人いない遊牧地と言ったところだ。
そんな場所で美甘は木に向け叫ぶ。
「アタック!」
言葉と共に美甘の前から光弾が発生し木をへし折る。折れた木は目の前に立っている美甘へと勢いよく迫ってくる。かなり大きな木であったため下敷きになればただでは済まないだろう。
「え、えっとえっと……ガード!!」
咄嗟に叫ぶと球体上の半透明なバリアが現れ木から美甘を守る。ほっとしたのも束の間、バリアで遮られているとはいえ頭上に木は未だにある。解除したら結局死ぬのは変わりないのではないか。
「三つ目三つ目ー」
「あっ、そうか。ストップ!」
四宮の言葉で思い出した三つ目を口にすると、辺りを飛んでいた鳥が、吹いていた風が、落ちてきていた木の葉が、世界が全て止まる。先ほど試しに使った時も感じていたが、使う度に妙な高揚感のようなものを美甘は抱いていた。
「まるで世界の支配者になったような気分?」
「い、いえいえそんな事……!」
「気にしなくていいよ。神の権能だもん、そう感じちゃうのも仕方ない」
「神の……権能……」
「さっ、ガード解除して其処から出ましょうか」
言われるがまま、ガードを解除し安全圏まで避難してからストップも解除する。背後に木が倒れる音が響き思わず目を瞑ってしまうが、あれほどの大きさの木をたった一言でへし折ったのは紛れもない美甘なのだ。
「対象が何であろうと一定ダメージを与える『アタック』、物理精神概念全てを受け付けない『ガード』、そして世界の一時停止機能とも言える『ストップ』、この三つが基本的なリコール装備だよ」
「こんな小さな箱を持っているだけでいつでも使える……凄い……」
「慣れないうちはとりあえずストップ使えば安全に戦える」
「……誰であろうと攻撃を命中させてなんでも防げて時間まで止めれる、これで危ないことあるんですか?」
防御していようとダメージを与え、攻撃されればなんでも防ぐバリアを出せ、万が一間に合わなければ時間を止めて防ぐなり避けるなりすればいい。これを与えられて負けるのはそれこそボタン一つで戦争を終えれる技術を持つ国が刀や槍や弓がメインである国家に負けるよりも難しい気もするのだが。
「あるよ。こんなの持ってても負ける時は負ける。というか転生者の中に偶に覚醒するのがいる」
「覚醒?」
「世界の枠組みを超えて力を発揮する素質を持った転生者が勇者となる事でアタックの絶対命中、ガードの完全防御、ストップの時間停止は無効化される」
「えっ。その場合、どうすれば」
「慣れないうちは支給されたデバイスの赤いボタンがSOSになってるからそれ押してひたすら逃げて。課長が飛んで来る」
「その前に、倒れると……どうなるんですか?」
「私達は特に気を付けないといけない……キャラ堕ち、です」
恐ろしいワードのように口にする四宮だが、美甘は首を傾げる。ギャラ、つまり給料が減るという意味と聞き違えたかと思ったが、次の言葉を聞き背筋が凍る。
「その世界の整合性に在った『住人』として堕とされ、覚醒勇者と化した転生者のヒロインその一となります」
「………強制的にその異世界転生物に組み込まれるって事ですか!?しかも即堕ちヒロイン!?」
「そうなると管理課の職員としての記憶も消えて都合のいい記憶が入り、日本で暮らしていた存在そのものが消えるから……気を付けてね」
「ひぃぃぃぃぃ!?」
負けたらどんな奴かも知らない相手の即堕ちヒロイン、それも今まで生きてきた自分の人生を上書きされて仕事で倒すはずだった男にハート飛ばす人生が待っている……恐ろしくて仕方ない。
「ぜ、絶対負けれないじゃないですかリコール案件……!!」
「まぁ、本人的には幸せそうよ……?」
「それって……」
「私の先輩がね………堕ちた。私は負けないわ、っていつもフラグみたいな事言ってたからなぁ……子宝に恵まれて幸せそうにしてるよ……」
