二 業務終了、帰着
少し長い間は何なんですかね、と問い返したくなったが扉の一つからノックが響く。扉が開き入ってきたのは全身血まみれの大男。知っている顔であったため悲鳴は上げなかったが見た目のインパクトに美甘の呼吸が一瞬止まる。
「おつかれ鏑木君」
「戻りました、課長」
「お、お疲れ様です……あの、それ、怪我大丈夫ですか……?」
「全部返り血だ。それに、そろそろ消える」
真っ赤に染まっていたシャツが徐々に白く戻っていく。血が消えれば鏑木の身体に傷一つないのが分かるだろう。
「この神域には異世界から物を持ち込む事自体は出来る。だが神々と神々以外による創造物である場合存在できず消去される。今のは帰り血自体が人間のものだから消去された」
「帰る前に申請を出しておけばこっちで受理しておくから連絡してね」
「私達が無事なのは課に所属しているから、ですか?」
「そういう認識で良い。今は細かい理屈を説明しても分からないだろう。いずれ興味が沸いたらその時に教える」
「よろしくお願いします……」
異世界管理課には鏑木以外にも四人の職員がいる。美甘の予想だが職員の中のトップ、課長に次ぐ実力者なのは鏑木だ。他四人の態度が明らかに違うのは此処に来て数カ月だがすぐさま分かった。
新たな環境においてグループ内の誰が発言力を持っているのかを見極めるのは非常に大事、だが職場の雰囲気と鏑木の人柄を鑑みるに「御機嫌取り」は必要なさそうだ。
事務所の時計を見れば時刻は既に午後五時を回っている。そろそろ、と思えば他の扉が次々と開き残りの四人が帰ってくる。
「戻りましたーっと」
「お疲れ様です」
「お、お疲れ様です!」
「ふぃー疲れた……おっ、美甘ちゃんも初外回り無事終了?いやー大変だったっしょ~」
「どっかの誰かは奇声上げて服脱ぎ散らしながら廊下からダイブしたもんな」
予想以上に酷かった。いや、彼という試金石があったおかげで彼と似たような事をせずに済んだともいえる。美甘だったらそんな事をすれば正気に戻って即座に辞表を書くレベルだ。むしろ感謝するべきなのだろう。
「ナンノコトカナ。それよりさー初外回りオメってことで今夜どうよ、飲みに行かね?」
「鏑木さんの前で流れるようにナンパするなんていい度胸だな」
「な、ナンパちげーっすよ!コミュニケーション!課内におけるコミュニケーションじゃないっすか!」
「へぇ、じゃあ鏑木さんの酒に付き合えるんだ。鏑木さん、朗報ですよ」
「ほぉ?」
「すいません勘弁してくださいかんぞうこわれる」
「美甘さん歓迎の場はまた私の方で用意しますよ。皆さんはそれを楽しみに本日の活動報告、お願いします」
天沢の一言で雑談の雰囲気だった課内が引き締まるのが分かる。自分の席へと戻る先輩たちに合わせて美甘も席へと戻りそれらしく立つ。
「鏑木、リコール案件『バグで異常強化され世界破壊を目論んだ転生者』と『宇宙規模の大戦争を引き起こして神気取りになった転生者』の二件を完遂」
「四宮、依頼案件『原始的すぎるスローライフ農業の発展要求』と『異世界屋台飯を目指す転生者に流通支援』の二件を完遂。なお『調理関係スキルしか与えていない転生者が秘境への食材探し始めたので同行者の選抜』に関しては鏑木さんか課長に手を貸してもらいたく」
「四宮君の仕事を見る一環だ、美甘さんを連れて私が行こう」
「田中ロッソ!依頼案件『三年も鈍感でフラグ三桁作ってそろそろイライラしてきたから本命決めさせろ』を一般人になりすまし見事完遂!あとハーレム系転生者のリコール三件終えまっした!」
「リコールしたさに雑にしてそうですね後程屑の代わりに確認しておきます」
「ひっでぇ……」
「秋津、依頼案件『転生者中心となって作った法整備の補助』『転生者が多人種纏めて作り上げた組織の規範作成』を完遂。どちらも一般人となり知識人に供与する形なので目立つことは無いかと」
「これがきちんとした一般人ムーヴ」
約一名を除いて淡々と自分の業務を報告する先輩たちを眺めていた美甘だったが、視線が自分に集まっている事に気付き背筋を直して少し出だしを上ずりつつも報告を始める。
「み、美甘!課長に同行、依頼案件『増えすぎた巨大生物の駆除』とリコール案件を一件見学しました!リコール装備の使い方を教わりたいので四宮さんに指導お願いできればと思います!」
「其方は私からもお願いします。四宮さん向けの依頼もそう多くないですし可能だと思うのですが」
「了解しました。では明日同行してもらえるようですし、午後からは美甘さんお借りしても?」
「構いませんよ。第三世界への権限を付与しておきますのでお好きに使ってください」
「ありがとうございます。美甘さん、良ければ明日お昼一緒しようか」
「ぜ、是非!」
「皆さん、報告有難う御座います。完遂した依頼書はきちんとまとめておいてくださいね。本日もお疲れ様でした」
お疲れ様でした、と全員が礼を返し帰宅の用意を始める。営業職などであれば此処で報告書を作り契約書だのなんだのを纏めて提出するなどあるがさすがの神々のお膝元、各々が所持しているデバイスを出せば仔細が記録されている為問題ないらしい。
「仕事終わりに報告書纏めるだりー作業無いのマジ天国~、って天国みたいなもんかここ」
「依頼書纏めてないとまた泣きを見るぞ田中」
「ヘーキヘーキ月末の俺がどうにかしてくれるっしー」
「……うわっ、危険な思想だって言わんばかりの目を新人に向けられているぞ」
「美甘チャン???」
「え、いや、昔居た会社でそんな感じでちょっと怠けたらミスして終電過ぎるまで説教されて泣きながら歩いて家まで帰ったなーって記憶が蘇って……」
「美甘チャン……!!下心とかないからマジでなんか美味いもん食わしたる!焼肉とか好きかい!?」
何処から取り出したか名前だけは知っている超有名店のチラシを美甘へと見せる田中ロッソ。押されてたじろぐ美甘の背後にいつの間にか回っていた四宮と秋津が耳打ちしてくる。
「寿司、寿司って言っておこう美甘さん」
「ステーキもいいですよ美甘さん」
「しのみーもよっしーも便乗する気満々か!?いやえぇけども!!」
「魚の方が、好きではありますけど……」
「かっちょう!鏑木さん!俺の奢りで寿司行きやしょうぜ!!」
「寿司ですか……良い場所を知っています。ロッソ君、吐いた唾は呑めぬといいますよ?」
「今月の俺は……メイショウコレナノが付いてますから」
「ではお言葉に甘えて。鏑木君、上への報告は明日私がやっておくから御飯に行きましょう」
「了解です。田中ぁ……俺はかなり食うぞ」
「覚悟の上でさぁ……全ては!!美甘ちゃんに美味いものを食わせるため!!」
そう意気込み財布を片手に先導する田中ロッソ。だが彼は知らなかった、二か月分の給料が消し飛ぶレベルの支払いをすることになり、メイショウコレナノに今月の生活を祈願する羽目になるとは。