「あぁ………」
「絶対なんてないの、覚えておいてね」
社会に出てからこれほど身に染みる言葉を聞いたのは初めてだった。美甘は「絶対なんてない」を心の教訓にしつつリコール装備をきちんと扱えるように努力する事を心に決める。
「男性職員の方が負けた場合ってどうなるんですか……?」
「私が入ってからはその先輩以外キャラ堕ちは無いけど、秋津さんの同期はキャラ落ちして『元神の使徒を自称するライバルキャラ』みたいになったって聞いたわ」
「転生者が男性だとライバルキャラになるんですね……」
「いやー……中には男性に転生した元女性転生者が男侍らせてる所もあるから……秋津さんは『あいつが負けたのが普通の転生者なのが救いだろうな』って」
男女差別など無い素晴らしい結果というべきか、働くすべての職員が貞操を危惧しなければいけない環境だと嘆くべきなのか。どちらにせよ自分の身は自分で守るに限る、普通の仕事でも出先で不審者に襲われる可能性がゼロというわけではない。自衛手段としてこうした装備をくれるだけ此処はマシだ、と美甘は強く思い込む事にする。
高収入でありホワイト待遇であるのならば多少のリスクが生じるのは当然ともいえる。そういったリスクを説明してくれて指導にも時間を取ってもらえるのだからありがたい方だ。会社によっては「教えてほしいなら仕事手伝って充分だったら帰る前の十分くらいなら教えてやる」なんて人は少なくは無かった。下を思い出し現状のすばらしさを再認識しておく。
「思いつめた顔しなくていいって。SOS押せば余裕ある人はすぐ駆けつけてくれるし、私も久々に出来た同性職員失いたくないから優先的に応援行くからさ。リコール装備の訓練も言ってくれれば時間空けておく」
「四宮さん……!!」
数々の転職をしてきた美甘からすれば女性の先輩社員の何とありがたい事か。事務や派遣ならまだしも正社員となると大体は男性しかいないという事も多い。大多数はどうか知らないが美甘の関わってきた人々はたいてい「女性社員相手に距離を測りかねる」か「女が男のように働ける能力あるわけないだろう」か「出会いを求めて転々としているんだろう」のどれかに当てはまる人しかいなかった。
セクハラモラハラパワハラは当たり前という環境に何度も当たってしまった不運を呪ってきたが此処に来てのこの職場、今までの苦労が報われるような気がしていた。
「そんな感動しなくても、と言いたいけど私も転職は多かったから」
「そうなんですか?てっきりスカウトされたのかと……」
新人である美甘は主に課長や鏑木の仕事に同行する事が多い。当然両者との会話内容は仕事か課長、鏑木についての話になる事が多い。その中で鏑木は課長にスカウトされた、という話を聞いている。
入った当初から緊張しきっていた美甘をリラックスできるようにと気配りをしてくれて、積極的に声をかけて先輩職員達の会話にも混ぜてくれる四宮もまた能力の高さからスカウトされたものかと考えていた。
「まぁ……色々あってね……そうね、美甘さんの素質が分かったその時にまた話すわ」
「素質……ですか……?」
「美甘さんがウチの求人を見つけることが出来たのは偶然じゃないの。ウチに入って働くことのできる素質があったからこそ。それが何なのかは……これからいやでも分かると思うわ」
「出来るだけ早く分かるようにするべきでしょうか……」
「いやでも分かる、と言ったでしょう?変なものを見れば、自ずと引き出されると思う」
どういうことかは理解出来なかったか四宮の目がどんなものを見てきたかは何となく理解出来た。あれは奇人変人の客を相手取りプロとなった銀行勤めの友人と同じ目だ。
どうにも、心して臨む必要がある。覚悟の用意だけはしておこうと決めた美甘だったが、後程欠片も理解出来ていなかったことに気付くのだった。